日本近代演劇研究家・笹山敬輔が語る「漱石もアイドルにハマっていた!?幻の近代アイドル史」

2014/09/09

Session-22 アイドル 荻上チキ 近代 笹山敬輔

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今回は2014年7月21日放送「荻上チキ Session-22」
「セッション袋とじ」笹山敬輔さんの回を
起こしたいと思います。


荻上チキ(以下、荻上)
今回「近代アイドル史」ということで
新たに書きましたよね?それがやっぱりすごいなと思いまして。


笹山敬輔(以下、笹山)
やっぱりですね、ちょうど博論はまさに歌舞伎とか
プロレタリア演劇とか新劇っていう、どちらかというと
正当演劇史をやってたんですけども

その周りにはいわゆる大衆芸能っていっぱいあって
面白い話は実はその周辺にいっぱいあるんですよね。

それはやっぱりちょっとこの面白い話はみんなに知らせたい
っていうところがありまして今回こういう切り口で
本にしたってことなんですよ。

荻上
なんとなく仕事だと例えば医師とか薬屋とかが
演芸の中でどう描かれたか?とかあるいは一方で

「ケロリン」から始まってお風呂がどういうふうにあったか?
っていうのを書くのは分かるわけですよ。
なぜ今回アイドルだったわけですか?

笹山
昔の演劇研究をしているときに、やっぱり川端康成がですね本当に
学生の時代に河合澄子という女優さん、本ではアイドルと言ってるんですけども
それを目当てで劇場に通っていたっていうことがあって

その周りには「澄子ー!」っていう声をみんなで掛け合ったって
いうようなことがあって、「これはアイドルっぽいな」っていうのが
ちょっと気になっててですね。

南部広美(以下、南部)
そんな前にもコールが!

笹山
そうなんですよ、まさにコールがあったんですね。
それで調べていくとですね、その明治・大正・昭和にですね
そういう話がボロボロ出てくるんですね。

これはこの観点でまとめたらおもしろんいじゃないかな?っていうことで
ちょっと一気に調べて、一気に書き上げたってことなんですよ。

荻上
最近ね、例えば小説書いてるけどアイドルも好きですよとか
評論やってますけどアイドル好きですよっていうのが

なんか「ニュータイプでしょ?」感を
ちょっと醸し出してるようなところもあるんですけど
そんなことなくて、むしろ王道なんだよっていうことに・・

笹山
もう本当にそれこそ昔はいわゆる大学生っていうのはまさに
超インテリな時代ですから、そういうインテリたちが劇場とか寄席に通って
まあアイドルのおっかけをしていたっていうことなんですよね。

荻上
それで学業を疎かにしたりなんかして・・まあ!

(中略)

南部
今夜はですね「漱石もアイドルにハマっていた!?幻の近代アイドル史」
と題しまして笹山さんの新刊「幻の近代アイドル史」のお話を
いろいろとお聞かせいただこうかなと。


荻上
この本も1970年代のアイドルが登場していく過程を最初に描いていくんだけれども
そこからアイドル史を語るのかと思いきや、一気に時代がググッと戻りまして
明治・大正・昭和の当時の大衆芸能、近代初期のアイドル文化が語られていくという

「アイドル」という言葉は当然ないけれどもアイドル的存在が
実はずっとあったんじゃないか?っていう話になったわけですよね?
これなんか意地があったんですか?この本を書かなくてはならないとか?



笹山
いやそうですね、本当に何て言うんでしょう?
これだけいろんな人たちがハマっていたっていう事実があって

皆さんがいろんな今で言うオタクたち、アイドルオタクというファンたちが
熱狂的に支持した存在がいたんだけど、
どうも演劇史の中ではやっぱり語られない。

どちらかというと、下らないものとかですね、ちょっと低レベルなもの
っていうふうにして演劇史から外れていったものたちなんですけど

ただやっぱり当時ものすごくそれを見て
勇気づけられた人もいればエネルギーをもらった人、
実はインテリ層もけっこうハマってたんだよっていうところが見ると

皆さんが知っていただくと楽しいんじゃないかな?
っていうところで書き上げたんですよね。

荻上
なんでこれ歴史から消されたじゃないけれども、
そんなに語り継がれるということが少なかったんですかね?

