小島慶子が語る「哲学で私は楽になった」

2011/12/12

キラ☆キラ 小島慶子 哲学 國分功一郎

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今回は、
2011年11月22日(火)小島慶子キラ☆キラ
オープニングトークを起こしたいと思います。

音声はこちらから

小島さんが1年近く薄く悩まれていたことを
楽にさせてくれた1冊を紹介しています。


小島慶子(以下、小島)
コラ☆コラコーナーは週替わりで色んな方がいらしてて
何度かご登場下さってる方もいらっしゃるんですけども。
その中のお一方が哲学者の國分功一郎さん

堀井憲一郎(以下、堀井)
あのイケメンな、
頭良いくせにイケメンっていうのはどう!それ!!若くて!

小島
ねぇ、しゃべるとなんかちょっとしゃべり方は無防備な感じが魅力っていうね。
國分さんがよく御本を紹介下さってるんですが、
その國分さんの最新刊かな?
『暇と退屈の倫理学』ってのが朝日出版社から出たんですけども。



これあの拝読しまして、
なんかあの哲学ってさ素養がないと分かんないだろうな?って思ってたわけ。
そしたら「いやいや、そんな人でも読めるから読んでみて」って言われて、

で本当に私、ほとんど教科書で習った以外の哲学知識とか無かったんですけど。
でもね、楽しく読めました!

そんでね、なんで楽しかったのかな?っておもったら、
まずは國分さんのまえがきとあとがきで、一人称が「俺」だったっていうね、
その意外性!



哲学者で「俺は・・。」ってまえがきとあとがきを書く人がいると想像してなかったんで
「俺」かぁ!と思ってそれでだいぶハートを掴まれてね。

で、なんか随分個人的な話しかけ口調だなと思ったら、
どうもこの本を書いた同期はね、國分さん。
色んな人がいて哲学が詳しくない人がほとんどだけど
みんな例えば「本当の俺って?」とか、「私の自分らしさって?」とか、
なんとなく何かに打ち込んで、大きな流れに中に飲み込まれて
濁流に身を任せながら熱烈に何かに打ち込んでみたいけど、それが何か分かんない
みたいなモヤモヤをたくさんの人を抱えてるけれども、
それってこんな風にものの考え方、まぁものは考えようだから、
こんな風に考えてみるとちょっとスッキリするかもよ!って事をね、
まぁ世話焼きですからこの人、哲学者なんですけど。
手を変え、品を変え色んな方法で教えてくれてんの。

堀井
なるほど。

小島
「哲学とはこのようなものである、馬鹿は来なくてよろしい」っていう本じゃなくて、
「良いんです!良いんです!昔パスカルって言うおじさんがいてね、
パスカルっていうおじさんはこう言った」とかね、
「マルクスっていうおじさんはこう言ってた」とかね。
「このおじさんとあのおじさん意見が違ってたんだけど、
それを俺(國分)なりに考えてみると・・。」

堀井
「俺的に」
しかも俺、漢字やぁー!

小島
そうするとまぁこんな風に考えられるんじゃないかな?っていうことを
とても丁寧に順を追って書いて下さってて。
「なんだ哲学ってとても高尚な学問だ!」って思わなくても、
「世界は何も変わらなくても、自分のものの考え方が変わると
世界が変わって感じられるんだ」っていうたったそれだけの事を、
色んな人が昔から知恵を凝らして教えてくれてたものなんだなぁって
わかる1冊だったんですよね。

堀井
なるほど、結構分厚い感じのやつですけども・・。

小島
分厚い!もう3cmくらいあるんですけども、フォントが大きいしね、
口調もとっても柔らかいので・・。

堀井
フォントだ・・。

小島
フォントだ。って言った、今?

堀井
続けて下さい・・。ああ、口調が柔らかいよね。

小島
フォントが大きいんですよね、割と。

堀井
フォントだ(笑)

小島
ハハハハハ・・。

堀井
振るなって!!

