プロレスキャスター・三田佐代子が語る「総合格闘技が観やすい状態ではなくなったのとプロレスが良くなったのは関係はない」

2016/07/11

Session-22 オカダカズチカ プロレス 荻上チキ 三田佐代子 新日本プロレス 総合格闘技 棚橋弘至 中邑真輔 南部広美

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今回は2016年5月5日放送「荻上チキ Session-22」
ミッドナイトセッション「三田佐代子」さんの回
起こしたいと思います。


南部
今夜のゲストはプロレスキャスターの三田佐代子さんです。

三田
はい、こんばんは。よろしくお願いします。

南部
では三田さんのプロフィールのご紹介からです。三田佐代子さんは神奈川県出身のフリーアナウンサーで、1992年大学卒業後テレビ静岡にアナウンサーとして入社し、報道・スポーツ・バラエティなどさまざまな分野で看板アナとして活躍。

96年にテレビ静岡を退社後、プロレス格闘技専門チャンネル「FightingTVサムライ」の開局からキャスターとして携わられて、プロレスのとりこに。現在でもメジャー・インディー男女を問わず年間120試合以上を取材し続け、多くのプロレスラー、関係者にインタビューを行っています。



荻上
3日に1試合は?

三田
そうですね、この1週間は特にゴールデンウィークだったので8大会ぐらい行ってますよ。昨日も横浜に「アイスリボン」という女子の大会を観に行って、そのまま帰って来て後楽園ホールに「NOAH」を見て、

帰って来て夜原稿を書いて、今日は昼「大日本プロレス」を観に横浜文化体育館に行ってとか、特にゴールデンウィークだから多いんですけど。だからまあ1週間に3試合・・ひと月10大会以上は行ってる感じですよね。

荻上
それは実況とかではなくて、試合を観ておかないと原稿も書けないし、他の試合で語るときに前の試合から物語を引き継いでいる見たいなときとかってあるじゃないですか?

三田
そうなんですよね、ありますね。やっぱり先ほどもご紹介していただいたんですけど私もともと全くプロレスを知らないでこの世界に入っているので知らないことには語れないというか・・

観ないことには信頼も得られないということもありましてなるべく現場に足を運んで試合を観て、試合が終わった後の選手に話を聞いたりしてっていうことをずっと20年やってきたっていう感じですね。

荻上
FightingTVサムライ」の開局でキャスターになってからプロレスに入っていったいう流れ?

三田
そうなんです、全く!全く知らなくて。



荻上
逆にテレビ静岡時代は何をしていたんですか?

三田
普通のニュースを読んだり、静岡でしたのでJリーグの中継の「監督からのインタビューです」みたいなことをやったり、朝のネットの中継のレポートとかを普通に局のアナウンサーでした。

荻上
「今日はこちらのお店のこのうどんが・・」

三田
そうそう、「観て下さい、こちらの朝日」なんていうふうに普通にアナウンサーとしてやってたんです。

荻上
そこからもうずいぶんと方向転換ですね?

三田
東京に戻ってきて、その今「古舘プロジェクト」っていう古舘伊知郎さんがいる事務所にいるんですけれども。

プロレス格闘技の専門チャンネルができるということになったときに、毎日プロ野球のニュースみたいにスポーツニュースでプロレスのニュースがあってもいいじゃないかっていうことになったんですね。

毎日プロレスのニュース映像だったり、選手を呼んでインタビューするからにはプロレスに詳しくて更にニュース原稿も読めるアナウンサーを探そうということになったらしいんですよ。

で、古舘伊知郎さんってもともとテレビ朝日でプロレス実況なさっていたので、あそこの事務所に行ったらプロレスに詳しくて原稿を読めるアナウンサーがいるんじゃないか?っていうことで声がかかり。

私はプロレス全く詳しくなかったんですけれども、そのときちょうど事務所に入ってまだレギュラーに仕事もなくただ原稿は読めたので「行って来い!」っていう感じで背中を押されて全然分からないまま始めてしまった。

荻上
どうでした、その「行って来い!」のときは?

