映画監督・三宅隆太が語る「『ベタだ』というのは何らかの価値があるから残っているんだと思うんですよね」

2016/01/21

スクリプト・ドクター タマフル 宇多丸 映画 三宅隆太

t f B! P L
今回は、2015年11月14日放送「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」
サタデーナイトラボ「なんだ猫か」特集
起こしたいと思います。


宇多丸
今夜お送りする特集はこちら!「『なんだ猫か』特集by三宅隆太」三宅さんこれはどういう言い方をするのが正しいのですか?

三宅
「なんだ猫か」

宇多丸
普通でした(笑)「なんだ猫か」特集by三宅隆太さんでございます。よろしくお願いします。はいはい、いらっしゃいませ。

三宅
どうもこんばんは、よろしくお願いします。

宇多丸
はい、ということでこの番組に関してはもう説明不要というかね。もうほとんど準レギュラーみたいな感じでございます。

脚本家・映画監督、そして日本に数人しかいない脚本のお医者さん「スクリプト・ドクター」なおかつブルボン愛好家・入浴剤ソムリエそしてぬいぐるみの伝道師「ヌイ・グル」など様々な肩書きをお持ちの三宅隆太さんんということでございます。

ちなみに今回が三宅さんこの番組出演20回目ということで、これたぶん分かりませんけど最多の部類だと思います。

三宅さんの場合、全ての方面に行きますからね。映画のこういう真面目な、その映画駄話もいければ映画技術論もいければ、サイコパス系っていう。私、勝手に失礼ながら言っていますけれども。

三宅
いえいえいえいえ、とんでもない。

宇多丸
ということで20回目の出演。一番最新のは今年7月4日「スクリプト・ドクターの脚本教室・初級編」発売記念特集以来ということでございます。素晴らしい本でございました。

(リンク)
ライムスター宇多丸が聞く「『スクリプトドクターの脚本教室・初級編』がやっぱり案の定面白かったのでこれを書いた三宅隆太という人にいろいろ聞いてみよう」





僕の周りでも「読んだ」「読んだ」という人が本当に多くて、素晴らしい本でございます。

三宅
嬉しいです、ありがとうございます!

宇多丸
そして今夜は8月22日にニコニコ生放送で行った「タマフル24時間ラジオ」最後の2時間をこのTBSラジオでやったという試みをやりましたが。

その中で開催した「プレゼンサマーウォーズ」私が何しろ企画プレゼンを聞くのが大好きという・・企画プレゼンだけをずっと聞いていたいというくらいのプレゼン好きでございます。

「プレゼンサマーウォーズ」でいろんな方がプレゼンしていただきましたが、リスナーの支持を最も集めたのが今夜の「なんだ猫か」特集ということで。

これでもニコ生を聞いていない方はですね、「なんなの猫特集なの!?」と。さっき番宣聞いていたらこの後の「夢★夢Engine!」も猫特集とか言っているじゃないですか!

三宅
猫、キテるんでしょうね。

宇多丸
猫キテるのかな?猫の特集じゃない、ちなみにですね。これリスナーの支持を最も集めたのがこれですけど結局度の企画も面白かったのでいずれ番組でやろうじゃないか!なんてことを言っていて

三宅さんと縁の深い「スクリプトドクターの脚本教室」を出されていた新書館の吉野さんという方、編集の方のプレゼン企画「ケイレイ」特集。手でペッとやる敬礼。

これも聞いていない方は「何のことやら?」と思います。これ聞いても「何のことやら?」っていうね。あのね、サイコパス特集のたぶん最高峰に位置する特集。

まあ吉野さん今日もサブで見ていますけれどね。「何の話だろう?」ぐらいの感じで見てますけれども(笑)

三宅
他人事みたいな顔してますけど(笑)

宇多丸
最近話した中では1番なんかマズい感じがしましたね(笑)こちらもいずれ、目処が立ち次第、放送の目処が立ち次第行きたいと思っております。

さあということで、その1番人気でした・・ちなみに三宅さんはもう1個ね、「怪獣が倒れるシーン」特集。

三宅
ああ、そういうプレゼンもやらせていただきました。

宇多丸
これもいずれやりましょう。

三宅
是非是非!それは嬉しいです。

宇多丸
これはでもぜひやっても良いんですけど、これも三宅さんが「あっ!」というか三宅さんの言い方じゃねえか?っていう。

三宅
擬音みたいなね(笑)

宇多丸
「あっ」「フッ」みたいなね。まあこれもいずれやろうと思っていますが、人気があったのは「なんだ猫か」特集。

三宅
そうでしたね、ありがたかったです。

宇多丸
よりまあ実際話をうかがうと、よりオーソドックスな映画論・技術論シリーズですよね。

三宅
そうなると思います。

宇多丸
ということで「なんだ猫か」とは一体なんでしょうか?



