2018/12/30

映画監督・三上智恵が語る「沖縄戦で山に潜みゲリラ兵として戦った『護郷隊』とは」

今回は2018年5月9日放送「大竹まことゴールデンラジオ!」
「大竹メインディッシュ」三上智恵さんの回を
起こしたいと思います。


倉田真由美(以下、倉田)
本日のお客様をご紹介いたします。1987年アナウンサーとして毎日放送に入社。1995年に沖縄に移住されてから沖縄の文化・自然・社会をテーマの多くのドキュメンタリー番組や映画を制作。73年前の沖縄戦をテーマにした「沖縄スパイ戦史」という映画が現在公開中です。

ジャーナリストで映画監督の三上智恵さんです、よろしくお願いします。

三上智恵(映画監督・ジャーナリスト:以下、三上)
よろしくお願いします、こんにちは。

太田英明アナ(以下、太田)
今、くらたまさん(倉田)がご紹介したこの「沖縄スパイ戦史」というドキュメンタリー映画ですけども、もう公開3週目になって・・

三上
そうですね、東京では3週目に入りました。

太田
なんかすごくお客さんが入ってくれているという話もうかがいましたけど?

三上
昨日も1回目・2回目満席で・・おとといから横浜でも始まったんですけども、それも初日は入りきれないほどだったんですね。

でも一番驚いているのは自分で、けっこう暗い沖縄戦だけのドキュメンタリーで絶対に人が入らないって身内からもずっと言われていたんですよね。「なぜこんなに入っているのかな?」って本当に感謝でいっぱいなんですけれども。

太田
それだけ問題意識をみんな持っている方が多いってことなんでしょうね。

倉田
なんかちょっと明るいニュースですよ。こういう映画でそんな関心を持ってくれている人がまだ日本にこんなにいるって素晴らしいことじゃないですか?

森永卓郎(以下、森永)
私も資料をざっと読ませていただいただけなんですけども、私も個人的には沖縄が大好きだし沖縄戦のビデオとかもたくさん見てきたんですけど。全く知らなかったことが描かれてますよね。

沖縄の人も知る人の少ない「護郷隊」

三上
沖縄に住んでいても、この中に出てくる少年兵の部隊の「護郷隊」(ごきょうたい)っていう言葉を知っている人が・・

太田
故郷を護る隊と書いて「護郷隊」ですよね。

三上
15歳前後の少年兵たちが1,000人という単位という部隊がいたんですが、別に「鉄血勤皇隊」とかね・・太田昌秀元知事が「鉄血勤皇隊」だったからこのワードを知っている方はけっこう多いんですが。

でもなぜか「護郷隊」の方は知られていない。沖縄の方でもご存じない方は多いです。

太田
それはある種、軍事的には隠したい部隊であったからっていうニュアンスもあるんですかね?

三上
もちろん、これを指導したのは陸軍中野学校のスパイの特殊な教育を受けたエリート将校だったということも。潜伏して戦うゲリラ戦やスパイやテロっていうのものを山にこもって戦う秘匿部隊だったっていうことももちろんあるんですが・・

でもですね、なんで長く語られなかったかっていうとですね・・例えば1つの集落の1つの字(あざ)の本当に狭い集落から少年兵が例えば5人出てくるとすると、みんな従兄弟とか又従兄弟とか幼なじみのガチガチの関係で。

これを指導する分隊長というのも、友達のお兄さんであったり友達のお父さんの在郷軍人が指導するんですね。だから地域のお兄さんと少年たち5人で。

その5人のうち例えば3人は生きて帰ってくるけど、2人が帰って来ないってなった場合にこの2人の少年のお母さんは生きた心地がしないというか・・

この生きて帰ってきた3人の男の子たちに「せめて遺骨でも拾いたいから、どこでどんな戦いがあったの?最後はどんなふうに別れたの?」「どのへんに行ったら遺骨が拾えるの?」って聞きますよね?

でもこの3人は知っててもしゃべれないですよね。山の中でどういうことがあったのか?これはもう思い出話として武勇伝としてもしゃべることができないぐらい彼らが実際に憧れて意気揚々と入っていく戦争にね。革靴も履いて軍服も着て、「護郷隊」の歌を歌って闊歩してですね。

太田
自分の身の丈より大きい銃を持ってですよね。

三上
それで自分たちの故郷を自分たちで護るんだと意気揚々と入っていくんですが、でも実際に待っていたのは沖縄の戦場だったわけですよね。

で、生きて帰ってきた人とそうじゃない人の間に溝もできますし、中で起きている残酷なこと。これはまあ映画をみていただきたいですけど、もうしゃべれないわけですよ。

太田
だから殺されるっていうのが、敵兵から殺されるだけではないっていうことですよね?それはしゃべれないですよね。身内同士でっていうことも中にもあったっていうことですよね?

私、拝見しましたけれども・・例えば新聞とかニュースとかでイスラム原理主義の過激派は少年兵を教育して残虐な行為をしているっていうことを耳にしたり目にしたりすると「えーっ、またこんなことをやっているんだ・・」「どんなひどいことを未だにやっているんだろう?」って受け止めるんですけど

ある種、沖縄戦はほぼ同じようなことが行われていたっていうことですよね?

三上
もう人道的に信じられないって外国の例で思うことがあると思うんですが、でも72年前には15歳前後の子どもたちにスパイやテロをさせていたっていう・・

それは沖縄の歴史っていうよりも日本人全体が自分たちの国がやった戦争の中でこういうことがあったっていうことをもって知っておくべきなんじゃないかな?と思います。

倉田
本当に知らないですよね。

太田
森永さんと私もそうですけど、くらたまさんだって知らない事実がいっぱいあるってことですよね?

倉田
「護郷隊」っていう言葉も本当に初めて知りましたし。

太田
この映画は三上智恵さんが主に監督している部分と、それから大矢英代(おおやはなよ)さんという女性の監督が演出している部分との2部構成に基本的にはなっているということですけど、三上さんは「護郷隊」という少年兵の映画を主にお撮りになっている?

疎開という名目で安全なところからマラリアのある地域へ


三上
そうですね、私は「護郷隊」とスパイ虐殺・住民虐殺の部分を担当して、大矢さんは戦争マラリアあっていう言い方をしますが、

あえてマラリアで死ぬことが分かっている地域に口封じとかこの目的もいろいろあるんですが住民を追いこんでいって命まで奪われてしまったという・・大量に命が奪われているわけですね。

この問題とアメリカの取材は大矢さんが担当して、分担してやりました。

太田
その大矢さんの分担したところも離島から離島へ強制移住させられて、敵兵に殺されたわけじゃないのに強制移住によってものすごく多くの島民の方が亡くなっているという事実をお伝えする。その事実も知らないですもんね。

三上
でも皆さん石垣島とかよく旅行に行かれますよね?

太田
森永さんなんかしょっちゅう沖縄に行ってますよ。

三上
石垣とか竹富とか黒島とかね、この舞台になっている最南端の波照間島ですけども。波照間島にはマラリアがいなかった、軍隊も全く駐留していなかった。

しかもアメリカの空襲1つなかった、なのに1,500人がマラリア地帯である西表(いりおもて)の南部に移住させられて。

ほぼ全員がマラリアにかかって、3人に1人が亡くなってしまった。500人近くが死んでしまったんです。

森永
だから見方によれば生物兵器みたいなものですよね。

三上
これがですね、たった1人の陸軍中野学校の工作員によってですね。最初は「山下先生」というちゃんとした先生の免許も持ってですね、沖縄県庁からお墨付きも持って島に張ってくるから、みんな信じますよね?

本土からきた背の高い格好良い22、3歳の山下先生をみんな大好きになっちゃうんですよ。だけどあるとき突然軍刀を差して軍服を着て、

それで「西表に移住しろ、これは軍の命令である」っていうことを言って、みんな度肝抜かれますよね?「先生じゃなかったんだ!」って。

でも島にはそのときには兵隊適齢期の若い男性は全部いなくわけですから、老人と子どもと女性しかいないので、軍刀1つしか持っていない山下さんの命令に従わざるを得なかった。その結果、3人の1人が亡くなってしまった。

倉田
もう死なせに行かせてるみたいな・・

三上
そうですね、結果的には・・でもこれは疎開っていう言葉がずっと使われていたんですね。疎開っていうと安全を守るためとかそういうイメージがあるので・・だから長い間、軍隊の故意によってマラリアで死んだかどうかっていうことが裁判でも争われていました。

軍の決定的なミスであるということは裁判としては勝ち取ることはできなかったんですね。それは1995年96年あたりの報道で私が沖縄でやっていた部分ですごく悔しかったので「いつかやってやる」と思ってですね、この映画にたどり着いたんですけどね。

森永
この少年兵の方は・・お話になれる範囲でどういう活動をしてたんですか?

「護郷隊」の活動は山に潜んでゲリラ兵として撹乱


三上
活動は後方撹乱(こうほうかくらん)っていうんですが、三十二軍っていうのが沖縄守備隊と言われていた表の戦争だとすると・・6月23日には牛島司令官が自決して、なんとなく終わるような形になっちゃうわけですね。

太田
統一された戦闘としてはそこでいったん区切りがつくけどっていうことですよね?

三上
組織的な戦闘が終わった日が6月23日とされていますが、でもこの陸軍中野学校が指導した「護郷隊」っていうのは山に潜んでゲリラ兵としてその後もずっとアメリカ軍の活動を撹乱していく、後ろから撹乱するから「後方撹乱」っていうんですけど。

要は沖縄って取られてしまった後はですね、本土を爆撃するための拠点になっていくわけですね。だから沖縄に作られたたくさんの飛行場から本土の空襲にどんどん飛び立っていく。

だからこれを見た目が軍として負けたとしても、たくさんのゲリラが後ろから燃料を燃やしたり飛行機を爆破したり、例えば井戸に毒を入れたりということで本土に対する戦いをできるだけさせないように撹乱をしていく。

そのために彼らは生き残って山に潜伏しなければならなかったんですね。

太田
結局、本土に攻めてくる前の時間稼ぎをするために少年たちの命を使った・利用したっていうことですよね?

一般住民を対象にせざるを得なかった理由


三上
それもあります、また少年たちは15歳前後でもアメリカ人には7,8歳の男の子にしか見えないんですよね。沖縄の方は背格好も小さいですから。

当時の沖縄の子どもの着物を着てあえて捕虜収容所みたいな場所とかアメリカ軍のキャンプ内にこどもだったらチューインガムとかもらって入れてもらえるんですよ。

そこで敵情視察をして夜になったら山の上の上官のところに行って「ここに燃料がある、ここに司令官が寝ている」と報告して、夜の切り込みに今度は上官と一緒に来るわけです。

だからアメリカ軍は沖縄の少年だと思って安心していたら、その中に兵隊がたくさんいるんだということに愕然としてですね。でも子どもや住民に見える人も殺していく対象にしていってしまう。

だからたくさんの民間人が火炎放射器とかによって殺されるのは少年たちを潜伏させた影響でもあるんですよね。

森永
そうだったんですね。私もその火炎放射器で焼き尽くす映像を見てすごくショックを受けたんですけど、背景にはそういう少年兵たちの活動があったっていうことなんですね。

三上
それに少年だけでなくて、日本兵は住民のふりをして住民の着物を着て山の中に潜伏した。住民を盾にしながら敗残兵がずっと生き残っていくという局面も被害を大きくしたんですよね。

太田
ほとんど実際に体験されたことを証言された方々はご高齢の方ばかりですけども。よくこの自分のトラウマを乗り越えて三上さんに心を開いて証言をしてくれましたよね。

三上
でも断られた人は写ってないわけですから・・。

太田
説得しきれなかった人もたくさんいらっしゃった?

三上
いや、もちろんです。だいたい「『護郷隊』の話を聞きたい」って電話をするとほとんど切られたり、「もう覚えてないよ」とか「もうおじぃは話は難しいから」っていうふうに言われちゃうんですね。

沖縄の場合は訪ねていく「もう来ちゃった」みたいな感じでトントンって玄関から何度か訪ねていくというのが一番有効ですよね。

戦争後にも「護郷隊」の影響は残る


太田
いや本当に胸襟を開いてずいぶん苦しかっただろう体験も語ってくださるお年を召された方がたくさん出ていらっしゃるので、どれだけ苦労をされたのかなあ?っていうふうには見ながら思っていたんですけどね。

三上
少年兵の心がどんどん荒んでいって、それからPTSDって今はそういう名前が付いていますけど・・当時は「戦争神経症」とか言われたんですね。

16歳でこの「護郷隊」の散々な経験をして命からがら骨と皮だけになって帰ってきたリョーコー二等兵というのが主人公なんですが、彼は16歳で帰ってきたけど18歳で心がパンクしてしまってですね。

日中とか夜とかいつも関係なくスイッチが入ったら、戦争状態になってしまって。それでほふく前進をしたり暴れ回ったり、もう人を傷つけるくらいの勢いで暴れるので。家族はようやく帰ってきた息子を抱いて「良かった生き残って」って言ったんですけど。

同じその手で彼を牢屋っていう言葉がありますけど、座敷牢って自宅監禁。お家の中に監禁する・・精神医療の施設も整っていないときには致し方なかったとは思いますが、

家の中に牢屋のようなものを作ってそこにつながれるというような体験をしたおじいちゃんがいらして。

その彼は宗教に入って50代になってから心がすごく落ち着いた。50代まで苦しんだんですよ。

太田
今は穏やかなトーンで証言をたくさんされていましたね、映画の中では。

倉田
それまで何十年も苦しまれてますよね。

太田
「兵隊幽霊」って言うんですってね。

三上
沖縄って私、民俗学とかやっててこれが専門なんですけど。「憑依する」とか「霊が憑く」とかそういう心霊の世界っていうのが沖縄ではすごく信じられている部分がまだありますけど。

兵隊の幽霊が取り憑いた、だからこんなに戦争の気分になって暴れ回って。戦争当時のまま頭の中がそこから一歩も出られないわけですよね?

だからそういう症状になったリョーコー二等兵のことを「兵隊幽霊」「兵隊が取り憑いておかしくなった人」ということで地域から遠ざけられたっていう辛い経験を何十年もしてらしたんですね。今は本当にお元気で桜を植えているんですけど。

森永
うーん、でもまあそうですよね。自分の立場で考えてみたら、その少年時代に一種のテロリストになるような教育を受けたわけで。それはそんな1年や2年で心が戻らないですもんね・・・。

三上
そうですね、彼はだから未だに護郷隊」の世界の中に生きているような部分があって。「第二護郷隊」という中では69人戦友が亡くなっているんですね。だからその数だけ寒緋桜(カンヒザクラ)って沖縄の桜を見たことがありますか?

森永
はい、あります。

三上
こっちの桜は薄いピンク色で散りますけど、沖縄の寒緋桜はいちばん寒い1月末とか2月に咲いて濃いピンク色で散らないんですよ。散らないから本土の方は「なんか桜じゃないみたい」って言うんですけど。

でもしぼんで濃い赤になってまで枝にしがみついていようとする、生きようとする桜なんですよね。

私はそういうふうに見えますけど、どういうつもりなのかは分かりませんけどリョーコー二等兵はその寒緋桜を69本自分の家の裏山に植えていて自分で供養するということをやっていて。

みんなに1つ1つに亡くなった人の名前を付けたいということがあるんですよね。

太田
沖縄の戦史を研究してらっしゃる研究者の方も何人か映画の中には登場されるんですけど。

いちばん印象に残ったのは「軍隊は住民を守るのではなくて、基地を守る。いわゆる国体を護持するために戦っているのであって決して住民を守るための存在ではない」っておっしゃっていて。

でも活動していた少年兵たちは「護郷隊」、故郷を護る部隊と名前が付けられているというのはすごく皮肉なことだなっていうふうに見たんですけどね。

島にいる軍隊にとって住民は利用する存在


三上
沖縄戦を勉強していくと、どこの島の経験をもってしてもですね「軍隊は住民を守らなかった」と。守ってくれるという120%の信頼で1944年に沖縄の人たちは日本軍を迎えたわけですね。

もう連戦連勝の日本軍だということを思っていますから「この日本軍が来てくれたら、私たちは何に心配もないんだ」っていうのが1944年です。

でも実際にアメリカ軍が上陸する段になったら、なぜか住民を守らなかったわけですね。守らなかったんじゃなくて、私に言わせれば守れなかった。そのような作戦がなかった、三十二軍の幹部で生き残った方は非常に少ないんですね。

そのうちの1人である神(じん)参謀が戦後インタビューに答えていますが、「軍隊が住民を守らなかったということについてどう思いますか?」っていう沖縄の新聞社のインタビューに対して、

「それはその通りです。住民を守るというのは作戦に入っていなかった」と言い切っているんですよ。

倉田
ハナからそういうつもりはないんだ。

三上
「国を守るために」「その作戦を遂行するために」っていう順番で行くと、住民は足手まといだったと・・。

太田
もしくは利用する存在だったということですよね。

三上
その通りなんですね、島っていうのは有事になったら何も補給ができないんですね。物資の補給、燃料の補給、兵隊の補給、食べ物の補給、全部途絶えてしまうので島の中にあるもので全部やらなきゃいけない。

そうなると住民は移動させて守る対象ではなくて、まずはそこで食料を作ってくれなければ、みんなが死んでしまうわけですね。

それから軍隊の労働力として飛行場を作ったり、飛行機を隠すものを作ったり。これも軍隊だけではできませんから、だから労働力として使われて・・そうすると住民は軍の秘密を知ってしまうんですね。

だからアメリカ軍が近づいてくると、村の中から1人引っ張っていって「ここにどんな軍隊がいるのかしゃべろ!」って言われたら、「爪剥がす」って言われたって私たち一般の人たちはしゃべっちゃいますよね?

「ここに軍隊はいるのか?日本人は何人いるのか?」って言われたら、だから住民は都合の悪い存在になってしまうんですよね。それでお互いに監視をさせるっていうシステムを日本軍が作りました。

倉田
住民同士を?