小島
本がすごく読みやすくて、これ結構平積みになってるんで。
本屋さんで見かけた方もいらっしゃると思いますけど、
是非食わず嫌いしないでお手にとって下さい。 


でね、具体的に私は何で楽になったか?
ね、「ものは考えようだよ!」って國分さんに教えて貰って
何が楽になったかっていうとね、
人間は哲学用語で言う「疎外」って難しい用語らしいんで、
本来の哲学でいうところ「疎外」っていう意味から、
ちょっと私の超個人的なレベルにね、卑近なレベルに
ぼんやり引き下げて考えたんですけど。

「あれ?なんかこれ本来あってはならない状態じゃないか?」とかね
「これはちょっとおかしい!」って感じる状況になった時、
その時に、
「いや、今ある自分の状態っていうのはこれは合ってはならない状況で、
本来のものと違うんだ!」って考えたりするじゃない?

例えば今の私の子このラジオ、オープニングでこういう話をすると
つまんないんだって!
それは今までラジオを聞いたことのない40代・50代の男性は、
こんな話冒頭から聞かされても食いつかないから、その話止めてくれ!と。

まだ聞いてない40代・50代男性を取りに行くためには、
もうちょっと面白い話でガンガンやってくれ!という風に言われるわけですよ。
でも、私は「え?でも今聞いている50万人はどうなるの?」って思うんですね。

堀井
50万人!

小島
ぐらいいらっしゃるんです。ぼんやりした概算でね。
で、今聞いている人のことを考えて話したいんだけど、私は。
なんで今聞いてない人のことを考えて頭からツカミとか考えないといけないの?
って思っちゃうの。

それで、こんなこと言われて私はすごくモヤモヤするなぁと思って、
番組のプロデューサーから言われるわけですから。
わかる!放送局は時間を売ってね利益を上げないといけないから、
「たくさんの人が聞いてますよ!」「聞いてまっせ!」って言って
広告料いかがですか?ってスポンサーに売らなきゃいけないのは分かるんですけど。

それとは別にさ、今実際聞いてらっしゃる方がいてさ、
それからあとそれとは別に、好きな事しか喋れない人間がいてさ、
その人間が有り難いことにお金を頂いて「そこに居て良いよ!」と
言って頂いてるわけなんですけど。

さて私は本来、放送局のお金になるお客さんを集めるために喋るべきなのか?
今聞いている人を聞きたいことを喋るべきなのか?
それとも、違うんだろうか?と随分悩んだんですよ。ここ半年くらい。

堀井
悩んだのね、ここ半年くらい!
実は悩みつつやってましたよと・・。

小島
薄く悩み始めたっていうと、ここ1年くらい。
もう今日こそ喋んのやめようとかって思ってたのね、毎日。
今日こそ綺麗な花の話だけをして終わってやろう!とかね。
ハハハハハ(笑)

堀井
綺麗なハナの話だけして終わってやろうと・・。
すごーい高いハナ、低いハナね。

小島
そっちじゃない、フラワーのね。誰も怒んないような。
それでグルグル回っちゃってて、
「なんだ本来放送が何のためにあるのかってのは、わかるようでわかんないぞ!」と。
放送局にとっては本来ビジネスですから、明確ですよね。
私も放送局の社員だった時は、自分の給料に直結しますから、
放送局の利益が上がればいいと思ってた。

今違いますね、素浪人ですから。
そうすっと私は何のために喋るんだろうな?って
まぁここフリーになってから1年くらいずーっと考えてんの。

有り難いことに、色んな方にインタビューもして頂いて
ラジオの話をたくさんの方が聞きに来て下さって、それにお答えしながらも
でも私は数字取るために喋れ!って言われるしなと思って。

なんだその数字っていうのは、放送局にとっては大事な指標なのは分かるけど、
私にとってその数字は何なんだろう?って。
じゃあギャラか?待てよ、数字が上がったからって
私のギャラは上がんないしなって思って、そこは連動してないぞ!って思って。

堀井
徐々に上がってきたり、
回り回って上がったりはしますけどね・・。

小島
上がってないんですけど、単品買いだぞと!買い切りだ!
ということだとしたら、じゃあ私は何のために・・、
待てよ!聞く人のためにって言ったってみんな千差万別で
今話してる話みたいなのが好きな人もいれば、また小島がうるせぇ事言ってるよって人もいるし、
全員に気に入ってもらえることは出来ない。

堀井
無理ですね、それはね。

小島
はてはて?と悩んでたんですけど、これを読んだら!
そもそも自分がモヤモヤした時にね、本来どうであるかって考えること自体が
とても不自由で危険な発想だよってことが書いてあるんです。

