2018/10/06

島田紳助研究家・柳田光司による「オール巨人師匠になんでそれを聞くねん」

今回は2018年1月10日放送「角田龍平の蛤御門のヘン」
podcast後半を起こしたいと思います。

前半のこちらからの続きになります
漫才師・オール巨人が語る「チャック・ウィルソンに相撲で負けたことがいまだに悔しい」


角田龍平(以下、角田)
この後はですね「巨人師匠になんでそれを聞くねん!?」ということでこの番組にはものすごい演芸マニアの方が2人ほど携わっておりまして(笑)

オール巨人(以下、巨人)
なんでそれを聞くねん?

角田
「なんでそれが気になるねん!」という質問を・・

巨人
あっ、そういうことね。

角田
ということで私の隣にいらっしゃるのが柳田さんという。

柳田光司(以下、柳田)
はじめまして、柳田です。

巨人
いや、ちょこちょこ会うてます(笑)びっくりするほどヘビーなお笑いのファンですよね?

角田
すごいんですよ。もう何歳から?

柳田
えーと、巨人・阪神さんを観てもうデビューの年から聞いてたり観てたりしますんで。

角田
今日も巨人・阪神のお二人がデビューされた昭和50年の朝日放送のラジオの・・?

柳田
昭和50年の「フレッシュリーグ」っていう一番最初の巨人・阪神の賞レースのタイトルの音源が兄貴が録っていたのがあったんで・・

巨人
あっお兄さんが?実はさっきあれ聞かせてもうて、いやもうちょっと恥ずかしいぐらいの・・

柳田
いや、むちゃくちゃ上手いですよ!

巨人
いやいや、よう言うわ。でもあれ1年目で本当はあの番組はM-1の前進なんですよ。ラジオからABCのお笑い新人コンテストになって。それのデカいのがM-1やから、言うたらね。

角田
まあでもM-1も今って結成15年までっていうことで中堅と言ってもいいぐらいの方が出てらっしゃると思うんですけども。さきほど柳田さんにお持ちいただいた音源とかはもう本当の1年目ですよね?

柳田
半年ですよね?

巨人
7月に出て11月が12月やったと思うねん、あれね。

角田
本当なら流したいぐらいですけど、あのテンポで1年目で・・ちょっと度肝抜かれて。

柳田
声も高くってね、すごいですね。

角田
そういう音源をいっぱいお持ちの柳田さんから・・

巨人
すごいね、ほんまに四十何年ぶりに聞いたわ(笑)

角田
巨人師匠もお持ちでないんですよね?

巨人
持ってない、持ってない。全然持ってない。

柳田
ちょうどあの大会にさんまさんも出れる予定やったんですけど、東京に行かれて・・決勝では戦わなかったっていう幻の一戦やったんですよ。

巨人
まあ東京行かれたというか、東京に女がおって女を追いかけていったんですよ。

角田
駆け落ちされたんですよね?

巨人
駆け落ちみたいなもんですね。

柳田
そうですよね?いや「そうですよね」って僕そこまで知らないですけど(笑)

今日はもう巨人さんのこの機会にいっぱい聞きたいことがありまして。

巨人
あれ、さんまが行っていたらさんまが優勝していたかも分からへんね。僕ら優勝してんけどね、そのときは。

角田
そのときはさんまさんは落語で出られて?

巨人
もちろん。

柳田
予選があるんですけど勝ってたんですよ。2ヶ月か3ヶ月に1回だけ大会があるんですよ。それを勝ったやつが年間の12月に戦う。

角田
チャンピオン大会みたいなのがあるってことですか?

柳田
確かさんまさんは9月の大会に勝ってるんですよ。勝ったあとに東京に行くんですよね、確かそんなんやったと思います。

巨人
どんな女やってんやろうな?よっぽどええ女やってんやろうね。

柳田
夏祭りのときに知り合ったみたいですね。

巨人
すんなり・・よう知ってるなあ自分!僕はね、その女の子を見たことがないねんけどね。

うちの嫁はんも吉本興業におって、僕よりちょっと先輩の新喜劇におってんけど。いつもさんまのことを「こら出戻り!出戻り!」言うてうちの嫁さんがさんまに言うとったからね。さんまより先輩やったからね(笑)

角田
その駆け落ちしたときのことを指して、戻ってきて?