三宅
「なんだ猫か」というのはそもそも何のことかというと、ホラー映画とか見てるとですね主人公の女の子とかが1人でいると誰も家にいないはずなのに例えば玄関とかから物音がして「あれ誰かいるのかしら?」つって

まあちょっと殺人鬼とかがいるんじゃないか?と恐る恐る行くわけですね?近づくとよせば良いのにドアとか窓に手を触れてですね、だんだん緊張観が高まって音楽とかも「キーン」みたいになって

で、いよいよ思い切ってドアをバンと開けましたと。そうすると「ニャー」つって猫が飛び込んで来て「なんだ猫か」って言ってホッとすると、まあ反対側の位置から殺人鬼とかがバーンと襲ってくるっていう流れがまあよくあるんですね。

宇多丸
はいはい、定番的な流れありますね。言われてみれば確かに。

三宅
あれを「なんだ猫か」って言うんですけど(笑)

宇多丸
一般論的にハリウッドでも言われていますか?

三宅
分かんない(笑)

宇多丸
でも確かに、みんなも何遍となく見たことがある演出だなという感じは・・

三宅
そうなんです、だから「なんだ猫か」特集とは言っているんですけれども。要するに今日やりたいことは映画においてパターン化した表現・描写というか。

何度も何度もいろんな映画の中で繰り返し出てくるよく似たシチュエーションとかシーンというのは何なんだろう?という意味とか役割っていうのは何なんだろうみたいなことを考える特集にできたらなというふうに思っています。

宇多丸
つまりその非常にこう何て言うんですか?定型化した表現に見えるけれどもというか。

三宅
そうなんです、何か意味がなければそれがそんなに何度も出てくるということはないんじゃないかな?と。価値がなければ。

宇多丸
それこそどう考えても、もうねみんな見飽きているだろうと思うんだけどとか。読まれるんじゃないか?っていうおそれもあるようなことですもんね。

三宅
ですから淘汰されてもまだ残っている何かがそこにあるっていうふうに考えているんですよね。なのでそういう話が出来ればなと思っています。

であの・・まあこうやって「猫」「猫」言っているとですね。世の中、猫派と犬派の人がいるみたいで・・。

宇多丸
まあこれは文明の衝突が・・

三宅
そうなんですよ。で、犬派の人は「ちょっと犬はどうなったの?」みたいな話になると思うんですよね。

宇多丸
「ちょっ、ちょっ、ちょ、ちょっと待って!じゃあ犬はどうなるの!?」・・バカなのか!(笑)

三宅
まあ犬のあるパターン化した使い方っていうのもあって、ただその場合は「なんだ犬か」ではなくて僕のあれで言うと「あなた、ジョンの様子が変なの」っていうシチュエーションというのが・・。

宇多丸
ほお、つまりさっき言った「ワーッ!」ってビックリ箱的に「ニャー!」って来るのはやっぱり猫。猫は突発的な感じ?

三宅
突発的な感じですね。マイペースな感じで飛び込んて来るんですけれど。

宇多丸
対して犬を使う場合は?

三宅
犬を使う場合は、割と番犬とかで飼われていることが多いのでホラー映画の場合は外で「ワンワン」って急に鳴き出して「あなた、ジョンの様子が変なの」みたいなことを言って。

「ほっとけよ」みたいな事を言っていくと、そのうちに「クーン、クーン」とか言って「シーン」ってなって「ほらなんでもないだろ?」とか言うんですけど、ここでお客さんは「ジョンやられたの?」ってなる。

宇多丸
なりますね、まさに「ジョン・ウィック」がね。「キャンキャンキャン!」つって吠えだして・・あれは殺される前に起き出しますけどやっぱり犬の異変があって。



三宅
そうですね、割とその犬の場合はそういうふうに見せないことによって相手の強さというか・・これから起きるであろうことの不安というのを強調する使い方が。

宇多丸
結構な猛犬だったのに「ワンワンワンワンワンワン!」ってやってるのに「クーン、クーン」「んっ?」ありますね。

三宅
姿を見せずにそういうふうに描くことが。

宇多丸
犬の場合はね。

三宅
これでまあ犬派の方には納得していただいて、決してないがしろにされているわけじゃないので。

宇多丸
この調子で全部の動物を聞くというね、バカな(笑)「じゃあ、ウサギは!ウサギは?」なんて(笑)

三宅
延々とね(笑)

宇多丸
続くというのは避けたいところでございます。

三宅
逆に「なんだ猫か」ってこうやってわざわざ括ると、まあ「なんだ猫か」初心者の方も多いと思うので、まあちょっとオススメの「なんだ猫か」映画みたいなのを紹介・・。

宇多丸
おお、いいですね!「なんだ猫か」映画っていう括りがもうできるのがすごい。

三宅
まあでもTSUTAYA行っても、そんなコーナーないですけどね。探してもね。

よく言われるのがリドリー・スコットの「エイリアン」っていう1979年の映画ですね。まああれは宇宙が舞台で宇宙船の中ですら「なんだ猫か」が出来るって言うことを立証した非常に重要な記念史的な映画だと思います。



