2018/12/30

映画監督・三上智恵が語る「沖縄戦で山に潜みゲリラ兵として戦った『護郷隊』とは」

今回は2018年5月9日放送「大竹まことゴールデンラジオ!」
「大竹メインディッシュ」三上智恵さんの回を
起こしたいと思います。


倉田真由美(以下、倉田)
本日のお客様をご紹介いたします。1987年アナウンサーとして毎日放送に入社。1995年に沖縄に移住されてから沖縄の文化・自然・社会をテーマの多くのドキュメンタリー番組や映画を制作。73年前の沖縄戦をテーマにした「沖縄スパイ戦史」という映画が現在公開中です。

ジャーナリストで映画監督の三上智恵さんです、よろしくお願いします。

三上智恵(映画監督・ジャーナリスト:以下、三上)
よろしくお願いします、こんにちは。

太田英明アナ(以下、太田)
今、くらたまさん(倉田)がご紹介したこの「沖縄スパイ戦史」というドキュメンタリー映画ですけども、もう公開3週目になって・・

三上
そうですね、東京では3週目に入りました。

太田
なんかすごくお客さんが入ってくれているという話もうかがいましたけど?

三上
昨日も1回目・2回目満席で・・おとといから横浜でも始まったんですけども、それも初日は入りきれないほどだったんですね。

でも一番驚いているのは自分で、けっこう暗い沖縄戦だけのドキュメンタリーで絶対に人が入らないって身内からもずっと言われていたんですよね。「なぜこんなに入っているのかな?」って本当に感謝でいっぱいなんですけれども。

太田
それだけ問題意識をみんな持っている方が多いってことなんでしょうね。

倉田
なんかちょっと明るいニュースですよ。こういう映画でそんな関心を持ってくれている人がまだ日本にこんなにいるって素晴らしいことじゃないですか?

森永卓郎(以下、森永)
私も資料をざっと読ませていただいただけなんですけども、私も個人的には沖縄が大好きだし沖縄戦のビデオとかもたくさん見てきたんですけど。全く知らなかったことが描かれてますよね。

沖縄の人も知る人の少ない「護郷隊」

三上
沖縄に住んでいても、この中に出てくる少年兵の部隊の「護郷隊」(ごきょうたい)っていう言葉を知っている人が・・

太田
故郷を護る隊と書いて「護郷隊」ですよね。

三上
15歳前後の少年兵たちが1,000人という単位という部隊がいたんですが、別に「鉄血勤皇隊」とかね・・太田昌秀元知事が「鉄血勤皇隊」だったからこのワードを知っている方はけっこう多いんですが。

でもなぜか「護郷隊」の方は知られていない。沖縄の方でもご存じない方は多いです。

太田
それはある種、軍事的には隠したい部隊であったからっていうニュアンスもあるんですかね?

三上
もちろん、これを指導したのは陸軍中野学校のスパイの特殊な教育を受けたエリート将校だったということも。潜伏して戦うゲリラ戦やスパイやテロっていうのものを山にこもって戦う秘匿部隊だったっていうことももちろんあるんですが・・

でもですね、なんで長く語られなかったかっていうとですね・・例えば1つの集落の1つの字(あざ)の本当に狭い集落から少年兵が例えば5人出てくるとすると、みんな従兄弟とか又従兄弟とか幼なじみのガチガチの関係で。

これを指導する分隊長というのも、友達のお兄さんであったり友達のお父さんの在郷軍人が指導するんですね。だから地域のお兄さんと少年たち5人で。

その5人のうち例えば3人は生きて帰ってくるけど、2人が帰って来ないってなった場合にこの2人の少年のお母さんは生きた心地がしないというか・・

この生きて帰ってきた3人の男の子たちに「せめて遺骨でも拾いたいから、どこでどんな戦いがあったの?最後はどんなふうに別れたの?」「どのへんに行ったら遺骨が拾えるの?」って聞きますよね?