巨人
そうそう。駆け落ちして帰ってきやったんですね、さんまがね。頭下げて「もういっぺんお願いします」言うて。そのときにうちの嫁が「こら、出戻り!出戻り!」って。

九州巡業での島田紳助との出会いについて

柳田
今日、巨人師匠にいっぱい聞きたかった1つがそれで。実は巨人師匠が吉本にはじめて来られたのが昭和49年の7月24日が岡八郎さんと出会って次の25日から入門されたと思うんですけど・・

巨人
そうですね。

柳田
そのちょうど2ヶ月後ぐらいに九州の巡業で紳助さんと会われるんですよ。

巨人
はいはい、そうですね。

柳田
そうですよね?それが初めてですか?

巨人
いやその前から紳助とは楽屋で会うてたと思うよ。(島田)洋之介・(今)喜多代師匠のお弟子さんで毎日ついてきてたからね。

会うてたけどもゆっくり話をやんのは、その巡業のとき。10日間ほど行ったんですよ。

柳田
それはずーっと調べていったら9月1日から10日ぐらいなんですよ。

巨人
そのくらいですね。

柳田
そうですか?いやこれ裏があって、実は8月いっぱいまで喜多代師匠と洋之介師匠が漫才で出番に出られてるんですよ。それが下席で9月に入っての11日からまた出られてるんで、空白の10日間があるんですよ。

柳田さんのフィールドワークは江戸城まで網羅

巨人
たぶんそこですね、ほんだらね。

柳田
宮崎県ですか?

巨人
九州は間違いないけど、宮崎やったかな?あのー・・宮崎だけではないと思う。途中いっぺんね博多に行ってるんですよ。

博多行って初めてね、これは言うていいか分かりませんけど・・うちの師匠方全員?言うても5,6人やったけど要するにソープランドに・・

柳田
(食い気味に)そうですよね!

角田
それも知ってるんですか!?

柳田
「江戸城」ですよね?

巨人
うん、「江戸城」それは博多でしたからね。そうなると、宮崎でもないねんけどね。だからぐるーっと回って行ったと思う。10日間やから。

柳田
僕ね、実は巨人師匠けったいがらんといて欲しいんですけども。その「江戸城」も調べたんですよ。巨人師匠でどこへ行かはったんかな?と思って。

それが宮崎やったんですよ、僕が知った「江戸城」が。それで「江戸城」ってチェーン店なんですよ。巨人師匠の本とか言動でマッチを持ってはるっていう「江戸城」の。

巨人
今でもある、日記に挟んでる。

柳田
一回また調べて欲しいんですよ。

巨人
当時、旅日記書いててん。ずーっと毎日書かへんねんで、旅に行ったときのことだけ書いとくとかそういうのをやってて。

柳田
いや僕その日記がすごい知りたくって!

巨人
ああ・・見せられへんわ。違うねん!何が見せられへんってね、恥ずかしいねん。間違いの字ばっかりやねん、誤字ばっかりでもう・・それと・・あれもあるなあ・・出番表みたいなのがあったん違うかな?

柳田
うわー、見たいなあ。

巨人
あったらまた持ってくるわ。

角田
こういうことばっかりされてるんですよ、柳田さんっていうのは。

巨人
なんでそんなんしてんの?おもろいか?(笑)

柳田
いやいや、あのねこれ真面目な話を言いますと・・僕ね、巨人・阪神さん、紳助・竜介、さんまさんとかその昭和49年代のその方のすごさは皆さん分かっていると思うんですけど、

どういうふうにすごいか?とか、あと紳助あんな形で辞められたんで僕はちゃんと伝えたいんですよ。めちゃくちゃすごかったっていうのを理屈でも伝えたいし、事実として伝えたいんですよ!

巨人
めちゃくちゃすごかった!さんまと紳助は。まあ紳助の話になりますが、僕が吉本はいる前にテレビに出たら「ただいま恋愛中」だったんですよね。「ただいま恋愛中」は誰やったかな?

柳田
仁鶴師匠と・・

巨人
きよし師匠でやってて、それで出てくるんですよ長谷川公彦(島田紳助の本名)って言うて出てくるんですね。

その女の子、全然覚えてないんですよ。出てきてしゃべりよるんですよ。それがめちゃくちゃおもろいんですよ!

柳田
やっぱり、そうなんですか?

