2018/02/15

プロレスラー・蝶野正洋が語る「海外遠征で帰国命令が出るまでは自分で食っていくんです」

今回は2017年10月19日放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」
「大竹メインディッシュ」蝶野正洋さんの回を
起こしたいと思います。


光浦
今日のメインディッシュは、ゴールデンラジオ初登場。蝶野正洋さんです。

蝶野


ガァーッテム!!!!アイアム蝶野、カモン!!よろしくお願いします。

大竹
どうもMXではお世話になっております。

蝶野
ゲストで来ていただいて・・。

大竹
いや蝶野さんね、MXの司会がクレバーなんだよー!俺もうびっくりして!やっぱり蝶野さんがそういうところがあるってことは業界の人がちゃんと見てるんだなと思って。えっ?何がきっかけであのMXの司会を?

蝶野
いやもう突然だったんですよ、前のMCの長谷川さんっていう方がちょっとトラブルで・・

大竹
ああ、そうか!

蝶野
突然なくなって10月から12月ぐらいまでみんな交代でやってたんですよ。レギュラーのコメンテーターの人が。それでどうするのかな?この形で行くのかな?って言ってたら、もう自分もそろそろヤバいんじゃないか?と。

マネージャーに「もうそろそろ辞めてもいいんじゃないか?」と、自分は月に1回だったので。そしたらそのプロデューサーの方が「蝶野さんって12月に入ってメインMCやってくれないですか?」って。

これよくプロレスの業界でも若い選手に「次はチャンピオンな、次チャンスがあるから頑張れよ!」とみんなにそういう声をかけるじゃないですか?「あっ、これと同じパターンだな」と思って。

皆さん錚々たるゲストの方がいらっしゃるんで「いやー自分じゃちょっとそこまで出来るか分からないんで考えておきます」ぐらいの返事をしていたら、その2時間後ぐらいに「すいません、蝶野さんで1月から行きますから」って言われて。もうカミカミで大変でしたね。

大竹
いや俺まだ2、3回しかお邪魔してないけども。いつもいる目のギョロッとした人が決めたのかね?

蝶野
そうですそうです、あの大川さんっていう。

大竹
やっぱりちゃんと見る目がある人いるんだよなって俺思いましたよ。

蝶野
たぶんでもいろんな事務所関係のあれがあって、自分なんかフリーじゃないですか?その辺の兼ね合いもあったんじゃないですか(笑)

光浦
いやいやいやいや!そんなことはないですよ。

大竹
番組だって命懸かってるんだから!

光浦
プロレスって盛り上げれる人っていうのは、やっぱりお笑いできるですよね?皆さん。しゃべりも上手いし、やっぱり間のつかみ方とお客さんの気持ちのつかみ方が本当に上手い人が沸く試合をやるんですよ。

大竹
すごいのは、人のしゃべりそうだなって人にちゃんと見つけるんだよ。それで振っていい時にしゃべりたいなと思うときに。たぶん他のゲストのときもそうなんだろうけど「なんかしゃべりたいな」と思ったときに蝶野さんが「どうですか?」って振ってくるんだよ。すごいな!と思って。

蝶野
大竹さんでもキレ方がやっぱりゲストの中でも特別なので、もう必ず席を1回か2回立つんですよ。だから本当に自分も1回MCじゃなくてボディガード的な感じで(笑)

大竹
蝶野さん、人をプロレスラーみたいに言わないで下さい。必ず立ち上がって何かするみたいな(笑)

光浦
こういうキャラの人がいても面白いな。痩せてるけどキレる系の。

蝶野
唯一大竹さんだけですよ。いろいろなゲストが出ていますけど、席を立ち上がって。

大竹
いやいや他のカルーセル麻紀さんとか、室井(佑月)とかも濃いのばっかしだよ。

光浦
濃い味ばっかりじゃないですか。

大竹
あれをよく裁けるなと思って。

蝶野
いやでも大竹さんと板東さんの絡みはヒドいですよ。もうとても放送していいんだろうか?っていうような、なじり合いをお互いしていますからね(笑)