三上
住民同士をです。それも秘密組織を作りお互いに密告をさせるようなシステムを作って、そこでスパイ虐殺というものが起きていくんですね。

今の沖縄の意見が2分されるのは?


太田
ぜひ知らなかった事実がいっぱいあるので、映画ご覧になっていただきたいんですけど。

もう1つ思ったのが、例えば自衛隊の基地を新たに石垣や与那国に導入しようということで賛成する人と反対する人がいますよね?

辺野古の基地の移設についても亡くなった翁長さんを支持する人もいれば、いやそうじゃないという人も半々いる。

こんなに辛い体験をしているのになぜ沖縄の民意が1つにまとまらずに常に分断されているのか?っていうのは三上さんはどういうふうにご覧になっていますか?

三上
いやそれはですね・・今たぶん戦後いちばん「自分たちは強いものに守られたい」って国民が思っている時期だと思うんですね。

太田
まあ不安なこともありますよね?

三上
まあ北朝鮮が怖いとか、中国が怖いとか。この雰囲気はここ5年ぐらいでものすごく増加していて。でもアメリカ軍だが自衛隊だか分かんないけど、とにかく強いものに守られたいと。じゃなきゃ不安なんだ、いま日本人が戦後いちばん思っていますよね?

それは沖縄でも同じインターネットを見ていますから、「中国が攻めてきたらどうする?だったら自衛隊が来てくれた方がいいんじゃないか?」

また災害のときに自衛隊が頑張ってくれている姿をいっぱい見ていますから、やっぱり自衛隊来てくれた方が安心だというふうに思うのも無理はないと思います。

ただ73年前にどうして日本軍は住民を守れなかったのか?で、いま新しくできようとしている軍隊なのか今の自衛隊が発展した何物かっていうのが旧軍隊と同じなの?違うの?

同じだったら嫌ですよね?でも違うんだったら違うで本当に違うということを知ってから国防に軍隊を持つのかどうか?っていう議論は少なくとも旧軍隊と今から持とうとする軍隊?今の自衛隊の発展形はどうなんだろう?というのはよく考えてから検証してから考えたいなと私は思います。

そのために沖縄戦であったことを知ることはものすごく大事なんじゃないかな?と。

太田
そうですね、考えるヒントには絶対なると思いますので。今たくさんお客さんが入っているということなので、これから広がっていくと思いますけれども。改めてご紹介を。

倉田
三上智恵さんと大矢英代さんが共同監督を務めたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」

詳しくは「沖縄スパイ戦史」公式ページをご覧ください。

太田
今日は誕生日でいらっしゃるのに何のお構いのなく、いい話をこちらが一方的に。また新しい作品をお作りになったら遊びにいらしてください。

倉田
ぜひぜひまたお話を伺わせてください。本日は三上智恵さんでした、ありがとうございました。

三上
ありがとうございました。

(了)

「沖縄スパイ戦史」公式ページ




2018/12/10

光浦靖子が語る「小学校のころは毎日地鎮祭をやっているようだった」

今回は2018年4月27日放送「大竹まことゴールデンラジオ!」
「大竹紳士交遊録」『ダ・ヴィンチ』編集長:関口靖彦さんの回を
起こしたいと思います。


関口靖彦(「ダ・ヴィンチ」編集長:以下、関口)
よろしくお願いいたします。

光浦靖子(以下、光浦)
お願いしまーす。

大竹まこと(以下、大竹)
なんとなく声が気弱な感じだけど、そんなことないですか?

関口
あっ、そうですか?大丈夫です。
大竹
何か会社であったとか?そんなことないですか?

光浦
嫌なことでもあったんですか?

関口
特につらいことはなく・・大丈夫です。

大竹
バンド活動が上手くいかなかったり?客が来ないとか?

関口
そちらの方は相変わらず続けていますけれども・・

光浦
はい、本日は?

関口
今日はまた本のご紹介なんですけど、本屋大賞の受賞作が決まりまして。その大賞受賞作をご紹介しようかと思っていたんですけれども大賞が恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」になりまして。


光浦
直木賞も取りました。

2018年本屋大賞・第2位の森絵都「みかづき」

関口
直木賞も受賞されてこれまでにこの番組でもご紹介をさせていただいていたので、第2位の作品をご紹介させていただきたいなと思いまして持って参りました。

今回、本屋大賞第2位が森絵都さんの「みかづき」という小説です。

森絵都さんはもともとは児童文学でデビューされた方で1991年にデビューされている作家さんなんですけど。だんだんご自身のキャリアを積まれ年齢も上がってくるなかで実際描かれる小説もすごく幅広い世代を描くようになってきているんですけれども。

今回の受賞作の「みかづき」はですね、親子3代にわたっての家族小説になっています。かつ、もう1個テーマというか題材が「塾」なんですね。学校教育に対しての「塾」っていうことですね。

このタイトルの「みかづき」っていうのがそもそも登場人物の1人である塾を立ち上げる女性が言っていた言葉なんですけれども。


『学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを暗がりの中で静かに照らす月、今はまだ儚げ(はかなげ)な三日月に過ぎないけれど必ず満ちていきますわ』

っていう、まだ戦後の頃の話ですね。だからまだ塾っていうもの自体が今みたいなメジャーな存在になってなくって、じゃあ我々も「塾」っていつぐらいから始めっているって知ってる?って聞かれたら多分知らない人が大半だと思うんですけど。

そういう日本の戦後の教育史みたいなのもベースにしながら塾っていう存在を通して、そのときどきの家族とか子どもを描いていくっていう結構な大作ですけども。

光浦
分厚いですもんね。

大竹
500ページ以上あるね。

関口
そうですね、500近いですね。もう本当にどっしりしたドラマを読んだなあという手応えがボリューム的にも内容的にもある小説で本当におすすめなんですけれども。

光浦
読もう。私ね、親子3代とかそういうの好きなんですよ。安心して読めるんですよ。なんでか?っていうと死んでないから。続いているから3代、もうそれだけで安心して読めるんですよ。

大竹
なるほど、じゃあ歴史物なんかは好きなの?

光浦
歴史は・・ちょっと苦手意識がすごい。

大竹
だってあれも何代だって続くじゃん?

光浦
歴史になるとダメなんですよ!

関口
やっぱり戦後史ぐらいだとご自分の見て育ってきた風景と重なるし。

光浦
あとあれなんですよ、実在しない人の方が安心して読めるんですよ。実在しちゃうと実在した人が苦労するとさ、本当にあった苦労になっちゃうから。もう胃が痛くなっちゃうの!もう本当に!っていう・・。

大竹
なんかその今の話の内容だけど、日本の塾のちょっと前の時代の設定みたいなことを今おっしゃっていたけれども。今さっきの読んだ引用部分は今でも俺はそうなっていくというか、学校っていう存在がなんかちょっと疎ましくなってきてないかな?とは思ってるんだけど。

関口
あと、学校ってやっぱり読んでいて思うんですけど、そのときどきの政治と方針とかでコロコロ変わるんですよね。いわゆる「ゆとり教育」とかが代表的なところですけど。そのときどきで「ガーッてやれ」って言われたり、「やるな!」って言われたり。

大竹
パン屋が和菓子屋になっちゃったりな。

関口
それに対して塾っていうのは、それぞれの方針である意味安定した教育ができるっていうところはあるので、必ずしもやっぱりそういう学校ではできない教え方みたいなのはあり得るんだなっていうのは思ったりで。

太田英明アナ(以下、太田)
逆に例えば中学受験でものすごい熱心なお子さんとかはむしろ公立の小学校が月で大手の塾が太陽みたいな意識で行っている子も中にはいるかもしれない。

光浦
あの「受験太陽」だけに特化してね。

大竹
嫌だねえ、なんか。もっと大らかにバカな子が・・まあ俺もバカだけど。バカな子がたくさんいて欲しいよう、なんだかなあ・・。

関口
これ読んでいて思ったんですけど、なんかやっぱり勉強を詰め込まれるっていうだけじゃなくって。そもそも学ぶこと、知らないことを知っていくことって面白いじゃないですか?

だからなんか自分の得意にこととか知らなかったけど、これ面白いなってものを見つけられる機会っていう面もあるのかな?っていうのは思いましたね。

塾と学校の関係性から、女子の学校生活の話に


光浦
学校はやっぱ人付き合いじゃない?

関口
ああ、そうですね。クラスの中のポジションとかが決まっちゃうと逃げ出せないとかありますね。

光浦
あれを学ぶところというか・・私さ、勉強なんか屁でもなかったもん。もうとにかく人付き合いとかそれだけがずーっと悩みだったな。どうしたら怒りん坊の女子のワガママな人おるじゃん?

あれを納めるかな?みたいな・・なんか地鎮祭みたいな感じだよね。毎日、毎日。もう鬼がとにかく爆ぜないようにするにはどうするんだ!っていうさ。

太田
「お鎮まりくだせえ~」みたいな(笑)

光浦
「お鎮まりください」を考えるのが女子よ、高学年よ!本当に嫌だった!もう大変だった。

だから大人になったら「こんなに人付き合いって楽なんだ」って思った。子どもって理不尽が許されるじゃないですか?だもんで、リーダー格が「あいつ嫌い、明日無視」とかがまかり通っちゃうんですけど、大人はそんなことできないじゃないですか?

だから私(大人になって)「なんて楽なんだろう」と思って、やっぱ。

太田
あと大人はコミュニティをいくつか持っているから、1つがダメでも逃げ場があるけど子どもが学校が全部のコミュニティになっちゃいますもんね。

光浦
毎日、地鎮祭でしたよ!!「どうやっておだててワッショイして」みたいな。

大竹
光浦の時代はそうだったんだ。俺らの時代は・・まあ俺の性格とかがあるのかな?やっぱりネックは勉強で、やっぱり勉強ができないとダメでそれ以外はオールフリー、何でも良かったね。

関口
学校によっても違うんですかね?そういうところって。

光浦
まあ男子の方がカラっとしてるのかな?まだ成長が遅いから。なんだろうなあ?脳みそが成長していないけど、ハートが成長しているのが女子っていうのか・・理不尽だけど感情がいっぱいあるのが女子な感じがする。

太田
その他にも森絵都さんの本をいくつもお持ちいただいていますけれども。

30代以上には共感できる短編集「出会いなおし」


関口
あと1冊だけ追加でご紹介してもいいですか?この受賞作の後に出た今のところ森絵都さんの最新刊で「出会いなおし」っていう短編集なんですけど。


帯に「年を重ねるということは同じ相手に何回も『出会いなおす』ということだ」っていう。

光浦
おお、ブラボー!

関口
さっき、続いていくっていうことをおっしゃってましたけど。やっぱり若いときって別れ別れになるとか別離っていうのがそこでそれっきりみたいな感じがしますけど。

実際30年40年50年って生きてくると1度離れた人とどこかでまた交差したり、それって別に恋愛だけじゃなくって仕事の上とかでも20年前けっこうぶつかりあったけど、久しぶりに会ってみたらみたいなことありますよね?

光浦
今まさに地鎮祭の鬼とかが親友になってます(笑)

「お前!小学校のとき、どんだけうちらが苦労してお前のご機嫌を取るのに!」っていう・・忘れてるしね、本人も。かといって今は全然仲が良いし、普通に遊ぶし。

大竹
俺はあの風間杜夫ね。一緒の劇団を組んで一緒にやってたんだけど、やっぱり風間だけが先に売れていくわけよ。

俺らは居残り組でコメディアンになるわけよ。向こうにいった連中の間の噂では「あいつらビルの屋上でコントやってるらしいぞ」みたいな話になるわけだ。それでしばらく疎遠になるわけよ。

もうずーっと一緒だった10年ぐらい同じ家に住んで一緒で。マヨネーズご飯かっ食らっていたのが、その後疎遠になるわけよ。

それで何十年経つわけ、それでつい1年ぐらい前に俺が朗読したものと風間が朗読したのと同じ会社だったのよ。

それが縁で宴が設けられて、そっから今また風間とめっちゃくちゃ仲良くなって。

光浦
親友みたいに。「出会いなおし」だ!ある、ある、ある。

関口
いやなんかこれ本当にそういうたぶん10代の人が読んでもあまりピンと来ないと思うんですけど。30代40代以上の方が読むと、すごい響くと思います。

大竹
もう「出会いなおし」って聞いて「ああっ、そうか!」って思ったもん。

関口
これ6編入っている短編集なんですけど、だから登場人物は全部違うんですけど。やっぱり分かれてまた出会ってっていう「じゃあ、また」って言える感じっていうのがどれもあってですね。

大竹
俺も書いてこの中に入れとくよ、じゃあ。

光浦
「風間と俺」

大竹
エピソードを1つ足して。

関口
なんか年を取っていくことを励まされるようなすごく良い本です。

光浦
ああ、素敵!

大竹
そうだよな、俺だってもう67歳だもんな。こんなときにまた「出会いなおし」なんて思わなかったもんね。

関口
ぜひ、じゃあ読んでみていただいて。

光浦
じゃあ私、「みかづき」の方を。あれもうお時間?お時間来てしまいました。

(了)


2018/12/08

金子恵美・宮崎謙介が語る「離婚しなかったことで『応援しない』とハッキリ言われて」

今回は2018年4月23日放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」
「大竹メインディッシュ」金子恵美・宮崎謙介夫妻の回を
起こしたいと思います。


倉田真由美(以下、倉田)
本日のお客様は元国会議員のご夫婦、金子恵美さんと宮崎謙介さんです。よろしくお願いします。

金子恵美(以下、金子)宮崎謙介(以下、宮崎)
よろしくお願いします。

大竹まこと(以下、大竹)
ようこそいらっしゃいました。私どもちょっとバラエティ班で扱っていいのか・・この案件をどうしたらいいのか?をちょっと考えてるんですけど・・どんなもんですかねえ?

金子
もう如何ようにもしていただいて(笑)

大竹
出ていらっしゃいますよね、お2人であっちこっち。

宮崎
お声のがかかったものは基本的にチャンスと思って行っていこうということでやっております。

大竹
今、お2人とも議員ではない?

宮崎
はい。

金子
そうですね、議員辞職して。

大竹
宮崎さんは議員を辞職なさった?

宮崎
辞職しました。

大竹
あの騒動を昔のよう思うけど、ついこの間ですよね?

宮崎
2年ぐらい前ですよね。

大竹
二枚目でイケメンで。

宮崎
いえいえ、何をおっしゃいますか!

大竹
イケメンでイクメン。

倉田
上げれば上げるほどちょっと(笑)

金子
悲しくなってくるんですけどね(笑)

倉田
そのあとの話がね。

大竹
何が?(笑)でも確かにイケメンでイクメンで。

宮崎
イクメンは今でもちゃんとやってますけど。

大竹
あのときでもイクメンやっているって言ってて浮気しちゃって。

宮崎
まあちょっと・・はい。

金子
「まあちょっと」って(笑)

奥さんの出産日に浮気報道が判明する


大竹
それでなんか前後関係が厳しいんだよね?妊娠なさっていらして、お子様が生まれ・・

金子
生まれた日の夜にね、私は知ったんですけど。まあその1週間ぐらい前にそういう。

倉田
本当はバタバタしていたんだ。

大竹
もう精神状態は気が気じゃなかった?

宮崎
いやもう本当にまさに。

金子
「まさに」ってあなたの言うことじゃないですよ(笑)

倉田
いやだって記者が張り付くことなんて、議員のときもあったと思いますけど。そもそもなんでバレたんですか?

宮崎
いや私も逆にそれは聞きたかったりするんですけど・・

倉田
未だに分からないんですか?

宮崎
分からない部分がありますし、一言で言うと「文春さんの取材力がすごいな」とことに行き着くんですけど。気づかないんですよね、全く。記者さんが張っていることも分からないし。

倉田
張られてたんだ。

宮崎
1回別の記事といいますか別の取材で記者さんが議員会館の地下にいらしたんですよ。

大竹
(金子さんに)ちょっと待ってど突かないでくださいね。手を上げたからど突こうとしたのかな?と(笑)

金子
はいはい、ちょっと何を言うのかなと(笑)

大竹
ちょっと心配になったんですけど。

金子
頭かいただけです。

宮崎
(記者が)いらしたんですけど、私を見てパッと消えたんですよ。逃げたんですよ。そのときに横にいた政策秘書に「あの人、文春の記者じゃないの?」って言ったらあのとき甘利さんが騒がれてたので甘利大臣(当時)を張っているんだということ。

「そうか、そうか」と思ったんですけど、よく考えたら私を張ってたんですよね。今思うと。というぐらい無防備だったんですよ。

大竹
あのときは奥さんの心情も・・・ねえ。だって子どもがお生まれになったその日に報道で聞いたんですか?

金子
本人の口から聞いたんですけど。

宮崎
もう報道が出ると思ったので。

大竹
もう出るのか分かってたから?

倉田
もう出ることは決まってたわけだ。

宮崎
100%出ると思ったし・・。

大竹
何とおっしゃったんですか、奥さんに?

宮崎
いやー、なかなか言い出せずに2時間ぐらい引っ張って・・

金子
2時間どころじゃないよ、もっと長かった。

宮崎
引っ張りに引っ張って・・

大竹
「ああ、いい子を産んでくれたね」とか(笑)「うーん、実はね」みたいな?

宮崎
まあ簡単に言うとそんな感じですね。

金子
その日の朝に出産だったんですけど、その朝は出産に立ち会っているんですよ。

倉田
気が気じゃないまま立ち会っていたんだ!

宮崎
そうです、そうです。もう前日の夜に文春さんからのアタックを受けたあとだったんで。「まあ大丈夫だろう」と私も黙ってる、相手も黙っていれば大丈夫だと思ってたんですけど。

その1日経ったタイミングで「これは相手は絶対に言うな」っていうのが分かっちゃったので、これはもう早い段階で。

倉田
証拠写真か何か撮られたんでしたっけ?

宮崎
証拠写真は一応自宅から出てくるところだったので。如何ようにも言うことは疑惑止まりで・・

倉田
いやそれはアウトですけどね!

