「セッション袋とじ」山室恭子さんの回を起こしたいと思います。
南部
今夜は山室さんに「データで解き明かす江戸商人の実像」と題してうかがいます。
荻上
そうですね、実像に迫りたいですね。江戸商人の。最近江戸商人に関する虚像がね、こういろいろと広がってるじゃないですか?「ほにゃしぐさ」みたいな感じでね(笑)反応しづらそうですけど。
というわけで、今日は実像の方に迫りたいと思うんですけど。「データで解き明かす」って言ったときにあまり歴史の話ってデータがそんなには出てこない分野でしたよね、今までは。これはどんなアプローチでどんなものを研究されているんですか?
山室
3年ほど前に割と分厚い資料集を買って、7冊くらいあった。そこでそれは江戸の商人についてかなり網羅的に「いつ、誰が、どこで商売した」というようなことが書かれている紳士録的なものだったので、
少し、小さなデータベースを作ってみたんです。それで動かしてみたら今まで知られていた江戸の商人の実態とはずいぶん違うものが現れてきていて、「あっ、これ面白いかな?」と思ってデータを増やして3年がかりでまとめたのが今回の本になります。
荻上
ほーなるほど、最初にその入力したデータというもので覆された通説というかイメージというのはどんなものだったんですか?
山室
江戸の商人は昔からのれんを継いでずーっと先祖代々長くやっていたっていうのが、私たちが普通に持つ「創業元禄何年」とかそういうイメージですけれども。調べてみたら全然そうではなくて、どんどん変わっていくということが分かって、それが1番最初の驚きでした。
荻上
むしろ変わるほうがほとんどで、今残っている方が珍しい。
山室
はい、で残っているから目立つだけで消えてしまったものはもう消えてしまって誰も気づかないのでっていうことが新しい手法でやるとまた分かってきてっていう。
荻上
すごい伝統が大事だってそこの文脈で言われるとね、それはまあ勝ち残った側の論理であるということにはなるわけですよね。市場原理において。
なるほど。ということはいろんな調査ができるじゃないかというふうに気づいたわけですよね?その後はどんなデータをいじったんでしょうか?
山室
人口のデータをちょっと調べてみて、江戸の幕府さんはとても真面目にしょっちゅう国勢調査のように人口調査をしているんですけれども。今伝えられている数字というのは全体の数しか、町人の全体の数しか伝えられていなくて。
全体の数が例えばある時点では574,927人と1人単位まですごく細かく出てるのですけれども。でもどこに何人住んでいたの?っていうことが全く分からないままに今までは、全体の数しか分からないねっていうふうになっていたんです。
荻上
その当時、江戸全体で57万人ほどだったと?
山室
プラス武家人口がいます。武家人口の方はそれこそ幕府も調査をしないので全く今どれくらいかは・・数十万と言われていますけれども。
荻上
えっ、武家の方が分かってないんですか?
山室
分かってないんです。町人のほうが行政の対象になっているので、頻々と調査されて分かってるんですけど。
荻上
武家は雇用の対象ってことになるわけですよね?
山室
そうですけど、参勤交代で流動性も激しいですし押さえられていなかったんですね。
荻上
えー、意外となんか雑なのか細かいのかちょっと分かりませんが(笑)その57万人の構成っていうものが分かるんじゃないか?というふうに思ったわけですか?
山室
そうですね、全然別なところで江戸の人ってマゲを結うのでプロの髪結いさんに頼むことが多くて。その髪結いさんの権利書というのを見つけたんですね。どの地区の髪結いさんはどれくらいの価格の権利書を持っていますというような、そういう新しいデータを見つけてきて。
そうすると、髪結いの料金って江戸で1回20文って全部統一料金なので、髪結いさんがたくさんお客さんのいるところというのはたくさん住んでいるところじゃないかな?って。
で、データの方から地名をピックアップしていったら人口密度というのがある程度推測が可能になったっていうことです。
荻上
はいはい、その髪結いさんの持っている権利っていうものがだいたいどれくらいの金額なのかっていうものは人口と比例するわけですよね?その地域の。
山室
そうですね、遠くまで髪結いに行く人はいないので地元で当然結うわけですから。統一料金だったとするとどれくらい人口がいるか?っていうことと髪結いの権利金とは相関関係というか正比例していることになるかな?っていうのが最初の発想でした。
荻上
そのデータを使ってどういったことが分かっていったんですか?