笹山
まあやっぱり演劇研究に限らないかもしれないけども、
演劇研究ってやっぱり純粋なもの、芸術っていうのはやっぱり純粋なものとか
そういう思想的なものとかですね、そういったものを取り上げるという・・

荻上
作品としての完成度とか?

笹山
そうですね、その中でいうと非常に雑多なものですし、
まあ興行の論理で動くような「売れればいいや」みたいなところで
動くようなものっていうのは

いわゆる「芸術的」と言われるものから相反するものっていうところで
どうしても正当な演劇史からはどうしても外れがちというところはありますね。

荻上
シェイクスピアもそうですけど、大衆的でバカにされてたんだけど
振り返るととても良かったみたいなものとかってものもあって再解釈?

つまり大衆の下らないものこそに時代性が宿るんだっていう
再解釈で評価されるっていうことを歴史上繰り返すじゃないですか?
それでもアイドル史というのは軽視されているという・・?

笹山
いやもうそれはまさにアイドルファンっていうのは
当時から「外見を見てるだけじゃないか」とかですね・・。

南部
そういう揶揄される・・

笹山
「内容なんか聞いてないんでしょ?」みたいなことを言われるんですよ。
そうなると内容に興味がないっていうものがどうやっていわゆる
芸術の歴史として位置付けるのか?っていうのはこれは難しいですよね?

荻上
まあ今だったら何をもって内容がないというのか?と。
これだけの人が一心不乱に1ヶ所を見て、
そこに左右されているところにこそ

歌詞とか作品を超えた本質があるんだと
擁護することも不可能じゃないわけですよね?
私が擁護しているわけじゃないですよ。

だけど、ただただ埋もれたその歴史を
見つけようじゃないかということで
笹山さんが掘り起こした。

さて、近代アイドルっていうものを歴史と再度語るっていったときに
どういうふうにピックアップしていったんですか?

笹山
アイドルっていうのはまさに1970年代に
言葉としては広まっていったんですけども

まあ「アイドル」って何か?っていうのと非常にいろんなふうな
議論があると思うんですよね。

例えばアイドルというのは「未完成なもの」だとか
「親しみやすいのがアイドルだ」とかっていう議論もあるんですけども・・

荻上
ああ、崎山記者もそう言ってる。
「芸がない人の方が良い」とか、「あえて」みたいな。

笹山
一方で必ずそれから漏れるっていうケースもあるわけで、
じゃあむしろ逆に若い男性が非常に熱狂的に支持して

ときに恋愛感情を抱くような存在は
もうアイドルって言っちゃっていいんじゃないの?っていうところで
そういうエピソードを持つ女優さんとかをピックアップしていったんです。

南部
この本の中では。

荻上
まず広く定義した上でと。

笹山
そうですね、まさに観客にとって同じような心の動きを
呼び起こす存在はまあ今で言うアイドルと同じような
存在なんじゃないか?っていうところで明治から探していったっていうところですね。

荻上
それで再発掘していくっていうことになったときに
原点というか近代アイドルの原点っていうのはまずどのあたりに
探っていったんでしょうか?

笹山
一つは「娘義太夫」というですね、芸能があって
それ以前にもいろんな芸能があったので、必ずしも「娘義太夫」が
スタートということではないんですけども。

まあ「娘義太夫」というものは非常に東京で一気にブームになって
多くのあえて言うとアイドルが出て、

そしてアイドルファンが熱狂的になったという部分で
それが明治の半ばに起きたということで
最初は「娘義太夫」に設定したんですよ。

南部
その「娘義太夫」っていうのはどういうものだったんですか?

笹山
これまあ今で言うと難しいんですけれど。

荻上
VTR残ってないですからね。

笹山
そうなんですよね、まあいわゆる若い女性、
まあ「女義太夫」という言い方もするんですけども
まあ女性が三味線に合わせて物語を語るんですね。

そういう意味でいうとまあ1人で語るので、ナレーションの部分もあれば
セリフの部分もあったりっていう、まあそれを自分1人で演じ分けて
それを三味線にのって歌うというか語るというかそういう芸能なんですよ。

荻上
それがどうしてアイドル性を持つようになるんですか?

