ミッドナイトセッション「三田佐代子」さんの回を
起こしたいと思います。
前回のこちらの続きです。
プロレスキャスター・三田佐代子が語る「総合格闘技が観やすい状態ではなくなったのとプロレスが良くなったのは関係はない」
荻上
そうした中で、いま特に注目の選手っていうのは、どういった選手なんですか?
三田
その中邑選手っていうのはぜひ観ていただきたい選手なんですけれど。いまアメリカにいて「WWE」という団体にいるんですけど。彼の場合はその「WWEネットワーク」というので日本で観られるんですよね。
すごいんですよ!インターネットで世界中で同時刻で観られる時代なので。中邑選手の活躍に関してはその「WWEネットワーク」で観られますし。
ちょうど今年の7月に「WWE」が日本公演をするんですね。(既に終了)そのときに凱旋帰国をするので・・でもたぶんチケットは残ってないかもしれないですけれど。彼の場合はそのアメリカの大体で観ることができる。
荻上
チケットの争奪戦も大変なんですか?
三田
「WWE」に関しては今回その中邑選手と、それからずっと「新日本」で活躍していたAJスタイルズっていう選手とか、けっこうなスター選手がこの春に「WWE」に行ったんですね。
なので今年はちょっとチケット取るのが大変だと思います。この女子のアスカという選手も日本人の選手なんですけれども。今年そのやっぱり「WWE」の「NXT」というところの女子王者になって今回凱旋をするので、そういう人たちが大挙して凱旋帰国をするので今年の7月はちょっとチケットが取れないと思いますね。
南部
それだけ見どころだらけならね。
三田
例えば「新日本プロレス」なんかも良い席を取ろうと思ったらもちろん早く行かなきゃダメだし。「新日本プロレス」はもう後楽園はほぼ毎回札止めというかたちで当日券は並んで取らないといけないとかそういう感じできてますね。
荻上
選手も注目ですけど、団体とかはどうなんですか?
三田
団体はですね、やはり業界を引っ張っているのは「新日本プロレス」だと思うんですね。ただ、最初に「新日本プロレス」を観に行って「なるほど!業界のトップの団体というのはいまこういう感じなんだな」というのを分かっていただくというのも良いと思いますし。
荻上
「新日本プロレス」は棚橋さんも?
三田
そうです、今のチャンピオンが内藤哲也選手という今までずーっとエースになりたかったんだけどなれなくて、ちょっと今卑屈な感じのヒールになっているんですけれど。オカダカズチカ選手に勝ってついにようやくチャンピオンになって。
やることなすことなかなか読めないタイプの選手なんですけれども。ようやく獲ったベルトを放り投げちゃったりして、皆が「えーっ!」ってなるとかそういう感じなんですけれども。
今もう圧倒的にファンの支持を集めているんですよ。何をしてもどんなことを言ってもファンの支持を集めているという意味で内藤選手がチャンピオンでちょっと新時代が来たなあっていう感じですね。
荻上
「週刊プロレス」の「やったぜ内藤」って書かれた号を見せていただいています。
三田
「新日本プロレス」の後楽園ホール大会にもし全くプロレスを観たことがなければ行ってみるというのはすごく何かきっかけとしてはいいんじゃないかな?という気はしますね。
荻上
他の団体はいかがですか?
三田
インディペンデントでも面白い団体がいっぱいありまして、その「DDT」というのがですね。高木三四郎選手という面白いオーナー兼選手がですね。本当にインディペンデント小っちゃいところで誰も有名な選手がいない中で立ち上げた団体だったんですけれども。
面白い考え方であったり、既存の団体が扱ってくれないのであれば例えば「東京ウォーカー」に載せてもらおうとか、渋谷のコギャルにプロレスを観せてみようとか、そういう形でプロレスを面白くしていった人ではあるんですね。
団体が大きくなってくると良い選手が入ってくるんですよ。良い選手が入ってくれば団体の力というのがつくので。そこに飯伏幸太選手という、実は最近その団体自体は辞めて自分の研究所を作ったんですけれも。
荻上
研究所?
三田
そう!「飯伏プロレス研究所」というものを作りまして。
荻上
それはまた団体なんですかね?
三田
これはね、誰にもよく分からないんですけど。たぶん団体なのかな?みんな「えーっ!?」って呆然となってる・・団体なんじゃないかな?と思います。まあフリーなんですけどね、1人なんですけどもね。
その飯伏幸太選手ってものすごく運動能力が高くてセンスが良くて突拍子もない行動をやるという人を連れて来て、彼が本当にスターになったので「DDT」という団体もどんどんそれで大きくなっていったというところがありますね。
荻上
この「DDT」・・インディーズとプロとそれぞれ違う市場があるっていうふうに考えていいんですか?それとも交流することもあるんですか?