光浦
MXは放送コードないですもんね。

大竹
俺も最初来たときに聞いたんだよ「これはどのぐらいの腹づもりでやればいいのか?」って言われたら「なんでもいいです」って言われたんだよ。「いや、なんでもいいことはないだろ?」って。

光浦
あそこってなんだろうね、メディアなのに治外法権ですよね。

蝶野
みんな「学級放送だ」って言ってますもんね。

大竹
だけど板東英二さんもそこに座っているけど、始まるときに板東さんに言ったの。「板東さんみんなそこに座ってて生きてると思ってるけど、この人もう死んでるからね」って・・。

蝶野
ヒドいですよね!!

光浦
ヒドい、ヒドい!!(笑)

大竹
もうだって板東さんもすごいよね。元気でね・・まあ多少ボケてるんだけどね(笑)

光浦
私あれを聞きたくて、蝶野さんはもともとどういうキャラクターだったんですか?って子ども時代とか学生時代とか?

蝶野
子どものころは自分そのシアトルで生まれて2歳半で帰ってきてたんですよ。たぶんそれがあったせいで1番自分が記憶で残っているのもこっちに帰ってきてケンカをしているところなんですよね。たぶん日本語がカタコトだったんですよね。それで日本を帰ってきたら、畳のところを靴で入っていったりとか。やっぱたぶん違ったと思うんですよ。

大竹
日本のルールがよく分からない、おいくつの時?

光浦
でも2歳半だと記憶があるようなないようなぐらいの・・。

蝶野
記憶が残っているのが、3歳で日本に戻ってきて社宅だったんですけど。真っ黒になってご飯に呼ばれるまで遊んでいるというタイプで。そのときで小っちゃいときの記憶としては近所の兄弟2人に囲まれて、同級生の弟をいじめたらしいんですね。それで兄貴が出てきて、返り討ちして2人泣かしてたっていう感じで。

光浦
ハハハ(笑)

蝶野
だから小学校からずっとそんな感じでした。

光浦
身体も大きかったんですか?

蝶野
大きかったですね。

大竹
強かったんですか?

蝶野
もう小学校のときはどっか旅行行くじゃないですか?公園かどこか行ったりとか。そういうところで必ず小学校同士のケンカでもやってましたね。

大竹
いや中学校ぐらいなら分かるけど、でも言われてみれば小学校のときでも仲間内で公園に集まって「どこ小?」みたいな。向こうの小学校が来て、なんか知らないけど竹の棒みたいなのをもって「やるぞ!」みたいな・・俺たちの場合は実際にはやらなかったけれど、それでもありましたもんね。

蝶野
自分が別にケンカを仕掛ける方ではなくて、誰かが絡まれてそれにやっぱり俺が出て行ってやるというような。いつもそのパターンでしたけどね。

光浦
「助けてー!」ですか?それとも「おっ、やった!」っていう感じですか?

蝶野
だいたい助けに行く感じでしょうね。

光浦
意外と正義の方の親ビンだ。

蝶野
そうです、どっちかって言ったら。そんなふっかける方じゃないです。

大竹
そんなことをしてて社会に出て何になろうかな?とか思ってたんですか?

蝶野
いやー、もう本当だから高校がまず普通に卒業できないと思ってたんですけどね。留年なりだと思っていたんで・・そしたら俺らの当時は同級生と話をしたらみんな同じように点数をちゃんと取ってなくても最終的に卒業させてもらってるんですよね、都立だったんで(笑)

光浦
そうですね、時代がそんな感じでした。

大竹
いやでも中にいてもらっても迷惑・・。

光浦
先生たちも「出てってくんねえかな?」みたいなのがあったのかも・・。

蝶野
そんなんで2年ぐらいは浪人ですかね、形として。まあ遊んでたんですけれども。という時期があって、そのときにプロレスをテレビで見てかなり儲かったような・・そういうのをマスコミなんかに出していたんで当時は。「これ金になるし、格好良いな」っていうそんな感じでのレベルで急遽。それまでずっとサッカー、小・中・高とサッカー少年だったんですよ。


大竹
それから入ってみたらそう簡単にはメインにはならないですよね?