笹山
明治に若い女性が寄席というところで・・
要は江戸時代は公的には女性は劇場に上がれなかったので
それが明治以降になって解禁されてですね。

まあ堂々と「娘義太夫」というのが寄席に出てくるようになってですね
まあ1章で取り上げる竹本綾之助という、これがデビューが10代前半。
12歳とか11歳とかそのへんですよ。

荻上
もうジュニアアイドルですね。

笹山
だからですね、アイドルの低年齢化って今に始まったことじゃないんですよ。
昔から10代前半でデビューして10代半ばにはもう熱狂的な人気を
巻き起こしていくっていうのがまあ明治の最初もそうなんですけれども。

荻上
最近AKB好きなやつが増えたから日本はロリコン化してる
とかって言ってる人もいましたけどね。

笹山
まあそれ言うともう、明治からロリコンなんですよね。

荻上
ずっとそうだと(笑)
なんか「ご先祖様!」っていう感じの人も中にはいるかもしれませんね。
でも今、男性っぽい名前でしたよね、綾之助?

笹山
そうですね「娘義太夫」ってもちろん女性で
そういう名前の付け方するんですけども

本当にそれが寄席をやったら一気にブームになってですね
それが非常に席巻したというか・・

荻上
それは可愛らしかったということですか?

笹山
まあそうですね、やっぱりその若い女性
まさにハマったんですよね、ときに恋心を持ったファンたちがですね

名前を叫んだりですね、「待ってました!」と声を掛けたりですね
あと「どうする!どうする!」って言うんですよ。

南部
あ、そうか!語りだから語りの途中の合いの手で
「どうする!どうする!」みたいな?

笹山
なんで「どうする!」って語りを言ったのか?って
これあんまりよく分かんないんですけど、
おそらく最初誰かが始めたのが定着・・今のコールの?

南部
自然発生的に。

笹山
それで「娘義太夫」ファンのことを「どうする連」という
言われ方をするんですけれども。

そういう感じで出待ちもあればですね、あとおっかけもあれば
あとファンレターもあれば、ファン同士が劇場の外で
交流するっていうことも・・

荻上
オフ会みたいな?

笹山
そうです、そうです。
あと新聞に投書欄っていうのがあるんですけれど
そこに匿名で投書出来るんですよ、当時は。

そこに嫌いな「娘義太夫」の悪口を書いたりですね、
あとファン同士でケンカしたりですね、
今の何とかちゃんねるみたいなことがですね・・

新聞の投書欄で当時は・・まあそのまま載せてたんで
そういう現象があったんですね。

荻上
じゃあ何とか派と何とか派でどっちがセンター張るべきだ?
みたいな議論が当時からやってた?

笹山
はいはいはい、「どっちがいいんだ」とかですね。
「実はあの子はゴシップがあるんだ」とかですね、
そういうことを新聞の投書欄でやってたんです。

荻上
はあ、普段の口コミでもやってたんでしょうね。

笹山
まさにそのときに匿名で、ペンネームみたいなものを使ってるわけですけれども
それでそれ同士で交流してるんですね、外で本名じゃなくて。

南部
劇場の外とかで?

笹山
そうです、そうです。

荻上
どんなペンネームなんですかね、それは?

笹山
けっこうですね、いろんな・・「スッパ抜き屋」とかですね。
あと「娘義太夫嫌い」とかいうそれは悪口書くためのペンネームなんですけど。
今と付け方はあまり変わってないと思いますね。

荻上
そうですね、「何とかキラー」とか付けるやつがアンチでいて、
一方で「何とか推し」とか名乗ったりとかっていうことですよね?

これさっき出て来た竹本綾之助の評判の書かれ方がすごくてですね、この本の中で。
「綾之助の人気は凄まじかった。とにかく綾之助の看板さえ掲げれば
 どの寄席でも満員になることが出来たのである」

南部
そんなに!