でもこの3人は知っててもしゃべれないですよね。山の中でどういうことがあったのか?これはもう思い出話として武勇伝としてもしゃべることができないぐらい彼らが実際に憧れて意気揚々と入っていく戦争にね。革靴も履いて軍服も着て、「護郷隊」の歌を歌って闊歩してですね。

太田
自分の身の丈より大きい銃を持ってですよね。

三上
それで自分たちの故郷を自分たちで護るんだと意気揚々と入っていくんですが、でも実際に待っていたのは沖縄の戦場だったわけですよね。

で、生きて帰ってきた人とそうじゃない人の間に溝もできますし、中で起きている残酷なこと。これはまあ映画をみていただきたいですけど、もうしゃべれないわけですよ。

太田
だから殺されるっていうのが、敵兵から殺されるだけではないっていうことですよね?それはしゃべれないですよね。身内同士でっていうことも中にもあったっていうことですよね?

私、拝見しましたけれども・・例えば新聞とかニュースとかでイスラム原理主義の過激派は少年兵を教育して残虐な行為をしているっていうことを耳にしたり目にしたりすると「えーっ、またこんなことをやっているんだ・・」「どんなひどいことを未だにやっているんだろう?」って受け止めるんですけど

ある種、沖縄戦はほぼ同じようなことが行われていたっていうことですよね?

三上
もう人道的に信じられないって外国の例で思うことがあると思うんですが、でも72年前には15歳前後の子どもたちにスパイやテロをさせていたっていう・・

それは沖縄の歴史っていうよりも日本人全体が自分たちの国がやった戦争の中でこういうことがあったっていうことをもって知っておくべきなんじゃないかな?と思います。

倉田
本当に知らないですよね。

太田
森永さんと私もそうですけど、くらたまさんだって知らない事実がいっぱいあるってことですよね?

倉田
「護郷隊」っていう言葉も本当に初めて知りましたし。

太田
この映画は三上智恵さんが主に監督している部分と、それから大矢英代(おおやはなよ)さんという女性の監督が演出している部分との2部構成に基本的にはなっているということですけど、三上さんは「護郷隊」という少年兵の映画を主にお撮りになっている?

疎開という名目で安全なところからマラリアのある地域へ


三上
そうですね、私は「護郷隊」とスパイ虐殺・住民虐殺の部分を担当して、大矢さんは戦争マラリアあっていう言い方をしますが、

あえてマラリアで死ぬことが分かっている地域に口封じとかこの目的もいろいろあるんですが住民を追いこんでいって命まで奪われてしまったという・・大量に命が奪われているわけですね。

この問題とアメリカの取材は大矢さんが担当して、分担してやりました。

太田
その大矢さんの分担したところも離島から離島へ強制移住させられて、敵兵に殺されたわけじゃないのに強制移住によってものすごく多くの島民の方が亡くなっているという事実をお伝えする。その事実も知らないですもんね。

三上
でも皆さん石垣島とかよく旅行に行かれますよね?

太田
森永さんなんかしょっちゅう沖縄に行ってますよ。

三上
石垣とか竹富とか黒島とかね、この舞台になっている最南端の波照間島ですけども。波照間島にはマラリアがいなかった、軍隊も全く駐留していなかった。

しかもアメリカの空襲1つなかった、なのに1,500人がマラリア地帯である西表(いりおもて)の南部に移住させられて。

ほぼ全員がマラリアにかかって、3人に1人が亡くなってしまった。500人近くが死んでしまったんです。

森永
だから見方によれば生物兵器みたいなものですよね。

三上
これがですね、たった1人の陸軍中野学校の工作員によってですね。最初は「山下先生」というちゃんとした先生の免許も持ってですね、沖縄県庁からお墨付きも持って島に張ってくるから、みんな信じますよね?

本土からきた背の高い格好良い22、3歳の山下先生をみんな大好きになっちゃうんですよ。だけどあるとき突然軍刀を差して軍服を着て、

それで「西表に移住しろ、これは軍の命令である」っていうことを言って、みんな度肝抜かれますよね?「先生じゃなかったんだ!」って。

でも島にはそのときには兵隊適齢期の若い男性は全部いなくわけですから、老人と子どもと女性しかいないので、軍刀1つしか持っていない山下さんの命令に従わざるを得なかった。その結果、3人の1人が亡くなってしまった。

倉田
もう死なせに行かせてるみたいな・・

三上
そうですね、結果的には・・でもこれは疎開っていう言葉がずっと使われていたんですね。疎開っていうと安全を守るためとかそういうイメージがあるので・・だから長い間、軍隊の故意によってマラリアで死んだかどうかっていうことが裁判でも争われていました。

軍の決定的なミスであるということは裁判としては勝ち取ることはできなかったんですね。それは1995年96年あたりの報道で私が沖縄でやっていた部分ですごく悔しかったので「いつかやってやる」と思ってですね、この映画にたどり着いたんですけどね。

森永
この少年兵の方は・・お話になれる範囲でどういう活動をしてたんですか?