光浦
厳しい時代じゃないですか?この弟子の。

蝶野
自分がプロレスを長く見ていなかったんで短期でパッと見てゴールデンタイムでちょうどやっていたので。馬場さんの全日本か、猪木さんの新日本ということで。それで新日本の方が見てすごく藤波さんと長州さんっていうのがちょうどやっているときで「あっ、プロレスってこんなスポーティな競技なんだ」って。

昔は馬場さんとフリッツ・フォン・エリックとか、なんか人間離れした人たちがやる・・どっちかというとウルトラマンみたいな世界だったんです。それが見て「スポーティでいいな」っていうことで新日本プロレスを見ていたんですけれども。

まあテレビに出てくるのってトップイベンターしか出ていないんで、せいぜい出て猪木さんとか藤波さん、長州さんとかタイガーマスクと。そこらへんを見て目指してて実際にじゃあ道場に入ってみたら、そこに出ていない坂口征二さんであったりとか藤原喜明さんだったりとか、っていう錚々たる人たちがいて。

「いや、この人たちを全員倒してメインイベンターは無理だな・・」と(笑)

大竹
はなから倒そうと思ってたんだ、でも!

蝶野
いやもうそうじゃなきゃ上には行けないと思って・・当時も自分が地元でもけっこう悪さ溶かしていたんで、だから地元の方では「蝶野が新日本に入って猪木と戦う」とか、なんかわけの分からない話が広がってるわけですよ!

光浦
もう噂になっちゃった(笑)

蝶野
で、入ったら髪の毛は剃られるわ、やらされるのは掃除・洗濯・メシ番というところからやってるわけじゃないですか?だからもう帰るに帰れないですよ、地元に。で「いつやるんだ?」ってね・・(笑)

大竹
地元じゃ「猪木とやるらしいよ!」と。

蝶野
もうバカな連中ばっかりですから!異種格闘技戦か何かでやるぐらいに(笑)

大竹
モハメド・アリじゃないんだから(笑)それで帰るに帰れなくなっちゃったと。


蝶野
だからもう我慢して、でもまあ1番最初にとにかくやらせるのは男の社会なので。とにかく付き人っていう形でとにかく寮生活の掃除から洗濯からメシ番から。

大竹
厳しいですもんね。

蝶野
もう軍隊、軍隊ですよね。

光浦
そうですよね、共同部屋でした?

蝶野
そうです、6畳で2段ベッドが3つで6人です。

光浦
身体デカいよ!!身体デカい人が6畳に6人?上下に2段で、うわーっ、すごーい!

大竹
「ちょっと待てよ、ここにいつまでも6人で暮らしてるわけにはいかないぞ!」と。

蝶野
そうするとやっぱり必ず毎年5,6人入りますということを聞いてて。「ただ残るのは1人か2人です」と、残すのはですね。だからどんどん蹴落とすための練習をやらせていくんですよ。だから早く当時に一緒に入っていたのが橋本(真也)選手、武藤(敬司)選手、船木(誠勝)選手、自分とあと新弟子が2人ぐらいいたんですけれども。

光浦
すごいですね。

大竹
全部、すごいじゃないですか!

蝶野
それで全員残っちゃったんですよ!だからみんな「早く辞めてくれないかな?」っていう駆け引きが1週間目は大変でしたね。

大竹
えっ、その橋元選手とかとマジで6人で住んでたんですか?

光浦
あのガタイで?