巨人
それでそのときも紳助はとにかくテレビに出たいっていう子で。その女の子も彼女でもなんでもないから「お前来てくれ」と言うて応募して行って、それで予選通ってもうめちゃくちゃ面白かったんですよ話が。

「こんなおもろい奴おんねんなあ」と思って、それで吉本入ったらそいつがおったんですよ。「あなたですよね?テレビ出てはったん?」ってまあ向こうが先輩やから。

「そうそうそう、俺!俺!」言うて・・「うわっ、こんな奴と戦わなあかんのかな?」思うて、ものすごかったよ!

柳田
紳助さんが出られたのがちょうど3学期なんですよ。高3の3学期なんですよ。時系列で言うと、よく紳助さんが言われるB&Bを見た後に自分が漫才師を志すんですけど。

その間に1ヶ月間くらいあるんですよ。まあ親も説得せなあかんし、師匠も説得せなあかんという。

その間に2本テレビに出られているみたいで。それでおそらく腕試しをされていたんじゃないかな?っていうね。

巨人
はあー!なるほど。僕はその「ただいま恋愛中」だけを見たんですけどね。

柳田
あと「ナイトパンチ」出てはったんですよ。「ナイトパンチ」の最後の30秒の自己アピールするやつで裸になってボクシングの真似してはったんですよ。おそらく僕はそれは兄貴と見てたんですよ。

角田
そのときおいくつですか、柳田さん?

柳田
僕だいぶ若いですね。

角田
若いっていうか、子どもでしょ!?(笑)

柳田
小学校入る前ですね。

巨人
45年ぐらい前やで(笑)

紳助・竜介をツッパリ漫才へ移行させたのも巨人の影響!?

角田
さきほどの九州の巡業のときのお話なんですかね?お風呂で巨人師匠と紳助師匠が一緒になってっていうお話を・・

巨人
そう、もうみんな師匠方が寝てから僕らお風呂入って。紳助と話し合って「長谷川くん」「南出くん」って。

そのときに「モノマネできんのん?南出くんモノマネ上手いらしいね」って言うて「うん、ちょっとできるねん」「やってみてーな」言うて僕がモノマネをばーってやったんですよ。

そしたらお風呂やったし、割と響いて上手いこと聞こえたんですよ。紳助はほんまはモノマネ実はものすごい得意なんですよ。得意なんですけど僕のモノマネを聞いて「これは辞めよう」って思ってんて。

だから人にないものを探すのが彼は上手くって。自分でよく僕に言うてましてけど「すき間芸人やねん、俺。すき間すき間に入っていくねん。そのすき間が案外おもろいことあんねん」って。

だから「王道を行くよりかはすき間を行く」ってあいつは言うてましたね。

柳田
でもあの巨人・阪神さんの漫才を見たらほとんど埋まっちゃいますからね。

角田
昭和50年の段階で同期であういう漫才をされたら、紳助師匠がツッパリ漫才をされたのも必然というか・・

巨人
そうなんですよね。だからないもの当時ツッパリ漫才なんかあらへんやんか普通のしゃべくり漫才の上品な漫才ばっかりやったやんか?

僕らもモノマネを入れてちょっと変わったのをやってましたけれども。紳ちゃんは何をやるかな?と思ったらそうなったんでしょうね。

柳田
だから世間一般ではツッパリ漫才ってすごいすぐに出たみたいになってるけど、紳助さんって3年間くらいかかってますよね?あそこに到達するまで。

巨人
かかってるかなあ・・?

柳田
そうなんですよ、デビューされて1年間ぐらいはほぼほぼ巨人・阪神さんとかサブロー・シローさんのいわゆるオーソドックスな歌ネタみたいなのがあったんですよ。

「お笑い歌手志願」ってネタがあったんですけど。紳助・竜介さんはそれを1年間ずーっと繰り返すんですよね、ウケようがウケまいが。それで基本的なことを身につけてヤンキーのネタみたいなのに入るという。

巨人
それ相方は竜介やった?

柳田
竜介さんですね。

巨人
紳助は違う人間といっぺん組んどったんですよ。

柳田
3人目らしいですね。

巨人
うん、最初はおもろなかったんですよ。でも紳助のネタはおもろいんですよ。だから相方が下手やからおもろなかって、まあ竜介も下手やってんけどね(笑)亡くなった方にこんなん言うたらいかんけども。

めちゃめちゃ閣ネタがおもろかったから紳助に「お前、俺の専属の作家になってくれ」って僕が言うたことがあってん、いっぺん。

角田
そうなんですか?