宮崎
アウトなんですけど、これまでの事例を見てると「一線を越えてません」とかって。

倉田
いやいや、みんな許してませんから!!世間は言い逃れている人たちも言い逃れられてはないですよね。 

金子
そうですよね。

宮崎
と、私も思いますけど・・

大竹
どこが「一線」なの?

倉田
どこもかしこもないです。それはアウトの・・同じ部屋から2人で出てきました・・アウトでしょ?

金子
まだ議員だったので選挙区が京都だったので、京都に一度仕事に行ったんですよ。その京都から帰ってきて病室に戻ってくるはずがなかなか戻ってこないと。

最終の新幹線で帰ってくると聞いていたので、東京駅に着いて病室に来るにしたって「もうそろそろ帰るよな?」と思ってもなかなか帰ってこない。

やっと現れて病室入ってきたときの主人の顔がもう今まで見たことないような引きつった顔で立ってて。それまでの間にこの人なりにおかしくなってて。

宮崎
もう本当にキレそうでしたね。キレかかってましたね。

大竹
それで何とおっしゃったのご主人は?

金子
それで入ってきて、なかなか言い出さないで3時間ぐらい。

倉田
何してたの3時間!?

大竹
入ってきてすぐに謝らなくちゃいけないよ。

宮崎
なかなか言い出せないわけですよ。さすがに幸せの絶頂じゃないですか、女性としても。

金子
それは「あんたが言うな」っていう。

大竹
君も含めて幸せの絶頂のはずだから。

宮崎
絶頂だったはずなんですけど、こんなはずじゃ・・

大竹
君はそんなはずじゃなくなっちゃった。それでずーっと3時間も。

金子
どうでもいい話を。それこそ甘利さんの話を引き合いに出して「いやーあのスキャンダルを起こした政治家の子どもは将来そのことをしたときにどう思うかな?」とか遠回しになんだか分からないことを(笑)

倉田
めっちゃ外堀埋めてきたわけですね。

金子
「子どもは子どもの人生があるし」とかって本当にどうでもいい話をしてたんですけど、私はその日の朝に出産しててもう12時を回って深夜2時3時で「寝かせてほしい」っていうことで。

でもなんか言わないから「何なの!?」と言ったら最後に言ったのが・・

宮崎
「女性問題で週刊誌に載ります、ごめんなさい」と。

大竹
それでどうしました?

金子
「そんなことか」と、それぐらいのことですぐ言ってくれればいいのにと思ったんです。

幸せの絶頂の妻とどん底の夫

倉田
そのぐらいのことって思われたんですか?

宮崎
私も驚きました、本当にそれ・・「えっ、そっちのリアクションか!」って。

大竹
だって片一方は幸せの絶頂だから。

宮崎
私、どん底だったんですけど。上から石を投げられると思ったんですけど。全然むしろ救いの手が来て。

大竹
でも世間にはそんなこと言えるわけもないしね。何とおっしゃったの、世間には?

金子
私はそれを聞いたときにやっぱりお金とかクスリとかですね。政治家として法を犯してしまったら大変だと「大きな問題だ」と。

議員も当然辞職しなきゃいけないだろうと思ったんですけど、このことに関しては夫婦のことでしかないから私が許せば終わることだろうと。私はそのとき思ったんです。

倉田
なるほど、それも正論ですね。

金子
そうですか?でも世間はそうではなかったので・・その後大変なことになっていって。本当にどんどんとそういう状況が、報道も大きくなっていったときに2人で乗り越えるべきことだなとそのときは思って。

大竹
偉いっ!

倉田
まあ世間には面白い話なんで、やっぱりなかなか火は消えないんですよね。こういう話。

宮崎
2年半経ってもまだ消えてない。

大竹
ここに来たって、また一からだもんね。

宮崎
ありがとうございます、取り上げてもらって。

大竹
奥様は偉い!!

倉田
でもおっしゃる通りですよね、刑事問題じゃないから。結局、夫婦の話なんですよね。

大竹
そうそう、偉い奥様に比べてお前は何だ!!なんなんだお前は!オドオドして!

宮崎
普段はけっこう堂々としているんですけど。この話になるとどうも・・。

倉田
でも金子さんは出産まで全然その話を耳にせずに済んだんですか?普通、記者って容赦なく当たるじゃないですか?

金子
そこがね、なんか武士の情けかよく分からないですけど。それが私なかったから本当に良かったです。

大竹
奥様も驚かそうと思ったんだよ。

倉田
でもけっこう妊娠中に記者に当たられて夫の浮気を知った女性タレントもいましたから。それはちゃんと待ってもらったのかな?

大竹
でも金子さんは「そんなの夫婦の間で解決することだから、たいした問題じゃない」とおっしゃってる。宮崎さん、またできますね(笑)

宮崎
ハハハハハ(笑)

倉田
えっ、そういう話になっちゃうの、大竹さん!?

大竹
だってこんなに心の広い、でももうダメですか?

宮崎
逆なんですよ、おっしゃる通りで確かにそうかも分からないんですよ。こういう性格なので、でもこれ北風と太陽みたいな話で冷たい北風でバンバン当たられると男の気持ちとしてまた沸き起こってるというか・・

大竹
浮気心?

宮崎
もしかしたらですよ!!でも太陽で来ているので、北風じゃなく太陽なので逆に申し訳ないというか「そんな寛大にされちゃうともうちょっとできないよな」っていう感じになっているのは事実なので・・そこまで計算しているとしたら・・

大竹
違うんだよ!奥さん、大したことじゃないんだよ!本当に、ねえ?

金子
これ言うと世の中の女性から、本当厳しいですよ。

大竹
でも本当にそう思ってるでしょ?

金子
そうですね、私は正直そう思ってます。

大竹
大したことないもんね、浮気だもんね。本気で向こうに行っちゃうなら問題だけど。

金子
本当にそうですよ、気持ちがあったりとか・・よく言ってるんですけど、浮気を何回かするという回数は別にあんまり気にならなくって中身だと思っていて。

あまりにも私の親しい人だとか近い人とか、なんか深い・・それこそ本気度が見えてきたら、ちょっとこれはいよいよ考えなきゃなと思いますけど。

倉田
おっしゃる通りだわ。

大竹
いい女だったの?

宮崎
いや・・ちょっと気の迷いです。

金子
気の迷いだったら、ちょっと良かったっていうことだよね?

宮崎
「気」じゃないか・・

大竹
「ごめん、なんかしちゃったんだ」っていう話だったら許すんでしょ?「気の迷い」って言うと気が向こうに行っちゃってるって、それはダメだよ。

金子
それはちょっとマズい発言。

倉田
今のマズいのはね、相手の女性の気持ちを考えると「あれは遊びでした」的なことを言われると「ちょっとそれは・・」みたいなに思ってしまう。

で、奥様からすると遊びだって言われる方がいいんだけれども。でも一人の女として聞くと「なんか冷たいな」みたいな気持ちがしちゃう。

宮崎
そうじゃなくて、逆に向こうからの提案はそういう話だったんですよ。「もう私は別にそういうんじゃなくて、ずーっと2番手でやってきたキャリアだから」って

金子
何の話してんの(笑)

大竹
ああ、向こうの方は2番手のキャリア!今、(金子さんに)ドツかれましたけど(笑)キャリアっていうのはどういう意味?ノンキャリ?

宮崎
ちょっとよく分からないんですけど、そういう話だったんです。「私はずっとそういうポジションだったこともあるし」って

金子
自分で言うことじゃない(笑)

宮崎
なので「男ってそういうもんだから」って。

大竹
「私は奪おうとは思わない」ってことですか?

宮崎
そんな話は一切なかったんですね。もう「だから遊びとかでもいいし」みたいな話だったんですよ。

大竹
これでも難しいよね、くらたま(倉田)は相手の女の気持ちになってるからね。そうなってくるとねえ・・

倉田
やっぱりよくあるじゃないですか?不倫して謝罪会見、男性が謝って「奥さんが大事です」みたいなことを言うのはいいんだけど、でもなんかそこに女性の気持ち・・たとえ浮気相手でもね。その人の気持ちをあんまり踏みにじるのもどうなのかな?とも思ってしまう。

そのへん難しいんですけどね、塩梅が。

宮崎
発言しない方がいいですね、これね。

倉田
これは私の感覚だから、あれだけど・・。

大竹
でも奥様は心の広い方で収まって2人とも議員さんではいらっしゃらないけど、次の・・解散風も噂されているし。今なんで食ってるんですか、それじゃ?

議員でなくなった2人はどうやって稼いでいるのか?

宮崎
私はいま会社をやっています。

倉田
何の会社なんですか?

宮崎
子どもたち向けにプログラミング教室をやっているんです、お寺で。

大竹
フハハハッ(笑)

金子
何で笑ってるんですか?真逆な方向ですか?

大竹
いやちょっと(お寺で)反省会やっているのかな?と思って。それで金子さんは?

金子
私は企業の顧問をしたり・・

大竹
そうなの?それでお金は入ってくるんだ、2人とも。

金子
政治家のときの経験を活かして、IT関係の仕事をしていた時代があったのでその企業の顧問をしたりしてます。

大竹
お二人とも自民党二階派にいらっしゃるんですか?

宮崎
もともとは二階派にいました。私はいま派閥も抜けてます。自民党からも抜け・・。

大竹
ああ、派閥も許してくれないんだ。

宮崎
許してくれないというか、ちょっと距離を置いています。まだ冷却期間というか反省期間なんですよ。

大竹
じゃあ立候補はどうするんですか?

宮崎
私はしばらく・・今はビジネスも楽しくやってますし。

大竹
立候補はなさらない?

宮崎
まあしばらくは・・考えてない。

大竹
怪しいなあ、それは。その「しばらく」が怪しい。

宮崎
もう本当に人も巻き込んで事業もしていますので。

大竹
言い方が「人も巻き込んで」って(笑)

宮崎
もう本当に私のワガママに付き合っていただいて、そういう出資者、投資家の方もいらっしゃって。

(中略)

離婚しなかったことで「応援しない」と言われた


大竹
なんだ、時間いっぱいだよ!何も聞く前に。

倉田
不倫事件の話をけっこう微に入り細に入りうかがいました。

大竹
でも金子さんは次の選挙があったら、打って出ようと?

金子
いや私もそういう思いもあり政治の方にも思いもあるんですけど。実はさっきの話じゃないんですけど、離婚しなかったことで地元からはやっぱりダメだったりとか・・

倉田
どうしてっ!!!それは別に責められることじゃないでしょ!!

大竹
あっ、そう・・どうして、いいじゃないか!

金子
ところがこの人(宮崎)も応援とかで手伝いで入ってくれましたけど。宮崎の「み」の字でも聞こえるとか顔が見えたらダメだって言って「応援しない」ってハッキリ言われて。

大竹
それはまず地元を変えましょうよ。

倉田
それはちょっとどうなんだろう?それはどうなの!

大竹
それが金子さんのお仕事ですよ、たぶん最初の。

金子
難しいなと思いました。

大竹
はい、(時間)めいっぱいです。

倉田
ありがとうございました。

(了)

2018/10/28

コラムニスト・深澤麻紀が語る「学芸員は本当に頑張っているので、地元の博物館にまず行ってください」

今回は2018年4月25日放送「大竹まことゴールデンラジオ!」
「大竹紳士交遊録」深澤麻紀さんの回を起こしたいと思います。


深澤麻紀(以下、深澤)
今週お話ししたいのは、先週16日に山本浩三・地方創生担当大臣が滋賀県主催の「地方創生セミナー」の質疑応答があって。そこで「文化財観光をどうしたらいいですか?」って言ったところで・・

「京都の世界遺産・二条城は英語の案内表示が以前はなくて、去年まではお花も生けられなくて、お茶もできなかった。一番ガンなのは学芸員。普通の観光マインドが全くない、この連中を一掃しないと」と発言。

他にも大英博物館が改装したときに「学芸員が抵抗をしたけど、全員クビにして大改装が実現して大成功した」というようなことを質疑応答で・・

質疑応答って失言が出やすいんですけど。講演自体は原稿を用意していくんですけど、質疑はその場で聞かれることについてけっこううろ覚えのことを言っちゃうことがあるので私もよくそれがあるんですが。

大竹まこと(以下、大竹)
その大英博物館のってウソなんでしょ?

深澤
そうなの!だからセミナー後の記者会見でさすがに記者が問題だってそのときから思っていて「どういう意味ですか?」って聞いたら、

「今の学芸員は文化財だからと何でも反対する。だけど観光立国だと生きていけないから一掃は言い過ぎたけど、観光マインドは持ってほしい」と釈明。

それがすぐにニュースになったもんですから、さすがに翌日「適切ではなかった」と撤回しお詫び、だけど辞めません。官房長官も電話で注意っていうことで終わったんです。

太田英明
そもそも文化学芸員とおっしゃいましたけど、そんな肩書きの人はいないんですよね?

学芸員は国家資格、大事な仕事は文化財の保護


深澤
「学芸員」って国家資格なんですね。「学芸員」っていう国家資格があるんですけど、ただ山本大臣はここで終わらなくて、さらにこれがニュースになったときに山本大臣は二条城について事実誤認をしているという報道があったらまた18日に・・

謝った翌日に「記事の方が間違っていて、二条城は水や火が使えなくて昨年やっと花が生けられるようになったんだ」って発言したんですよ。

そしたら二条城がまた「いやそれ以前にも水や火を使うことはあった」と。だから裏を取ってないわけです。つまり1回失言したのはまだ許されるんですけど、それに対して報道が出て「いや、そんなことない」と1本二条城の人に電話をさせればいいわけですよね。

だからということは、反省してないわけです。1回謝ったことについて「いや、間違ってない」ってまた違うことを言う。

しかもさっき言った大英博物館についても当然新聞社が「こういうふうにうちの大臣が言ってるんですけど・・」って言ったら、

明らかな事実誤認で観光のためにスタッフを解雇したことはもちろんないし、そもそも根本的な建物の改装も・・大英博物館なんですよ、世界一の博物館ですからそんな大々的な建物の改装をすれば誰もが知ることなんですけど・・

大竹
改装もしてないの!?

深澤
大々的なね、リニューアルとかリノベーションとか細かい手直しはどんな博物館もしますけど。でもまあ大臣もまた発言を訂正したと。

大竹
すごいねえ。

深澤
本当すごいの、そもそも「学芸員」って皆さんあんまりご存じない。私が学生時代図書館の司書と学芸員があこがれの仕事だったんで、やっぱりやろうかな?と。

だから大学生のときに文系の学生が取れるのは教職と図書館の司書と学芸員。でもどれもやっぱり大変なんですよね。

大竹
難しいの?

深澤
そもそも普通に卒業単位を取らないといけない上に、2年間で何単位みたいなのを取らなきゃいけなくて。私はあんまり真面目な学生じゃなかったんで卒業単位も危なかったので。あと教科書も高いんです専門書だから。

「こんなの無理」と思って諦めたんですけど、ただ博物館法というきちんとした法律があって、あくまでもきちんと大学で所定の単位を取得するか試験に合格して・・だから国家資格です。

で、大事なことは博物館の資料を収集して保管して展示して調査・研究をするんですけど。いちばん学芸員の大事な仕事は何か?っていうと、とにかく文化財の保護なの。

日本って基本的に紙の文化じゃないですか?紙と木の文化だから、皆さんも博物館とかに行くともうびっくりするくらい虫に食われているいろんなものって見ますよね?

結局、日本は湿気も多いから虫とカビが大敵。もうすごい大変で日本の学芸員の方って温度と湿度と光の管理がすごく大変だったり、やっぱりあんまり古いものが残ってないんですよ。

なんでかっていうと紙の文化だから、燃えちゃったりとか。で、今残っているものをダメにしないで。例えば酸化しちゃうとかそういうことをしないっていうのがすごく大事な仕事なんですね。

最近だと明かりがLEDになったことで展示物が劣化しなくなったとかって。あそこから出てくる光の種類が変わるからっていうから、みんなLEDに変えたりとか。そういうすごく大事なことをされてて・・

保存をメインにしながらも、もちろん観光マインドっていうかね、博物館とか美術館に来てもらおうっていうことを頑張っているんですけど。

あと皆さんすごく誤解されてるんですけど、博物館に行くと膝掛けをしたお姉様とかおばさまが上品に座っていらっしゃる。あれが学芸員だと思っている方がいて「暇そうな仕事だな」と思っていると思うんですけど。

あの方は「監視員」と言って、だいたいパートとかアルバイトの方で。専門職ではなくてあくまでも皆さんが博物館で急にガムを噛んだりとか暴れたりするのを止めるためのお仕事なので。学芸員自体はもう死ぬほど忙しいお仕事なんですよね。

大竹
案内してくださる方は学芸員なんですか?

深澤
例えばツアーとかがあって「13時に今日博物館ツアーやります」とかそういうのはもちろん学芸員の方ですけど、どちらかというと表にいらっしゃるよりは企画をしたり世界中に借りに行ったり。

借りに行くのがものすごく大変ですし、運搬とかもプロの運送会社に頼むしかないですからね。

大竹
例えばピカソ展をやろうなんていうことがあったとすると、その学芸員の方が海外に行ってどういう梱包の仕方をして、どういうふうな船で安全で何日までに届くみたいな・・

前に何かの展示会みたいなのに行ったときに中国のがまだ届いてなかったことがあった。いろんな国のコーナーが埋まってたけど。中国のところは白い布がかかってたよ。「まだ始まってません」みたいなのだったよ。

最近の博物館は展示やイベントが面白い


深澤
でもね、その大事なものを貸してくれるためにはいかにキチンとして管理や保管をしてくれる博物館か?っていう信頼があるから貸してくれるんですよ。

ということは、向こうも必ず1回は来るんです。どういう貯蔵庫・倉庫なのか?とかどういうふうにちゃんと展示しているのかを見るわけだから。ものすごく大変な仕事なんですよね。

そういうお仕事に人にね・・まあガン患者にも失礼だし、あとね一番ひどいと思ったのが「こういう連中を一掃」こんなことをお仕事している人に言う言葉ですか?