三田
いや、最初は全然自信がなくてですね。この本にも書いたんですけど、はじめて観に行ったプロレスが女子プロレスだったんですね。女子プロレスのオールスター戦だったので非常にきらびやかで綺麗で「うわっ、タカラヅカみたいだな」と。

「なんて素敵!」というふうに思ったんですよ。そしたらその1週間のあいだに空手の大会に行ったり、それからデスマッチというリングの中にそのとき私が観たのが「ピラニアデスマッチ」というものだったんですけど。

四角いリングの中に大きな水槽があって、その中にピラニアが泳いでいてその中に落とされたら負けっていうルールだったんですよ。そういうのを1週間で一気にみたので「これダメだな!」と「幅広すぎる」と(笑)

(リンク)大日本プロレスピラニアデスマッチ 松永光弘 VS ケンドーナガサキ 1996

荻上
デスマッチまで入れたら!

三田
「とても追いつけない!」と思って、デスマッチまで入れたらもう大変!と思ったんですけれども、もう「NO」とも言えない感じで。

南部
断る余地は?

三田
余地もなく「とにかく一生懸命やらなきゃ!」ということでもうなんかボーッとしながらたくさん知識を詰め込んでいくっていう感じですね。

荻上
最初の女子プロだけだったらね、「ああ、なるほど」と。この人がスター的な人でヒール的な人がいてみたいな。

三田
「ああ、それだけじゃないんだ!広いわー、幅が!」っていうに思った感じですね。

荻上
しかもそれは今じゃないですか?更に歴史もあるじゃないですか?

三田
そうなんですよ、そこですよね。プロレスってその場に行って「うわー楽しいな」ってこともそうなんですけれども。さかのぼっていくとなお楽しいっていうこともあって。

荻上
「あの試合の再来だ」とか「あの因縁が今、和解に」とか「あの師匠同士のバトルが弟子同士に」とか。

三田
特に今、新しくファンになった方も多いと思うんですけど、今ってそういうのがインターネットもあるので調べることが容易になったので。

南部
動画もね。

三田
動画もたくさん専門チャンネルを自分たちの団体で作ったりしているところもあるので、そういう意味では新しいファンの方が私が始めた20年前よりも入りやすい環境にはなってるなとはすごく思う。

荻上
当時調べようにもYoutubeなんて無かった・・

南部
どうしてたんですか?雑誌?

三田
ないですよ!だから本屋さんに行って、「後楽園ホールの近くの本屋さんに行ったらプロレスの本がたくさんあるに違いない!」と思ったら、確かにあったんですよ!

そこに行ってプロレスという本を片っ端から買うみたいな。だから何を見てもプロレスに見えるみたいな、「プレス」って書いてあっても「プロレス」に見えるとか。

南部
それぐらい!自分の脳をそうして行かないと?

三田
ダメっていうふうに思っていたんですよね。

南部
フリーになって「仕事しなくちゃ!」っていうふうにね、思ったときの。

荻上
一度、腹くくってね「このモードで行くんだ。これだけ勉強していく数年間なんだ」ってやれば吸収は早いですよね。

三田
たまたま、すごくいろいろ教えて下さる菊池孝さんっていうかなり長いことこの業界にいる評論家の方にいろいろ教えていただいて、その人に馬場さんだったりとかベテランの方々を紹介していただいて、

「あっ、この人が連れている子だったら大丈夫かな?」みたいな感じの信頼を得ることができたので。

南部
やっぱりそういうのがあるんですね!

三田
大きかったと思います。

荻上
やっぱり人間関係のつながりがね。

三田
人間関係は大事だったなと思うんですよね。それでたくさんの方に紹介をしていただいたりとか、いろんなところに行って「あの子はちゃんと試合を観に来ているな」とかっていうことが大事だっただなあと思いますね。

南部
試合を観に来ていると言えば、こんなメールが

メール
三田さんは今日は横浜の大日本プロレスを観に行かれていましたが、自分は最近は女子プロレスに注目しています。

最近の女子プロレスはすごい身近になったような気がしますし、選手のビジュアルの良さを感じてしまいますが三田さんはどう思いますか?そして女子プロレスの復活はあると思いますか?