蝶野
そうです、普通は1週間の練習でだいたい振り落とすというか落とすためにどんどんレベルアップしていくんですよ。最初の1000回のスクワットが2000回になったり、3000回になったり。それでみんな辞めなかったんですよ。

光浦
根性と体力もあったんですね、みんな。

蝶野
その後にでもいろいろ離脱だとか長州選手だとか前田日明さんだとかがバーッと抜けて、一気に人が少なくなったんでその6人が必要になっちゃったんですよ。

だから本当は3ヶ月ぐらいで1人ぐらい選抜するところを、逆にみんな残されて・・その手前で辞めなかったんで。

大竹
その手前で辞めなかったって、やっぱりその6人は選ばれた6人で根性あった?

蝶野
そうでしょうね、たぶんあったんでしょうね。ただその中でも1番年上だったのが武藤選手なんですけども。1番下の子、船木選手が15歳、もう1人15歳がいたんですよ。

大竹
えっ、15歳?蝶野さんは何歳だったの?

蝶野
自分は20歳ですかね?武藤さんが21歳か?年齢差がすごいあるんで・・。

光浦
大人と子どもですよね?

蝶野
そのときは練習終わって3日目、4日目ぐらいになったら・・みんな泣き言を言うとダメなので唯一自分たちが新弟子が一緒になれるのがシャワーを浴びるときなんですよ。そのシャワーを浴びているときに武藤さんが4日目ぐらいに「俺はもうキツいなあ・・」って一言ポツッと言うんですよ。

そしたらみんなが待ってて「あっ、こいつはもうダメだな・・」と。そしたらもう1人の船木選手じゃない方の15歳が「いや俺もダメだ。明日3000回スクワットやらされたら、もう出来ない」っていう泣き言を言って。

それで武藤さんがパッと行って「おいっ、もう辞めようぜ。こんなの無理だよ」って言ってっていう話をして。でもう他にシャワー浴びてるやつは「やった!よしこれで2人はいなくなった」と思って。

それで翌日辞めるもんだと思ったら、その15歳の子は階段降りて来て荷物持って「お世話になりました!甲子園目指して高校行きます」って言って降りてきて。それで「よし1人いなくなった」と。次、武藤さんが降りてくるなと思って待ってたらいないんです。全然降りてこないんです。

「おかしいなあ?」と思ったら、朝の道場の前の掃除をちゃんとしてるんですよ。「えっ、どうしたの!?」って言って、その15歳のやつが「あの・・待ち合わせ場所で待ってます!」って言って武藤さんに言って。「あっ、待ち合わせしてんだな」と思ってずっと彼は1週間くらい待ってたらしいですけど。それから武藤さん1回も行かずにそのまま住んでて。だからあれは駆け引きで、みんなに弱音を出してっていう。

光浦
駆け引き!へえ、うわー面白い!

大竹
まあそうだけど、でもそれがやっぱり錚々たるメンバーだもんね。船木さんも含めて。

光浦
だって時代を背負う人たちの若いときだもん。

大竹
よく漫才とかそういうのでも同期全員生き残ってるみたいな期があるんですよ。そういうことだったのね。その修行のあとにドイツに行くんですよね?なんでドイツに行くことになったんですか?

蝶野
まあ新日本プロレスってある程度いったら海外遠征っていうのがあるんですけども。自分の場合はちょうど「ヤングライオン杯」っていうトーナメントがあって3回目に自分がそれに優勝して、優勝したら海外遠征っていうのがあるんですけれども。

その海外遠征も2つで。武藤さんみたいな会社が押すという選手はもう派遣先に日本人のヒロ・マツダさんとかっていうレスラーの引き取り人がいて、そこのフロリダに行ったりと。

で、自分なんかの場合はまだ少し・・最初に行ったのがオーストリア・ドイツって半年のコースが組まれていたんです。それから橋本選手なんかっていうのは、もう会社で面倒見れないという形でとにかく海外遠征で出されて片道で。

光浦
片道で!!