そもそも図書館司書もそうなんですけど、学芸員も非正規で安い賃金で働かされているケースがものすごく多くて。だけどイベントはいっぱいやらなくちゃいけなくて、ものすごい大変なんです。

でもね、日本の博物館ってものすごく良くなってて、是非あんまり博物館行ったことがないよっていう方も国立博物館っていうのは東京だと「トーハク」(東京国立博物館)、京都だと「京博」(京都国立博物館)、奈良は「奈良博」(奈良国立博物館)、福岡は「九博」(九州国立博物館)

あとは東京の「国立科学博物館」(科博)とか大阪の「国立民俗学博物館」(民博)とか、千葉の国立の「国立歴史民俗博物館」(歴博)

もう素晴らしい、皆さんが若いときに行っていた「なんか面白くねえよ」ただただ石とか見させられるだけだみたいな。今は立体的なね、素晴らしいんですよ展示が。もう1日いても飽きないような。

頑張っている博物館のために芳名録に記入を


あと地方でもすごく頑張っている博物館がいっぱいあるので、あと小さい博物館って入り口に芳名録があることがあると思うんですけど。「良かったな」と思ったら、あそこに名前とコメントを書いてあげることが翌年の予算にすごくプラスになるんです。

はるな愛
えっ、そうなんですか!

深澤
だからあそこに置いてあるの!だから「これを見られて良かったです」とか書くと、何人もの人の役に立ってるということで是非書いてあげてほしいんですけど。

とにかくね、当たり前なんだけど学芸員という個人をディスるんじゃなくて国とか文科省とか文化庁がどういうふうに文化財を守るのか?とか、あと「博物館法」があるわけで学芸員はそれ以上のこと水とか火のことは決められないわけですよね。

あともっと言うと観光のことって実は文科省じゃなくて国交省の外局に2008年に観光庁が作られてる。だから観光庁のことあまりご存じじゃない方が多いんですけど。観光庁が主導になるべきなんですよ。

どう考えてもこの発言は国がどういう観光マインドを持つか?っていうことを言うべきなのに個人の専門職の人を叩くっていうのは今の安倍内閣の失言の特徴的なもので。辞めさせればいいのか?ってみんな言うんだけど・・

大竹
「この連中が金食い虫だ」って言ってるのね?

深澤
そうなんですよ、だからそれがおかしくて。やっぱりね、今の大臣の失言の問題は自分の職務の不勉強とか不誠実が問題なので、それはなんとかしていかないといけない。

とにかく学芸員は本当に頑張っているので、博物館にまず行ってください。地元の博物館は素晴らしいところがいっぱいありますからね。

(了)

2018/10/14

オール巨人が語る「自分の声に合ったネタをやっている」

今回は2018年1月10日放送「角田龍平の蛤御門のヘン」
podcast後半を起こしたいと思います。


こちらからの続きになります




角田龍平(以下、角田)
柳田さんすごい・・

オール巨人(以下、巨人)
ものすごいな!いや、びっくりするわ!

柳田光司(以下、柳田)
いやいやいやいや!

巨人
なんか本を出したりしてるの?

柳田
本も何回か・・そうです、そうです。あの、いいですか?どうせやから行っちゃおうかなと思うんですけど・・エムカクさんからも来てんねんね?


(エムカクさんを知りたい人は下のリンクをご参照に)



明石家さんま研究家・エムカクさんの「なんでそれを聞くねん!」

角田
エムカクさんっていうもう1人、柳田さんのライバルとされている演芸マニアが・・

柳田
この方は(明石家)さんまさん専門の方ですわ。

角田
さんまさんのことをほんまに四六時中考えている人で、さんまさんの発言を全部まとめてラジオを書き起こしてっていうことをずーっとされている方で。

その方も私の友達なんですけど、エムカクさんからいただいています。

エムカク(代読・角田)
巨人さん、はじめまして。僕は明石家さんまさんのことが大好きでさんまさんの歴史を綴った「明石家さんまヒストリー」という読みものを水道橋博士の「メルマ旬報」というメールマガジンで連載させていただいているエムカクと申します。

本日は角田さんのご厚意で巨人さんに質問させていただく機会をいただきましたことをたいへんありがたく思っています。

巨人
ご丁寧にありがとうございます。

エムカク(代読・角田)
早速ですが質問させていただきます。ご記憶にないこともあるかと思いますがお答えいただきますと幸いです。

柳田
長いな(笑)

巨人
はい、分かりました。覚えてたらね(笑)

エムカク(代読・角田)
ちょっと割愛してお聞きしますと先ほどもちょっと出たと思うんですが、さんまさんが東京へ駆け落ちしてエムカクさんの情報によりますと1974年(昭和49年)の9月ごろから昭和50年の3月ごろまで東京へ駆け落ちしていた時期があるそうですが、

その前後の同期の方、まあ巨人師匠や紳助師匠とかどういう思いでさんまさんのことをその当時は思っていらっしゃったのか?ということをお聞きしたいと。

巨人
「なんでいてへんのかな?」と思いながら、別に女の子と駆け落ちしたというのはあんまり僕らの耳には入って来てなかったんですよ。

なんか好きな女がおって追いかけていったって、駆け落ちというより追いかけていったと聞いたけどね。2人で行ったやなしに東京へ行ってしまって追いかけていったと。そう聞きましたけどね。

柳田
巨人師匠けったいなこと聞きますけど、ずっとけったいなことばっかり聞いてるんですけど(笑)

時期がさっき巨人師匠にお渡ししたファイルで、10月のなんば花月の上席がちょうど岡八郎師匠と(島田)洋之介・(今)喜多代師匠とWヤングさんと(笑福亭)松之助師匠が出てるんですよ。

よく紳助さんとか(パンチ)みつおさんがこのときに、これは言われてたからそのまま伝えますけども。実は松之助師匠が弟子っ子を集めて「実は杉本が出て行ったけれども、絶対戻ってくるから戻ってきたときには普通にしてやってくれ」と言われたと松之助師匠が。

そのときにもし巨人師匠がおられたら、ここ違うかな?と思って僕はポスターを持ってきたんですよ。このときに新喜劇に岡八郎さんと奥さんの青木(みき)さんがおられるんですよ。

巨人
あっ、僕の嫁はんね。

柳田
ちょうどこのころかな?と思ってね。東京でさんまさんが長嶋茂雄の引退試合を見てたっていうのはよく言われるんですよ。1人ボーッとパチンコで勝った小っちゃいテレビで。

だから10月は間違いないんですけれども、10月のこのあたりと違うかなと思っててね。

巨人
でもね、松之助師匠が弟子集めて「帰ってきたら頼むわな」っていうのは僕はちょっと記憶にないですね。あったんか分からへんけどね。

柳田
あっそうですか?紳助さんはよく言われるんですけどね。

巨人
ほんならあったんかも分からへんね。うちの師匠も忙しいもんでね、あっちこっち行ってはりましたからついて行かなあかんし。それは僕は参加してなかったと思います。

柳田
ちょうど「Wヤング」のパンチみつおさんも同じことを言われるんですよ。

巨人
ほんだら間違いないわ!

柳田
だからこれ違うかな?と思ってね。このなんば花月じゃないかな?っていうのがあってね。

巨人
それひょっとしたら嫁はんのところ行ってたかも分からへんな・・そんなことはない!(笑)

12月29日はオール巨人にとって鬼門の日?

角田
このときは奥さまとお付き合いはされていた?

巨人
えーと、いや12月29日ぐらいかな?その年の。そのときに「結婚を前提として付き合ってくれ」って言うたんですけどね。

角田
そんな明確に日付まで覚えていらっしゃるんですか?

巨人
そのあたりやったんですよ。

柳田
そのころですか?岡八郎師匠と「家族対抗歌合戦」に出られたのは?

巨人
そうですね、そのあとぐらいかな?

柳田
そうですよね?

巨人
岡八郎さんのいとこや言うて。顔が似ているからいうて出ましたね。

柳田
出られて、そのあとに車でちょっと事故起こされるんですよね。

巨人
そうです、そうです。

柳田
あれから師匠との絆が深まるという、確かそんな・・?

巨人
そうですね、普通やったら完全にクビですけどね。師匠の車に乗っててぶつけて廃車になったぐらいやからね。普通やったらもう完全にクビですよ、有無を言わさず。「やかましいわ、クビ!」って。よく話を聞いてくれはって。

柳田
それがすごいなと思ってね。

巨人
12月29日っていろんなことがあるんですよ、僕。嫁はんと同棲しているときに嫁はんがひったくりに遭うて金盗られて「どうして年超そう・・」とかいう2人で小っちゃいアパートで。

そのときそのニュースに載ったんですよ、小っちゃくね。「青木みきが盗られた」とかね。

それで前田五郎さんがみんなにカンパしてガーッて金を集めてくれはって「これでなんとかせえ」ってお金をくれはったんですよ。まあ20%ぐらい取ってはったかもしれへんけどね(笑)

柳田
いや、そんなことはないでしょ!あってもオモロいですけど。

巨人
いや五郎師匠も優しい方でしたから。それが29日でなんかあったら29日にケガしたり12月29日っていうのは案外僕の鬼門なんですよ。でもそれを言うたのは29日ですわ。「結婚を前提として・・」っていうのを。

柳田
その29日で思い出しましたけど、その次の年にエムカクさんから質問も来てましたけど
「スタジオ2時」(毎日放送)で巨人・阪神さんが年末の年忘れの漫才大会ありましたよね?それで優勝されたんですよ。それを僕は見てたんですけど。そのときの2位が「さんま・小禄」やったんですよ。(明石家さんまの兄弟子の五所の家小禄とのコンビ)

巨人
うわーっ!「さんま・小禄」ね、不思議な漫才でしたけどね。まあ噺家同士やけどね。

柳田
モノマネばっかりやり倒すみたいな。

巨人
それも12月29日ちゃう?

柳田
それも12月29日です。

角田
昭和51年の12月29日で、同じ質問がエムカクさんからも来てます。なんやねん、この2人は!

巨人
ごめん、3人しか知らんこと違うの?僕ら、エムカクさんと柳田さんと僕しか知らん(笑)

角田
僕は1976年の12月16日に生まれたので、まだ生まれて2週間ぐらいのときのお話ですよね。

柳田
この「スタジオ2時」の大会もいわゆる大阪では新人にとっては大きな大会やったんですよね?

巨人
はい、大きかったですよ。

柳田
10万円もらえるんですけどね。その次の年に紳助・竜介さんが出てくるんですよ、それで優勝するんですよ。でもなんか巨人・阪神さんの方が先に行ったなって感じは僕はしてましたね、子供ながらに。

紳助・竜介、NHKのコンテストで花束受け取らずの真相

角田
紳助師匠がNHKのコンテストで優勝できなくて、なんかトロフィーもらってそのトロフィーを捨てて帰ったみたいな話を・・

巨人
いや花束放ったというか、受け取らなかったね。2位やったんかね?

柳田
3位ですね。

巨人
ほんで僕らはもちろん観に行ってたのかな?「そんなんしたら、あかんやん」言うてんけどん「あかん、あかん!優勝違うかったらあかんねん」言うてたわ、鼻鳴らしてはったわ!ずっと、ちくのう症やったから。

柳田
今から考えたらやっぱり巨人・阪神の壁がでか過ぎたんやと思うんですよ。さんまさんが女性を追ったり、紳助さんがずっとこもって京都でなかなかデビューをしなかったのも。

角田
サパークラブで働いてらっしゃったって?

巨人
さんまさんの追いかけたのは全然関係ない。それは関係ない、もうただ女が好きで行ったりとか全然関係ないです。漫才やってから紳助は「漫才では巨人・阪神には勝てへんな」とか「真面目な漫才じゃ無理やなあ」言うて。

それで自分が1人になりたいからやけども、僕らがいてるしダウンタウンが出てきたから「俺の漫才の仕事は終わった」と。だから解散じゃなしに仕事が終わったんやと言うてやめましたからね。それで1人になったけどね。

柳田
なるほどなあ・・。

角田
いやー、柳田さんもよくご存じですね。やっぱりねえ。

柳田
もう時間が止まったらええのになと思ってますし。

巨人
ものすごい詳しいな、ビックリしますわ!

柳田
あと目が合ってないんですよ。急に老眼が入って、さっきから。

角田
おとといくらいから一睡も寝れないっていうLINEが来てたんですよ。柳田さんがもう巨人師匠に質問することを想像してて。

柳田
寝れないんですよ、熱うなってきて。

巨人
もうごめんな!病気にさせて。俺、人を病気にさすんと違うの?(笑)

柳田
いやもうずっといろいろ調べたいし、巨人師匠ところの資料部屋に入って全部整理したいぐらいやで。

角田
巨人師匠もすごい昔に出演された番組のビデオとか残してらっしゃいますもんね?

巨人
ビデオはもうほとんどある。最初になんかの番組で優勝した時にもらった賞金でビデオを買うたから。もうでっかいでっかいVHS・・あっ違う、ベータマックスか!あれガチャン!いうやつ、もう20kgぐらいあるやつな。

角田
当時は全然そういうのが一般的に家庭にない時代ですからね。

巨人
全然なかったです。

目標はあるけれど、影響を受けた漫才師はいない

柳田
巨人師匠ってそういう影響下ってあるんですか、漫才の?

角田
誰の影響を受けたか?ってことですかね。

柳田
あんまり分からないというか、ものすごい初めから巨人・阪神になってるんで。そういうビデオとか観られて研究されてるんですか?自分のを観られているんですか?

巨人
自分のを観ます。あの・・そうやな、そう言うたら別に大好きな漫才師っていなかったんですよ。

好きな漫才師はいとこい先生(夢路いとし・喜味こいし)とかね、あういう上品な漫才ができたらええなとは思ってましたけども。

そうですね、別に目標とかはなかったですね。ただデビューしてよく(海原)かける・めぐるさんに似ていると言われたから、「まあ、ここ(かける・めぐる)をまず抜いてとか」

「ザ・ぼんちさんを抜いて」とかそういうような目標は決めてましたけど好きな漫才師はいなかったですね。

柳田
もう入ってきたときからすごかったんですけれども、僕小っちゃいながらも巨人・阪神のすごさって音程の合わせ方がすごいなと思っていて。

僕ね、子どもがいるんですけれど。40年ぐらい前の巨人・阪神さんの例えば結婚式のネタがあるんですよ。

♪パパパパーン、パパパパーン、パパパパーン、パパパパーン(↓)って下げるっていうね、これを音だけで聞かせても当時2歳ぐらいの子どもが笑ってたんよ。

角田
そういう英才教育を施している!(笑)

柳田
そうそう施している。結局は、巨人・阪神さんって普通に文字に書いたら何にも面白くないやん!

巨人
まあ、そうですよね。

巨人・阪神の持ち味は2人の掛け合いのテンポ

柳田
それを音で、耳で聞いて阪神さんもやって巨人さんもやってっていう耳のすごさがすごいな!と思って。

あとね、これはものすごい今も言いたいんですけど。巨人さんが「僕たちはもうスピードがなくなってきたから、漫才はやめようか」みたいなことをこの間も八方師匠の番組で言うてはったけど。

今も聞いててそれがなんとも思わないのは、漫才ブームのときに(ビート)たけしさんとか紳助さんが「早い、早い」って言われてたけど。

僕は今でも思うんですよ、巨人・阪神さんのすごさって掛け合いのパスが早いのよ。だからたけしさんが1人でしゃべっててめちゃ早いのは分かるねんけど。

巨人・阪神さんってやりとりの・・サッカーで言うたらパスの出し合いのスピードがこんな人はいないのよ。これは今もいないし、おそらく向こう何年もいないと思う。

角田
ウーマンラッシュアワーの2人とかでも村本さんが1人でうわーっと。

柳田
あの早さやったらいてんねんけど、巨人・阪神のパスの出し合いのすごいサッカーを見せられたみたいな技術はないんで。

角田
そういう細かいパスを重ねてゴールするっていう。

柳田
そうそう、それは巨人さんも阪神さんもめちゃくちゃ上手いんでね。

巨人
まあしゃべりは本当に僕は特に早いんですよね。なんか原稿用紙で書き直した人がいてて、うちの漫才の1番早いときとそれと黒柳徹子さんのしゃべりの早いのんと原稿に書き上げたら僕のところの方がやっぱり文字数が多いねんて。

で、漫才の中で中堅で言えばウーマンラッシュアワーの村本でも、それから東京のトータルテンボスの大村くんの方とか、NONSTYLEの石田くんとか「なんでそんなにハッキリしゃべれて早いこといけるんですか?」と。

まあ今、柳田くんが言うたようにその合間が僕のところは短いんかも分からへんね。よく一番良い漫才師ってラジオで録ったときにハサミが入らないってカットできないという。

「ここを切ったらどっちかの言葉に引っかかるな」っていうのがそれを一番ええ漫才として昔から言われてますけどね。

師匠・岡八郎の漫才にそっくり

柳田
いわゆる師匠の岡八郎さんが漫才を組まれていたときの漫才がそういう漫才ですよね?

巨人
早いです。

柳田
早くて食い気味の漫才なんよ。だから出で立ちとか岡八郎が漫才やられてときとか巨人師匠とほとんどそっくりなんよ、シルエットが。

巨人
もう弟子のときからよく言われましたけどね。「もうそっくりや!」「どんどん似てきたね」とか。

柳田
あの食い気味にガッと入るところとか、すっごい似てるんですよ。

巨人
ずーっと似てたんですよ。盲腸やった時期も42歳でやったんやけど、そんなんも一緒やったんやけどね。でもうちの師匠はアルコール依存症になって脳挫傷になってそこだけは絶対に似んとこうと思ってね。

めちゃめちゃ飲んではったから、その飲むのも僕はある程度飲んでも3日休むとか。そういうふうにそういう身体の部分だけどは岡八郎に似んとこうと思ってね。それはもう反面教師みたいで。

巨人・阪神の声は今でも高い、その声質に合ったネタをしている

柳田
今も昔も巨人・阪神の声って高いのよ。高いから面白いのよ、声が。同じようなことを言ってても。

角田
私も40歳を過ぎてきたら漫才とか観てて、やっぱり音程とか心地よい音とかそういうのが変わってきた気がして。

柳田
メロディーが綺麗ですよね。

柳田
若いころはなんかシュールな感じが好きやったような気がするんですけど・・。

巨人
でも1つ言えると思うよ。僕のところの漫才は割とポンポンと早いし、それでネタも軽いネタをしゃべっていくわけやんか?