三田
いわゆる「インディー」と「メジャー」ですね。「インディー」と「メジャー」という言い方をして昔はいわゆる「メジャー団体」っていうのはもともと日本のプロレスって力道山が「日本プロレス」をはじめてそこから「全日本プロレス」と「新日本プロレス」に分裂したところから始まってるんですけど。
しの「新日本プロレス」と「全日本プロレス」だけが「メジャー団体」と呼ばれていたんですね。「新日本プロレス」はテレビ朝日が放送して、日本テレビが「全日本プロレス」を放送していて、その2つが「メジャー団体」と呼ばれていて。
それ以外は1番そのインディペンデントっていうのを普及させたのは大仁田厚選手なんですよ。大仁田さんが「FMW」という団体を作りまして。そこで「電流爆破デスマッチ」とかですね。そういうのをやりだして。
荻上
1000針以上縫っている人ですよね。
三田
そうですそうです、1000針以上縫って抗生物質がもう効かなくなっている人なんですけれども。その大仁田さんが「インディー」というジャンルを確立して。
そこから「じゃあ面白いことをやれば、いわゆる大きな団体じゃなくてお客さんって観てくれるんだ」っていうことが分かって「インディー団体」っていうのがたくさんできたんですね。
で、たくさんできても何か面白いちゃんとしたコンセプトがあったりとか。志のあるリーダーがいたりとか良い選手がいないとなかなか上手くは続かなかったんですけれども。
その「DDT」と私の本にも取り上げたんですけど「大日本プロレス」というところはリーダーがすごく何か知恵を持っていたのと、勇気を持って進んでいくことができたので本当に今「メジャー」にも負けないぐらいのお客さんの動員であったりとか、素晴らしい新人選手をたくさん獲得することができているんですね。
だから昔は「メジャー」と「インディー」っていうのはものすごく大きな差があって、「メジャー」の選手が「インディー」の選手と一緒の試合をするなんてことはあり得なかったんですよ。
だけど今は、一時「メジャー団体」がそれほど力がなくなった時期もありましたし。「印デュー団体」も大きくなった団体もあったので、差がなくはないんだけど昔ほどギクシャクはしていないというか
お互い「良いものは良いよね?」「メジャーだろうがインディーだろうが良い選手はいるし、良い試合はあるよね?」っていうことで、けっこうお互い行ったり来たりするということはありますね。
荻上
その代表がさっき言った飯伏幸太選手?
三田
そうですね、その1つのきっかけを開きましたね。
荻上
選手としてはどんなスタイルの選手なんですか?
三田
ものすごく運動能力が高い。もともとはプロレスラーにどうしてもなりたくて子どものころから鹿児島の出身なんですけれど砂場でプロレスをやったり、学校の校庭でプロレスをやって朝礼の台からグルグル回転して落ちて肋骨を全部折るとかっていうことを小学生時代からやっていたんですって。
小学校の校庭ってタイヤが埋めてあったりするじゃないですか?で「うんてい」とか隅にあったりするじゃないですか?それをグルグル回って、いかに人がやらない飛び回り方とか飛び越え方をするか?っていうのを休み時間中にやってお客さんがついたっていうんですよ。
南部
うわっ、小学校で!(笑)
三田
ということを小学生からやっていた人なんですけれども。なかなかプロレス団体に入ろうと思ったら、履歴書の書き方が分かんなかたったり、ちょっと天然な人なので上手くいかないくてキックボクシングを始めるんですね。
キックボクシングを始めたら始めたでやっぱり身体能力が高くて運動神経が良いので、その「K-1」の下のクラスの「K-2」っていうもうちょっと軽い階級っていうのが一時あってそこでチャンピオンになったりしてたんですけど。
チャンピオンになって「よしっ!次は『K-1』で魔裟斗とやるか?」ってジムのオーナーが言ったときに「辞めます」って言って辞めて。
荻上
辞めた?魔裟斗とやれるのに。
三田
そう!プロレスに来たっていうタイプの人なんですね。だからキックボクシングが得意なのでまず打撃、蹴りだったりパンチが上手いのと。あとはその運動神経が良いのでどこからでも飛べるし、どこからでも回れる。このスタジオの広さでもう絶対彼は飛ぶしプロレスをやる人なんですね。
荻上
普通のリングの2分の1から3分の1ぐらいの広さですよ、ここ。
三田
でもリングいらないんですね。「路上プロレス」というのをすごく彼はやりたいと思っていて、それはなぜか?っていうとプロレスを通りがかりの人に観て欲しいから。実はTBSラジオのこの赤坂サカスで1回やったことがあります。
南部
路上で!?
