評論家・荻上チキが語る「横田夫妻を35年間苦しめる3つのプレイヤー」

2012/06/01

Dig 荻上チキ

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今回は、2012年5月16日放送 ニュース探求ラジオDig
「DigTag コラム・チキチキ塾」を起こしたいと思います。

音声は、配信期限を過ぎたためありません。


荻上チキ
はい。今日ご紹介する本はですね、
横田夫妻・横田滋さんと横田早紀江さんがお書きになりました
「めぐみへの遺言」という本です。


これは、「お書きになりました」 と言いましたけれども、
まぁ語り下ろしになっておりまして石高健次さんというジャーナリストの方が
おふたりにじっくり話を聞いて、それをまとめたという本になっております。

この石高さんという方はですね、
横田めぐみさんが拉致の被害に遭っているんじゃないか?っていうことを
工作員の方から聞き出してそれを横田夫妻にお伝えしたという
当事者でもあるわけですよね。

で、長年の信頼関係を得ているジャーナリストが
横田夫妻に今じっくり改めて拉致問題について話を聞いたというような
一冊になっております。

この本なんですけど、数日前にインターネット上で
紹介記事が載っていましてですね、
それがweb上で大変話題になっていたんですね。

「週刊朝日」の記事がniftyニュースで配信されて、
「横田夫妻が全てを語った『政治家に利用されてきた』」というタイトルで
記事になり非常にそれ自体も大きく話題になっていました。

その本の一部が記事でも紹介されていたんですけれども、
やはり多くの方にもこの本を手にとってほしいと思いました。

やはりこの本の本人たちが語られていた言葉の生々しさというか
重みというものは多くの人が
受け止めなくてはいけない問題だなというふうに思います。

どういう問題か?
今あらためて「拉致問題」とはどういった問題だったのか?というのを
語るまでもなく多くの人たちは北朝鮮に日本人の人たちがパスポートを
その人から貰ってなりすましてね、工作員を日本に送るために。

そして、日本人に北朝鮮の工作員を教育させるために
拉致して連れて来させたっていう事件をみんな知ってるじゃないですか?

でも、数年前はまだそれが疑惑の段階で止まっていたということ。
十数年前はそれが本当にあるかどうかという事さえ
多くの人たちが考えてすらいなかったという状況があるんだということを
忘れてはいけないと思うんですよね。

多くの人たちがこの問題を知りました。
政治的問題として誰もが賛成します。
「賛成する」というのは北朝鮮に拉致被害者を返してもらうということが、
善なのだということはこれは賛成すると思うんですよね。

しかし、そこまでになっていても政治状況はなかなか動かない。
それは日本の政府が動かないということもあるし、
北朝鮮という国が頑として動かない。
むしろ、政治的な交渉の問題として
残り続けてしまっているという問題があるわけですね。

この本のタイトル「めぐみへの遺言」
このタイトルをつけた事の重さというのは非常に大きいと思うんですよね。



どう大きいのか?というと、
冒頭の第1章の部分で横田夫妻がこのように語っています。
横田早紀江さんがまずですね、
「これだけ頑張ってるのに、帰って来るという光が見えません。
それなのに何度も各地に足を運んで訴えるのは辛くないですか?」
というインタビュアーの質問に対して、

「ストレスになります。しんどいです。
でも最初の頃は私たちの国民の方も何にも知らなかった。
それを経験者として私たちが育てた子供がこんな形で連れて行かれて、
それも20年後にはじめて分かって、
私たちはこんなに苦しんできたという話をするでしょ?
そしたら皆さんびっくりなさるんです。
今の中学生とか小学生は拉致の事など何も知らないのに、
話を聞いて敏感に反応してくれるの。
お仕事と言ったら変だけど大事に事をさせて貰ったと思ってます。
が、もう体力的にしんどいです。今年で私が76歳、主人が80歳になるから。
このままのペースで続けていたら倒れてしまいます。何か方法を変えないとね。」
というふうに、早紀江さんが語られているわけですね。

つまり、もうお母さんお父さんがお年なので生きているうちにっていうことは
もちろん望んで活動されているわけですけれども、
「もしや・・」という事も視野に含めた上でのこのタイトルなのかな?ということは
考えさせられてしまうわけですね。

それを受けて横田滋さんがこう続けています。
「我々が出来ることと言えば、講演や署名くらいしかない。
署名をやっても『一千万に達したらめぐみが帰ってくる』というものでもない。
いくら集めても解決するというものでもないですから。
多くの人が感心を持ってくれてる証拠になるなら、やるしかない。」
というような話をしてるんですね。

そしたら今度は、早紀江さんがそれを受けて
「国民の皆さんに拉致についてここまで知って頂いたことは良かったけれど、
同時にこれだけ家族や色々な支援団体が救出を訴えても、
日本政府は本気で動かないという事が日本の方にも分かってきた。」
というようにこぼしているおられるわけです。

この本では具体的に今までに「拉致問題」に関わられてきた
様々な政治家の方の実名を挙げて、率直に言えば政治に利用されてきたということ。
それから政治家の方々に期待してきた部分はあるんだけれども、
その期待に裏切られ続けてきた事ということを述べているわけですね。

例えば北朝鮮の問題に非常に真剣の取り組んでおられる
安倍晋三元首相がですね、1年あまりで辞めてしまうわけですよね。
あの時は本当にもう心が折れんばかりにガッカリしたと言う話をしていました。