荻上
「東京中の寄席から引っ張りだこになったのは無理もない。
 綾之助が出る寄席の周囲の八丁四方が不入りになったことから
 「八丁荒らし」と呼ばれた」

「正月から12月までの1年間のスケジュールは全て埋まっていた
 2軒の寄席を掛け持ちする『二軒バネ』は綾之助からはじまったとか」
まあダブルブッキングじゃないですけども・・

人気のエピソードが数多いということで
本当に現象ですね。

南部
まさにアイドルだ!

荻上
ちなみに著名人も「娘義太夫」にハマってたって話がありましたけど。
どんな人がハマってたんですか?

笹山
まあやっぱり有名なのが夏目漱石ですよね。
漱石がどこまでハマっていたかっていうのはちょっとよく分からないんですけども、

夏目漱石が39歳のときに、ある「娘義太夫」の家を突き止めた
っていう手紙を送ったんです。

荻上
それ、ダメなやつだ(笑)

笹山
これはもしかしたら誰かに聞いた可能性もありますし、
当時は車じゃなくて人力車の時代なので寄席が終わった後、
少女が家に帰るまで追っかけることが出来るんですよね。

南部
人力車で?

南部
走る漱石は見たくないですよね(笑)

笹山
そのとき突き止められたのがですね、ちょうど20歳くらいの太夫ですから
まあ20歳下の太夫の家を突き止めたと手紙に書く漱石ですよね。

荻上
それは自慢げな文調なんですかね?

南部
「やったった」っていうことなんですか?
「見つけたぞ!」っていう?

笹山
まあ「見つけたよ」っていうところでね・・

荻上
なるほどなるほど、ただ他の描写は手紙とかでも
残ってたりしなかったりするんですよね?

笹山
だからそんなに漱石はどれぐらい・・
まあ寄席に足を運んだのは間違いないんですけどね。

荻上
「まあ見てきたんだけども」みたいな感じなのかもしれないけれども・・
他にはどんな?

笹山
あとは確実にハマっていたのは、俳人の高浜虚子とかですね。
小説家の志賀直哉、特に志賀直哉なんか面白いのはですね、

いろいろ日記に書いているんですけども。
自分の推しメンのことを「神に近し」っていうね。
今で言うと「神キターー!」っていうねところですね。

荻上
いやー、なんか仏だとかキリスト超えたとか
あういうのに関して大袈裟な言い方がありますけども・・

南部
変わんないんだなあ・・なんか。

荻上
「神に近い」って言ってたんですか!

笹山
そうです、そうです。

荻上
その場合の神ってどの神なんでしょうね?(笑)

笹山
あと、一緒に観に行った友達と帰り際に
もしこの雪の中に推しメンが倒れていたらどうするか?
っていうことで1時間しゃべったっていうんですね。

南部
はああ、楽しかったんだろうな。
その1時間は、非常に盛り上がって。

荻上
絶対インテリじゃないですよね、それは(笑)
ただの若者目線というか、でもそういうもんなんですかね?

南部
でもそれだけ惹きつける魅力があったってことですよね?

荻上
その1時間で何か書けてると思うんですけどね(笑)
他にもいるんですか?

笹山
そうですね、あとはさっきも言いましたけど。
川端康成、まあこれは次の話題になっちゃいますけども。

まあハマったっていう意味でいうと「浅草オペラ」っていう
大正時代に出て来た芸能に川端康成はハマってたんですけども。

本当に川端康成は「旧制一高」っていうほとんどみんな東大行くような
バリバリの超エリートなんですけれども、

毎日のように2階席の最前列ですよね。
本当はインテリが行くのは、周りはちょっと恥ずかしいよっていう
雰囲気もあったそうなんですけれども

堂々とその「旧制一高」の帽子を被って
ニコニコしながら見ていたっていうことが
川端康成なんですよ。

荻上
オペラなんで、オペラグラスとか・・?

笹山
当時の「浅草オペラ」っていうのは今のオペラと全然違ってですね、
歌って踊るのは大体「オペラ」と言っていた時代なので
まあ本当にもっと大衆的な芸能ですよね。

荻上
どんな題目のものとかやってたりしたんですかね?

