2012/04/08

ライムスター宇多丸が語る「10分で説明する日本アイドル史・日本アイドル映画史」

今回は、ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル
2012年2月18日放送分 ザ・シネマハスラー
『Documentary of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』
を起こしたいと思います。

前回分の
ライムスター宇多丸が語る「『Documentary of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』は日本アイドル史の金字塔だ」
の続きになります。

音声はこちらから

宇多丸
その前に、僕がこの映画を先程言ったように、
「日本アイドル史とか日本アイドル映画史の中での一つの到達点・金字塔」っていう
言うに至る前提としてやっぱし日本アイドル史というのをどう捉えてるか?
ちょっと話しとかないといけない!ざぁーっとね、もう超駆け足ですよ!!

あのえーとですね、この作品というのは日本アイドル史の中で
どう位置づけられるのか?
日本型アイドルの進化の歴史っていうは、
僕なりにものすごいざっくり大きく要約するなら
「何がリアルか?」っていう事に対する変遷だと思うんですよね。

つまり、常人とは明らかに違う美しさであるとかスキルであるとかを
身につけた銀幕の向こうの圧倒的なスターではなくて、
もっと身近な、隣にいるような気がするリアルな子。
そういう子の方がリアルだ!というところから
そもそもアイドルというのは始まってるわけですよ。

リアルであるから、スキルよりもそっちの方が身近に感じてリアルだからいい。
「リアルでいい!!」ってところですよね。
例えば、キャンディーズの解散理由が「普通の女の子に戻りたい」っていうのは、
革命的にリアルだったわけですよ!
「ああ!生身の女の子ならそう思う!」っていうような事ですよね。




で、そういうなのがどんどんどんどん進化していって、端折りますよ!!
80年代に入ると、それまでの確立されてきたそのアイドルっぽさそのものが
だんだん今度はリアルじゃなくなってくる。
フリフリの衣装を着て、可愛い感じで振る舞ってるそれ自体がリアルじゃ無くなってる。
それは何でか?というと世の中全体の性意識の変化っていうのを
如実に反映しているわけです。

「あのぐらいの年頃の子だったら、当然やることやってるだろう・・」とかね、
あるいは、風俗であるとか、だんだんAV黎明期とかで、
可愛い女の子が人前でセックスしたりとかが、明らかに・・公の場でっていうのが
だんだんこうなってくるのにつれてアイドルっていうののあり方も、
「じゃあ、あれ嘘じゃん!」リアルに感じられないうふうになってくると。

80年代前半はそれでも、そういうのをメタ視点で
笑ったり楽しんだりっていうような構造がまだ成り立っていた。
例えば、ブリッ子ですよね。
「松田聖子はブリッ子だ!」って言って、あえての構造を楽しむことが出来たりとか、
あるいは、とんねるずの伊代ちゃんイジリね。あの「うんこすんの?」とかさ。
あういうのは80年代前半的な、メタ的に楽しむのがあった。


それがだんだん80年代半ばにもなってくると、
それこそ「President BPM」こと近田春夫さんがですね、
「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN 」という曲で
「アイドルだって人間だ 性欲だってあるしお金も欲しい」とラップしたように


さっき言った80年代前半的な「あえて」っていうメタ視点が行くところまで行った先に
今度どんどんぶっちゃける、ぶっちゃける方がリアルだ!そういう時代になる。
そっちの方がリアルだっていう時代になってくる。
というね、まさにヒップホップ的な時代、もっと言えば2ちゃん的な時代と
言っていいかもしれないですけどね。

で、そのシンボルがまさに「おニャン子クラブ」
「アイドルは作るものである」というね、というプロセス込みで一種露悪的に見せちゃった。
おニャン子クラブであったり、あるいはキョンキョン。

特に「なんてたってアイドル」ですよね。
アイドルはあくまで演じるもの、フリをしているもの。
実際、キョンキョンは若い子なりに遊んでますよっていうのを醸し出してるというね。
この2大シンボルを仕掛けたのが、秋元康さんなわけですよね。
言うまでもなく現在「AKB48」の仕掛け人として
再ブレイクと言ってもいいでしょうね。大成功を収めた秋元康さんだと。