その後、福田首相になって「私の代で決着を付けますから」っていうふうに
約束をしてくれたんだけれども、また1年間で辞めてしまったってことを、
ガッカリしておられたと。

またその福田首相がまだ官房長官だった時に、
横田夫妻に対して、ちょっと心ない一言を掛けたっていうような
エピソードも紹介されていたりしてですね。

そうした政治家の方々の積極度合いなどについても
ちょっと考えさせられるものも一杯書いてあったんですね。

例えば、ご夫妻がはじめて記者会見をされた時にですね。
その後、新進党の院内総会というのに出席されたそうなんですね。
その時に「この話をどこまで政治家の方々が聞いてくれるんだろう?」っていうふうに
不安に思っていた時に女性の議員の甲高い声で「頑張ってー!」っていう声が
響いてきたようなんですよ。

それを聞いてどう思われましたか?という質問に対して
早紀江さんがですね、
「今でもはっきり覚えています。見たら綺麗な顔をした議員だった。
こちらは娘のことだけで頭がいっぱいでこうして訴える事が正しいことなのかどうか?
めぐみの身に何か恐ろしいことが起きていないか緊張しているでしょ?
だからあの『頑張ってー!』を聞いて、
なんと呑気な議員がいるもんだなと思って意外でした。
最初マイクの前に立った時、「よっ!頑張れよ!」と声が上がって拍手が湧いた。
舞台役者でも無いのになんだろうな?と思った後、「頑張ってー!」 の声だったから
たくさんの政治家と面と向かうのははじめてでしたが、
全体の雰囲気が『なんと呑気なんだろう?』と感じました。」
っていうふうな事を感じてですね。
ここの政治家の積極から色んな違和感を
感じ続けてこられたという話をしているわけですね。

そのエピソードを紹介していけばいくほどキリがないわけですけれども。
例えば、早紀江さんが
「大きな講演会で地方に行くと、呼びかけて下さった県議会とか市議会の議員さんが
次々から来られて私たちと写真を一緒に撮る。
『この写真、何に使うんですか?』と私などは聞いたりするのだけども、
結局、写真を撮るのを断って『娘の事をよろしく』って言えないから横に並ぶ。
選挙の時の宣伝用写真にすることもあると聞きますが、
そういう撮影会というのはものすごく嫌なんです、情けなくて。」
っていうような話があるわけですね。

でもお二人はいろんな政治講演とか色んな立場の人からの仕事依頼とか
「一緒にやりましょう」という話をどれも断らずに
「お願いします、ありがとうございます。」
「お願いします、よろしくお願いします。」と言うことを頭を下げてこられた。

ちょっとでも気分を悪くされると、
この問題に取り組んでくれないんじゃないか?ということで、
すごい気を遣いながら、35年間のうちの横田めぐみさんの拉致の問題が
明らかになってからの活動を取り組んでこられたという話をしてるわけですね。

これを「政治家って問題だよね!」って一言で表現すると、
全く意味が無いわけですね。何故か?
この本の中では、あと2つの重要なプレイヤーというものが批判の対象と言いますか・・、
大きく苦しめている要因だということが書かれてるからです。

一つは、メディアですね。
例えば、 メディアがそれまで無関心だったこともさることながら、
マスコミの人たちの取材の在り方で、例えばテレビ局の人とかが
「めぐみさんがいなくなった場所でインタビューさせて下さい」とか、
「当時の思い出の社宅などで話を聞かせて下さい」って言われたとすると。

そうするともうすごいストレスになるわけですから。
嫌な気持ちにしかならないわけですよね。
「今ここに立たれてめぐみさんの事を思い出しますか?」なんていうふうに
若いアナウンサーの人に聞かれるので、泣き出して、
「そんな若いあなたに人の親の気持ちなんかわかりますか?
そんな質問しないで下さい!!」と言ったりすると。

あるいは、孫にあたるキム・ヘギョンさんのインタビュー動画が撮れた時には
取材のための車がありますよね?あの車に夫妻を招いて、
「ビデオを見て下さい」っていうふうに座らせると。
「大事なすごい映像があるんで、観て下さい!」って言うと。

ただそこに座らされた瞬間から夫妻に向けてカメラがずーっと回っている。
つまり反応がどういったものなのか?っていうのを撮るために見せているのだな!って
またストレスになる。
「自分たちは見世物じゃないんだ!」っていうことを、憤っているというわけですね。

同時にこの話をすると、
「メディアの無関心って問題だよね」って話になりがちなんですけど、
更に加えてここでは「国民」 多くの人たちの無関心と、
あるいは関心を持つ人たちの政治利用。

市民団体にも色んな団体がいてですね。例えば、あるデモに参加した時にですね。
それはその北朝鮮に経済支援などをする時の抗議のデモというか、
ビラ活動の時だったんですけど。
撒いていた時に一人の参加者が受け取らなかった人に対して
「お前、それでも日本人か!」っていう声を上げたと。
「そんな声は上げないで欲しい」というふうに夫妻は言っておられたわけですね。

だから関心が過剰なんだけど、その政治利用が問題な人。
あるいは、関心を全く持ってくれないような人。
様々な点に不信感を抱いている。

こういった不信感という一つのテーマは拉致問題に限らず、
多くの社会問題に対しても共通で抱かれている普遍的なテーマだと思うので、
皆さん是非読んで頂ければなと思います。


(了)

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