三田
実はここで記者会見を「DDT」がビッグマッチの前にやらせていただいて、そのステージ上で乱闘になり「絶対外に出てはいけない」と言われたにも関わらず飯伏選手がテンションが上がりすぎて、あそこの赤坂駅につながる通路ぐらいまで出てしまって、あとでめちゃくちゃ怒られたんですね。
夏休みなので、たくさんお客さんがいて。お客さんというか普通に通りがかる人がいて「何ごと!」っていう感じで。
荻上
サカスの入口近辺って高級街の方に抜ける坂道とかあるから。普通の私設の警備員の方とかいらっしゃる場所ですよ!
三田
なのでたいそう怒られたんですけれど。飯伏選手は山手線の1番混んでいる通勤時間帯かスクランブル交差点でやりたいって、そういう人なんですよね。
だから何かおかしいことをやりたいから言ってるんじゃなくて、通りがかりの人に観てもらったら絶対「プロレスって面白い」っていうのが分かってもらえるので。
荻上
じゃあアルタ前のブースとかあるじゃないですか?あういうところとか好きそうですね。
三田
絶対好きだと思いますね。だからちょっとあったら登りますからね、机ぐらいとか登ったりする。
荻上
ラジオゲストにはしたくないなと思いました(笑)壊れたら繊細なものがいっぱいあるので・・。
三田
「触れたらいけないよ」って言ったら触れたくなるタイプのね。
南部
それは周りはほっとけないですね。
三田
周りは1番ほっとけないタイプなんですけれども、彼は本当にそういう能力と面白い個性が皆さんに可愛がられてその「DDT」にいながら業界の1番最大手の「新日本プロレス」っていうところのダブル所属になったんですね。
ダブル所属になってちょっと試合が多かったのと、本人が疲れてしまって今少しお休みというか少し両団体から距離を置いて「プロレス研究所」というものを作ったという人ですね。
南部
じゃあチャージ中なんですね。
三田
この人です。この写真集の。
南部
割と可愛らしいね、フォトジェニックな。
荻上
しかし「DDT」はインディー団体でありながら非常に注目されているのは確かですよね?
三田
そうですね、その高木三四郎選手というのがもともと学生時代にイベントなんかを手がけていらっしゃって、そういうことに何かあんまり「プロレスはこうじゃなきゃダメだ!」っていうことにとらわれてないっていうのがすごく良かったんだと思うんですよね。
荻上
「DDT」の中にも女子もいるんですね。
三田
「DDT」は「DDT」という団体と「BASARA」という団体と「東京女子プロレス」っていう女子の団体があっていま傘下にそれだけいて「DDT」グループとしてものすごい人数が増えているんですね。
それはやっぱりそれだけ人気もあるし、それだけの選手を抱えるだけの余裕もあるっていうことの表れだと思うんですよね。
荻上
ちなみに男色ディーノ選手は聞いたことあるでしょ?南部さんも。試合の戦い方が非常にユニークで男性女性問わず人気が高い方ですけど。
三田
男色ディーノということで、「男性女性問わず」と今チキさんおっしゃいましたけれども。基本的に男の人が大好きタイプのレスラーなんですね。
男の人を見ると入場中にもチューをしたりとか女の子にはものすごい手荒いんですけれども。彼ももともとライターをやっていたりして非常に文化的な知識が高かったりする方なので。
その試合もそうですし、発言なんかにもすごい含蓄のあることをおっしゃったりするという意味で面白い存在ですね。
だからその男色ディーノだったり、飯伏幸太みたいな突拍子もない人もやっぱり高木三四郎というボスの下だったからこそレスラーとして花開くことができた。
南部
やっぱり、リーダーシップ。
三田
リーダーは大事!!大事なんですよね。
荻上
ちゃんと個性をその個性としてしっかり伸びるようなスタイルを育てていくというようなのがありますよね?
南部
あっ、「みちのくプロレス」だ!私の故郷・・レインメーカーの人はどれ?
三田
レインメーカーの人はオカダカズチカ選手という人でして。レインメーカーの人ももともとは「新日本プロレス」ではなくてメキシコの団体でデビューをして、そして「新日本プロレス」だったらもっと活躍できるんじゃないかな?ということで移籍をして帰って来てという感じなんですよね。
彼は本当の190センチ以上あってものすごくドロップキックというのがきれいで。最初は傲慢な感じだったんですけれども。それこそ棚橋選手に「お疲れ様でした。もうあなたの時代は終わりです」とか言っていたんですけれども。
そのカードゲームのCMに出て「オカダ!」って言われて「オカダさんな!」って言って漏れ伝わる可愛らしさとか。
南部
なるほど!
荻上
イジられキャラになりましたね。
南部
男前ですね!
