マキタスポーツと西寺郷太が語る二人の共通点と「シティ・ポップス」

2011/08/20

NONA REEVES シティ・ポップス マキタスポーツ ラジオはたらくおじさん 西寺郷太

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今回は、マキタスポーツ「ラジオはたらくおじさん」#12

ゲスト:NONA REEVES・西寺郷太さんとの対談
お二人の共通点と「シティ・ポップス」についてです。
(音声はこちらから

マキタスポーツ(以下、マキタ)
本日スペシャルゲストにNONA REEVES・西寺郷太さんに来て頂きました。

西寺郷太(以下、西寺)
どうも、こんばんはー。
嬉しいですよ!ありがとうございます。

マキタ
先日あるイベントでね、ご一緒させて頂きまして。
それがご縁で。まぁ、イベントではたまにすれ違ってはいたんですけどね。

西寺
ちょこちょこね。
新宿のLOFTの楽屋とか。
それはもうだいぶ前からですよ。
作家の森野君もだいぶ前からその付近には居たんですけど、ほんとに。

マキタ
なかなか、ご一緒する機会がなかったですけど。
僕はどっちかっていうと「いつか一緒に仕事が出来たらな」と思ってたんですよ。
じゃあ、プロフィールなどを簡単に彼女から。




橘美緒
西寺郷太さんは1995年に結成されたNONA REEVESのボーカル
そしてメインソングライターであり作詞家、
音楽プロデューサー・DJなどでもご活躍されています。
また、日本屈指のマイケル・ジャクソン研究家とも知られており、
著書に「新しいマイケル・ジャクソンの教科書」などがあるほか、
CDやDVDにもライナーノーツを寄稿。
最近は、テレビ出演でも活躍の場を拡げています。

西寺
すごい人ですね。これ見ると。
なかなかのヤツですね(笑)

マキタ
郷太さん!すごい人なんですよ。

西寺
作曲家も同じくらいやってるんですけど・・。
なんで作詞家だけピックアップしたん・・。
まぁ全然どっちでもいんですけど(笑)

マキタ
作曲もやられてますからね。
最近は本業のミュージシャンの活動とかね、
作詞作曲の方とかの活動とかももちろんあるんですが、
テレビでのべしゃり手?テレビとかラジオとかね。

西寺
まぁ、ラジオは多いですね。
「ラジカントロプス2.0」とかにも呼んでいただきました。はい。

マキタ
「ラジカントロプス2.0」では幼い頃のデモテープとかね。
すごかったですけど、しゃべりそんな上手くならないで下さいよ!
ってのがあるんですけどね。

西寺
いやいや、(マキタさんも)音楽そんなに上手くならないで下さいよ!
ハハハ、ちょっと話も聞いてて僕とマキタさんっていうのは、
「テレコの関係」というか、
音楽界におけるオレとお笑い界のマキタさんと
やっていることが、視点とかも似てるな!って。
さっきの松本(人志)さんの話を聞いてても、
僕が山下達郎さんの事を話すとああなるんじゃないかな?みたいな。
ちょっと気を遣いながらチクっといく(笑)

マキタ
でも、僕は基本的に松本さん好きですから、
ああやってしゃべるんですけど。
周りのスタッフとかが気遣ってる感じとか(笑)

西寺
わかりますよ。
でも、僕もやっぱ子供のころ京都出身なんですけど、
ホントに「松本チルドレン」というか、「ごっつえぇ感じ」の前の
「4時ですよ~だ」っていう番組始まった時に、
「こんな天才がいるのか!!」って思った。中学校の時かな?
ワム!(Wham!)っていうグループが好きだったんです。
ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリー。
ダウンタウンも同じ63年生まれ。
ワム!とダウンタウンっていうのは、
オレの中で音楽の革命児とお笑いの革命児で。
めちゃめちゃ影響受けてるんですよ。
だからそのお笑いの根っこに僕の好きな
松本さんが耕してくれたっていうのをずーーーっとあるんで。
そういう意味でも、すごくさっきの話もすごくシンパシー感じました。
ちょうど「ごっつえぇ感じ」も僕が高校から大学に出て来る頃に、
彼らも東京進出したので。