山室
ものすごく人口密度が高かったというそういう数字が出てきました。江戸全体で日本橋という一番の繁華街ですけれども。日本橋地区周辺に江戸全体の町人の45%が住んでいた。
荻上
えーっ!集中してますね。
山室
そうなんですよ、そこにギッシリ人が住んでいてそれがどれくらいギッシリだろうと調べてみたら昔の単位でいうと5坪に4人。今の感覚でいうとワンルームマンションに4人で暮らしていたみたいな。
南部
それはギッシリですね。
荻上
ぎゅうぎゅう!
山室
川向こうまで行くとちょっと状況は良くなって、深川あたりまで行けば2人に変わります。
南部
日本橋起点に離れるとリーズナブルに広い空間が。
荻上
今みたいにマンションとか出来ないですもんね。
山室
そうですね、長屋をワンルームに見立てるとそういう人口密度だったということが推計値で出てきています。そこはちょっとびっくりしました。
荻上
狭い!プライバシーのかけらもない!じゃあ隣の夫婦ゲンカが本当に聞こえるっていう、あの落語の世界ですよね。
山室
はい、もうまさにそういうことです。
荻上
「お前んとこ、昨日うるさかったじゃねえか!」「お前は一昨日うるさかったじゃねえか!」みたいな、あの感じ!
南部
でも丸聞こえだろうな・・それは。
荻上
すごいですね、でも確かに日本橋近辺でよく描かれてますよね。浮世絵とかでも。
山室
そうですね、そこで1番・・でも45%というのはとても大きな数字だと思います。
荻上
すごいな、なんか今よりも逆に東京の中でも偏っているでしょうね。
山室
そうですね、いま逆に千代田区っていうのはとても人口が少なくなってしまっていて。
荻上
他の区に分散されていますからね。
山室
推計値でいうと、この日本橋の狭いところに25万人住んでいたっていうそういう数字になるので千代田区の人口の5倍くらい住んでたっていうことで、いかに寄り添い合って住んでいたか?っていうすごい状況ですね。
南部
それは中心だから日本橋に住みたがったんですか?
山室
そうですね、お店も一番多いので。
荻上
どうしてでもそこにお店がこうギュッと詰まってるのか?
山室
あまりあちこちにお店があっても購買力のほうがたぶん追いつかないので、収益の高いお店っていうのは江戸の1ヶ所にまとまる傾向にあって、日本橋のメインストリートには大きなお店がどうも並んでいたようですね。
荻上
ということは、もう人ギッシリですね。歩くの大変なんじゃないですかね?
山室
どうでしょうね?まあ裏店(うらだな)っていうところに住んでる人が多かったと思うんですけれども。表はお店にして裏のほうで本当に肩を寄せあって暮らしていたような様子が数字から出てきました。
荻上
狭いな・・でもそれだけ髪結いのデータっていうふうに一見して関係なさそうなデータから人口密度が計算できるわけですね。ちなみにそのときの江戸ではどんな商人たちがどんな暮らしをしてたんですか?
山室
これも調べると、よく江戸だと呉服屋さんとかそういうのを皆さん思い浮かべられると思うんですけど・・
荻上
ちりめん問屋とかね。
山室
そんなものは時代小説の世界の中だけで普通にたくさんあるお店の数全部数えてみると、半分はお米屋さんと意外に多いのが炭屋さん。
お米屋さんが多いのは分かるんですけど、炭屋さんはお米屋さんよりも多い。「あっ、こんなに多いのか!」と驚きました。
荻上
その炭屋さんはどういった商売をするんですか?
山室
炭は燃料なので煮炊きをする、冬場に暖を取る。そのための供給をしていたんだと思うんです。
荻上
なるほど、薪とマッチを売るっていうね、国が違えばっていうものが日本が炭。
山室
炭は重たいので、あまり遠くまで買いにいけないので江戸じゅうにたくさん米屋さんに炭屋さんがありました。
荻上
ああ、もう近所のスーパーじゃないけれども、近場の炭屋・米屋。
山室
もう行きつけのところでちょっとずつ買うという、おそらくそういう状態だったと。
荻上
ちなみにそれは何のデータを数えたらこの数字が分かるんですか?
山室
お店のデータを全部入力して、全部業種ごとに分けていくとパーセンテージが分かって「ああ、呉服屋さんはこんなにちょっとしかなかったんだ」「意外に炭屋さんはこんなにたくさんあるんだ」っていうことがデータを整理していくと分かる。
荻上
それは幕府がとっていた国勢調査のようなもので?それは届出制なんですか?当時の出店というのは。
山室
幕府が政策を変えるときに、例えば今まで自由競争させていたけどやっぱり少し組合を作らせようとか、統制経済にしようとかっていうときに実態調査をかなり真面目にやるんですね。何しろ江戸のお役人さんは真面目なので。
真面目に調べて1軒1軒調べあげたデータというのが幸いにも残っていて、だいぶ幕末に近いものなのですけれども。それを今1軒1軒数えていくとこういう数字になります。
荻上
じゃあ5割が米屋と炭屋で占められていると。呉服屋が少ないというのはどれぐらい少ないんですか?