巨人
ほんまに、それで紳助の家に行ったらめっちゃネタ帳がいっぱいあるねん。それで折れ線グラフ、棒グラフが壁に貼ってあって。

それぞれに「笑福亭仁鶴師匠がこんな人間」とかね「やすし・きよしさんはこんな人間」。「やすきよさんは京都の料理にそっくりや、器でもの食わす」言うてね(笑)

そんなことをよう書いてあったわ!おもろかってん!みんな。

角田
それを柳田さんは紳助師匠が「漫才の教科書」っていうのを作ってらっしゃったみたいで。それをテレビとかラジオとかでよくおっしゃっていたことを柳田さんが聞いて勝手に復元しているんですよ。

だから今、巨人師匠がそのおっしゃってたことを想像で・・だから今の部分ですよね?柳田さんが聞きたいことっていうのは?

柳田
そうです、そうです。いやまあそこを聞きたいんですけど、直接聞くと野暮やし・・本当は見せてほしいんですけれども。断片、断片を拾っていって合わせていったどうなるのかな?っていう。

巨人
ああ、そういうのが楽しいんでしょうね。やってて。

柳田
まあそうですね。

角田
考古学者みたいなことをされているんですよ。

巨人
なるほど、継ぎ足して(笑)

柳田
でもその時系列を踏んでいくと、巨人・阪神さんがいかにすごいか?っていうのはすごい分かって。まあ客観的にはなかなかなれないとは思うんですけれども。

巨人
いやでもね、最初にも言うたけどね。ライバルに同期にすごいやつがたくさんおって良かったと思う。それはもう宝やね。

柳田
同期の方ってたくさんおられましたけど、全員辞められたんですか?

巨人
そうですね、(前田)一球・写楽・・

柳田
当時の広瀬さんですよね?(前田一球の本名)

巨人
写楽はまだいてるけどね(吉本新喜劇の「しゃーやん」として)、辞めましたね。阪神ちゃんに聞いたらみんな分かるんやけどね・・ほとんど辞めましたね。結局残っているの昭和49年やったら僕のところだけでしょうね。

柳田
あとは(桂)小枝さんと・・。

巨人
まあそれは噺家さんですからね、漫才としてはもう誰もいてないかも分からんね。

柳田
こればっかり聞いているのもあれなんですけどね。当時、吉本興業って漫才師やってる方と巨人師匠みたいに岡八郎さんにつかれている方は新喜劇なんでちょっと隔たりみたいなのがあったってよく聞くんですけれども?

あういうな感じでは大丈夫やったんですか、巨人師匠は?

巨人
僕は全然なんともなかったですね。逆に岡八郎の弟子であるから漫才の方に行っても「岡八郎さんの弟子やから」言うて大事にしてもらえるとかそれはあった。うちは師匠の力は大きかった。

「岡八っちゃんの弟子やで、あの弟子なかなかしっかりしとんで」言うて、もう師匠にも恥をかかせられないからね。よその師匠のこともいっぱいやりましたよ。

柳田
年齢がかなり高いんですよね?高校卒業されたから・・やっぱりそれは大きかったんですかね?そうでもないですか?

巨人
それもあるし、いろんな商売人やってましたから。いろんな得意先行って、いろんなオバハンの話を聞いて。いろんな人生経験って大げさには言いませんが2,3年やっぱりそういうことをやってましたからね。

他の若い弟子よりもしっかりしてましたからね。それはありましたね。

年下のオール阪神とコンビを組みことについて

柳田
そんな巨人師匠がかなり下の(年齢の)阪神さん、高校生の方と組まれるというのはかなり違和感はあったんじゃないですか?

巨人
まあ「組みましょうか?」という形やなしに「組め!」って言われたからね。その「ヤングおー!おー!」のプロデューサーに。「お前その背の高いのと低いの、組んだらどうや?」と言われましたからね。

アマチュアの番組の予選に行ったときにバラバラでみんなしゃべってモノマネやって漫談やってってやったら「そんなんお前らのもんバラバラに聞いてられへん」そのプロデューサーが林さんっていうんやけどね、もう亡くなりましたけども。

「その背の高いのと低いのと漫才やれ」って急にやれって言われて、それでやったらエラいウケてしもうて。

柳田
その日に?へえー。

巨人
モノマネのやりあいをやったんですよ。それがもう会場大爆笑になって、それでそのプロデューサーの林さんが「吉本行け!」と。

柳田
すごいですね。

角田
もうデビューからずっと第一線でっていう印象なんですけど、やっぱり新人で出てきて阪神師匠とかって10代でなんば花月をトリを?