三田
女子プロレスについては今回の本でもすごく2人の対照的な選手について書かせていただいて、1人は里村明衣子選手、もう1人はさくらえみ選手ということで。

里村明衣子選手というのは大きい団体でデビューをして、最終的にそこがなくなって今自分で作ってる選手。

(関連リンク)
プロレスラー・里村明衣子が語る「北朝鮮でのプロレス、1万5,500人満員でしたね」

さくらえみ選手というのも元々女子プロレスの団体でデビューしたんじゃないんだけども、自分でどうしても女子プロレスをやりたくてどんどん自分で団体を作ってっていうタイプの選手なんですね。

女子は「全日本女子プロレス」って一番老舗の団体がもうなくなっているので、一時期すごく細分化してものすごくお客さんの動員が落ちた時期もあったんですね。

でも今、本当に試合もそうですしビジュアルだったりとかそういったものも洗練されてきていますし、新しいお客さんを取り込む努力っていうのも女子の団体もしているんですね。

南部
私は長与千種さんとかのあのイメージで止まってる。

三田
で、長与さんも実はまた復帰されて現役だったりもしてるんですけれども。そういうベテランの方もいらっしゃるんだけれども、若い世代で私が最初に女子プロレス観て「うわー綺麗で華やかだなあ」と思ったように

例えばタレントさんになりたかった、本当はお芝居をやりたかった。でもその一環でお芝居の中でプロレスをやるシーンがあって、プロレスの練習をし始めたらプロレスが楽しくなっちゃって結果的にプロレスラーになったっていう方々もけっこういるんですよ。

南部
うわっ、アイドル経由の!

三田
そういう方もけっこういたりするので、入口って何でもいいんですよね。

南部
あと、歌も歌ったりとかってするって聞くんですけど?

三田
歌ってる人もいました。今も歌を歌ったりもしているんですけれども。

荻上
まあ昔のイメージとしてもありますよね?

三田
今もけっこう女の子歌を歌うところ多いですよ。やっぱり女子プロレスと歌っていうのは切っても切れない関係にあるので、例えば男の人が自分の強さを魅せたいと思ってプロレスラーになるように、

もしかしたら女の子のプロレスラーのなり方の1つとして、人前に立ちたいとか何か綺麗な衣装を着てみんなの前で自分を表現したいってことの1つにプロレスがあるっていうことも女の子の場合はあると思うんですね。

だからそういうきっかけで入ってくる人もやっぱりいて、ただやっぱりきちんと身体は鍛えないと行けないし痛いし辛いしっていうこともあるんだけど。それを越えた先に「プロレス楽しいな」って思ったらみんな続けていけるんだと思うんですよね。

荻上
そういった人たちがたくさん集まってきて、1つの黄金時代みたいなのを築く可能性はこれからもあるということですね?

三田
あると思いますね。可能性はたくさんあると思います。

荻上
逆に言うと今はもうちょっと盛り上がって欲しいっていうぐらいなんですか?

三田
そうです、女子プロレスはもうちょっと頑張って。今、男子が非常によくなったと言われていて新日本プロレスだったりがとてもお客さんが増えている。女子はもっと行けるなと思うところはありますよね。

それがどういう1つ何をやれば必ずこれが良くなるということではないと思うんですけど、まだよくなる可能性っていうのはたくさんあるし。もっとまだ女子プロレスを知らない人っていうのがたくさんいると思うのでそこに届けていく必要性っていうのはあるんじゃないかな?と思っています。

荻上
さて今日は特に男子の話、プロレス人気いま来ているみたいですね。

三田
たぶんチキさんもそんなに普段プロレスご覧になったり触れることってないと思いますけれども、なんとなくきてるっていう話ぐらいはやっぱり聞かれます?

荻上
はい、聞いてますし。子ども向けのカードゲームのCMにプロレスラーが出たりとか。

三田
「オカダさんな。ちゃんと『さん』付けしな」って(笑)



荻上
「オカダー!オカダー!」って子どもにイジられるやつとか。「あっ、きてるんだ!」っていうように感じるものは端々にありますね。

三田
そうですね、そのプロレスってちょうど私が始めたのが96年という年だったんですけど。

南部
まだインターネットの「イ」の字もってころですよね?

荻上
そうですね、「イ」の字ぐらいのときです。

三田
そうなんですよ!まだADSL?ぐらいの。

荻上
ISDNとか・・。

三田
そんなころだったんですけれども、そのときってちょうど前の年に新日本プロレスがUインターっていうところと対抗戦をものすごく大々的にやってそれが終わって少し落ち着いた時期だったんですね。

私がはじめたのがちょうどその時期でまだプロレスは人の目に触れやすいところではあったんですけれど。その次の年に「総合格闘技」というのが大々的に日本で興行を行われるようになって。そこにけっこうお客さんを正直取られてしまったというもあったり。

荻上
総合はずっと観てました。

三田
そうなんですね?なるほど。やっぱり「PRIDE」とかをご覧に?