笹山
いわゆる西洋に有名なオペラとかを名前を変えたりしてやったりですね、
けっこう自分たちで作ったりですね、
けっこういろんなのをやってましたね。

荻上
現代版というかより分かりやすくというか?

笹山
はいはい、そうですね。

荻上
そこでやっぱりアイドル性のある少女とか
女性とかが登場したりして惹きつけていたという?

笹山
特に川端康成がハマったですね河合澄子っていうのはですね、面白いのがですね。
当時から歌も踊りも下手だって言われてたんですね。

じゃあ何がいいのか?ってここがアイドルの魅力なんでしょうけども、
同じ舞台にもっとバリバリに教育を受けてきた女優さんも出ていて
その女優さんと河合澄子が人気を二分してたわけでですね

まさにエリートとポンコツのアイドルが
同じ人気を得れるっていうことはあるんですね。

荻上
それはどう推してたんですかね?
そのポンコツを好きになるというのは?

笹山
川端康成もですね、まあ脚本がつまらないとかですね
けっこう悪口も書いているんですけども、

荻上
でしょうね、あの人から見れば。

笹山
でもやっぱり会いたくてしょうがないっていうことは
「観に行きたい、観に行きたい」ということは・・

南部
会いに行けるアイドルだったんだ、当時の「浅草オペラ」は。

荻上
やっぱり「萌え」とかというのは完成度とは
また別の領域であったりしますからね。

作品としてはもう下の下だがこのキャラクターは上の上だっていう
その引き裂かれる感じが・・

その「浅草オペラ」などどんどん時代ごとにも
アイドル性のあるカルチャーが・・
その後はどんな展開があったんですか?

笹山
そうですね、やっぱり第5章なんかはですね、
いわゆる「新宿ムーランルージュ」というまさにスタートが
満州事変の1931年にスタートした劇場なんですけども

そこに明日待子(あしたまつこ)というアイドルがいたわけですね。
もちろん芸名なんですけれども。

南部
おいくつくらいなんですか?

笹山
1920年生まれなので、本当にデビューしたのは10代前半ですね。

荻上
これ写真も残っていましてね、本に載ってますよね。
とても綺麗な方ですよ。

笹山
これがまさに明日待子、表紙も・・
これが面白いのはですね、学徒出陣っていってですね
当然戦争の真っ只中にも劇場をやってましたんで


学徒出陣っていったときにですね、明日待子のファンは学生が多かったので
学生が出征前に観に行くわけですよ、劇場に。

そして全部終わった後に、最後に
「明日待子バンザーイ」って叫ぶんですよ。

そうすると明日待子が1人1人の手を握って握手をしてですね、
「ご武運をお祈りします」と言って回るっていう、

その「明日待子バンザーイ」が毎日のように響き渡ってたいうのが
けっこう感慨深いですね。

荻上
その演技の最後の演目が終わるころに、本に書いてあったのが
「これから軍隊に行かれる方いたら手を上げて下さい」っていうと
次から次へと手を上げていって、

その人たちに舞台に降りていって1人1人と握手をするっていう
なんかアイドルヲタで出兵された方にとってはもう・・

笹山
最後の握手かもしれなかったわけですね。

荻上
木南晴夏さんにちょっと写真似てますよね?
あ、そうでもないですか?

笹山
けっこうこれいろんな人に渡すと、
「あのアイドルにちょっと似てるね」とかおっしゃる方多いです。

荻上
私、木南さん大好きなんですけども、
そんなカミングアウトはともかくですね。

でもこのその前のところでですね、政治とアイドルみたいな形で
その「お詫びガール」とか「頑張りガール」とか労働闘争とか

そういった部内に引っ張りだこにされた人に「何とかガール」と名付けて
メディアとかがちやほやするみたいなものって
100年ぐらい経った今でもやってるじゃないですか?「小沢ガール」とか・・

笹山
その労働組合なんていうのは水の江瀧子という松竹の労働紛争があったときに
その水の江瀧子に、当時18歳くらいですかね?
委員長をやらせるわけですよね。

それでどんどん新聞で同情的に書いてもらって
交渉するっていうことなんですよね。

荻上
これだけ今ちょっと駆け足で急に戦前まで明治から来ちゃいましたけれども
これだけ追って、日本アイドルの連綿と繋がるルーツといいますか・・
本質って何だとお感じになりました?