マキタ
じゃあそういうことでいうと、
結構ほんとに意識しているというか追い続けてる・・。

西寺
ずーっと時代を遅れて併走してきた感じはあるので。

マキタ
お笑いにおけるポップスターみたいな感じということですね。

西寺
もう大スターです!
そういう意味でも話を聞いてて、
なんかこう親近感があるというか。

マキタ
そこでね。結構好きな話で、郷太さんが京都で過ごされてた時に
好きな音楽っていうのがなかなか理解されてなかった現状があったって言う話が。

西寺
そうですね。小学校くらいの時にやっぱ、
マイケル(・ジャクソン)およびワム!とか
カルチャークラブとか海外のアーティストを好きになって、
その前にも歌謡曲がむちゃくちゃ好きだったんですけどね。

マキタ
もう俺らの世代って歌謡曲ねぇ。好きだったですよね。

西寺
大好きですよ。
それこそマッチ、トシちゃん、聖子ちゃん、シブがき隊とか。
今、後でかかってる「Love Together」とかも筒見京平と共作して。



マキタ
これすごいよな。筒見京平さんと仕事したんですよね。

西寺
もうテレビ見れば、かかってるアイドルソングに
夢中になっていたところから始まり、
自分がマイケル・ジャクソンとか好きになってから
ビートルズとかストーンズとかマーヴィン・ゲイとか急にこう
大人びたというか・・。当時では。好きになったんで。
で、気がついたらその辺で一番詳しくなっちゃって、
ハマる体質だし周りとちょっと空気が違ってきたみたいな。

マキタ
だから、たぶんすごく追求しちゃう人だから、
周りが着いていけなくなっちゃうんだよね。きっとね。

西寺
で、「もうええわ!!」っていう気持ちになって(笑)

マキタ
半ば「みにくいアヒルの子」状態っていうか、
そういう時代を過ごして(西寺の)大学入学の
92年っていうのがバンドブームとか。
割と、世の中の好きな音楽がロックテイストなものとかが多かったですよね?

西寺
多かったですね。僕らが中学生・高校生になって、
みんながバンドを始めた時は、ブルーハーツとか、BOOWY、BUCK-TICK、
ユニコーンとか尾崎豊さんとか人気ありましたね。Xとかね。

マキタ
そういうものは評価できるし、好きなんだけど。
Xとかオレもついていけなかったんだよな・・。
好きか嫌いかというと嫌いでは無かったんですけど。

西寺
X JAPANはでも、1stは好きでしたね。「BLUE BLOOD」
別にその日本の音楽だから嫌だとか化粧しているから嫌だとか
そういうことじゃなくて、割と音楽的に高度に完成されてるものが
好きだったんですよ、昔から。



パンクの中でも良い曲なものは好きで、セックス・ピストルズとか
普通にポップスとして「めちゃ良く出来てるな!」っていう、
そういう聞き方をしてたんで、暴れたとか伝説とかそういう事じゃなくて、
オレとしてはそれは期待はずれで、
セックス・ピストルズなんてもう名前もすごいし、
見た目もすごいし、「2秒くらいで終わる音楽か?」って思ってたんですよ。
ガガガッみたいな。ちゃんとイントロもあるし、Aメロもあるし!
「ちゃんとルール守ってんじゃん!!」みたいな(笑)
「普通にいいじゃん!!」みたいな(笑)

オレの小学校くらいの想像からすると、
普通に「良い、この音楽!」に聞こえて、
もっと終わってるメロディーとか、
全然完成されてないのに比べたら、
「クオリティー高っ!!」みたいな。
なのに、他の奴らは曲の良さというよりは、ムードに流されて・・。
だからパンクの中にも好きなものはあるし、
日本の音楽にも好きなものもあるし、
そういう考え方を出来る人が少なくて、
「これはハードだから、お前は嫌いだろう」とか、
「これはメロウだから、お前は嫌いだろう」とか、
「黒人音楽は好きだろう」とか、