「護郷隊」の活動は山に潜んでゲリラ兵として撹乱


三上
活動は後方撹乱(こうほうかくらん)っていうんですが、三十二軍っていうのが沖縄守備隊と言われていた表の戦争だとすると・・6月23日には牛島司令官が自決して、なんとなく終わるような形になっちゃうわけですね。

太田
統一された戦闘としてはそこでいったん区切りがつくけどっていうことですよね?

三上
組織的な戦闘が終わった日が6月23日とされていますが、でもこの陸軍中野学校が指導した「護郷隊」っていうのは山に潜んでゲリラ兵としてその後もずっとアメリカ軍の活動を撹乱していく、後ろから撹乱するから「後方撹乱」っていうんですけど。

要は沖縄って取られてしまった後はですね、本土を爆撃するための拠点になっていくわけですね。だから沖縄に作られたたくさんの飛行場から本土の空襲にどんどん飛び立っていく。

だからこれを見た目が軍として負けたとしても、たくさんのゲリラが後ろから燃料を燃やしたり飛行機を爆破したり、例えば井戸に毒を入れたりということで本土に対する戦いをできるだけさせないように撹乱をしていく。

そのために彼らは生き残って山に潜伏しなければならなかったんですね。

太田
結局、本土に攻めてくる前の時間稼ぎをするために少年たちの命を使った・利用したっていうことですよね?

一般住民を対象にせざるを得なかった理由


三上
それもあります、また少年たちは15歳前後でもアメリカ人には7,8歳の男の子にしか見えないんですよね。沖縄の方は背格好も小さいですから。

当時の沖縄の子どもの着物を着てあえて捕虜収容所みたいな場所とかアメリカ軍のキャンプ内にこどもだったらチューインガムとかもらって入れてもらえるんですよ。

そこで敵情視察をして夜になったら山の上の上官のところに行って「ここに燃料がある、ここに司令官が寝ている」と報告して、夜の切り込みに今度は上官と一緒に来るわけです。

だからアメリカ軍は沖縄の少年だと思って安心していたら、その中に兵隊がたくさんいるんだということに愕然としてですね。でも子どもや住民に見える人も殺していく対象にしていってしまう。

だからたくさんの民間人が火炎放射器とかによって殺されるのは少年たちを潜伏させた影響でもあるんですよね。

森永
そうだったんですね。私もその火炎放射器で焼き尽くす映像を見てすごくショックを受けたんですけど、背景にはそういう少年兵たちの活動があったっていうことなんですね。

三上
それに少年だけでなくて、日本兵は住民のふりをして住民の着物を着て山の中に潜伏した。住民を盾にしながら敗残兵がずっと生き残っていくという局面も被害を大きくしたんですよね。

太田
ほとんど実際に体験されたことを証言された方々はご高齢の方ばかりですけども。よくこの自分のトラウマを乗り越えて三上さんに心を開いて証言をしてくれましたよね。

三上
でも断られた人は写ってないわけですから・・。

太田
説得しきれなかった人もたくさんいらっしゃった?

三上
いや、もちろんです。だいたい「『護郷隊』の話を聞きたい」って電話をするとほとんど切られたり、「もう覚えてないよ」とか「もうおじぃは話は難しいから」っていうふうに言われちゃうんですね。

沖縄の場合は訪ねていく「もう来ちゃった」みたいな感じでトントンって玄関から何度か訪ねていくというのが一番有効ですよね。

戦争後にも「護郷隊」の影響は残る


太田
いや本当に胸襟を開いてずいぶん苦しかっただろう体験も語ってくださるお年を召された方がたくさん出ていらっしゃるので、どれだけ苦労をされたのかなあ?っていうふうには見ながら思っていたんですけどね。