荻上
やっぱり年末で地上波で大晦日とかで大きくやるから、そこに目掛けての1年間かけて大晦日までにストーリーを作っていくっていうのが「PRIDE」でもあったりしたので。

三田
ちゃんとテレビの見せ方がありましたからね。これだけ強い人がいるとか、ちょっとヒールっぽいんだけどやっぱり強い人がいる。この3人の中で誰が一番強いのか?とか。それはやっぱりテレビが大々的にやったのもあって、4・6・・なんかもう地上波で全部大晦日はやっているなんて時期もあって。

荻上
3局でやっているときもありましたね。

三田
そういう時期が90年代後半から2000年代の途中まであって。

南部
いやー、観に行きましたよ。

三田
やっぱり観にいらっしゃったりもするじゃないですか?テレビで観られたりとか身近にそういう方がいると、どうしても足を運ぶ機会があって。

それを原因にしちゃいけないんだけれども、結局それでプロレス界も動揺した部分もあって「うちは総合格闘技には一切触れませんよ」みたいな団体もあったし、

それでも「うちはやっぱりプロレスの強さを証明するために総合にも出ますよ」って言ってちゃんとした準備もあまり知識もないままに行って思うような結果が残せなかったりして。

荻上
結果残した人もいましたよね?

三田
だからそのこの本の最初に書いた中邑真輔選手っていうのはちょうどデビューをしたのがその時期でご自身がたまたま総合格闘技の心得があったので出て結果を残したんだけれども。

正直そのとき新日本プロレスという団体自体がそんなに業績が良い時代じゃなかったりもして、その総合格闘技にどう対処していくか?っていうのでみんながすごく心が揺れ動いちゃったんですよね。ファンもそうだし、レスラーもそうだし、会社もそう。

荻上
だって総合格闘技の出発点の1つがやっぱりグレイシーで、そのグレイシーにプロレスラーがどんどん狩られるみたいなイメージがついちゃって・・

三田
そうなんですよね。だから総合格闘技はそういう意味ではすごいプロレスラーっていうものを上手く使ったと思いますし、そこで結果を出せれば良かったんだけど。それがプロレスの側に良い形ではなかなか返って来なかったので。

それでそんなこともあって、何が最初か?っていうこともあるんですけど。結果的にその団体がいろいろおかしくなったり選手が抜けてしまったりして、どんどんプロレス団体・プロレス業界自体に元気がなくなっていってしまったんですね。

で、私はちょうどその元気がなくなって、本当にお客さんも減って「あの新日本プロレスなのでこんなにお客さんが入らないなんて・・」っていう時期から。ようやく上がってきてみんながちょっとずついろんな努力をして良くなったっていうのが本当にここ3,4年なんですよね。

だからそのダメになった時期、それからみんなが努力していろいろなものを整理整頓してよくなって来た時期。で、ようやくまたみんなが本当にいろいろなことに振り回されずにプロレスをやることに専念できる時期が来たのが本当に嬉しくってそれをぜひお伝えしたいなと思って書いたということですよね。

荻上
ずーっとやっぱり苦節で改革みたいなのを進めてきて、一方で「PRIDE」をはじめとした総合格闘技が地上波でほとんどやらなくなったりしたじゃないですか?それは追い風になったのか、それとも関係なく改革なんかが上手く進んだから今があるのか?

三田
あんまりそこはもう総合格闘技自体がすごく日本で観やすい状態ではなくなったのと、プロレスがよくなったのは関係はないと思いますね。それはもう別なんだと思います。

というのは、今のプロレスファンってその総合格闘技がなくなったからプロレスを観に来ているっていうわけでもないんですよね。例えばかつて10年前に総合格闘技があって新日本の選手がたいへんな目に遭いましたっていうこと自体を既に知らなかったりするんですよ。

それは全く新しいものとして「新日本プロレス」が先ほどもお話ありましたけど、「ブシロード」っていうところが関連会社から今「新日本プロレス」を完全に一緒の会社としてやっているんですけれども。http://bushiroad.com/

それでたくさん宣伝をする。若い選手をどんどん前面に出す。お客さんを観やすい形の興行をやったり女の子にも買いやすいようなグッズを作ったりとか・・っていうことをやったことによって新しいファンがすごく行きやすくなったっていうのがあると思うんですよ。

最近のプロレス雑誌とか持ってきているんですけど・・これが昔のイメージとずいぶん違うんだよっていうことでこれが「写真名鑑」だったり、それから最近のプロレス雑誌ですね。

これはその写真集とかもこういうものがあるんですよっていうのも持ってきたんですけど。

南部
あっ、スタイリッシュですね!