例えば(大木)こだま・ひびきちゃんのこだまさんなんか、あういうネタの中でそういう声が合うてくるんですよ。

のりよし(西川のりお・上方よしお)さんがよう自分勝手にのりおさんがしゃべってはりますやんか?あれはのりおさんがガラガラ声であれでいいんですよ。

あれを軽い僕らの声でやったら、あかんと思うねん。だから漫才の色にも声が・・僕のところに声に合うたネタをやっているので。

柳田
あっ、そういうことかあ・・。

巨人
だと思いますよ。

柳田
声質ありきでネタをやってはんねや!・・分かります、かもしれないですね。

巨人
そうか分かりません、こういう声やからこういうネタを作ってしまうっていうのもあるか分からん。

声質が悪くても露出が増えれば聞き慣れる

柳田
紳助さんも生で聞いたらすごい通りづらい声なんよ。でもそれを早くしゃべったり遅くしゃべったりすることでピッチを調整しはるというかね。

さんまさんも(笑福亭)鶴瓶さんも声質は決して良くないからね。それを遅くしゃべることによって聞きやすくしたりね。

巨人
それとね、露出の問題ですよね。さんまさんも鶴瓶さんも紳助さんも、ものすごい出てたでしょ?紳助なんかも最初「何言うてるか分からへん」って先輩らに言われてました。

それからどんどんどんどん紳助がしゃべってることをテレビ・ラジオで聞くやんか?ほんだらね、分かってくるんですよね。

角田
耳が慣れてくるんですかね?

巨人
例えば家におばあちゃんがいてるとするやんか?おばあちゃんがハッキリしゃべらへんねんけど自分とこの家族は分かるやん?近所の方に「あんたとこのおばあちゃん何をしゃべっているか分からへんな」となるでしょ?

違うねん、家族には分かるようにたくさんたくさん言葉を聞いてくると分かってくるんですよ。だからウーマンラッシュアワーの村本なんかでもそう、最初全く分からへんけど最近聞こえるからね。

角田
聞き取れますよね。

巨人
というのはね、彼のしゃべりはあんまり変わってないと思うんですがこっちが慣れてきてるんですよ。

柳田
スピードラーニングみたいな(笑)

巨人
そうそう、聞き慣れる?それがあると思う。

角田
ウーマンラッシュアワーの2人が年末に「THE MANZAI」で時事ネタをされたのをご覧になりました?

巨人
ああ、知らない。

角田
アメリカの基地問題の話とかっていうのを・・

巨人
それは村本が勝手にしゃべるやつ?そしたら今、劇場でやってるやつかな?

角田
劇場でもあのネタやってるんですか?

巨人
村本1人がバーッとしゃべって・・それはもう劇場でやってる。この間西梅田花月で一緒やったんですよ。僕らの前がウーマンラッシュアワーでグワーッやってんねんね。まあままウケてるんよ。

アカンねん、出て行くやろ?それに釣られるねん。また僕らも早くなってまう。

角田
そういうもんですか?

巨人
めっちゃ早くなってまう。でもお客さんは村本の早さを聞いてるから僕らの早さには十分ついてきはるねん。だからやりやすいねん。

一番困るのがゆっくりやられる漫才のあと漫才するのが・・パンッと早いこと行ってしまうとお客さんが「うわっ、早い!」と引きはるねんね。

だから自分らの出る前の漫才のテンポとかいうのを考えて、しゃべり方を最初出るときしゃべらなあかんねん。いろいろありますね。

柳田
もう「プレイボーイ」で書くこといっぱいありますね(笑)

巨人
いや、もうないん違う?

柳田
まだまだ!いま一番面白いコラムやから。

巨人
いやそうかな?安いギャラでやってますけどね(笑)

M-1などでの審査の基準は上手さや練習量でない

角田
でもあういうM-1の審査員とかされてて、僕らテレビで観てるのと現場で観られているのと全然違うと思うんですけれども。

巨人
全然違います!

角田
どこを一番重視されて、点数を付けるときっていうのは、巨人師匠の中での配点の?

巨人
まあ今M-1で残ってる子は全部上手いわ。もう上手さをどうのこうのじゃない。上手さは同率と思って、そうすると何がおもろいのか?と。

さっき言うたように銀シャリなんかでも僕らに考えられないようなネタをやってくれる。そういう驚き、サプライズのネタ。そういうのを見ますね。

笑いの多さももちろん、あんまりおもろかってもテンポが・・100点のネタが3分に1回だけやったらあかんね。それやったら90点のネタを3分に5回の方がいいわけですし、そういうところを見ますね。

お客さんのウケ方もあんまりこれは重視しないんですけど、僕は。そういうのを見ますね、昔は練習量とかも見てんけども・・今はもう全員が練習やってるから。練習量が全部見えてまうからね。

そんなんをもう点数に入れている場合と違うなと。最初の方のM-1は違うかったけどね。「どんなに練習をやってんねん?」と。キングコングなんかもうやり過ぎと違うか?いうくらい早かったからね。

やり過ぎてもアカンねん、あれねえ。野球でもそうやと思うよ、間違った練習やってもなんぼやっても上手くならへんやんか?バッティングとかなんでも。

角田
逆に慣れすぎてしまうっていうことなんですか?

巨人
そうです、お客さんを置いていってしまうというときもある。

柳田
すごいなあ・・。

巨人
そうか?(笑)

柳田
やっぱりすごいのよ。ずっと思い返してみたら、阪神師匠でも20歳ぐらいで・・まあそれは2年も3年もやってはるからやねんけど、いわゆる笑い待ちとかやってはったもんね。

角田
笑い待ちをする10代!

柳田
それでそれを見ていた僕もいてたけど。

巨人が阪神以外の相方を選ぶなら・・

巨人
それは昔、僕らは笑い待ちできない・・今でも割と詰めて笑い待ちをせんと行ってしまうタイプなんですけども。(海原)お浜・小浜師匠の小浜師匠、肥えた方でね。

角田
(海原)やすよ・ともこさんがお孫さんの?

巨人
あの方に「巨人・阪神さんちょっと早いよ」って「面白いねんけども、笑い待ちしなあかんよ!」って言われたんですよ。そこからちょっと「あっ、そうかな?」と思って考えたことはあります。

小浜師匠はお浜師匠と別れはったときに、もういっぺん漫才するんやったら誰がいい?って聞かれて「巨人さんやったらやる」って言うてくれはって。もうこんな光栄は話はないですよね!

角田
今、巨人師匠がもし阪神師匠以外のどなたかとコンビを組みたいと言ったら・・

巨人
いや、俺は漫談する!1人で!もう誰も組みたくないですね。

柳田
いや寂しいな、それは。

巨人
いやもう阪神くんは素晴らしいですから。

柳田
売れ続けているコンビやからね、もう漫才師で言うたら前人未踏やから。1人やったら鶴瓶さんね、もう全然ずーっと売れている人。

角田
だからもう僕もほんまに子どものときから、もう物心ついたときからずーっと出られてて。まさか自分が高校生になったときに弟子につくとは思ってなくて。

あれから24年ぐらい経ってラジオでご一緒させていただいてというのはもう今日のこの同録は家宝にさせていただきますんで。

これナイターオフでやってますけれども、今日終わっても本望といいますか・・

巨人
また2,30年したら柳田くん「こんなんありますねん」って(笑)

柳田
いやいや、また寄せて下さいよ。全然2ページしか進んでないですよ!

巨人
ああ、ごめんごめん!

角田
柳田さんがオール巨人さんの年表を作ってこられたんですけど、まだ昭和54年までなので。

柳田
しかも今日、昭和49年しか行ってへんやん!

角田
あと40年分の話をお伺いしないといけないんで。

巨人
いっぺん今度KBSの特番で7時間ぐらいずーっとやって。

KBS京都での生放送でのケンカ

角田
KBS京都で2人ですごいケンカをされたこともあったって?

巨人
ありました、本番中生放送でケンカして「もうしゃべらへんど」「しゃべるな!」言うてしゃべらへんかってん、ずーっと。

柳田
僕ずっとそのテープを聴いててん。聞きすぎてテープ切れて兄貴にボッコボコにど突かれた。ちょうど(太平)サブロー・シローさんがゲストに出てきて、ちょっと阪神さんも同級生やからテンションおかしかってん。ちょっと格好つける感じやってん。

角田
シローさんと阪神さんが同級生なんですよね。

柳田
そしたら巨人師匠がなんと怒らはってん「ちょっと格好つけ過ぎ違うか?」言うて。そしたら阪神さんがウワーってキレて黙って・・あれはすごかった。

巨人
ケンカの原因まで覚えてるの?俺はハッキリ覚えてない!(笑)興奮してるからね、そのとき。

角田
柳田少年も四十何年後にこうやって、巨人師匠ご本人に疑問を聞けたっていうのは?

巨人
こんなほんまに素晴らしい方、研究やられる方がいてはるっていうのはこっちがありがたいです。

柳田
いやいや、まだまだあるんで。

角田
40年分あるので、また。

巨人
はい、呼んでください。

角田
今日は本当に90分ありがとうございました!

(了)

ポッドキャストにはこのあと放送後の感想が語られています。
続きも面白いので下のリンクから聴いてください。
https://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/hen/2018/01/hen_078405.htm

2018/10/06

島田紳助研究家・柳田光司による「オール巨人師匠になんでそれを聞くねん」

今回は2018年1月10日放送「角田龍平の蛤御門のヘン」
podcast後半を起こしたいと思います。

前半のこちらからの続きになります
漫才師・オール巨人が語る「チャック・ウィルソンに相撲で負けたことがいまだに悔しい」


角田龍平(以下、角田)
この後はですね「巨人師匠になんでそれを聞くねん!?」ということでこの番組にはものすごい演芸マニアの方が2人ほど携わっておりまして(笑)

オール巨人(以下、巨人)
なんでそれを聞くねん?

角田
「なんでそれが気になるねん!」という質問を・・

巨人
あっ、そういうことね。

角田
ということで私の隣にいらっしゃるのが柳田さんという。

柳田光司(以下、柳田)
はじめまして、柳田です。

巨人
いや、ちょこちょこ会うてます(笑)びっくりするほどヘビーなお笑いのファンですよね?

角田
すごいんですよ。もう何歳から?

柳田
えーと、巨人・阪神さんを観てもうデビューの年から聞いてたり観てたりしますんで。

角田
今日も巨人・阪神のお二人がデビューされた昭和50年の朝日放送のラジオの・・?

柳田
昭和50年の「フレッシュリーグ」っていう一番最初の巨人・阪神の賞レースのタイトルの音源が兄貴が録っていたのがあったんで・・

巨人
あっお兄さんが?実はさっきあれ聞かせてもうて、いやもうちょっと恥ずかしいぐらいの・・

柳田
いや、むちゃくちゃ上手いですよ!

巨人
いやいや、よう言うわ。でもあれ1年目で本当はあの番組はM-1の前進なんですよ。ラジオからABCのお笑い新人コンテストになって。それのデカいのがM-1やから、言うたらね。

角田
まあでもM-1も今って結成15年までっていうことで中堅と言ってもいいぐらいの方が出てらっしゃると思うんですけども。さきほど柳田さんにお持ちいただいた音源とかはもう本当の1年目ですよね?

柳田
半年ですよね?

巨人
7月に出て11月が12月やったと思うねん、あれね。

角田
本当なら流したいぐらいですけど、あのテンポで1年目で・・ちょっと度肝抜かれて。

柳田
声も高くってね、すごいですね。

角田
そういう音源をいっぱいお持ちの柳田さんから・・

巨人
すごいね、ほんまに四十何年ぶりに聞いたわ(笑)

角田
巨人師匠もお持ちでないんですよね?

巨人
持ってない、持ってない。全然持ってない。

柳田
ちょうどあの大会にさんまさんも出れる予定やったんですけど、東京に行かれて・・決勝では戦わなかったっていう幻の一戦やったんですよ。

巨人
まあ東京行かれたというか、東京に女がおって女を追いかけていったんですよ。

角田
駆け落ちされたんですよね?

巨人
駆け落ちみたいなもんですね。

柳田
そうですよね?いや「そうですよね」って僕そこまで知らないですけど(笑)

今日はもう巨人さんのこの機会にいっぱい聞きたいことがありまして。

巨人
あれ、さんまが行っていたらさんまが優勝していたかも分からへんね。僕ら優勝してんけどね、そのときは。

角田
そのときはさんまさんは落語で出られて?

巨人
もちろん。

柳田
予選があるんですけど勝ってたんですよ。2ヶ月か3ヶ月に1回だけ大会があるんですよ。それを勝ったやつが年間の12月に戦う。

角田
チャンピオン大会みたいなのがあるってことですか?

柳田
確かさんまさんは9月の大会に勝ってるんですよ。勝ったあとに東京に行くんですよね、確かそんなんやったと思います。

巨人
どんな女やってんやろうな?よっぽどええ女やってんやろうね。

柳田
夏祭りのときに知り合ったみたいですね。

巨人
すんなり・・よう知ってるなあ自分!僕はね、その女の子を見たことがないねんけどね。

うちの嫁はんも吉本興業におって、僕よりちょっと先輩の新喜劇におってんけど。いつもさんまのことを「こら出戻り!出戻り!」言うてうちの嫁さんがさんまに言うとったからね。さんまより先輩やったからね(笑)

角田
その駆け落ちしたときのことを指して、戻ってきて?

巨人
そうそう。駆け落ちして帰ってきやったんですね、さんまがね。頭下げて「もういっぺんお願いします」言うて。そのときにうちの嫁が「こら、出戻り!出戻り!」って。

九州巡業での島田紳助との出会いについて

柳田
今日、巨人師匠にいっぱい聞きたかった1つがそれで。実は巨人師匠が吉本にはじめて来られたのが昭和49年の7月24日が岡八郎さんと出会って次の25日から入門されたと思うんですけど・・

巨人
そうですね。

柳田
そのちょうど2ヶ月後ぐらいに九州の巡業で紳助さんと会われるんですよ。

巨人
はいはい、そうですね。

柳田
そうですよね?それが初めてですか?

巨人
いやその前から紳助とは楽屋で会うてたと思うよ。(島田)洋之介・(今)喜多代師匠のお弟子さんで毎日ついてきてたからね。

会うてたけどもゆっくり話をやんのは、その巡業のとき。10日間ほど行ったんですよ。

柳田
それはずーっと調べていったら9月1日から10日ぐらいなんですよ。

巨人
そのくらいですね。

柳田
そうですか?いやこれ裏があって、実は8月いっぱいまで喜多代師匠と洋之介師匠が漫才で出番に出られてるんですよ。それが下席で9月に入っての11日からまた出られてるんで、空白の10日間があるんですよ。

柳田さんのフィールドワークは江戸城まで網羅

巨人
たぶんそこですね、ほんだらね。

柳田
宮崎県ですか?

巨人
九州は間違いないけど、宮崎やったかな?あのー・・宮崎だけではないと思う。途中いっぺんね博多に行ってるんですよ。

博多行って初めてね、これは言うていいか分かりませんけど・・うちの師匠方全員?言うても5,6人やったけど要するにソープランドに・・

柳田
(食い気味に)そうですよね!

角田
それも知ってるんですか!?

柳田
「江戸城」ですよね?

巨人
うん、「江戸城」それは博多でしたからね。そうなると、宮崎でもないねんけどね。だからぐるーっと回って行ったと思う。10日間やから。

柳田
僕ね、実は巨人師匠けったいがらんといて欲しいんですけども。その「江戸城」も調べたんですよ。巨人師匠でどこへ行かはったんかな?と思って。

それが宮崎やったんですよ、僕が知った「江戸城」が。それで「江戸城」ってチェーン店なんですよ。巨人師匠の本とか言動でマッチを持ってはるっていう「江戸城」の。

巨人
今でもある、日記に挟んでる。

柳田
一回また調べて欲しいんですよ。

巨人
当時、旅日記書いててん。ずーっと毎日書かへんねんで、旅に行ったときのことだけ書いとくとかそういうのをやってて。

柳田
いや僕その日記がすごい知りたくって!

巨人
ああ・・見せられへんわ。違うねん!何が見せられへんってね、恥ずかしいねん。間違いの字ばっかりやねん、誤字ばっかりでもう・・それと・・あれもあるなあ・・出番表みたいなのがあったん違うかな?

柳田
うわー、見たいなあ。

巨人
あったらまた持ってくるわ。

角田
こういうことばっかりされてるんですよ、柳田さんっていうのは。

巨人
なんでそんなんしてんの?おもろいか?(笑)

柳田
いやいや、あのねこれ真面目な話を言いますと・・僕ね、巨人・阪神さん、紳助・竜介、さんまさんとかその昭和49年代のその方のすごさは皆さん分かっていると思うんですけど、

どういうふうにすごいか?とか、あと紳助あんな形で辞められたんで僕はちゃんと伝えたいんですよ。めちゃくちゃすごかったっていうのを理屈でも伝えたいし、事実として伝えたいんですよ!

巨人
めちゃくちゃすごかった!さんまと紳助は。まあ紳助の話になりますが、僕が吉本はいる前にテレビに出たら「ただいま恋愛中」だったんですよね。「ただいま恋愛中」は誰やったかな?