歌謡曲好きだって僕さっき言いましたけどほとんどは嫌いなんで、
好きなものが飛び抜けて好きなだけで。
そういう括り方で音楽を見てたんで。
だから、「天才のつくるもの」が好きです。

マキタ
でも、それを自分の中で編集をして集めて
こういうラインで自分好きなものでまとめる作業ができたってこと自体が
郷太さんの才能だと思いますけどね。

西寺
ありがとうございます。

マキタ
で、僕ら育った世代が割と近いところなので、
僕が田舎の同調圧力の中で、実は好きだったんだけど
無理矢理「嫌い」だとか「格好悪い」とか思い込もうとしてたものが
最近になってようやく「好きだ!」ってわかったんですよ。
その中で、「シティポップス」って言われてたジャンルがあったと思うんですが、
その辺の曲などを聞きながら、思い出話なんか出来たらなと思います。

まずはね「中央フリーウェイ」聞きましょうか?
荒井由実さん・1976年。素晴らしい曲じゃないですか!
当時こういう曲とかを子供ながらに聞いてても、
「中央でフリーウェイ」とか、その言語感覚がちょっとやられちゃって・・。
あまりにも遠い国の出来事過ぎて。



西寺
「中央フリーウェイ」って山梨の方には行ってないんですよね?

マキタ
いや、行ってるんです!
行ってるんだけど、物理的には「中央フリーウェイ」ってのは、「中央道」ですからね。
つながってるんですけど、どっかで途絶えてる気がして・・(笑)

西寺
この歌の中の「中央フリーウェイ」とオレの知ってる「中央フリーウェイ」は違うと!
そうかそうか!「中央フリーウェイ」とは言わないんですよね。

マキタ
それと同じように佐野元春さんも。
オレね、佐野元春が描き出してた都会っていうのは東京に上京してきた時に
あるんじゃないかと思ったら、意外と無かったことにビビりましたけど(笑)

西寺
普通に早稲田のさかえ通りとか酔っぱらいが寝てたりとか・・。

マキタ
そういう良い具合で、「シティ・ポップス」のアーティストの人たちって
嘘をついてくれて、ファンタジーを与えてくれた感じとかね。

西寺
それは僕もわかりますね。どっちかっていうとファンタジースタイル。
まぁ自分もそうですし、ファンタジースタイルの人の方が好きです。

マキタ
で、今日のNONAがやってる音楽とかにこれがちゃんと受け継がれて
つながっているというところとかね、いいと思うんですよね。
一方でやれ、アーティストって等身大な感じとか、
嘘をつかないって言うんですかね?悪い意味で。
そういう表現方法とか流行り出してきた時に、本当に嘘をついて
子供だったオレとかを浸らしてくれたというか、ファンタジーの世界に。
そういう体験をさせてくれたのが、
「シティ・ポップス」の人たちだったのかな?って思うんですけど。

西寺
僕はよくマイケル・ジャクソンの話をしますけど、
マイケルが常に言っていたことは、
「『現実逃避の場所をつくってあげる』っていうのが自分たちの仕事だ!」と。

マイケルが映画館が好きなのは、真っ暗になってスタートすると自分がその間、
自分がマイケル・ジャクソンということを無視して
2時間は電話は鳴らない、誰からも呼び止められない。
その2時間、今までの自分を捨ててその世界の中に入れる。と
「だから僕は映画が好きなんだ」と。

音楽の中でも自分はそういう一生懸命働くおじさんおばさん誰でもいいんだけど、
働いている人たちがスタートした瞬間に忘れられるようなものを作る!っていう
そこの中に「時給いくら?」みたいな歌詞が出てきたりとか、
「♪バイトのシフトが~」とか歌ってたら、
そこにまた戻っちゃうじゃないですか!!
だから「♪中央フリーウェイ~」でいいと思うんですよね。
なんか夢の世界というか、それも仕事というか・・。