三田
めちゃめちゃスタイリッシュなんですよ。例えば昔のプロレスラーと言うと、とにかく太っていてご飯をたくさん食べるとか年がら年中半そでに短パンですみたいなイメージとか。

南部
流血!みたいなイメージ。

三田
もちろんそういう昔ながらのイメージを大切にしている人もいますけれども、例えば棚橋弘至選手っていうのは「自分は見た目が怖くないから若い人にも子どもにも受け入れられる、だから良いんだ」っていう言い方をしているんですね。

南部
もうアイドルみたいなファンいますよね?この選手が好き!格好良い!って。

荻上
表紙のフレディ・マーキュリーみたいな人は?



三田
このフレディ・マーキュリーみたいな方が中邑真輔選手といって、「新日本」を棚橋選手とともに引っ張って来たんですけれど。今年の春に更に上に自分はチャレンジをしたいからと言って「WWE」というアメリカの団体に今行っているんですね。

これ同一人物なんですけれども、アメリカの人に「シンスケ・ナカムラ」は「ある意味マイケル・ジャクソンのようであり、ある意味フレディ・マーキュリーのようである」って言われるっていうほどの表現力の豊かな人だったんですね。



荻上
へえ、アーティストなんだ。

三田
完全に彼はアーティストだったんですよね。その中邑真輔っていうのは元を正せば総合格闘技で最初に若手のうちに「新日本」から総合格闘技に出たタイプだったんですけれど。

そのときには自分のやりたいことっていうのがあんまりお客さんにも受け止められなくって、いろいろ本人苦労して本当に自分が美術が好きだったり絵が好きだったり、海外のいろいろな知らない国行くのが好きだったり。

そういったものを自分の中に落とし込んでいって、自分が一番美しいっていうものを作ったのが今のこのスタイルだったんですよね。

南部
表現だ!

三田
それが結果的にすごく日本のファンの方にも受け止められて海外にも多くのファンがいて、アメリカの方から「良かったらうちの団体に来ないか?」って意味で挑戦をしに行ったっていうことなんですね。

荻上
たまに深夜のプロレスとか観たりするんですけれども海外のね。やっぱりその煽り合いとか面白いなとか。僕の1つの原体験はやっぱりデスマッチの帰りとかにカメラに向かって理不尽にキレるレスラーとかが負けたりとか番組ディレクターを説教したりとか。

そうしたようなシーンも含めて、やっぱり1つの演出だったりするじゃないですか?今の演出じゃないですけど、何かトレンドの変化っていうのはどうなんですか?

三田
トレンドの変化はやっぱり分かりやすくするっていうことが大事だと思うんです。昔は「不透明決着」っていうのがたくさんあったと思うんですよ。

「なんだかよく分からないんだけど『カン、カン、カン!』ってどっちが負けたの?と思ったら両方反則」みたいな感じでノーコンテスト「えっ!なんで!?」っていうふうになるっていうことも皆さんお客さんもそれも含めて楽しんでいた部分っていうのがあると思うんですけど。

初めて後楽園ホールに行った人がそれだと「えっ!?」ってなるじゃないですか!

南部
モヤモヤします!「もういい!!」ってなります(笑)

三田
プロレスの場合はもちろん勝負なので、全てにきれいな決着がつくわけじゃないですけどお互いの感情がもつれてしまったり、誰かが止めなきゃいけないっていうこともあるので。

ただ、いま団体として「なるべく分かりやすくしていこう」という方向にはなっていると思うんですよね。だからプロレスって何も知らないで・・棚橋選手は「何も予習をしないで来て下さい」と。

「手ぶらで来て下さい。その代わり僕がたくさんのお土産を持って帰しますよ」っていう言い方をするんですよ。そういう言葉1つ1つ棚橋選手は上手いんですけど。



南部
格好良い!グッと来ますね!

三田
だから観に行ったら「あっ、この人はどうしてこの人と争っているのかな?」っていうのが分からなくてもなんとなくキラキラしてて楽しいんだけれども。家に帰ってみて「きっとこれは昔、何かあったんじゃないか?」と思って調べたりすることもできる。

だから行って自分が何か知りたいと思うことができてくれれば良いっていうのが今の考え方なので、なるべく分かりやすいその選手だったりその対立図だったりを説明するっていう方向には団体はなっていると思うんですよね。

(続く)

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