山室
呉服屋さんはもう本当に数十軒でしかないと思います。
荻上
数十軒?ということは呉服屋さんはもう完全に富裕層向けということになるんですかね?
山室
そうですね、まあ一生に1回晴れ着をあつらえられれば良いかな?普通は古着ですよねっていうそういう・・。
荻上
だいたいじゃあ古着屋さん?古着屋さんの元の服は皆さんどこで手に入れるんですかね?
山室
もうどんどんリサイクルされていたと思うので、古着屋商売とかはとても江戸の中ではメジャーな商売。
南部
いやなんか借金なカタに着物を売ったりさっていうシーンが出てくるじゃない?だからそれぐらい回せたっていうか資源として活用できたっていう。
荻上
あれはほら、水戸黄門が訪ねるような没落武士というか藩士が亡くなった。あるいは藩主に誤解されてしまった武家の話ですよね?
南部
まあでもそれぐらい着物をあつらえるっていうのはお金持ちの人だけ?庶民は古着を買って着られなくなったら売って・・
山室
古着屋さんの商売は本当に多いですね。
荻上
他にどんな商人がいたんですか?
山室
あとは外食屋さんとリサイクル関係の古道具屋さんとかが多かったので、まあそこから推測すると江戸の人はものを大切にしたんだってよく言われますけど。むしろどんどん人が入れ替わっていて布団とか置いて行っちゃうので、ヤカンとか。そういうものを止むに止まれずリサイクルしていたという面はあって
別に江戸の人の精神がそうだったっていう面ももちろんあるんですけれども、そうではなくて外食屋さんが多いっていうのはたぶん1人者が多かったっていう表れで、
リサイクルショップが多いっていうのは田舎から出てきてすぐに帰ってしまう。上手く行かなくてとか。まあ「そろそろ引退しよう」とかそんな人たちの入れ替わりが激しかったっていうことですね。
荻上
外食というのは何を食べていたんですか?
山室
居酒屋的なものから天ぷらだったりお寿司だったりそのへんは美味しそうなものがけっこうあったと思いますけど。
荻上
それは飲食店の中身もデータには出てるんですか?
山室
そうですね、意外と多いのが甘味処でこんなにスイーツ好きだったんだって、それは私もよく分からなくって肉体労働をすると甘いものを欲しくなるのか?すごく多いんですよ。砂糖は貴重品だったんですけれども。そんなデータも出てきています。
荻上
これ通年のデータっていうのもあるんですか?
山室
はい。
荻上
ということは、甘味処が増えたのか減ったのかということも見えるわけですね。
山室
ちょっとは分かるかもしれませんけども、そんなに都合よく全部が揃っているわけではないので。
荻上
ああ、なるほど。でもデータさえあればね、だんだん豊かになるに連れこんな店が増えたみたいなことも見えてくるわけですよね。当時のスイーツはどんなものを食べてたんですかね?
山室
どうでしょうね?まあお汁粉とか善哉とかそんなものが。
荻上
なるほど、さていろんな商人たちがいたんだという話をうかがってきたわけですけれども。当時の商人たちの経営の実態っていうのはどういったものだったんですか?
山室
なんか調べていると、本当にすぐ商売をたたんでしまうんですよ。データを調べたら15.7年という数字が出ていて、そうすると普通にお店を開いて一生同じことをやるということはまずなくて。
ある段階でそれも他人に売り渡して別の商売になったり、お店をやめてしまったりっていう。この15.7年という数字が本当にこんなに短いのかと何度も計算し直したんですけれども。どうもそのようなので・・。
荻上
じゃあだいたいもう1代でつぶすっていうのは当たり前だということですね。
山室
1代にもならない。で、子どもに継がせることは1割くらいしかなくて。
南部
1割ですか!えー、意外!