マキタ
だからそのNONAにも受け継がれているようなファンタジーの勢力っていうのが
一瞬ヤバくなったというか・・。

西寺
もう全然。基本ヤバいですね(笑)
基本的にロックの雑誌とかって苦労したっていうことを聞く場所なんで・・。

マキタ
そうそうそう!2万字インタビュー系のヤツね。

西寺
なんでもだから、「自分はすごく苦労した」みたいな。
僕も別に苦労はあって、
「ラジカントロプス2.0」でも全然わかってもらえませんでしたけど・・。
そういう苦労じゃなくて、これを作るために血を流すような歌詞を書いたとか
そうだったらオレ、「辞めろよ!」って思うんですよね。そんなヤツは!
毎回苦労してんなら、プリンスとか見て見ろよ!
パンパン作ってんじゃねーかよ!みたいな。
苦労するならマイケル・ジャクソンみたいに
世界中から期待されて世界一を獲らなきゃいけない
っていうそういう中で苦労したってのならわかるけど、
「楽しくやれよ!お前は!」っていつも思ってて、
僕も「すごい楽しくやってますよ!」としか。
基本的にそうなんだけど、本当に曲作りに苦労したことなくて。
本当にトントントントン出来るんですよ!!
締め切りとかも歌詞とかも、明日・明後日って言われたら、
まぁちょっと遅れるけど、だいたいまぁ絶対出来るんです!
っていうのはその逆に締め切りないと出来ないから。
「いつでも下さい!」って言ってて
そういうところで仕事を頼まれるところがあって、まぁジャニーズの仕事でも。
むしろ、何もなかったら作らないですけど。
なんかねぇ、ちゃんとパッパ出来ないヤツがやんなよ!!って
俺はいつも思ってたんです。
そうすると雑誌に呼ばれなくなったんです(笑)
苦労してないことになっちゃった・・。

マキタ
苦労してるヤツの媒体みたいになっちゃってるというところとかね。
等身大勢力ですよ!!なんかね、自意識をこう歌ったりとかさ。
自意識を媒体を通して発言したりとかして、アレ全部言い訳ですから、皆さん!!

一方では、ハイパーな絶対そんなこと自分の内実とか吐露しなくても、
ちゃんとファンタジーに浸らしてくれる勢力に人もいるんですよ。
それが例えば、NONA REEVES の 西寺郷太だったりとかすると。

職業作曲家とか、そういうものに才能的に耐えうるものだと思うんですけど、
ポンポン曲が出来るとかって言ってらっしゃいましたよね。

そういうことで言うと、筒見京平さんね。ご一緒に仕事されましたが。

西寺
2回一緒に曲を作らしてもらったり、プロデュースしてもらいました。
日本で一番、作曲で儲けたというかお金を産み出したNo.1の職業作曲家です。
もう今七十おいくつじゃないかな?

マキタ
だって1960年代後半から2000年代まで
チャートに1位とかに曲を送り込んだ人だから、
すごい人なんですが、その才能の埋蔵量がね。
「シティ・ポップス」っていうと稲垣潤一さんとかにね、曲を提供してるんですけど
「ドラマティック・レイン」かけましょうか。
筒見京平さんと秋元康さんのコンビの曲なんですけどね。
1983年、僕なんか13歳ぐらいかな?



西寺
京平さんもやっぱり一緒に曲を作ってる間に色々しゃべる機会が
たくさんあって、ポップスを作ることから逃げないでずっと作り続けて!って
僕も言われて、ちょうどこの「Love Together」って作った時
小沢健二さんがあんまり曲を作らなくなった時期だったんで
それはやっぱり時代が変わった。
ポップ勢がより劣勢になるっていう時代だったと思うんで、
だからちゃんとその時代を小沢さんは見て「もう無理だな」と。
この劣勢の中でやるのは意味がないっていうんで、止められたんだと思うんですよ。
賢い人だから。だけど僕は「でもやろう!」っていうスタイルでここまで来て、
割と最近ようやく「その風がまた変わってきたな」というのが
ここ2、3年の流れだったんで。
京平さんにそうやって「郷太くんはずっと作り続けてね」って言われたことは
未だにすごく覚えてますね。