柳田
仁鶴師匠と・・

巨人
きよし師匠でやってて、それで出てくるんですよ長谷川公彦(島田紳助の本名)って言うて出てくるんですね。

その女の子、全然覚えてないんですよ。出てきてしゃべりよるんですよ。それがめちゃくちゃおもろいんですよ!

柳田
やっぱり、そうなんですか?

巨人
それでそのときも紳助はとにかくテレビに出たいっていう子で。その女の子も彼女でもなんでもないから「お前来てくれ」と言うて応募して行って、それで予選通ってもうめちゃくちゃ面白かったんですよ話が。

「こんなおもろい奴おんねんなあ」と思って、それで吉本入ったらそいつがおったんですよ。「あなたですよね?テレビ出てはったん?」ってまあ向こうが先輩やから。

「そうそうそう、俺!俺!」言うて・・「うわっ、こんな奴と戦わなあかんのかな?」思うて、ものすごかったよ!

柳田
紳助さんが出られたのがちょうど3学期なんですよ。高3の3学期なんですよ。時系列で言うと、よく紳助さんが言われるB&Bを見た後に自分が漫才師を志すんですけど。

その間に1ヶ月間くらいあるんですよ。まあ親も説得せなあかんし、師匠も説得せなあかんという。

その間に2本テレビに出られているみたいで。それでおそらく腕試しをされていたんじゃないかな?っていうね。

巨人
はあー!なるほど。僕はその「ただいま恋愛中」だけを見たんですけどね。

柳田
あと「ナイトパンチ」出てはったんですよ。「ナイトパンチ」の最後の30秒の自己アピールするやつで裸になってボクシングの真似してはったんですよ。おそらく僕はそれは兄貴と見てたんですよ。

角田
そのときおいくつですか、柳田さん?

柳田
僕だいぶ若いですね。

角田
若いっていうか、子どもでしょ!?(笑)

柳田
小学校入る前ですね。

巨人
45年ぐらい前やで(笑)

紳助・竜介をツッパリ漫才へ移行させたのも巨人の影響!?

角田
さきほどの九州の巡業のときのお話なんですかね?お風呂で巨人師匠と紳助師匠が一緒になってっていうお話を・・

巨人
そう、もうみんな師匠方が寝てから僕らお風呂入って。紳助と話し合って「長谷川くん」「南出くん」って。

そのときに「モノマネできんのん?南出くんモノマネ上手いらしいね」って言うて「うん、ちょっとできるねん」「やってみてーな」言うて僕がモノマネをばーってやったんですよ。

そしたらお風呂やったし、割と響いて上手いこと聞こえたんですよ。紳助はほんまはモノマネ実はものすごい得意なんですよ。得意なんですけど僕のモノマネを聞いて「これは辞めよう」って思ってんて。

だから人にないものを探すのが彼は上手くって。自分でよく僕に言うてましてけど「すき間芸人やねん、俺。すき間すき間に入っていくねん。そのすき間が案外おもろいことあんねん」って。

だから「王道を行くよりかはすき間を行く」ってあいつは言うてましたね。

柳田
でもあの巨人・阪神さんの漫才を見たらほとんど埋まっちゃいますからね。

角田
昭和50年の段階で同期であういう漫才をされたら、紳助師匠がツッパリ漫才をされたのも必然というか・・

巨人
そうなんですよね。だからないもの当時ツッパリ漫才なんかあらへんやんか普通のしゃべくり漫才の上品な漫才ばっかりやったやんか?

僕らもモノマネを入れてちょっと変わったのをやってましたけれども。紳ちゃんは何をやるかな?と思ったらそうなったんでしょうね。

柳田
だから世間一般ではツッパリ漫才ってすごいすぐに出たみたいになってるけど、紳助さんって3年間くらいかかってますよね?あそこに到達するまで。

巨人
かかってるかなあ・・?

柳田
そうなんですよ、デビューされて1年間ぐらいはほぼほぼ巨人・阪神さんとかサブロー・シローさんのいわゆるオーソドックスな歌ネタみたいなのがあったんですよ。

「お笑い歌手志願」ってネタがあったんですけど。紳助・竜介さんはそれを1年間ずーっと繰り返すんですよね、ウケようがウケまいが。それで基本的なことを身につけてヤンキーのネタみたいなのに入るという。

巨人
それ相方は竜介やった?

柳田
竜介さんですね。

巨人
紳助は違う人間といっぺん組んどったんですよ。

柳田
3人目らしいですね。

巨人
うん、最初はおもろなかったんですよ。でも紳助のネタはおもろいんですよ。だから相方が下手やからおもろなかって、まあ竜介も下手やってんけどね(笑)亡くなった方にこんなん言うたらいかんけども。

めちゃめちゃ閣ネタがおもろかったから紳助に「お前、俺の専属の作家になってくれ」って僕が言うたことがあってん、いっぺん。

角田
そうなんですか?

巨人
ほんまに、それで紳助の家に行ったらめっちゃネタ帳がいっぱいあるねん。それで折れ線グラフ、棒グラフが壁に貼ってあって。

それぞれに「笑福亭仁鶴師匠がこんな人間」とかね「やすし・きよしさんはこんな人間」。「やすきよさんは京都の料理にそっくりや、器でもの食わす」言うてね(笑)

そんなことをよう書いてあったわ!おもろかってん!みんな。

角田
それを柳田さんは紳助師匠が「漫才の教科書」っていうのを作ってらっしゃったみたいで。それをテレビとかラジオとかでよくおっしゃっていたことを柳田さんが聞いて勝手に復元しているんですよ。

だから今、巨人師匠がそのおっしゃってたことを想像で・・だから今の部分ですよね?柳田さんが聞きたいことっていうのは?

柳田
そうです、そうです。いやまあそこを聞きたいんですけど、直接聞くと野暮やし・・本当は見せてほしいんですけれども。断片、断片を拾っていって合わせていったどうなるのかな?っていう。

巨人
ああ、そういうのが楽しいんでしょうね。やってて。

柳田
まあそうですね。

角田
考古学者みたいなことをされているんですよ。

巨人
なるほど、継ぎ足して(笑)

柳田
でもその時系列を踏んでいくと、巨人・阪神さんがいかにすごいか?っていうのはすごい分かって。まあ客観的にはなかなかなれないとは思うんですけれども。

巨人
いやでもね、最初にも言うたけどね。ライバルに同期にすごいやつがたくさんおって良かったと思う。それはもう宝やね。

柳田
同期の方ってたくさんおられましたけど、全員辞められたんですか?

巨人
そうですね、(前田)一球・写楽・・

柳田
当時の広瀬さんですよね?(前田一球の本名)

巨人
写楽はまだいてるけどね(吉本新喜劇の「しゃーやん」として)、辞めましたね。阪神ちゃんに聞いたらみんな分かるんやけどね・・ほとんど辞めましたね。結局残っているの昭和49年やったら僕のところだけでしょうね。

柳田
あとは(桂)小枝さんと・・。

巨人
まあそれは噺家さんですからね、漫才としてはもう誰もいてないかも分からんね。

柳田
こればっかり聞いているのもあれなんですけどね。当時、吉本興業って漫才師やってる方と巨人師匠みたいに岡八郎さんにつかれている方は新喜劇なんでちょっと隔たりみたいなのがあったってよく聞くんですけれども?

あういうな感じでは大丈夫やったんですか、巨人師匠は?

巨人
僕は全然なんともなかったですね。逆に岡八郎の弟子であるから漫才の方に行っても「岡八郎さんの弟子やから」言うて大事にしてもらえるとかそれはあった。うちは師匠の力は大きかった。

「岡八っちゃんの弟子やで、あの弟子なかなかしっかりしとんで」言うて、もう師匠にも恥をかかせられないからね。よその師匠のこともいっぱいやりましたよ。

柳田
年齢がかなり高いんですよね?高校卒業されたから・・やっぱりそれは大きかったんですかね?そうでもないですか?

巨人
それもあるし、いろんな商売人やってましたから。いろんな得意先行って、いろんなオバハンの話を聞いて。いろんな人生経験って大げさには言いませんが2,3年やっぱりそういうことをやってましたからね。

他の若い弟子よりもしっかりしてましたからね。それはありましたね。

年下のオール阪神とコンビを組みことについて

柳田
そんな巨人師匠がかなり下の(年齢の)阪神さん、高校生の方と組まれるというのはかなり違和感はあったんじゃないですか?

巨人
まあ「組みましょうか?」という形やなしに「組め!」って言われたからね。その「ヤングおー!おー!」のプロデューサーに。「お前その背の高いのと低いの、組んだらどうや?」と言われましたからね。

アマチュアの番組の予選に行ったときにバラバラでみんなしゃべってモノマネやって漫談やってってやったら「そんなんお前らのもんバラバラに聞いてられへん」そのプロデューサーが林さんっていうんやけどね、もう亡くなりましたけども。

「その背の高いのと低いのと漫才やれ」って急にやれって言われて、それでやったらエラいウケてしもうて。

柳田
その日に?へえー。

巨人
モノマネのやりあいをやったんですよ。それがもう会場大爆笑になって、それでそのプロデューサーの林さんが「吉本行け!」と。

柳田
すごいですね。

角田
もうデビューからずっと第一線でっていう印象なんですけど、やっぱり新人で出てきて阪神師匠とかって10代でなんば花月をトリを?

柳田
19!19歳・・

巨人
えーと、なんばは無理やった、京都の正式トリは18歳か19歳くらいだったんと違う?

柳田
すごいですね。

巨人
あれは抜かれへんわ、絶対!「りあるキッズ」(2014年解散)いう漫才出てきたけど、あんなんもう全然アカンし、おれへんけどな(笑)

角田
そのときに先輩からの風当たりというのは強いものがあったんですかね?

巨人
全然それは感じなかったです。全然感じなかった、そりゃこっちに岡八郎という師匠がいてるからか分かりません。それで真面目に弟子をやってきたからかも分かりませんね。「あの子は割としっかりしてる子やで」というふうに言われましたからね、本当にね。

角田
「よしもと黄金伝説」の再放送をやってまして、そのときに(西川)のりお師匠が巨人師匠に昔、巨人師匠の方が後輩やのに「(のりお)兄さん嫌われてまっせ」って言われたっていうような・・

巨人
僕わりとね、そういうことを言いに行くやつでね・・あかんのよね。

角田
前に(桂)文珍師匠にも言われたっておっしゃってましたよね。

巨人
文珍さんにも言いました。(桂)文枝師匠にも昔言うたんです(笑)

角田
すごいですよね。

巨人
いやそれはね、「どういう評判ですよ」っていうのをお伝えに行かないといかんなと思って・・ハハハハハ(笑)

角田
今そんな若手の芸人さんいないですよね?先輩に「嫌われてまっせ」って・・。

柳田
でもそれが言える環境とか愛嬌とかもあったんじゃないの?

横山やすしにも物申すオール巨人

角田
それがすごいなあというのと、それこそ「モーレツしごき教室」のときに(横山)やすし師匠にも物申すことがあったって前におっしゃってたと思うんですけど。

巨人
やすし師匠はちょっと物申す前にネタ振りがちゃんとあんねんけどね。やすし師匠って車が大好きでポルシェ買うたりセスナ買ったはって、アメリカでポルシェを買わはったんですよね。

アメリカから送ってもうて、アメリカに日本人やけど寿司屋やっている人がいてるんですよ。その人のお金を当時借りて全然返さへんかったらしいんですよ。

それをテレビの本番で言うてしまって、生放送で。それを師匠が見てらして電話かかってきて「こらっ、巨人!」って。また当時全国ネット「2時のワイドショー」かなんかやねんけどね、テレビ本番中につないだんですよ。

「こらっ!巨人!」っておもろいと思ってテレビでつないだんでしょうね。で、僕は向こうももちろん大先輩やし「ああ、すんません」って。

「俺、ちゃんと金を払うとんじゃい!こらっ、見てもないのにエラそうに抜かしやがってアホンダラ、カス!」って。「すみません」「謝って済むんやったら警察いらんぞ」ってバーって言われたんですよ。

でも払うてはらへんの知ってたから、その番組は僕が後輩やから申し訳ないけど謝って抑えててんけども。次に会うたときに「師匠ほんまは払うたはりませんやん!」と。

「今度あんなことあったら師匠に『メガネ外せ!』言いますからね」って言うたんです。

それから次の日から「おらっ、巨人!巨人!」って言うてたのが「巨人さん、巨人さん、巨人くん、巨人ちゃん」ってなったからね。

それは悪口でもなんでもないんですよ!それだけ面白い人やったんですよ、やすし師匠ってすごい人やった。阪神くんに土下座しているの見たことあるからね(笑)

実はキレたことはないオール巨人、キレたら怖いオール阪神

角田
えーーっ!阪神師匠、実はキレたら怖いですよね。何度か弟子のときに阪神師匠がキレてることを見たことがあって。巨人師匠は怒らはることはあっても師匠がキレてるところって見たことないんですよ。

巨人
そうですね、あんまり大きな声で「ボケ、カス、コラーッ」と言うたことはないです、僕は。阪神ちゃんの方はちょこちょこある。

もうタクシーの運転手さんにキレるときあるから「オラーッ!」って。それは向こうのタクシーの運転手さん悪かったからね、僕も乗ってたから。「それは運転手さん、あかんな」と思ってんけどね。

角田
阪神師匠はやすし師匠にもそのときキレたような形?

巨人
いや、やすし師匠にはキレたというか・・やすし師匠にちょっとお金を貸してはったんですよ。それを約束を守らんと返してくれはらへんかって。

で、「待っとけ、こらっ」言うてやすし師匠が「ちょっとこっち来い!」言うて。角曲がったところで土下座しはったらしい(笑)

柳田
ハハハハハ、面白いなあこういう話は。

角田
格好いいですね、僕プロレス好きなんですけど。アントニオ猪木さんも弟子に土下座とかすることがあるらしいんですけど、なんか前田日明さんに一回謝ったことがあるらしくて。だからそういう英雄的な人はそういうこともする野かな?っていう。

巨人
だからほんまに自分が悪いと思ったときは土下座しても謝るという、そういう姿勢なんでしょうね。それが男らしいと言うたら男らしいのかも分からんけども。

本当はね、借りたもんは返さないといかんねんけど。買うたものは払わないかんねんけども。

今では考えられない!?正月の劇場楽屋

柳田
やっぱり巨人師匠が入られたときの吉本とか花月の雰囲気というのは今では考えられないような・・お金が飛び交ったり?

巨人
あのー、はい楽屋では麻雀それからこいこい、トランプみんなやってはりましたよ。麻雀台とかちゃんとあったし各部屋に。もうどこでもこいこいの札はありました。

柳田
そこには巨人師匠とか紳助さんはハマらなかったんですか?一応、避けていたというか・・

巨人
あのー、よく・・時効になります・・か?

角田
大丈夫です。

巨人
きよし師匠とかさんまとかウワーッと売れてお金もらったときには、よく正月なんかにはやってましたね。正月トランプでブラックジャックとかそれからポーカーとか。

柳田
正月の花月は面白かってね。

角田
みんなお酒飲んでやってたとか?

柳田
お酒飲んで出てきはるというかね、面白かったですよ。

巨人
うん、舞台でおしっこチビったやつおったから(笑)芝居でヤマナカさんやったかな・・ちょっと先輩やったけど。ベロベロで出て行って台詞もあんまりない。

舞台にある屋台に横で立ってるだけやねんけど、ジャーって「小便してるで!」言うて(笑)

柳田
いい時代ですよね。

巨人
で、よく(林家)小染師匠が裸でシンバルだけで・・今のアキラ100%みたいにシンバルで隠して舞台出てきはったときはありましたね。「酔うてんねん、ごめんなぁ」言うて(笑)

柳田
小染100%

角田
じゃあ平成の小染師匠なんですね、アキラ100%は。

巨人
シンバルやからでっかかったから隠しやすいんですけどね(笑)それはよくありましたね。

角田
なんか牧歌的な時代といいますか・・。

巨人
いや、ものすごい良かったと思いますよ。

柳田
面白かったー、入れ替えとかもなかったですもんね。1千円くらいでずっと見れんねんやもん。

巨人
出てきて裸でシンバルで隠してるんやけど、チラッと見えたりするんやけどね。そんなん今、写メ撮られてみいな大変なんで。

角田
そうですね、SNSにアップされて。

巨人
そんなん何もなかったからね、スナックの遊びでもヒドい遊びみんなやってましたからね。

そんな中でも休憩時間にはネタ合わせを

柳田
それはあれですか?4時間くらい間がありましたよね、当時の花月って?やっぱりその間は巨人・阪神さんは練習ですか稽古ですか?

巨人
稽古の時間が一番多かったですね。毎週毎週「ヤングおー!おー!」でネタやらなあかんとか、割とネタの番組がめっちゃ多かったんですよ。
ラジオでもやらなあかんとか。

柳田
「笑の会」も出てはりましたもんね。

巨人
「いい朝8時」の毎週の何分とかね、そんなのもあった。割とネタ合わせをやってましたね。

柳田
僕ね、巨人・阪神さんを夕方見るのが好きですね。昼見て夕方見るのが、ネタをやっぱり変えてくれはるんですよ。

おそらく今から考えるとこういう業界やると、いろんなネタをせなあかんからやってはったりしたん違うかな?って。

巨人
そう確かめてたか分かりませんね。ちょっと掛けてたというかね、練習に。

柳田
よく巨人師匠って花月で・・今はやってはるのか分からないですけど、よく靴を飛ばしてくれはるんよ。ツカミで。

巨人
あーはいはい、新婚旅行のネタやったときね。あるある。

柳田
それがもう好きでね!めっちゃ好きで。

角田
柳田少年は。

巨人
その連続3夜のときもやったけど、上手いこといかへんかってちょっとガックリしてた。「上手いこと飛ばへんかったな、靴がちょっと小っちゃかったなあ・・」

あれ大きめの靴はいとかなあかんから。それで飛ばす前にちょっとかかと脱いどかなあかんねん、それいろいろあるんですよ。

柳田
もう1つ聞いて良い?