山室
今だと自分のものって子どもに継がせたくなると思うんですけれども。
荻上
まあ中小企業とかね、商店でもね。
山室
でも商売って才覚がないとやっていけないものですから。子どもに継がせるよりはお金で株っていうんですけれども、商売する権利を誰かに売り渡した方がっていうことで50%は金銭譲渡になっていました。
荻上
へえ、でもそれはなんか利口だなとも思いますよね。やっぱりその次々と変えていった方が・・変えていったというのは職をどうということじゃなくて、やっぱり見切りをつけてというかある程度で決着をつけて、まあ流動資金に変えてまた別の商売にした方がまあ安定はするような気はしますけれどね。
山室
でも安定といっても調べていくと1日にたぶん来るお客さんが20人くらいかな?みたいな数字になるんですよ。
荻上
えっ、少ない!それはだいたいのお店でですか?
山室
はい、街角の米屋さんや炭屋さんのデータを見ていくと。
南部
米屋、炭屋でも。
山室
あの200人に1軒くらい。すごく米屋さんの数が多いのでそうすると暇で儲からなくて、そんなに利幅も多くなくてギリギリの暮らし。
ただ生活費が安いのは今みたいに家賃が高いとかっていうことはあまりないので、なんとかなってたというか。あんまり儲けようっていう感じともちょっと違う不思議な商人たちが現れてきました。
荻上
当時の家賃がそんなに高くないというのは、あれはその地主っていうのはどういう制度になってるんですか?
山室
江戸の三井のような大きなお店でもだいたいはお店を借りていて、その大家さんはその上がりで食べているんですけれども。それがそんなに法外な家賃ではどうもなかったようですね。
荻上
しかも商売によっては統一価格で設定させているわけですね。先ほどの髪結いとか。統一価格は割とメジャーな政策だったんですか?
山室
割と同業者組合同士でお互いに潰し合わないようにある部分は「この範囲は私が売ります」「こっちの町は私が売ります」というふうに地域を分けて非常に低いレベルで共存しているような商売のかたちでした。
荻上
ほう、じゃあ互いにもう死なないようにじゃないけれども、食えるようにっていう。
山室
ギリギリの・・まさに小商い。そういうものが江戸の一般的な商いのかたちだったということですね。
荻上
小商いって概念も最近いろんな人が口にしたりしていますよね。
山室
そうですよね、でもこんなところにあったんだ!と思って。
荻上
でもそのときに例えば自由市場っていうものとはちょっと違うやり方になっている印象ですけども、そこはどうですか?
山室
そうですね、ただお客さんはどこのお店から買っても良かったようなのでその辺はある程度競争原理は働いてあんまり高くはできないっていうそれがこんな零細企業がたくさんできる状況になったんじゃないかな?と私は思う。
荻上
基本的には薄利多売?
山室
そうですね・・薄利寡売って。ちっちゃくちょっとしか売らない。薄利でも売れればいいんですけど狭い範囲で。
荻上
なんかこう今みたいにフランチャイズとかチェーン展開とか?
山室
いやー全然、そういう気配はなくて。
荻上
なんかでも大御所の店とか、なんかもうここがやっぱり大企業だよねみたいなのってあったんですか?
山室
あの日本橋の地区だけは例外的でそこはもう割と皆さんがイメージされるような大店が薬種問屋であったり、呉服問屋であったり。
そういうまあ庶民がほとんど行かないようなお店はいっぱいあってそこは営業期間も長いですし、営業規模も大きかったようですけれども。それはあくまで1%くらいの例外ということです。
荻上
じゃああとはもうちょっとミニマムなかたちで共存していたということになるわけですね。その当時の生き方として商人になるという道というのはどういった出自の人がそうなって、どうやって生きていたというのは分かってるんですか?
山室
そこまで追えればとても楽しいのですけれども、いま私たちが持っている分かっているデータというのはいつ誰がどこで商売をしていつ頃までやっていましたっていうことなので、なかなかそのライフヒストリーまでは追いきれなくて。
南部
今、薬種問屋っていうキーワードが・・まあ薬屋さんっていうことですよね?
山室
そうですね、薬の小売もありますけれども。
南部
薬ってでも高価で手に入らなさそうなんですけど江戸の庶民に。
荻上
「おっかさーん!」っていうイメージはありますわな。このあたりどうなんですか?
山室
日本橋にたくさん薬屋さんがあって今ちょっとそれも調べ始めているんですけれども。まあまあそんなに高くなく割といろんな薬が売られてはいたようです。
荻上
どんな薬なんですか?
山室
それを調べていくと江戸の人がどんな病気を気にしていたのかがよく分かってきて、今だとたぶん風邪薬が1番多いですかね?