蝶野
俺も片道です!で、帰国命令が出るまでは自分で食っていくんです。そういうやり方なんです。ただ後から聞いたら武藤さんなんかのエリートコースはちゃんと給与も出て、ちゃんと帰国命令の計画も立ってる。

大竹
そのときは知らないわけね。

蝶野
知らないです、知らないです。

光浦
みんな片道だと信じて(笑)

大竹
武藤さんは金が出てるんだけど、俺が出てないのは知らない?

光浦
武藤さん、ちょっと面白いな。そこまで行くと(笑)

大竹
でもそれだと、知らないし食わなくちゃいけないじゃないですか?

蝶野
自分はそのヨーロッパ行ったところの12月までのコースは組まれてたんですけど、そこから先は組まれていないんで。よくよく考えてみたら出たときは気が付かなくて。シリーズが終わる12月ぐらいになって「あれ?俺、帰国のあれがないよな・・」って次に1月から5月ぐらいまでヨーロッパはシーズンオフなんですよ。

「俺はどうやって食えばいいんだろう?」って周りの人に連絡をして「お前、それ自分でやんなきゃダメだよ!」ってことで慌ててカナダのダイゴー(大剛)さんっていうエージェントの人がいるんですけど。その人に連絡をして「これちょっとアメリカに行きたいんですけど」って話をして「じゃあちょっと聞いてみよう」って言って。

あとヨーロッパ一緒にツアーを組んでいたアメリカのレスラーとかに話を聞いてカンザスというところに飛ぶんですよ。カンザスシティに飛んでそこでオーディションですよね。向こうで普通に使ってもらえるもんだと思って行きましたけど、アメリカはそうじゃなくて自分はもう何もないレスラーですから「とにかく来なさい。試合を1回組むからやってみろ」

最初は1人前のつもりで「そんなの俺は新日本プロレスから来てるし、ヨーロッパも回ってきたし。いくらなのかギャランティーを決めてくれ」って話をしたら「何を言ってるんだ、この鼻クソ」って言われて。「まず試合をやってみろ、お前なんか誰も知らないアメリカの人は」って。

大竹
だってアメリカなんか契約社会だから、行ったら契約あると思いますよね?

蝶野
いや契約社会だったんですけど本当にヒドかったですよ!まあそういう形でプロモーターが「じゃあいいよ、使ってあげよう」と。ただ自分がそのワーキングビザっていうのが向こうに行ってからの申請だったんでやっぱり6ヶ月ぐらいかかるんですよ。

大竹
それが下りるまで働けないの?

蝶野
本当はそうです、働けない。ただそれはもうモグリでそのまま働いていたんで。そういうところを受け取ってやってくれる団体っていうのは、やっぱりいいところではないんですよね、質の悪い。

大竹
まあ興行はね・・。

蝶野
というところで結局そこで5ヶ月間ぐらい試合をやって毎回試合が終わって、週に1回ぐらいお金をもらう日が来るんですけれども。やっぱり自分が1番最後なんですよ、外国人だし。

それでチェック(小切手)でもらうんですよ。「あっこれが小切手か」と思ってそしたら他のレスラーが・・英語もしっかり分からなかったんで「お前そんなの紙っぺらだよ」って言われて何枚か貯まって1ヶ月に1日以下銀行に行ったら・・

そしたら「NO!NO!NO!NO!」って言われて「向こう行ってくれ」って言われて、もう言葉が分からなかったから。そしたらバツ付けられて訳が分からないって言ったら・・結局その金が入ってない、もう口座がないんですよ。

光浦
うわーっ、怖い!

蝶野
紙切れにそんなものを書かれて、それを結局俺は4ヶ月間もらって最後は潰れちゃったんですその会社。だからもうその5ヶ月間ぐらいのアメリカのときは金がなくて、もらえなくて。

大竹
大変だったんじゃない?