笹山
いやこれね、やっぱり難しいんですよね。
だいたいどれも「歌は下手だ」とかですね、
「踊りはぎこちない」とかですね

おそらくそういうところではないところに
やっぱりハマる要素があったんだと。

そういう意味でいうと現代とも割と連綿と繋がっているのかな?
というふうには思うんですけども。
まあとにかくファンが熱いんですよね。

荻上
これ「幻の近代アイドル史」となってますけれども
これ本当であれば「幻の近代アイドルヲタ史」だったりするんですよね?
そのヲタってどうですか?これだけなんか続くと?

笹山
いやそうですね、どうなん・・
当時からいわゆるファン・ヲタたちはですね、非常に軽蔑されてきたわけですよね。
「あんなクダらない芸能を・・」

まあ当時の権威ある芸能から比べたら低レベルな芸能に
ハマるなんてのは、まあレベルが低いっていうふうに
ファンたちも軽蔑されてきたわけですけども。

それでも好きでたまらなかったからこそ応援し続けた
っていうところはですね、まあそのファンたちの気持ちっていうのは
私はものすごく愛おしく感じますね。

荻上
やっぱりそこにこそ居場所を発見できたからこそ
いろいろと勇気を貰ったりとか楽しみを見つけたり人たちも
たくさんいたと思うんですよね。

ただ本の中でそのエリートの人があまりに通いすぎて
成績が悪くなったみたいな話もちゃんと紹介してたりとかで
節度は当然ながら大事だということはどの時代でも言えることではありますね。

笹山さんどうですか?
こうやって改めて追って、ご自身もアイドルに
そこまでハマらないっていうふうにおっしゃってたじゃないですか?

アイドルにハマるパッションみたいなものって
書いてみてどうですか?反応なども含めて?

笹山
非常に反応は・・嬉しいのですね、割とアイドルオタクの方たちに
楽しんで読んでいただいているという反応を見てるもので
非常にそれはすごく嬉しいですね。

荻上
ああ、僕らのご先祖様だっていう・・なるほど。

笹山
私はこの本を書くにあたって、まあアイドルに対して
ちょっと愛情を込めて書きたいっていうこととともに

いわゆるこの当時のアイドルオタクたちに対しても
愛情を込めて書きたいということは、書くにあたって
自分の決めたことだったので

特に5章の戦争中の非常に厳しい時代でも
こういう娯楽、アイドルっていうのを楽しめたっていうのは
私はすごく今よりも辛い時代だったので

それはやっぱりある種の希望なのかな?
というふうには思うんですよね。

荻上
着実に受けついでますよ、ご先祖様というふうに
この本を読むと言えるような感じがいたしますね。

南部
さあ最後の曲も笹山さんに選曲していただきましたが。
こちらはやっぱりアイドルの王道ということでしょうか?

笹山
最後にチラッと言いました「それでも好きなんだ」という気持ちが
この曲に現れてるんじゃないか?と思って、結章はこの曲にしました。

荻上
それでは曲紹介もお願いします。

笹山
指原莉乃で「それでも好きだよ」

南部
指原莉乃さんは今、総選挙2位ということですかね?
「それでも好きだよ」


荻上
選挙っていうのはさすがにどうだったんですか?

笹山
それがですね、明治時代に元祖総選挙みたいなものが浅草で
「百美人」っていうのがありまして、まあこれは芸者さんなんですけれども
まあ100人の芸者さんを並べて投票させるんですね。

これは現代版スカイツリーみたいなのが浅草に凌雲閣っていうのがあったんですけど
その入場券が投票券代わりらしくてですね、
1人で50枚100枚買う人もいたっていうふうな話がありますね。

荻上
いやー、変わらないですね。


(了)

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