角田
はい、どうぞ。

M-1の敗者復活組に熱くなるのはNHK新人賞がきっかけ?

柳田
巨人・阪神さんってね、いわゆるエリート。もちろんものすごい漫才エリートとして来るんやけど。僕ね、師匠ものすごい印象的なことがひとつだけあって。

実は紳助さんが目指したNHKの新人賞があって、そのときの予選で巨人師匠は覚えてはると思うんですけど・・当時「課題漫才」というのと「オリジナル漫才」というのがあって

巨人
ありました、ありました。

柳田
NHKって「課題漫才」って人が書いた漫才を上手くこなせるか?っていう検査もあって、そのときに阪神師匠がネタを飛ばさはったと思うんですよ。

巨人
そうですね。

柳田
それで予選を本来ならば本命視されていた巨人・阪神が落ちるん違うかな?みたいなドキドキがあって、それは子どものとき巨人・阪神は1年目のときですよ。それを兄貴と言うてて。

でも復活当選して勝って、巨人・阪神4連覇ぐらいするんですよね。1年目でABC・・

角田
ああ、各局のコンテストを?

柳田
読売とか前人未踏の4連覇ぐらいをするっていうすごいのがあるんやけど・・

巨人
自分ら兄弟で漫才やったら良かったのに(笑)

柳田
あの戦いでいつも巨人師匠がM-1グランプリで敗者復活戦の人にものすごい熱いのは、自分のあの経験から違うかな?って。

角田
ああ、今年(2017年)もスーパーマラドーナのお2人にメッセージを送っていらっしゃいましたね。

柳田
あれがなければ今の巨人・阪神はない可能性もあるんよね。その予選で落ちてたら・・。

巨人
あのー、運が良かったんですよ本当に。予選で落ちて阪神くんが止まってしまってネタ忘れて。

柳田
10秒ぐらいね。

巨人
そのときに阪神くんは「俺やない」と思っててんって「相方、巨人が間違えてる」って。

僕は阪神くんが間違えてるの分かっててんけど、助ける力がないんですよ。デビュー1年目ぐらいではね。

ちょっと10秒ぐらい空いてしまって落ちたんですけどね、それで次点になって。

(予選を)通っている8組の中の1組が幸之助・福の助さんっていう方が辞めはってん、決勝までに。トップ当選の人が。

そこに僕ら入れてもろうてん。それで決勝で優勝してん。

角田
決勝は自由演技というか規定じゃないということですよね?

柳田
「ぼくは同級生」っていうネタで。

巨人
いや当時のNHKって「規定漫才」と「自由漫才」2本やらないかんねん。

角田
フィギュアみたいなもんですね。

巨人
そう、でも「規定漫才」ってようあんなん考えたねえ。審査員ずーっと同じネタ聞かなあかんねんで!審査員やったら、俺断るわ。

上手い漫才師になるには人の書いた漫才をこなすこと

柳田
でもねその決定的に紳助さんと違うのは、むかし読売新聞の記事でちょっと忘れましたけど・・「笑の会」ってあったんですよ。

「笑の会」というのはいわゆる漫才作家が書くネタを巨人・阪神さんが自分らで稽古してやるんですけれども。

あるときのインタビューで巨人師匠がもう当時20代前半の方が「いや違います、人の書いた漫才をいかにこなすかでないと、漫才は上手くならないから僕たちは1年間『笑の会』にいます。」って言うてはったんですよ。

これが巨人・阪神の原点と違うかな?って思ってね。

角田
憶えてはりますか?

巨人
言うたことは憶えてないけど、そういう考えでしたね。自分で書いたやつはめちゃめちゃやりやすいんですよ、自分のしゃべりやすいように書きますから。

人の書いたものってめちゃめちゃやりにくいんですよ。それをやっていかな将来何十年とできへんなと思っていました。

角田
ちょっとまだまだお話をお伺いします。

(続く)

2018/09/18

漫才師・オール巨人が語る「チャック・ウィルソンに相撲で負けたことがいまだに悔しい」

今回は、2018年1月10日放送「角田龍平の蛤御門のヘン」
podcast前半を起こしたいと思います。


角田龍平(以下、角田)
ハマグリスナーの皆さん、こんばんは。京都御所は蛤御門前KBS京都ラジオからお送りしております。

ヘンな事件やヘンな人を弁護する「蛤御門のヘン」今夜はお正月特別企画ということで、お年玉スペシャルゲスト!

私が41歳になった今もいまだお年玉をいただいている方をゲストにお越しいただきました。オール巨人師匠です!

オール巨人(以下、巨人)
こんばんは、巨人です。よろしく!

角田
あけましておめでとうございます。

巨人
おめでとうございます、よう頑張っているなあ。

角田
いえいえ、もう今日はちょっと極度の緊張で見舞われておりまして・・。

巨人
何を言うてんねんな!気楽にやってください、僕は気楽にしますのでよろしくね。

角田
先月も私の誕生日のときにメッセージいただきまして。

巨人
そうそうそう、なんか他のくるよさんの番組で来たときちょっとディレクターに頼まれて「ちょっと録ってえな」言うて。

そんなん簡単なことやからね、なんぼでもやらせていただきますよ。

角田
私も41歳になってしまいまして・・

巨人
うわー、前厄やな。来年危ないで。

角田
でも数えで去年42だったんですね。

巨人
えっ、それややこしいことよう言うねんな。41、2、3とかなあ。

角田
よく分からないんですよ、自分がいま本厄なのか?後厄なのか?なんなのかも。

巨人
えーと八光が今年42とか言うてるけど、八光と一緒?

角田
八光さんより1個学年が上なので、だから後厄じゃないですか?

巨人
そうかも分からへんね・・あの・・どこまでしゃべっていいか分からへんけど。

角田
大丈夫です。

コンビ2人もグチャグチャな中での三夜連続3席漫才

巨人
「厄」っていうのは病気したり怪我したりとか言うけども。

逆にぎょうにんべんの「役」とかそっちの方がつくことがあって、めちゃめちゃ仕事ができるというか売れるときがあるねんてね。

八方さんがそうやってんって。他に42歳で売れてるのは、この間ある僕が出たテレビでやってたんやけど。

やっぱり42歳でグワーッと行った人がようさんいてると。八光もそうかも分からへんね。

阪神ちゃんは去年60歳で男の厄ど真ん中でもうグチャグチャなってましたけどね。

角田
メニエール病とかで?

巨人
昨日ちょっと僕、占いが大好きで調べていたらね。

去年の阪神くんどん底やわ、やっぱり。僕はあと2、3年大丈夫やねん。

角田
でも去年、巨人師匠も頚椎の手術をされて?

巨人
まあこれは去年手術やったんですけれども、それは別に一昨年やってその前にやっても、5・6年前から悪かったからね。

角田
そんなにずーっと調子悪かったんですか?

巨人
うん、それでまあ自力でなんとか治るかな?とか。自然治癒力ってあるやんか?それで治そうか思ったけど、やっぱアカンな(笑)

角田
でも師匠だったら自然治癒力強そうですもんね。

巨人
骨の異常はやっぱりちょっと無理やね。「これはちょっと変形は削ってもらわないとあかんね」って医者に言われてそれで削りましたけどね。

角田
でもその満身創痍の中、去年の夏3夜連続漫才ってされたじゃないですか?

巨人
これはほんまに阪神くんの調子の悪い、僕も首が悪くて手動かへん。だから首に湿布貼りながら3日間やりましたけどね。3本ずつね。

角田
いや僕もあの3日連続見に行かせていただいたんですけど。ちょっとなんか単純な表現になっちゃうんですけど、すごくて!

巨人
そうか?

角田
いやすごかったです!舞台袖で3日連続見せていただいて、それで15分の漫才を1日3本を3日連続で間にトークも入れてっていう形で。

そういう体の調子とかっていうのを聞いてましたんで、その中であの漫才をされるっていうことがすごいなあっていう。

巨人
過去ずっとやってきた慣れたネタばっかりやったんですけども。ただネタ合わせの時間に50?60時間やりましたね。

ほんで狭いところ入ったら阪神くんメニエールやから頭が痛くなるとかね、声が響いてネタ合わせできないんですよ。

だから広いところでネタ合わせせなあかんとか、ややこしかったんですが。なんとかまあようやれましたなと。

体型が変わらないオール巨人

角田
いやーでもね、もうすごかったです・・圧巻というか。私もその舞台袖で見てたんですけど。

まず舞台に上がられるときの後ろ姿というか・・私がもう弟子について二十何年前のときと全く一緒というか、格好いいなっていうちょっと小走りでセンターマイクに向かわれるじゃないですか?

巨人
自分の出て行く姿を見たことないねんけどね、これ本当に割とみんなに言われるんですよ。

「巨人・阪神師匠が出て行くとき格好いいですわ」ってある後輩何人かにも言われているんですよ。「出て行くときだけかい!」っていう話やねんけどな(笑)

角田
もう惚れ惚れと見てまして・・巨人師匠とかそれこそ私が18歳の時に弟子につかせていただいたときと体系的には全く変わっていらっしゃらない?

巨人
そうですね、体型はほとんど変わりませんね。

角田
すごいですね、僕はもう41歳になってもうこの有様というか・・

巨人
ちょっと肥えたな、アカンでアカンでそれ!

角田
いやだいぶ太りましたね。

巨人
どんどんどんどん病気が溜まっていってるんと違うか?

角田
どんどん顔が丸くなっていって・・(笑)もともと大きかったんが去年、娘が産まれて健康優良児で丸々太ってて「パパに似てる」って言われるのが嬉しくてちょっと寄せていっているところも(笑)

巨人
お前が寄せていっているのか(笑)

角田
嬉しくてどんどん丸くなっていっているんですけど、考えたら赤ちゃんってこれからハイハイしていって締まっていくじゃないですか?

でも僕はハイハイしないじゃないですか?

巨人
第一、産まれた時に子供って細い子はいてへんよ。だいたい丸顔ですよ。

角田
その中でも殊更に丸くて、もうパンパンなんですよ。

巨人
でもええやん、健康優良児最高や、一番ええことやもん。

角田
まあでもそう考えたらすごいなっていう今66歳ですよね?

巨人
66歳になりました。だから去年65歳のときにやったんですが。阪神くんが60歳で。

でもねDVDが3枚あるんですよ。自分で帰ってみんな観たんやけどね、やっぱり3日目が一番気が楽にしゃべってね。3日目の漫才はものすごい気が楽に見れた。

やっぱり2日目が「明日もあるのんか・・」と。初日は気合入ってできてんけどね。3日目がめっちゃめっちゃ自分で「ああこういうふうに気楽にやったらええな」と思って

全部観たんやけどね、直すところまだまだたくさんあったね。「ああ、ここはアカンわ」「これはこう喋らなアカンわ」「ネタ振り長いわ」とかね。

なんかね、43~44年やっているのにまだ反省してますね。

角田
それで巨人師匠がすごいと思うのは・・何年か前にお酒ご一緒にさせていただいているときに、ふとおっしゃったのが銀シャリのお二人の漫才がすごい面白くてそれが悔しかったっておっしゃってて。
未だにその感覚があるというのが・・

巨人
やっぱりね、僕らに考えられない漫才やられたり面白いツッコミやられたりすると、「うわっすごいな」っていう拍手を送りたいんでうけどね悔しいところが出て来ますね。

「なんで俺らにこれができへんのかな?」とかそれはある。

古今東西の漫才ベスト3に「銀シャリ」を選ぶ

角田
週刊プレイボーイで連載されているじゃないですか?あの中で古今東西の漫才でベスト3の中で・・

巨人
若手を入れないとあかんなと思って、最初は「いとし・こいし」「なんと雄二・ミヤコ蝶々」師匠やと思うんですが。3本目に銀シャリを入れたんですが。まあ銀シャリがちょっと頭出ていたかな?と僕は思って、僕が観た中ではね。

ただ方一方のツッコミだけ上手いとかネタ振りだけ上手いっていう人は他にもいてますけどね。

まあ総合トータル、ボケの鰻くんとツッコミの橋本くんものすごい上手いけどバランスが取れててねいいと思いますよ。「銀シャリ」っていう名前どうやって決まったか知ってる?

角田
知らないです。

巨人
鰻と橋本が名前をつけるときに、個人個人で考えてこようといっぱい名前を考えて来たんですって。それぞれその中に合わせたときに2人とも「銀シャリ」があったんやって!それで「銀シャリ」にしようかと、これまたすごいよね?

角田
すごいですね「銀シャリ」なんてそんな一般的な言葉ではないんですよね。普段使う言葉では。

巨人
そりゃ「銀シャリ」いう名前を自分の漫才師の名前にしようと思えへんわ。

角田
それを偶然コンビでっていうのは・・すごいなあ。

巨人
考えてたらしい両方ともあってんて、中に。

角田
そういう意味では師匠への質問でリスナーからいただいているのがございまして、こちらは北海道の50代の男性からいただきました。今「radiko」というのがございまして、北海道とかからも聞けるんですけど。

巨人
あーはいはい、たまに聞く聞く僕も。タブレットでradiko聞きますよ。

角田
この方は名前はひろちんさんです、ありがとうございます。

質問
巨人さんがゲストということでこれを質問していただきたいです。「ヤングおー!おー!」で全国から募集してコンビ名が決定したときの正直な気持ちを教えてください。

オール阪神・巨人というコンビ名について

巨人
あーなるほどね、これ5千通くらい来たんですよ。当時「ヤングおー!おー!」ってものすごい視聴率があって、毎週30%でおおいときは50%くらい行ってたんです。

角田
そんなおばけ番組だったんですか!

巨人
その中で5千通来ていろいろ「ビックコミック」とか僕が南出で阪神くんが高田やから「なんでこうだ」とかいっぱいあって。

「阪神・巨人」っていうのは何通かあったんですよ。でもその中で「オール」という屋号が付いてるがなかなかなくて。

で、付けたときに「僕、本当は阪神ファンやから巨人嫌やな」と思いながらしゃあないし。「まあ体がでかいから、そういう意味でええやん」っていうて付けたんですけども。

そのときかいしゃの偉いさんが富井さんっていう方がいたはったんですが、もう辞めはったんですが。

その人が「ええやんこの名前で、わけのわからんけどその名前で。売れへんかったらまた変えたらええがな」ってこんなんでしたよ(笑)

これほんまに会社の偉いさんが言いましたからね。「売れへんかったら変えたらええねん」って。

だから嫌な感じはあんまりなかったですけど、ただ阪神ファンやから嘘をついてるなみたいなことで。「僕は巨人ファンです」ってずーっと言うてましたからね当時は。

それである日から「ほんまは阪神ファンですねん」言うて「嘘つき!」って言われたことはありますけどね(笑)

角田
最初はやっぱりしっくりこない部分とかもやっぱり?

巨人
なんかねえ、当時も「やすし・きよし」さんとか「いくよ・くるよ」さんとか「たかし・ひろし」さんとかそういう普通の名前やったからね。

「阪神・巨人」って・・それで巨人は良かったんですけどね。阪神球団から文句が出かけたことがあったんですよ。

角田
ああ、そうだったんですか?でも今やったらもっと問題になりそうですよね。企業名が付いているんで、何年か前の高知東生さんが「東急」って書いてて東急電鉄からクレーム入って訴訟沙汰になったようなことがありましたよね?

巨人
今やったらちょっと無理かもわからへんね。ただね、びっくりしたのが「オール阪神」っていう会社あるねんな。阪神くん全く関係ないねん。

阪神地区のことをぜんぶやっているっていう「オール阪神」っていうところあんねん。びっくりしたわ!名刺もろうて「オール阪神です」って言われて「えっ!」って(笑)そんな会社もあるよ。

角田
でもそれは阪神師匠がまずありきでしょうね、きっとね。

巨人
先に阪神の方が出ていたと思う。40年前にあった会社ではないと思うけどね。

円満破門した弟子・有吉をライバル視する同期・堀之内

角田
でも私の兄弟子の堀之内さんって柔道整復師されている、あの人も巨人師匠のお名前から「ジークラス」っていう会社を巨人(GIANT)の「G」で巨人一門っていういみなんですかね?「巨人クラス」っていう形で会社されてますけどね。

巨人
ありがたいねえ、なんかね。でも上手いこといってるからええやんな。

角田
堀之内さんちょっと最近調子に乗ってるっていう、びわ湖放送・BBCで番組出てはるんですよ。

巨人
なにしとんねん、あいつは。そんなん全然聞いてへんで僕!

角田
師匠には隠しているみたいなんですけど。

巨人
この堀之内っていうのは皆さんご存知かどうか分かりませんが・・有吉って僕の弟子が・・まあ今はもう円満破門したんですけどね(笑)

角田
円満破門ってあるんですか(笑)

巨人
「もうお前もいつまでも言われていたら嫌やろ?」「俺もいつまでも言うの嫌やから」って言うて会ったときに「円満破門や」って言うて。

で、堀之内くんと一緒に有吉くんをテレビで取ったんです。

角田
「EXテレビ」ですね、紳助さんと上岡さんの。

巨人
その昔は「11PM」って言うてた番組ですね。あれで取ったんですけどね、その片割れが堀之内くんで・・ラジオ出てるの?

角田
ラジオじゃなくてテレビですね、

巨人
テレビ!!