で、時代がだんだん臨界点に迫ってるわけです、ぶっちゃける時代で。
アイドルという構造がこれ以上ぶっちゃけると成り立たないよ!っていう臨界点で、
プラス、当時トップアイドルだった岡田有希子さんが自殺してしまうという
もう最悪のリアルですよね!!
リアルを知ったら最悪だったみたいな、そんな結末が来ちゃったと。


でそこに至る、この裏側のパラレルには男性アイドルの歴史もあったりもするんですけど、
そこまで触れてる余裕がないですが、
ということで80年代後半からは、行くところまで行った先、
リアルって行くところまで行った先にもうアイドルっていう構造が成り立ちにくくなる。
で、アイドル冬の時代になるということですよね。

一般の人は、「アイドルって嘘っぽいよね。」っていうふうなのになって、
アイドルを好きな人っていうのは
むしろ「リアルのものから逃避したい一部好事家」っていうものの
マニアックな慰み者になっていくと、まぁそれはそれで楽しかったりするんですが。

前だったらアイドルになってたような女の子はどうしてたか?というと、
アーティスト指向、スキル主義っていうところ、
そっちの方がリアルっぽい!っていうところに
リアルを求めるようになっていくと、
それで成功したのがアクターズスクール一派の
90年代の成功ってことじゃないかと思うんです。

そういうところの中ででですね、90年代後半になってくると
後に言う「リアリティTV」の手法、つまりドキュメンタリー的な手法。
ドキュメンタリーなんですから、言ってみりゃ究極的にリアルですよね。
究極的にリアルなのを通じてアイドル像を再構築してみせたのが、
テレビ東京の番組「ASAYAN」を通して登場した初期・モーニング娘。だと思います。

初期のモーニング娘。っていうのは最初からアイドルだったんじゃなくて、
むしろ非アイドル的なメンツをあえてアイドルにさせるという企画だったんですね。
どっちかと言うとね。

生身に存在する現実の女の子たちに次々に課題や試練、要するに負荷をかけることで
リアルな人間ドラマを引き出している。その様子を可視化すると。
それによって先程僕がオープニングでも言いましたアイドルの定義、
「魅力が実力を凌駕している存在、それをファンが応援で埋める」という
その構造がより残酷にあらわにあると。

「実力が全然追いついてないよ!」っていうのがあらわになる分、
応援の間口が拡がるっていう構造があるわけです。

で、モーニング娘。自体は結構すぐ「ASAYAN」での露出を止めてしまうわけですね。
それがあるからこそ、「ASAYAN」的な見方で入ったファンは
ネットなどを通じてストーリーを勝手に補完するようになった。
それがいわゆる「モーオタ文化」の盛り上がりみたいなのを
作ったみたいなのがあったんですが。

でですね、ちょっと大きく端折りますが、
今回のAKBドキュメンタリー第2弾は大きく言って、
「ASAYAN」時代・モーニング娘。的なアイドルエンターテイメントの在り方の
最新進化系ですということです。

言っちゃえば、スタジオに戻って
ツッコんだりとかユーモアで中和してくれない
「ASAYAN」っていうか・・っていう感じだと思います。


これも念のために言っとかないといけないのは、
AKB48は最初からこのスタンスを打ち出してるわけじゃないですよね?
どっちかというと、「会いに行けば会える」というそういうリアル、
要するに箱庭的なリアルを追求してたんだけど。

大体2009年ぐらいを境に今のこのシフトにシフトチェンジした感じですね。
最初の総選挙と組閣、グループのシャッフル替えみたいな、
でメンバーたちがすごく嫌がって泣き叫ぶみたいな。
メンバーがすごく嫌がって泣き叫んだって言うと、
「何っ!!!そんな・・そんな・・何で!?」ってすっ飛んでくる連中が
僕らみたいなのがいると。

ちなみに2008年に秋元康さんと直に対談していることがあるわけです。
あるラジオ番組に秋元さんに呼んで頂いて、
その時点ではPerfumeブレイク全盛期で、
AKB48はまだブレイク仕切ってなかった。
むしろデフスターの契約が切れて、
ちょっとどうなんのかな?っていう時期だったわけです。