三上
少年兵の心がどんどん荒んでいって、それからPTSDって今はそういう名前が付いていますけど・・当時は「戦争神経症」とか言われたんですね。

16歳でこの「護郷隊」の散々な経験をして命からがら骨と皮だけになって帰ってきたリョーコー二等兵というのが主人公なんですが、彼は16歳で帰ってきたけど18歳で心がパンクしてしまってですね。

日中とか夜とかいつも関係なくスイッチが入ったら、戦争状態になってしまって。それでほふく前進をしたり暴れ回ったり、もう人を傷つけるくらいの勢いで暴れるので。家族はようやく帰ってきた息子を抱いて「良かった生き残って」って言ったんですけど。

同じその手で彼を牢屋っていう言葉がありますけど、座敷牢って自宅監禁。お家の中に監禁する・・精神医療の施設も整っていないときには致し方なかったとは思いますが、

家の中に牢屋のようなものを作ってそこにつながれるというような体験をしたおじいちゃんがいらして。

その彼は宗教に入って50代になってから心がすごく落ち着いた。50代まで苦しんだんですよ。

太田
今は穏やかなトーンで証言をたくさんされていましたね、映画の中では。

倉田
それまで何十年も苦しまれてますよね。

太田
「兵隊幽霊」って言うんですってね。

三上
沖縄って私、民俗学とかやっててこれが専門なんですけど。「憑依する」とか「霊が憑く」とかそういう心霊の世界っていうのが沖縄ではすごく信じられている部分がまだありますけど。

兵隊の幽霊が取り憑いた、だからこんなに戦争の気分になって暴れ回って。戦争当時のまま頭の中がそこから一歩も出られないわけですよね?

だからそういう症状になったリョーコー二等兵のことを「兵隊幽霊」「兵隊が取り憑いておかしくなった人」ということで地域から遠ざけられたっていう辛い経験を何十年もしてらしたんですね。今は本当にお元気で桜を植えているんですけど。

森永
うーん、でもまあそうですよね。自分の立場で考えてみたら、その少年時代に一種のテロリストになるような教育を受けたわけで。それはそんな1年や2年で心が戻らないですもんね・・・。

三上
そうですね、彼はだから未だに護郷隊」の世界の中に生きているような部分があって。「第二護郷隊」という中では69人戦友が亡くなっているんですね。だからその数だけ寒緋桜(カンヒザクラ)って沖縄の桜を見たことがありますか?

森永
はい、あります。

三上
こっちの桜は薄いピンク色で散りますけど、沖縄の寒緋桜はいちばん寒い1月末とか2月に咲いて濃いピンク色で散らないんですよ。散らないから本土の方は「なんか桜じゃないみたい」って言うんですけど。

でもしぼんで濃い赤になってまで枝にしがみついていようとする、生きようとする桜なんですよね。

私はそういうふうに見えますけど、どういうつもりなのかは分かりませんけどリョーコー二等兵はその寒緋桜を69本自分の家の裏山に植えていて自分で供養するということをやっていて。

みんなに1つ1つに亡くなった人の名前を付けたいということがあるんですよね。

太田
沖縄の戦史を研究してらっしゃる研究者の方も何人か映画の中には登場されるんですけど。

いちばん印象に残ったのは「軍隊は住民を守るのではなくて、基地を守る。いわゆる国体を護持するために戦っているのであって決して住民を守るための存在ではない」っておっしゃっていて。

でも活動していた少年兵たちは「護郷隊」、故郷を護る部隊と名前が付けられているというのはすごく皮肉なことだなっていうふうに見たんですけどね。

島にいる軍隊にとって住民は利用する存在


三上
沖縄戦を勉強していくと、どこの島の経験をもってしてもですね「軍隊は住民を守らなかった」と。守ってくれるという120%の信頼で1944年に沖縄の人たちは日本軍を迎えたわけですね。

もう連戦連勝の日本軍だということを思っていますから「この日本軍が来てくれたら、私たちは何に心配もないんだ」っていうのが1944年です。

でも実際にアメリカ軍が上陸する段になったら、なぜか住民を守らなかったわけですね。守らなかったんじゃなくて、私に言わせれば守れなかった。そのような作戦がなかった、三十二軍の幹部で生き残った方は非常に少ないんですね。

そのうちの1人である神(じん)参謀が戦後インタビューに答えていますが、「軍隊が住民を守らなかったということについてどう思いますか?」っていう沖縄の新聞社のインタビューに対して、