角田
それでまた上の弟子の「コラアゲンはいごうまん」さんが大阪で独演会するときに誘ったら、「すいません、その日ロケですわ」って断られたっていう(笑)

巨人
調子乗っ取るな(笑)

角田
コラアゲンさんが怒られてて「兄さんまた出してあげますわ」って言われたらしくて。上から言うてたっていう(笑)

巨人
全員でいっぺん行きましょう。

角田
行きましょう、BBCで。その堀之内さんが未だにありよしさんをライバル視してるんですよ。

巨人
言うてるね。

角田
もう漫才やめて20年以上になるのにライバル視してて。前にお話したことがあるかと思うんですけれども。

有吉さんがとんねるずにお二人の番組でジャンケンに勝ったらおごらないとあかんみたいな・・自分で高額なものを買わないといけないっていう「男気ジャンケン」っていう

あれで128万の時計を買わされたことがあって、その翌日にそれを見ていた堀之内兄さんが同じ時計を買ったっていう、全く同じ時計を買ったっていう。

巨人
それを買えるのもすごいやんか。まあ有吉は全然そんなこと知らんと思うわ。ライバル意識を持ってられることをね。

でもそんなんようあるよ。高校のとき同級生の男の子がね、高校出てから漫才師になっていくやんか?それで僕の高校のときにそんなライバルでもなかったんけど勝手にライバルやと思うて・・

「俺は巨人に漫才に負けへんねん!」言うてね、どんどん会社が大きなったやつがおる。

親戚の兄ちゃんも僕が漫才やって売れていって、自分の会社まあ親戚の南出って同じ名前やけどね。そこの会社を大きしていった人もいてる。「親戚には負けへんで!」言うて。

角田
堀之内さんの原動力もたぶんそれなんでしょうね。

巨人
だから最終的には有吉に感謝しなあかんのちゃう?よう悪口ばっかり言っとったけどな(笑)

角田
よう見てますよ、いまだに。

巨人
いまだに!嫌いやのに見てるの(笑)

角田
いやあのね、たぶん好きやと思うんですよ。

巨人
いっぺんどっかで会わせたったらええな。

角田
でもなぜか有吉さんも時計を買っていることをご存知のようで、マツコさんとやっている番組あるじゃないですか?

あれで僕と同期の子が僕と同じように時計を買ってるみたいな話をされてたことがあったんです。

巨人
どっかから回っていくんでしょうね、話はね。師匠が知らんのにな(笑)

へーそうですか、でも良かった良かった。そういうライバルは持った方がいいよ。

僕なんかが弟子のときにライバルというのは、紳助さんがおって小枝さんがおって、さんまがおって。この4人が昭和49年に入ったからすごいライバル意識があって、

それでみんなめちゃめちゃ面白かったんですよ、ホンマに。さんま・紳助なんかめちゃめちゃ面白かったんですよ!弟子のときから。長谷川くんと杉本くんやねんけどな。

これが面白かってねえ・・「こんな面白いやつに負けられへんな」言うて全員が同じ年代に入った人間が頑張って。

紳助がよう言うとってんけど「車のレースに例えたら、僕ら3・4台が早かったと。ずーっと3人、4人が走っとったと。周回遅れでみんな後から付いてきたと。それで途中に小枝さんがおった」と。

だからさんま、紳助、僕はめちゃくちゃ早いこと走り過ぎたんやと。「でもライバルがおったから走れたんやと思うよ」っていつもよう言う

角田
いやでもすごいお三方ですよね?

巨人
そうですね、吉本興業としては豊作の年ですね、昭和49年はね。

角田
でもその中でも巨人・阪神のお二人はドラフト指名やって、よく紳助さんが「ドラフト1位で吉本に入団したんや」っていうのは。

巨人
素人番組出てるときにさっき出ましたけど「ヤングおー!おー!」という番組があって、

そこのプロデューサー一番上の人に見つけられて「お前ら素人か?」「はい」「そしたらお前ら吉本入れ」って言うてスカウトされたんですよ。それで吉本はいったんですけどね。

明石家さんまも阪神・巨人のファンだった

角田
もう素人の時代からヤンタンに出られてたんですね、三枝師匠の?

巨人
出てましたね、アマチュア番組にはちょこちょこ出ているときに「なんか面白いから『ヤングタウン』にって・・でもヤンタンってすごいよね?だからレギュラー持っていましたよ。

角田
阪神さんとかまだ高校生やったんですよね?そのとき千里でホテルに泊まって朝そこから高校に行ってたってこの間おっしゃってましたね。

巨人
あったかもわからへんね。そうか夜中帰られへんもん、あいつ泉大津やから。

角田
そのヤンタンをまだ素人のときのさんまさんが聞いていらっしゃったっていう話も聞いたんですけれども。

巨人
さんまはね、ホンマは巨人・阪神のファンやってんけどね。それは初めてさんまと吉本で会ったときに「南出くん、高田くんファンやってん!」って言いよったんやけどね。

それから一言もファンやっていうことを言わへんね、あいつ。どこで会うても、それで昭和49年やねんけどあいつは4月ぐらいに入ってるねん、吉本にね。

それで僕らは7月に入ったから、3ヶ月後やからこういう世界は1日でも先に入ったら先輩でしょ?だからさんまはお兄さんなんですけれども、僕はその前に噺家やってて僕ね。

だから僕の方がホンマは先輩なんですよ!

角田
噺家の世界でいうと。

巨人
ようするにこの芸の世界でいうと、だからさんまは「俺の方が先輩や!」って言うねんけど、「いや、お前は違う!絶対俺より後輩や!」

「いや、吉本入ったときから人生は始まんねん」とかよう分からへんこと言いよんねん、あいつ(笑)

だからいまだにさんまは僕のことを「後輩や、後輩や!」って。「落語やってるときは違うこっちゃ、それはアマチュアや!」とかね、認めませんわ。

角田
なんかテレビで拝見してても、巨人師匠はさんまさんのことを「さんまさん」っておっしゃるときが多いと思うんですけど?

巨人
最初は「さんま兄さん」って言ってましたね、吉本入ったときは先輩やったからね。「さんま兄さん」「小枝兄さん」「紳助兄さん」って言うてました。

角田
でも年齢でいうと巨人師匠が一番上?

巨人
一番上ですね。

角田
それでこういう質問も来てたんですけれども。ふんどしフリルさんからいただきました、ありがとうございます。

質問
巨人さんが2018年のいま漫才師になりたい高校3年生だとします。養成所のシステムはありません。そうだとすれば、高校卒業すれば巨人さんは誰の弟子になって漫才師を目指しますか?

香川照え(以下、香川)
すごい質問(笑)

巨人
はっはあー・・今?

今現在、弟子入りするなら誰に?

角田
今ですね、NSCとか養成所もないという設定で。

巨人
「ならない」とかいうのでなしに「なる」として・・誰の弟子?・・誰の弟子に行くんやろう?今は弟子を取らんからなあ・・

角田
ちなみに今はいらっしゃらないんですよね?

巨人
僕は今はいないです。誰の弟子に行くんやろう?まともに考えたことはないけども・・いやー、松竹に行くかかな・・?

角田
えっ、それはなんでですか?競争率?

巨人
松竹の方が師弟関係がしっかりしてそうに思うし。だから「はるか・かなた」さんとかね、大事にしてくれそうですよ。優しいし。「たかし・ひろし」さんとか。

香川
そういう絆を求めてっていう?

巨人
吉本は・・「(ハイヒール)リンゴ・モモコ」言うてもなあ・・「こだま・ひびき」ちゃんかあ・・吉本ではちょっと見当たりませんねえ。行くんやったらいっそのこと西川きよし師匠かな?

角田
この間も新年会にいらしていて。

巨人
ちゃんと律儀に必ず来てくれはるからね、ありがたい。

角田
何年か前にきよし師匠にはじめて、弁護士になってからご挨拶を・・新年会のときですかね?させていただいたときに「弁護士の角田と申します」って言ったらきよし師匠が「一方的に存じ上げております」って言われまして、そんなわけないじゃないですか!(笑)

僕のような人間に「一方的に存じ上げております」って言われて「すごい人やな!」と。

香川
かなりの国民が知ってるわと。

巨人
ものすごいおもろい言い方やな(笑)あんまりおもろい言い方しはらへんねんけどね。

角田
どう考えても知ってるじゃないですか?いやすごい人だなと思いましたね。

巨人
まあきよし師匠かもわからへんね。でも僕が最初に弟子を取ったのが生意気にも程があるなあ・・32歳ぐらいでした。

角田
城戸兄さん。

巨人
この間、来てましたけどね。九州の大分から新年会。

角田
「未来世紀01」ってコンビでやってましたねえ。

巨人
「未来世紀01・02」か。

角田
32歳ですか!?

巨人
32歳、だからいまもう銀シャリとかその辺はもう40歳手前やろ、みんな?あそこらへんでも弟子を取らへんやんか、みんな?もう32歳言うたら今デビューしたての漫才師やで。それが弟子を取ってもうてん・・生意気なことしてましたね。

角田
でも僕らが子どものときのイメージから言うたら、もう物心ついたときに「巨人・阪神師匠」だったんですよね。

巨人
何なんでしょうねえ?

角田
だから僕はその「人間マンダラ」で高校生のときに初めてお会いしたときが、ちょうど今の僕ぐらいの歳なんですよ、巨人師匠が。42歳ぐらいで。

もうそのときのことを思い出したら、よく堀之内兄さんとも会ったら喋るんですけど。「今の僕らぐらいの歳やってんで、弟子付いてるときに巨人師匠は」とかって言うて。

「いやー、僕らヤバいなあ・・この風格の無さは」っていうことをいつも言うてるんですけど(笑)

巨人
いやいや、風格なんて全くないんですよ。やっぱりいつまで経っても、昔はじめて会うたこととか世話になった方は大きいものに見えてしまうよ。

角田
・・・・・・いやぁ・・そうとは思えない、本当に。僕ら17歳とかのときで、だからいまだにその巨人師匠と紳助師匠の迫力というか、恐いとかいう意味じゃなくて・・っていうのは弁護士業務とかしてても、あまり会わないんですよね。それですごい助かってるというか・・。

巨人
ハハハ(笑)・・あのー、ホンマにあの時期やっぱりね、50歳過ぎぐらいまでは「よしやるぞ!」っという気持ちがメチャメチャありましたからね。

だからその紳ちゃんなんかでも、例えば「人間マンダラ」いう番組やったけども。「マンダラ」いう番組もものすごい力を入れていたし。いろいろあれ20%を取ったことがあるんですよ、昼の番組やのに。

角田
そうですよね、日曜日のお昼で。

巨人
それで20%取ったらお金が出るとか金一封とかそんなことがありましたから。それにも目標があったし・・とにかくやる気満々でしたね、あのとき。やる気満々・遊ぶ気満々・勉強する気満々でしたからね、はい。あの気持ちはどこに行ったんでしょうね(笑)


チャック・ウィルソンとの戦いはいまだに悔しい

角田
いやでも師匠、55歳まではそういうお気持ちやったっておっしゃってたんですけど。この前、去年ふぐ料理に連れて行っていただいたときにお酒飲んで巨人師匠がおっしゃっていたのが・・

20年以上前やと思うんですけど「オールスター感謝祭」でチャック・ウィルソンに相撲で負けたことをいまだに悔しがっていらっしゃったんですよ。だからすごいなって思いまして、それが。

巨人
あれは、そうなんですよ・・チャック・ウィルソンねえ。もう目を見たら恐いぐらいな人やったんですけど。

角田
元グリーンベレーって一説には聞いたことがあるんですけども?

巨人
そうです、そうです。ものすごい(相撲の組み合いで)いい所を取れたんですよねえ。ええとこ取れてその体勢でいっとったら勝ったか分からへんのですよ!前褌(まえみつ)取って、いまだに思い出しますけどね(笑)

角田
だからそれをそのとき師匠がおっしゃっていて、あのとき蔵間さんが行司役やったんですよね?

巨人
そうなんです、僕の大親友。白血病で亡くなりましたけどね、ちょうど大震災あったときの後にすぐ亡くなったんですけれども。

角田
そのときに「蔵間さんが『あれは巨人の相撲やった』って言うてくれてたんや!」といまだにおっしゃっているのを聞いて・・

巨人
そう!「あのままなんでお前行けへんねん!」言うて。

香川
その技術がすごいですね、前褌取りにいけるっていう(笑)

巨人
取れてんけどね・・それで前褌取ったときに足が見えたんよね、チャックの足が。「この足を取ろう」と、なんで足を取ろうと思ったんかというと・・その前の年に吉本興業の関西の相撲大会があったんですよ。

その相撲大会で決勝で文福さん(桂文福・吉本随一の相撲通)と当たって、僕と。僕は文福さんに負けたんですよ。それはね、ええ体勢やったんですけど文福さんに足取られてんですよ。

それでその「足を取ったら勝てるん違うかな?」と思って、そのチャック・ウィルソンさんの足を取りに行ってしまってん。だからあの相撲が布石というかね、負けた足を・・

香川
ハハハ、相撲取りの発言(笑)

巨人
俺、相撲取りの親方みたいになってるやん(笑)

角田
だからそれをいまだにおっしゃってるのが、やっぱり巨人師匠すごいなっていうか・・

巨人
でもあのとき勝っていたら、もう伝説の男になってるからね。負けてしまったけども。チャックに勝ったら大変なことですよ。

角田
何年か前のお正月にダウンタウンの浜田さんと志村さんの番組でリアクションを巨人師匠に急に・・?

巨人
やっと今年なくなってん!

角田
総合格闘技の桜庭さんが巨人師匠に関節技を仕掛けたときあったじゃないですか?あの放送のあとにお会いしたときに巨人師匠おっしゃっていたのが、あれはまあ一方的に技を仕掛けられてたわけじゃないですか?

「よーいドン!でやらせて欲しかった」っておっしゃってたんですよ、総合格闘技ルールで。

巨人
でもあのときにね、ほんまのところ身体柔らかいんですよ。すっごい前屈なんかでもピシャッと付くし。で、桜庭くんが僕に技を掛けてギューッと足を開けて僕が「痛い、痛い!」言うててたでしょ?

角田
辱固め(はずかしがため)っていう技ですね。

巨人
嘘!あれ全然痛なかったんですよ。これ痛がらな桜庭くんに悪いやろうなと思って。ほんままだまだもっとイケるのになって思っててんけども。「痛い、痛い!」って言うてあげたの。

角田
総合格闘技とかバーリトゥードがもっと昔から巨人師匠の若いころにあったら・・?

巨人
たぶん行ってたかも分からへん。相撲取りになりたいというのとプロレスラーになりたいという夢がありましたからね。

オール巨人はゴッチ式トレーニングで鍛えている

角田
「ひょうきんプロレス」の動画とかを最近観たんですけど。巨人師匠が紳助師匠にキーロックをかけられたまま持ち上げてらっしゃるんですよ。あれってほんまにアンドレ・ザ・ジャイアントとかそういう普通に人ができない技をされてて・・

巨人
大阪府立体育館で女子プロレスがやってるその興行の中にほんまはお客さん全部女子プロレスを観に来てるねんけども、「ひょうきん族のプロレスをやらせてくれ」言うて行ったことがあってそこでやったんですね。

そのときは今そのVTR僕の家にあんねんけど、もう寂しなったら観るんですよ!もう自分で爆笑するもんな。

角田
いや面白いし、動きが尋常じゃないんですよ!巨人師匠のそういう芸人さんが企画でやってるんじゃなくて(笑)

巨人
あのときに(松本)竜介も動きがよかったし、阪神ちゃんは阪神ちゃんで面白いし。紳助は紳助でプロレスが好きやからね。

いや僕ほんまに人生いろんなことがやれたら、今は漫才やりましたけどね。スポーツ関係絶対行きたかったですね。ボクシングやりたかったなと思ってね。

角田
巨人師匠はたぶんハート的に絶対ダウンされないと思うんですよ。例えば総合格闘技でもタップはされないと思うんですよ、どんな腕の曲がり方をしていても。

巨人
そうですね、折れるまで・・レフェリーが止めるまで「参った!」せえへんか分からへんね。

角田
いまだにお家の2階からロープが下がっていて、腕の力だけで上ってらっしゃるじゃないですか?

巨人
上ってましたけど、やっとこの間はずしました。「もうええ!」と思って。でも外したロープがもったいないから横の柱にくくって今度綱引きみたいな引っ張ってます!まだ使うとんかい!(笑)

角田
でもそのトレーニングの仕方がナチュラルなトレーニングの仕方というか・・

巨人
そうそう、カール・ゴッチやね(笑)

角田
そうですよ!まさしくカール・ゴッチが新日本プロレスでやっていたトレーニングなんですよ。

巨人
これ聞いている皆さん、分かるか?(笑)

角田
腕の力だけで上っていくとか。

巨人
自分の身体の負荷が一番良いって言うんですよ。腕立てとかスクワット。スクワットでも昔はほんまに500回やってましたから毎日、漫才師やのにアホやろ(笑)

それで飽きてくるねん、時間かかるから。ほんで畳が汗でビチョビチョになったりするのよ。

角田
それ正しく猪木と馬場が日本プロレス入門したときのエピソードとして道場の水が溜まったっていうエピソード。

巨人
だからまずスクワットする前に裸足になったりしたら、週刊誌とか雑誌とか足の下に敷いて。それでないと畳がすれてくるんですよ・・どんな漫才師や(笑)

香川
そのノウハウ何なんですか!(笑)

巨人
なんやろうね(笑)それも悔しさからなんですけどね。山登ったときにめちゃめちゃしんどかったんですよ。兄貴と山に登って登山しているとき。「なんでこんな体力がないのんかな?」って思って、それで家でスクワットやったら100回くらいしかできなかったんですよ。

「これはあかんわ!」と思って、積み重なって500回までいって毎日200とか300,500とかやってたんですよ。その次、500回できてから山登ったらスイスイスイーですよ!全然しんどないね。

角田
そのあと何かだいぶ時間が経ってから膝にくるってこともないんですか?

巨人
全く膝・腰は痛めたことがないんですよ。これはもう親が大切なときから強い身体をくれましたね。うちのお父ちゃんもすごかったんですよ。軍曹やったんですけどね、昔ね。

兵隊さんの隊の運動大会とかあって、その体力測定があるんですよ。その軍で一番やったんですって、うちの親父。

香川
遺伝子や・・。

角田
それを考えるとグリーンベレーのチャック・ウィルソンにお父様のDNAを継ぐ巨人師匠が前褌をとったわけですから。

巨人
そうなんですよ。あれが悔しかったですね、いまだに。

角田
ちょっとここで1曲巨人師匠の曲を聴いていただきます。「男の子守歌」です。



(続く)

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