2008年の時点で秋元さんはこう言ってましたよ。
「本当はもっと僕もAKB48を使って、
いろいろ無茶苦茶なことをやって仕掛けたいんだけども、
現状のユーザー・ファンの要望がそこにないから、
行くところまでは行けないっていうのがあるんだよ。
でも、いずれはどんどん攻めたいと思ってる」
みたいなことを秋元さんがおっしゃってて、
まさにその後2009年からどんどん今に至る攻撃的というか、ドキュメンタリースタイル、
残酷ショーとしてのAKB48方向に振れていくということがあるわけです。
だから、最初からAKB48がこうだったわけでないということですね。

で、アイドル映画史的に言うと、そこもざっと言っときますけど。
アイドル映画っていうのは、たとえフィクションだったとしても
その時、その時のアイドルの生身の輝きみたいなのを
一種ドキュメンタリックに切り取ったものが
やはり作品的には魅力的っていう系譜があるわけです。

その前の時代だと、例えば文芸作品に出演させて、
既存の映画の型にアイドルをはめていくっていのが多かったんだけど、
実際のところアイドル映画として魅力的に輝いたのは
むしろドキュメンタリックな魅力があるもの。

例えば、「セーラー服と機関銃」
ストーリーは未だに何度見ても全く把握は出来ないけれど(笑)
薬師丸ひろ子が輝いていることはわかる!みたいなね。


であるとか、原田知世の「時をかける少女」だったら、
話全体はものすごく人工的に閉じた話だけど、ラストのカーテンコールで
16歳の知世のドキュメンタリックな姿が残るから
ギリ、アイドル映画として成立している。


ただ、ドキュメンタリックと言ってもモーニング娘。の「ピンチランナー」って
いうのがありましたよね、あれ終盤のマラソンのシーンになるとですね、
確かにドキュメンタリックになるんですけども・・
「真剣にやれ!!」ってことですよね(笑)
投げたドキュメンタリーは見たくない!!
真剣にやって、やると応援のギャップが
出やすいっていうのがありますけどね、はい。


ちなみにおニャン子クラブは映画だと、
原田眞人監督の「おニャン子ザ・ムービ-」っていうのがあって、
セミドキュメンタリーとオタ側、当時オタって言葉は無かったけど、
ファン側の視点を並行させた如何にもメタな作りになっていて、
非常におニャン子らしい作りになってる。

宮川一郎太と江口洋介がオタ旅行、
おニャン子のコンサートに間に合うように旅行しつつ、
セミドキュメンタリー的に撮ってると。
ただね、この映画けっこう決定的に駄目だと思ってるところがあって、
秋元康さん本人が出ていないっていう何か大ズルしてるわけ。
すげーズルしてるわけ、メタフィクションにしても。


その意味でも今回のAKB映画は、やっぱ最終進化形って感じしますね。
秋元さん本人も出てきて、仕掛け人側も見せてるというところで。
これ以上やるとエンターテイメントとして成立しなくなる
境界線上のリアルっていうふうなことだと思います。

ということで、超猛スピードで10分でおさらいする日本アイドル史、
日本アイドル映画史みたいなやりましたけど、大まかな流れ。

とにかくそういう意味で、これAKBファンでなくても日本型アイドルというものに
少しでも興味がある人なら必見だと思います。
特にアイドル映画というのは今見ておくべきものなのです。
今見ておくべきです、絶対!!
という作品でもあるので、出来るだけ前情報も金輪際入れずにですね、
これ以上入れずに行って頂きたい、その方が驚けるし。

で、AKB48に関する前知識も
正直うすぼんやりしたもので大丈夫です。
逆によく知ってると「辛い」っていうのがあるらしくて、
うすぼんやり上位メンバーだけ知ってますみたいなので全然十分だし、
最低これでいいです、「前田敦子という人が基本センターですよ」とね。
「でも一昨年の人気投票イベントでは、まさかの2位になっちゃって!
でそれが去年は・・」くらいの知識があればもう大丈夫です!ということですね。

はい、ということでようやく具体的な内容にね行けるということですけど。
先程僕が行ったような、アイドル史とか
日本アイドル映画史観をもとに評価するとこうなるという。

(続く)

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