三田
その棚橋・中邑・オカダというのがやっぱりこの数年の「新日本プロレス」でありこの業界を引っ張って来た日本人選手だったということになりますね。
荻上
中邑選手や飯伏選手やいろんな選手が出て来てましたけど、こういった選手が育ってきた背景というのはどういうふうに考えればいいですか?
三田
やっぱり皆さんこの20年の中でデビューをしたり活躍をしたというところを私はずっと観てきているんですけれども。
すごく面白いのはこの本に出てくる、さくらえみという女子プロレスラーが言っている言葉の中で「知られていないのは存在していないのと同じことだ」という言い方をさくらさんがしているんですね。
それはどういうことか?というと、さくらさんは自分の団体が小さくてどこも取材をしてくれないから「じゃあ自分で何かをしよう」と思ってUSTREAMのチャンネルを立ち上げたりとか。
自分でミクシィのコミュニティを作ったりとかということを自分で発信してきた人なんですね。今回の本ってみんなそういう人たちでやっぱり自分たちでこのプロレスの面白さであったりというのをいろんなやり方で世に広めてきた人だと思うんですよ。
棚橋選手っていうのはやっぱり業界が一番ダメだったときに時代のせいだったりテレビがないせいにしないで、じゃあ試合のあるときはその会場に行ってジョギングをするとその街を。
何か茶髪の大っきい人が走っていると思ったら「なにごと?」ってなるじゃないですか!学校帰りの高校生に「今日何かあるんですか?」って話しかけられて「今日あそこでプロレスがあるから、よかったら見に来ない?」っていうふうに話しかけたり。
南部
自ら!!
三田
だからプロレスがみんなに知られていないのを時代のせいにしないで、やっぱりちゃんと知ってもらう努力をみんなしてきたと思うんですよね。それが例えば飯伏幸太みたいに路上プロレスをやってプロレスの面白さを知らしめたりだったりとか。
棚橋選手は自分で身をもって営業に回ることで、自分が宣伝マンとしてプロレス界であったり「新日本プロレス」を背負ってやってきた。
中邑選手はその格闘技があった。そしてプロレスが少しずつ良くなっていく中で自分の中で自分の表現方法というのを確立して何か自分が一番素敵だなというのを落とし込んで自分の形を作っていったと思うんですね。
ただみんな誰かが見つけてくれたり発見してるのを待ってるんじゃなくて、自分が良いと思うことをちゃんと自分で積極的に発信してきた人が最終的に面白いわけだし生き残ってるんじゃないかな?っていうふうに結果的に私はすごく思いましたね。
荻上
そういったキャラクターだけに頼らず、しっかりと営業努力もするし。何よりファンを大事にしているというか。
三田
そうですよね?まず知ってもらう努力をする。知ってもらったら次に足を運んでもらう努力をする。あとはやっぱり良いファンを育ててきたっていうことだと思うんですよ。
南部
良いファン。
三田
やっぱり「新日本プロレス面白いな」と思ったら、「面白かったよ」っていうことを今みんなtwitterに書くとかブログに書くとか。みんな素敵な写真を自分で撮って自分でアップすることで「じゃあ自分も観に行ってみようかな?」っていう人が増えるんですよね。
団体の広報が1人でtwitterで書いたら、それ1人ですけど。ファンが3000人書いてくれたら3000倍になるのでやっぱりその良いファンを育ててきた。ファンが応援してくれるような団体をみんながやっぱり作ってきたところが上手くいってるんじゃないかな?とおもいますね。
荻上
じゃあちょっとこれから試合を観てみたいとかね、テレビでもいいから画像を観てみたいという方もいらっしゃるでしょうから。
南部
ネットでも検索できるし。
三田
「しばらく観てなかったんだけど、ちょっと最近観てみたいな」っていう人がきっと多いと思うんですよ、今の時代。だからそういう方にぜひ足を運んでいただけたら良いんじゃないかな?と思います。
荻上
三田さんの本に注目の選手が書いてありますから!
荻上
南部さんこの本、今日来るときに読んでいたら・・
南部
そう!電車の中で読んでいたら、初めて声掛けられた!ゲストに来て下さる方の本はなるべく見えるように電車で読むようにしているんですよね。
荻上
表紙をね。
三田
素晴らしい!ありがとうございます!
南部
なんですけど、4年近く「Session-22」をやってて初めてですよ!ひょろっと背の高い男の子が表参道から乗ってきて赤坂で下りる瞬間に。「すいません!」って「そ、その本・・好きなんですか?」って言われて。下りる瞬間だったから、「ラジオ聞いて!」ってはじめて番宣しました。
三田
聞いてくれていると良いですけどね、きっとプロレスお好きなんだったら会場来てくれると嬉しいんだけど。
南部
だと思います。三田さんのことをご存じだったと思いますよ、名前をおっしゃっていたんで。
(了)