蝶野
そのときは本当に日本レストランで働こうかな?とか本当に思ったぐらい。

大竹
すごい、でもそれでも試合に出て知らない人と初めて試合をするんでしょ?どんな人が出てきて試合をするんです?

蝶野
まあでもねやっぱり、まだ若手のレスラーとかですよね。とにかく若手のレスラーで金が低くてもとにかくリングに上がって試合を経験したいっていうような。

大竹
経験してやってるうちに周りの人気も必要?

蝶野
ええとね、そこは唯一テレビが流れてたんでローカルで。アメリカの場合はその当時はケーブルで集約してプロレスのチャンネルみたいなのがあったので。やっぱりそこでやっているとどこか大きなところの目に止まるということでみんな唯一そういう活動をしていましたね。

大竹
でもあれでしょ?奥様とお知り合いになったのはドイツでしょ?

蝶野
そうですね、ドイツの最終のブレーメンというところで。ドイツはもうスタイルが全部違うんですよ。ちょうど相撲の興行と一緒で1カ所に3、4週間。約20名から30名くらいのレスラーでトーナメント制で。あと試合もラウンド制なんですよ。5分1ラウンドかな?

大竹
何ラウンドぐらいやるんですか?

蝶野
5ラウンドですかね、基本は。

光浦
おっ長い。それで白黒付かないときはポイント制みたいなことになるんですか?

蝶野
レッドカードがあったりとか、ボクシングと協会が結構一緒になっていて。だからリングもボクシングリングと一緒で固いんですよ!

光浦
痛いですよね。

蝶野
だからその日本とかアメリカみたいにバンバン投げたりっていうプロレスは選手もなかなか・・踏ん張って投げさせなかったりとかね。

光浦
面白い、ずーっと聞きたい。

大竹
それでどうやって奥さんと知り合ったんですか?

蝶野
それでブレーメンっていうところで後援会みたいなところの会があって、そこで紹介してもらったというか・・ホームパーティがあったんですよ後援会の。そこで紹介してもらって。

光浦
そのとき言葉はドイツ語で?

蝶野
いや、英語もろくに出来なかったんで。でもそれでもカタコトでしゃべって。

光浦
それで恋に落ちる・・?

蝶野
ですね、自分がそのあとカンザスに行くんですけども。電話で話をしたり・・。

大竹
だって言葉が分かんない・・どうやってそれ!(笑)

蝶野
分かんなくて・・でもたぶんしゃべってたんですよ。ただ笑い話でブレーメンでデート誘ってディスコとか行ったときに、ディスコで家内が少し時間が経つと自分が踊らなくて酒飲んでタバコ吸ってただけなのでパッと踊って戻ってくると「Are you boring with me?」って聞いてきて。

「あっ、ボウリングって・・I like Bowling.」って全然違う答えを。「Boring」っていう言葉が分からなくて「つまらない」っていう意味が。またなんか戻ってきて・・

大竹
「つまらなくない?」って聞かれたわけ?それで「I like bowling.」って答えたの?

光浦
ボウリング好きって(笑)

蝶野
だからそんなぐらいの英会話の力です。

光浦
なんか恋に落ちるって素敵、愛に発展していく・・

大竹
そのあとの「電話で・・」っていうのはよく理解できないな(笑)

光浦
えーっ、もうお時間!まだ4分の1も聞いてない!告知をお願いします。

蝶野
ARISTRIST(アリストトリスト)」って家内と一緒にやっているアパレルのメンズブランドがあります。ホームページの方、良かったら見て下さい。


あとさっき出ていた「カミナリ」くんでしたっけ、茨城ですよね?自分も7月から茨城大使になっているんですよ。

光浦
えっ、なぜ?

蝶野
もともとは大洗が接点なんですけれども、そのつながりで大洗大使からガルパン大使っていうのをやって、それで茨城大使っていう。でも彼ら2人アレじゃダメですね?もう少し格好良くないとね。

光浦
ファッションから教えて、正しい張り手を教えてやって下さい。

(了)







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