マキタ
そういう意味でのバトンタッチをちゃんと受けたわけですね。

西寺
もともと、向こうの京平さんサイドからNONAの曲を聞いて、
「この子は欲が無いね-。」って言われたんですよ。
そう言われたよ。っていう連絡が来て、
「この子ならもっと出来る」って
「欲が無い」っていうのは、もっと売れるように下世話に出来るのに
まだそこで止めてるっていうふうなことを・・。
じゃあ、そこまで言われたら下世話というか、一つ踏み込んだところに
やりたいって言って作ったのが、さっきかかった「Love Together」だったんですよ。
やっぱそれで代表曲というか目立つ曲になったんで。

マキタ
そうそうそう。僕なんか芸人としてまさにそうだと思うんですよね。
「欲が無いな」って言われてます、僕。
だからそういう意味での「Love Together」みたいな曲がネタですけど、
そういうものを僕は作らなくちゃいけないとこに差し掛かってるのかな?
と思ってますけど。

西寺
僕もまだまだですけどね。
ただ、京平さんが言ったことっていうのは、
結構密に半年くらいかな?居た時に、
色んな事を言ってくれたことは、未だにポイントポイントで思い出します。
それで、「Love Together」という曲がね。
NONAの中でもキャリア5年目ぐらいで一番、
「今売れないといつ売れるんだ」みたいなタイミングの時だったんですけど、
で、「Love Together」を作ってそうやって言われて、
僕も日本にウケるようにっていう部分をより入れた曲だったんで、
そしたら、もうMIXが終わって一緒にスタジオでこの曲が出来ましたっていうのを
聞いた時に筒見京平さんと居て、僕に向かって
「ようやく商品が出来ましたね」って。

マキタ
うわー、すごい言葉!

西寺
5年目なんですよ。それ。
僕最初だったら、デビュー直後だったら
「俺の音楽は商品じゃない!」と。俺はアートじゃないけど、
「ちゃんと良い!というものを作った」って
言ったかもしれないんですよ。若い頃は。
5年間でちゃんと売れる商品みたいなものを作りたいと思ってた。
まぁ商品とは思ってないですけど・・。
売れるものを作りたい!みんなが喜べるものを作りたい!と思ってたから、
それを言われた時はめちゃ嬉しかったですね。

マキタ
なるほど。すごい言葉ですよ。
重みがあります。
商品ですよね。ポップって佐野元春も
「ポップというのは、ありとあらゆるものの上位概念である」って言いますけど、
一番難しいことなんですよね。そういう意味での商品を作るの。


さぁここでNONA REEVESの曲を聞いて頂きましょう。

西寺
これはワーナーミュージックでまだ商品じゃなかった時代です(笑)
ほんとにワーナーからメジャーでデビューして好きなことやるぞ!って英語ですし、
森野君が選曲してくれて。

NONA REEVESでベスト盤「WARNER MUSIC YEARS/THE BEST OF NONA REEVES 1997-2001」
が出たんですが、そこにも収録されています。
NONA REEVESで「Warner Music」



マキタ
NONA REEVESで「Warner Music」でした。
非常に軽快な、商品になる以前なんていうふうにいってますけど!!

西寺
それこそ、さっき出てきたセックス・ピストルズが「EMI」っていう歌を作って
それ以来の企業の名前を・・。だからちょっとデビューするっていうときに
よくわからないですけど、自分たちの音楽を貫き通すぞ!みたいな感じもあって
当時の社長さんにプロモーションビデオに出て貰ったり、会社を借り切って
僕が監督してビデオを撮ったり、今思えばそこも移転してるんで、
一つの思い出というか。今聞いても好きな曲ですけどね。