柳田
19!19歳・・

巨人
えーと、なんばは無理やった、京都の正式トリは18歳か19歳くらいだったんと違う?

柳田
すごいですね。

巨人
あれは抜かれへんわ、絶対!「りあるキッズ」(2014年解散)いう漫才出てきたけど、あんなんもう全然アカンし、おれへんけどな(笑)

角田
そのときに先輩からの風当たりというのは強いものがあったんですかね?

巨人
全然それは感じなかったです。全然感じなかった、そりゃこっちに岡八郎という師匠がいてるからか分かりません。それで真面目に弟子をやってきたからかも分かりませんね。「あの子は割としっかりしてる子やで」というふうに言われましたからね、本当にね。

角田
「よしもと黄金伝説」の再放送をやってまして、そのときに(西川)のりお師匠が巨人師匠に昔、巨人師匠の方が後輩やのに「(のりお)兄さん嫌われてまっせ」って言われたっていうような・・

巨人
僕わりとね、そういうことを言いに行くやつでね・・あかんのよね。

角田
前に(桂)文珍師匠にも言われたっておっしゃってましたよね。

巨人
文珍さんにも言いました。(桂)文枝師匠にも昔言うたんです(笑)

角田
すごいですよね。

巨人
いやそれはね、「どういう評判ですよ」っていうのをお伝えに行かないといかんなと思って・・ハハハハハ(笑)

角田
今そんな若手の芸人さんいないですよね?先輩に「嫌われてまっせ」って・・。

柳田
でもそれが言える環境とか愛嬌とかもあったんじゃないの?

横山やすしにも物申すオール巨人

角田
それがすごいなあというのと、それこそ「モーレツしごき教室」のときに(横山)やすし師匠にも物申すことがあったって前におっしゃってたと思うんですけど。

巨人
やすし師匠はちょっと物申す前にネタ振りがちゃんとあんねんけどね。やすし師匠って車が大好きでポルシェ買うたりセスナ買ったはって、アメリカでポルシェを買わはったんですよね。

アメリカから送ってもうて、アメリカに日本人やけど寿司屋やっている人がいてるんですよ。その人のお金を当時借りて全然返さへんかったらしいんですよ。

それをテレビの本番で言うてしまって、生放送で。それを師匠が見てらして電話かかってきて「こらっ、巨人!」って。また当時全国ネット「2時のワイドショー」かなんかやねんけどね、テレビ本番中につないだんですよ。

「こらっ!巨人!」っておもろいと思ってテレビでつないだんでしょうね。で、僕は向こうももちろん大先輩やし「ああ、すんません」って。

「俺、ちゃんと金を払うとんじゃい!こらっ、見てもないのにエラそうに抜かしやがってアホンダラ、カス!」って。「すみません」「謝って済むんやったら警察いらんぞ」ってバーって言われたんですよ。

でも払うてはらへんの知ってたから、その番組は僕が後輩やから申し訳ないけど謝って抑えててんけども。次に会うたときに「師匠ほんまは払うたはりませんやん!」と。

「今度あんなことあったら師匠に『メガネ外せ!』言いますからね」って言うたんです。

それから次の日から「おらっ、巨人!巨人!」って言うてたのが「巨人さん、巨人さん、巨人くん、巨人ちゃん」ってなったからね。

それは悪口でもなんでもないんですよ!それだけ面白い人やったんですよ、やすし師匠ってすごい人やった。阪神くんに土下座しているの見たことあるからね(笑)

実はキレたことはないオール巨人、キレたら怖いオール阪神

角田
えーーっ!阪神師匠、実はキレたら怖いですよね。何度か弟子のときに阪神師匠がキレてることを見たことがあって。巨人師匠は怒らはることはあっても師匠がキレてるところって見たことないんですよ。

巨人
そうですね、あんまり大きな声で「ボケ、カス、コラーッ」と言うたことはないです、僕は。阪神ちゃんの方はちょこちょこある。

もうタクシーの運転手さんにキレるときあるから「オラーッ!」って。それは向こうのタクシーの運転手さん悪かったからね、僕も乗ってたから。「それは運転手さん、あかんな」と思ってんけどね。

角田
阪神師匠はやすし師匠にもそのときキレたような形?