そうなの!で、人にも言いたくなるじゃない。
「本来、放送とはこういうものだよ」とかさ。
人にも説教したくなるし、その本来と外れている人を見ると、
「あいつ本来じゃねぇ」とかって言いたくなるし。

堀井
それ見つけてしまってしがみつくと、「原理主義」になるんですよね。
「原理」を見つけちゃうんでね、「原理主義」は怖いですね。

小島
「原理主義」が行き過ぎるとさ、自分以外が全員皆殺しみたいになっちゃいますからね。

堀井
そう、「自分が正しくて、何でみんな間違ってるんだ!」って事に
なってしまいますからね。

小島
なっちゃいますね、「本来こうなのに!」って。
本来は自分の頭の中にしかないのに。
それで國分さんが言ってるのは、
「だから本来どうであるか?今ある自分の苦しさは本来の状態でないから苦しいんだ」っていう
考え方自体を止めましょうと。

「私は苦しい。ではどうしたらいいか?」で良いんだよって。
そうすると私は、モヤモヤしていると。
しかし私は何のために喋るか?っていうと「喋りたいことがあるから喋るんだ!」と思って
「聞いて下さる方もいれば、聞いて下さらない人もいるし、
放送局の利益になる話もあれば、全くならない話もあるけれど、
それは人様が決めることで、私に出来ることは話す事なんだな」って思い立って、
「國分さん、有難う!!」って思ったのね、「気が楽になったわ!」って。

堀井
そこでね、だいぶ楽になったわけですね。

小島
もしかしたら、
「今の俺って本当の俺じゃないんじゃないかな?
本来の俺ってどこかにあるんじゃないかな?」とか、
「私の仕事って、本来のこの仕事の使命とは違ってる気がする」っていうことで
苦しんでいる方がいたら、これ読んだら楽になるかもしれない。

堀井
なるほどね、哲学とは言いながらそういうことでも触れてくれてるということで、
私なんかもだから、私なんか例えば物書きでやってて
つまらんこといっぱいやってるから、明らかに想像して分かるのは、
「私が居なくなっても世の中は何も困らない」というのは分かるわけです。

私が居なくなっても、無かっただけ。
あと誰かが埋めるわけでさえもなく、無かっただけ。
でも逆に、ということは俺がいるとちょっとは面白いかもしれん可能性を
経るかもしれん人がいるかもしれんぐらいな事はあるかな?と思って、
そのちょっとだけ、ちょっとだけみたいな事だけでやっていくというのが基本ですよね。

無くなったら全然、取っ替え聞くどころか居なくなって、
「あ、いたっけ?そんなん」みたいな存在であることをまず最初認識する
ところから始まるわけですよね。
そういう偉い人になろうと思ったり、
人生設計的に幅広く取ろうと思うとしんどくなってくるんで・・。

小島
素敵、ケンちゃん・・(笑)
ね、こうやって人に話聞いたり本読んだりすると
あのふっとしたことで、ものの考え方って変わってさ、
で、ものは考えようで同じ世界が明るく見えたり、
苦しかったことがそんなに気になんなくなったりするって不思議だなって
脳みそって不思議だなって思うんですけど、そんなヒントがいーっぱい入ってんの、この本。

堀井
そうだよねぇ、ちゃんとよく寝て明るいところでもの考えた方が良いよ。
もの考える時は、夜にとにかく考えちゃダメ。
夜中、悶々し始めたら酒飲んで寝る、明るい太陽の下でもの考える。
そういうのはものすごい大事なことなんで。
夜中悩み出したら、もう寝よう!悩んだ瞬間に「寝よう!」って思った方が良い!
寝た方がいい。

小島
静かだしね、もの考えるのにいいかな?と思うけど。

堀井
なんか集中しちゃって、なんかだけど、
色んな余計なね、夜は色んなものが忍び込んでくるから。

小島
ああ、魔物がね。

堀井
魔物がね、マジに来ます。本当に。

小島
寝た方が良いんだね。
じゃああの明るいところで考えて、
考える時にちょっとなんか助けになるのがあったらいいな!って時に是非
非常に面白い本なんで読んで下さい。

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