「それはその通りです。住民を守るというのは作戦に入っていなかった」と言い切っているんですよ。

倉田
ハナからそういうつもりはないんだ。

三上
「国を守るために」「その作戦を遂行するために」っていう順番で行くと、住民は足手まといだったと・・。

太田
もしくは利用する存在だったということですよね。

三上
その通りなんですね、島っていうのは有事になったら何も補給ができないんですね。物資の補給、燃料の補給、兵隊の補給、食べ物の補給、全部途絶えてしまうので島の中にあるもので全部やらなきゃいけない。

そうなると住民は移動させて守る対象ではなくて、まずはそこで食料を作ってくれなければ、みんなが死んでしまうわけですね。

それから軍隊の労働力として飛行場を作ったり、飛行機を隠すものを作ったり。これも軍隊だけではできませんから、だから労働力として使われて・・そうすると住民は軍の秘密を知ってしまうんですね。

だからアメリカ軍が近づいてくると、村の中から1人引っ張っていって「ここにどんな軍隊がいるのかしゃべろ!」って言われたら、「爪剥がす」って言われたって私たち一般の人たちはしゃべっちゃいますよね?

「ここに軍隊はいるのか?日本人は何人いるのか?」って言われたら、だから住民は都合の悪い存在になってしまうんですよね。それでお互いに監視をさせるっていうシステムを日本軍が作りました。

倉田
住民同士を?

三上
住民同士をです。それも秘密組織を作りお互いに密告をさせるようなシステムを作って、そこでスパイ虐殺というものが起きていくんですね。

今の沖縄の意見が2分されるのは?


太田
ぜひ知らなかった事実がいっぱいあるので、映画ご覧になっていただきたいんですけど。

もう1つ思ったのが、例えば自衛隊の基地を新たに石垣や与那国に導入しようということで賛成する人と反対する人がいますよね?

辺野古の基地の移設についても亡くなった翁長さんを支持する人もいれば、いやそうじゃないという人も半々いる。

こんなに辛い体験をしているのになぜ沖縄の民意が1つにまとまらずに常に分断されているのか?っていうのは三上さんはどういうふうにご覧になっていますか?

三上
いやそれはですね・・今たぶん戦後いちばん「自分たちは強いものに守られたい」って国民が思っている時期だと思うんですね。

太田
まあ不安なこともありますよね?

三上
まあ北朝鮮が怖いとか、中国が怖いとか。この雰囲気はここ5年ぐらいでものすごく増加していて。でもアメリカ軍だが自衛隊だか分かんないけど、とにかく強いものに守られたいと。じゃなきゃ不安なんだ、いま日本人が戦後いちばん思っていますよね?

それは沖縄でも同じインターネットを見ていますから、「中国が攻めてきたらどうする?だったら自衛隊が来てくれた方がいいんじゃないか?」

また災害のときに自衛隊が頑張ってくれている姿をいっぱい見ていますから、やっぱり自衛隊来てくれた方が安心だというふうに思うのも無理はないと思います。

ただ73年前にどうして日本軍は住民を守れなかったのか?で、いま新しくできようとしている軍隊なのか今の自衛隊が発展した何物かっていうのが旧軍隊と同じなの?違うの?

同じだったら嫌ですよね?でも違うんだったら違うで本当に違うということを知ってから国防に軍隊を持つのかどうか?っていう議論は少なくとも旧軍隊と今から持とうとする軍隊?今の自衛隊の発展形はどうなんだろう?というのはよく考えてから検証してから考えたいなと私は思います。

そのために沖縄戦であったことを知ることはものすごく大事なんじゃないかな?と。

太田
そうですね、考えるヒントには絶対なると思いますので。今たくさんお客さんが入っているということなので、これから広がっていくと思いますけれども。改めてご紹介を。

倉田
三上智恵さんと大矢英代さんが共同監督を務めたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」

詳しくは「沖縄スパイ戦史」公式ページをご覧ください。

太田
今日は誕生日でいらっしゃるのに何のお構いのなく、いい話をこちらが一方的に。また新しい作品をお作りになったら遊びにいらしてください。

倉田
ぜひぜひまたお話を伺わせてください。本日は三上智恵さんでした、ありがとうございました。

三上
ありがとうございました。

(了)

「沖縄スパイ戦史」公式ページ




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