巨人
いや、やすし師匠にはキレたというか・・やすし師匠にちょっとお金を貸してはったんですよ。それを約束を守らんと返してくれはらへんかって。

で、「待っとけ、こらっ」言うてやすし師匠が「ちょっとこっち来い!」言うて。角曲がったところで土下座しはったらしい(笑)

柳田
ハハハハハ、面白いなあこういう話は。

角田
格好いいですね、僕プロレス好きなんですけど。アントニオ猪木さんも弟子に土下座とかすることがあるらしいんですけど、なんか前田日明さんに一回謝ったことがあるらしくて。だからそういう英雄的な人はそういうこともする野かな?っていう。

巨人
だからほんまに自分が悪いと思ったときは土下座しても謝るという、そういう姿勢なんでしょうね。それが男らしいと言うたら男らしいのかも分からんけども。

本当はね、借りたもんは返さないといかんねんけど。買うたものは払わないかんねんけども。

今では考えられない!?正月の劇場楽屋

柳田
やっぱり巨人師匠が入られたときの吉本とか花月の雰囲気というのは今では考えられないような・・お金が飛び交ったり?

巨人
あのー、はい楽屋では麻雀それからこいこい、トランプみんなやってはりましたよ。麻雀台とかちゃんとあったし各部屋に。もうどこでもこいこいの札はありました。

柳田
そこには巨人師匠とか紳助さんはハマらなかったんですか?一応、避けていたというか・・

巨人
あのー、よく・・時効になります・・か?

角田
大丈夫です。

巨人
きよし師匠とかさんまとかウワーッと売れてお金もらったときには、よく正月なんかにはやってましたね。正月トランプでブラックジャックとかそれからポーカーとか。

柳田
正月の花月は面白かってね。

角田
みんなお酒飲んでやってたとか?

柳田
お酒飲んで出てきはるというかね、面白かったですよ。

巨人
うん、舞台でおしっこチビったやつおったから(笑)芝居でヤマナカさんやったかな・・ちょっと先輩やったけど。ベロベロで出て行って台詞もあんまりない。

舞台にある屋台に横で立ってるだけやねんけど、ジャーって「小便してるで!」言うて(笑)

柳田
いい時代ですよね。

巨人
で、よく(林家)小染師匠が裸でシンバルだけで・・今のアキラ100%みたいにシンバルで隠して舞台出てきはったときはありましたね。「酔うてんねん、ごめんなぁ」言うて(笑)

柳田
小染100%

角田
じゃあ平成の小染師匠なんですね、アキラ100%は。

巨人
シンバルやからでっかかったから隠しやすいんですけどね(笑)それはよくありましたね。

角田
なんか牧歌的な時代といいますか・・。

巨人
いや、ものすごい良かったと思いますよ。

柳田
面白かったー、入れ替えとかもなかったですもんね。1千円くらいでずっと見れんねんやもん。

巨人
出てきて裸でシンバルで隠してるんやけど、チラッと見えたりするんやけどね。そんなん今、写メ撮られてみいな大変なんで。

角田
そうですね、SNSにアップされて。

巨人
そんなん何もなかったからね、スナックの遊びでもヒドい遊びみんなやってましたからね。

そんな中でも休憩時間にはネタ合わせを

柳田
それはあれですか?4時間くらい間がありましたよね、当時の花月って?やっぱりその間は巨人・阪神さんは練習ですか稽古ですか?

巨人
稽古の時間が一番多かったですね。毎週毎週「ヤングおー!おー!」でネタやらなあかんとか、割とネタの番組がめっちゃ多かったんですよ。
ラジオでもやらなあかんとか。

柳田
「笑の会」も出てはりましたもんね。

巨人
「いい朝8時」の毎週の何分とかね、そんなのもあった。割とネタ合わせをやってましたね。

柳田
僕ね、巨人・阪神さんを夕方見るのが好きですね。昼見て夕方見るのが、ネタをやっぱり変えてくれはるんですよ。

おそらく今から考えるとこういう業界やると、いろんなネタをせなあかんからやってはったりしたん違うかな?って。

巨人
そう確かめてたか分かりませんね。ちょっと掛けてたというかね、練習に。

柳田
よく巨人師匠って花月で・・今はやってはるのか分からないですけど、よく靴を飛ばしてくれはるんよ。ツカミで。

巨人
あーはいはい、新婚旅行のネタやったときね。あるある。

柳田
それがもう好きでね!めっちゃ好きで。

角田
柳田少年は。

巨人
その連続3夜のときもやったけど、上手いこといかへんかってちょっとガックリしてた。「上手いこと飛ばへんかったな、靴がちょっと小っちゃかったなあ・・」

あれ大きめの靴はいとかなあかんから。それで飛ばす前にちょっとかかと脱いどかなあかんねん、それいろいろあるんですよ。

柳田
もう1つ聞いて良い?