マキタ
ここで1曲僕が聞きたい曲があるんですよ。
「シティ・ポップス」ということなので、杉山清貴&オメガトライブさん
85年ですね。「ふたりの夏物語」



僕がね、ネタで「何も感じない曲」っていうネタがあるんですよ。

西寺
これでも、見ましたよ!知ってます。
誰かがNONAにも近いって音楽評論家の知り合いが二人くらい
マキタさんがオメガトライブネタでやっているのが、
「NONAっぽい」って言われて。

マキタ
コード進行とかにおいてあるかもしれないですけどね。

西寺
というか、ギターの奥田が最初に好きになったのが
オメガトライブだって言ってましたからね。

マキタ
そうなんだ!
で、僕がちょっと毒っ気が強いです。
「何も感じない曲」なんていうふうに言ってますけど
如何にも80年代な感じとかの影響ってたぶん僕その
曲を作られた林哲司さんとかにあるんじゃないかな?と思って。
で、杉山清貴&オメガトライブのシングルの曲って言うのは、
林哲司さんと康珍化さんがコンビで作られてたんですけど、
そこで僕が概念として「何も感じない」っていうものを
後々なんですけど発見するのはね。イージーリスニングみたいな
すごいハイクオリティな音楽っていうのは、
クオリティが高すぎるが故にちょっと・・。

西寺
TOTOとかね。

マキタ
TOTOとか!そうそう、まさにおっしゃる通り。
「・・っていう現象があるじゃないですか」っていう。
ということでいうと、
林哲司さんに原因があるんじゃないかな?とかって思ってたりして。
この曲とかって象徴的な感じがすると思うんですよね。

西寺
この後にボーカルになったカルロストシキさんとか、
基本的に渋谷系のはしりだとおもってますからね。
あのフリッパーズの曲とかカルロストシキさんが歌っても絶対合いますよ。
やっぱあの流れはあって、僕もぶっちゃけ田原俊彦さんとか
いわゆる一般的に唄が上手いと思われてないけど、
声の質だけで聞かせるみたいな歌の方が好きですね。
朗々と歌い上げたりする方が。
そういう意味では、杉山清貴さんも含めこのオメガトライブっていうのは、
実は日本の渋谷系のDNAに入ってんじゃないかな?

マキタ
そんな郷太さんも筒見京平さんからの「待ってましたの声だ!」
みたいなことを言われたんですよね?

西寺
あああ、声ね。声はものすごい気に入ってもらって。
もともと、C-C-Bのドラムの笠さんの声をそれまでのベストだ!って
それで、僕が歌ったら「超良い!」って目を閉じて「美少年がいる!」って(笑)
「14,5歳の美少年がいるわ」って言ってた。

マキタ
なるほどね。14,5歳の美少年でしか出ないよな声が
そこに記録されてるってのはすごいですね。

西寺
タバコは吸わないんですけど、
クラブとかで毎週DJしたりおしゃべりしたりしてるんですけど、
結構声は変わらないし、
今もドンドン別に自分で言うのも何ですけど出るようになってるんで、
「不思議だな-」って、ボイストレーニングも3回くらいしかしてないんですけど。
誰にも教わってないんですけど。
もう行って「ダメだな・・。俺に合ってない」と思って行かなくなってから
単に最初からこういう感じだったんです。いきなり歌ったら。

マキタ
こないだの「キラ☆キラ」流した曲あるじゃないですか、デモテープ。

西寺
「ラジカントロプス2.0」でも流したんですけどね。
10歳の時に曲作ってたデモテープを最近。植竹さんね。
俺が嫌がってたのに、しつこく何回もメール来て、
何回かスルーしてたんですけど、植竹さんにしゃべった時に
「10歳くらいのデモテープがあるんですよ」って
言ったことが失敗の始まりというか・・。
今となっては良かったんですけど。しつこくしつこく送ってきて、
「いやラジオで流すもんじゃないでしょ?」って言ってたのに。
もうキレ気味に「送ってくれ!」みたいな感じできて、最後(笑)
もうしょうがないから渡したら、結構好評で。

マキタ
いや、好評ですよ。
歌い方とか声のスジとか全然変わってないってのがすごかったです。

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