荻上
そうですね、まあ頭痛とか、あとまあ目薬とか。
南部
季節によっては花粉症。
荻上
あとリップ、唇荒れるから。
南部
それ薬なの?(笑)
荻上
いや、薬じゃないの!?「医薬部外品」って書いてなかったっけな。
山室
でもお化粧品も薬屋さんでちゃんと売ってるんですよ。でも1番多いのは子ども用の、やっぱり子どもは1番病気で儚くなりやすいので親心もあって子どもに効きますっていう薬が1番多くて。
次にどうも風邪薬はあんまり見かけなくって、痰と咳に効きますというものがすごく多くて「これ不思議だな」といま調べています。
荻上
ということは、風邪という症状・風邪という体系としてなのか?それとも各症状でとらえられていたのか?
山室
そうですね、症状に効きますということだと思うんですけれども。痰をそれだけ気にしていたっていうそういうことを悩む人が多かったっていうことは空気が乾燥していたとかあるいは町がとても埃っぽかったとか、そういう状況の反映なのかなと。
いま私たちのイメージで都市はたくさん人が集まっているからすぐ疫病が流行るみたいに思われがちなんですけれども。薬を調べていくとそんなに流行病の薬とかはなくて、意外と・・幕末にコレラが入ってくるとまた変わるんですけれども。ある時期まではそんなに流行病で人が死ぬような状況ではどうもなかったようですね。
荻上
となると、最大の敵っていうのは何になるんですか?やっぱり火事とかになるんですかね?
山室
はあ、命の危険ですか?どうでしょうね、天災と寿命と・・はい。
荻上
いろんなデータ気になりますね。今あるデータでこれからこういうことを調べたら面白そうだなとか、この分野で他の研究者が注目しているデータとかそうしたものって何があるんですか?
山室
エネルギーっていう切り口だと、まあ病気もそうですけど面白いかなと思って。江戸はよく火事で焼けているんですけれども、その火事の規模を調べてどれくらい焼けていたかとか。そうすると江戸にどんどん家が建って材木が流入してくるので。
にもかかわらず日本はとても優秀でハゲ山にならずに明治までいけたので、そういう仕組みとかそういうのはデータで押さえれる部分があれば面白いかな?と思っています。
荻上
いま大学で研究されているということはゼミ生たちもいるということになるわけですよね?ゼミ生たちもそういうデータを使ってみてみたいなことはやるんですか?
山室
そうですね、ただ江戸はなかなかみんな手を出さないので、もっと明治以降だったり現代であったりそういう大きなデータを使って私には全然分からない手法でいろんなことをやってます(笑)
荻上
確かにいろんなデータがありますもんね。なんか近代のデジタルアーカイブスとかでいろんなものを検索をしてたりすると。
山室
手に入りやすくなっているので。
荻上
だから僕、例えばこの百何年の梅毒の人のデータとか国家が取ってたりすると「ああ戦中はこうだったんだ」とかね、いろいろ見えてきたりする。性病という観点からも。でも他にも服とか映画とかね娯楽産業がどうだったのか?データを追うとなかなか面白いですよね。
山室
意外と今までもイメージは本当にデータの1割ぐらいの部分を見て語られていたんだということがだんだん分かってきて。それはやはりまず数字で押さえるっていうことをすることが1つ新しいやり方として有効かなと考えてます。
荻上
当時1番流通していて薬はこれでその薬の成分はこれで、その成分を今の科学で見てみると「あれ、あまり効かない」みたいなこともおそらくあるわけですよね?
山室
そうですね。
荻上
ちなみにこれから何か挑戦してみたいジャンルとかありますか?
山室
どうでしょう?しばらく江戸がやはりいろんなデータを残してくれているので、1つ1つ拾って行く。ちゃんと残してくれているものを数字に変えていってイメージとかストーリーとかドラマとかではなくて、データで何かが分かるというそういう書き方をしていきたいなと思っています。
荻上
確かに江戸って特に魅力的な時代でファンも多いじゃないですか?時代小説などにもいろいろ書かれていたりするので、だから逆に言えば神話とかデマの宝庫でもあるわけですよね?だからそれを1個1個検証してガチでやるっていうだけでも、ずいぶんといろんな真実が分かりそうですよね。
山室
そうですね。商人を調べただけでこれだけ新しい面が見えてきたと思うので、まだまだやりようはあるんじゃないかなと。
荻上
最近、僕が気になっている中の1つは「当時は犯罪はあまりなかった」という言われ方をしたときに、でも全然データが示されなくて「本当かいな?」と思っているものとか。
でも今言ったような医療の話とかでも、いろんな人が身近な医療としてそれなりに医者に通うっていうこともあったりしたわけですよね?
山室
そうですね。
荻上
いや、面白いですね。データでいろいろ見ていくというのは。
(了)