角田
はい、どうぞ。

M-1の敗者復活組に熱くなるのはNHK新人賞がきっかけ?

柳田
巨人・阪神さんってね、いわゆるエリート。もちろんものすごい漫才エリートとして来るんやけど。僕ね、師匠ものすごい印象的なことがひとつだけあって。

実は紳助さんが目指したNHKの新人賞があって、そのときの予選で巨人師匠は覚えてはると思うんですけど・・当時「課題漫才」というのと「オリジナル漫才」というのがあって

巨人
ありました、ありました。

柳田
NHKって「課題漫才」って人が書いた漫才を上手くこなせるか?っていう検査もあって、そのときに阪神師匠がネタを飛ばさはったと思うんですよ。

巨人
そうですね。

柳田
それで予選を本来ならば本命視されていた巨人・阪神が落ちるん違うかな?みたいなドキドキがあって、それは子どものとき巨人・阪神は1年目のときですよ。それを兄貴と言うてて。

でも復活当選して勝って、巨人・阪神4連覇ぐらいするんですよね。1年目でABC・・

角田
ああ、各局のコンテストを?

柳田
読売とか前人未踏の4連覇ぐらいをするっていうすごいのがあるんやけど・・

巨人
自分ら兄弟で漫才やったら良かったのに(笑)

柳田
あの戦いでいつも巨人師匠がM-1グランプリで敗者復活戦の人にものすごい熱いのは、自分のあの経験から違うかな?って。

角田
ああ、今年(2017年)もスーパーマラドーナのお2人にメッセージを送っていらっしゃいましたね。

柳田
あれがなければ今の巨人・阪神はない可能性もあるんよね。その予選で落ちてたら・・。

巨人
あのー、運が良かったんですよ本当に。予選で落ちて阪神くんが止まってしまってネタ忘れて。

柳田
10秒ぐらいね。

巨人
そのときに阪神くんは「俺やない」と思っててんって「相方、巨人が間違えてる」って。

僕は阪神くんが間違えてるの分かっててんけど、助ける力がないんですよ。デビュー1年目ぐらいではね。

ちょっと10秒ぐらい空いてしまって落ちたんですけどね、それで次点になって。

(予選を)通っている8組の中の1組が幸之助・福の助さんっていう方が辞めはってん、決勝までに。トップ当選の人が。

そこに僕ら入れてもろうてん。それで決勝で優勝してん。

角田
決勝は自由演技というか規定じゃないということですよね?

柳田
「ぼくは同級生」っていうネタで。

巨人
いや当時のNHKって「規定漫才」と「自由漫才」2本やらないかんねん。

角田
フィギュアみたいなもんですね。

巨人
そう、でも「規定漫才」ってようあんなん考えたねえ。審査員ずーっと同じネタ聞かなあかんねんで!審査員やったら、俺断るわ。

上手い漫才師になるには人の書いた漫才をこなすこと

柳田
でもねその決定的に紳助さんと違うのは、むかし読売新聞の記事でちょっと忘れましたけど・・「笑の会」ってあったんですよ。

「笑の会」というのはいわゆる漫才作家が書くネタを巨人・阪神さんが自分らで稽古してやるんですけれども。

あるときのインタビューで巨人師匠がもう当時20代前半の方が「いや違います、人の書いた漫才をいかにこなすかでないと、漫才は上手くならないから僕たちは1年間『笑の会』にいます。」って言うてはったんですよ。

これが巨人・阪神の原点と違うかな?って思ってね。

角田
憶えてはりますか?

巨人
言うたことは憶えてないけど、そういう考えでしたね。自分で書いたやつはめちゃめちゃやりやすいんですよ、自分のしゃべりやすいように書きますから。

人の書いたものってめちゃめちゃやりにくいんですよ。それをやっていかな将来何十年とできへんなと思っていました。

角田
ちょっとまだまだお話をお伺いします。

(続く)

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