宇多丸
猫ちゃん、最後に至るまで重要ですもんね。けっこうね。

三宅
そうなんです、続いて行きますからね猫がね。あれも宇宙船の中で「なんだ猫か」ってやると後ろにエイリアンがいるという使い方ですね。

宇多丸
それこそ「猫ちゃんこっち行っちゃって・・ニャーニャーニャーおいでおいで!」って要するに猫を・・また猫は勝手にどっか行きますからね、やつらは。
その勝手に行くのをこうやって追っかけてった結果よせばいいのにというところに行っちゃうパターンもありますもんね。

三宅
その罠にハマっていくといいますかね、そういうのがありますね。なんですけどまあストレートな「なんだ猫か」でいうと僕がもう一押しなのは「13日の金曜日」の昔の方のシリーズのパート2ですね。



これオープニングに秀逸な「なんだ猫か」があってですね。パート1の生き残りだったアリスっていう女の子が1人暮らしをしていると例によって「ガタン」と物音がして近づいていってカーテンを開けると猫がニャーと飛び込んでくる「なんだ猫か」

まあこれ絶妙なタイミングなんですごくびっくりするんですけれども。その直後に彼女が殺されちゃうとジェイソンにね。っていうのがまああるんですよ。「まあ普通じゃん、よくできているけど」と思うんですけど。

あの映画すごいのは、そこからパート2のメインのストーリーが始まって、新しいジニーっていう女の子の物語がスタートするんですけど。

最後にジニーが今度また「なんだ猫か」の状態に陥るんですよ。円環構造になっていて。

宇多丸
ああ、冒頭と同じあれになって「このままじゃ殺されちゃうよ!」と。

三宅
で、向こうで物音がした「まずい!まずい!」って言ってドアを開けると、そこにいるのがシーズーの「マフィン」っていう名前の子犬がいるんですよ。

で、「あれ?犬だ!」って言う。だからこの犬は通常「あなた、ジョンの様子が変なの」っていうのが定番でさっき言いましたけど。

「13日の金曜日」はたぶん世界中でも珍しい「なんだ猫か」ではじまって「なんだ犬か」終わるという非常に高級な・・高度なことをやっているんですよ。

宇多丸
ひねりが効いてますよね?もうさ「なんだ猫か」っていうフレーズを前提としているかのような仕掛けですよね?本当に。

三宅
そうなんですよ、でその直後にその犬が可愛い顔をして見ていると後ろからジェイソンがバーンと出て来てビックリするっていう。

宇多丸
ああ、じゃあ効果は同じなんだけど「なんだ犬かい!」っていうのが入ることでさらにこっちに気持ちが分かっているのにもう1回ミスリードされるというか。

三宅
先ほどperfumeの話でおっしゃってましたけど、同じことが繰り返されているようで同じ光景は2度とないんだっていうかですね、そういうような感じがけっこうあってですね。

宇多丸
それっていうのもちょっとベタに見えて知的な行動ですよね?

三宅
と思います実は、実はね。考えられているなあと。

宇多丸
僕、映画の中で同じ場面とか同じことが繰り返されるっていうときっていうのがすごく当然大事なわけで、なんかシンプルだけど「その手があったか!」っですね。猫を犬に代えるだけでも。

三宅
こんなに効果があるのかっていうのがありますね。まあそれはスタンダードなやつですけど。

あと割と酷評されているんですけど個人的にオススメなのは「ストレンジャー・コール」という映画があって、これは昔「夕暮れにベルが鳴る」っていう映画があってそのリメイクなんですね。



要は電話を掛けてくる相手が怖いっていうタイプの映画なんですけど。これはですね、「なんだ猫か」しかないような映画で。ずーっと「なんだ猫か」の状態が延々と続くという。

宇多丸
ミスリードが続く?

三宅
そうです、だから「なんだ猫か」って基本的には言ってしまえば「いないいないばあ」みたいな理屈なんですよね。

ただ「ストレンジャー・コール」の場合は「いないいない・・いない」みたいな感じの「いないのか!」みたいなっていうのがずっと続いて(笑)

宇多丸
それさ、あんまり重ねるとやっぱりちょっと観ている側もイライラしてくる。

三宅
イライラするんですよ、それがでもその映画のチャームポイントなんだなっていうことに気づくまでに3回くらい観ないと分かんなかったりすることもあります。

宇多丸
ああああ、もう要は確かにこんな重ねすぎはねえぞ!と。

三宅
なんていうんでしたっけ?「天丼」っていうんですか?そのそういうような感じがあってしかも出ないっていう。まあ「出る出る詐欺」みたいな感じの映画で・・

宇多丸
それだけが延々続く(笑)

三宅
だから「なんだ猫か」好きからするともう至福の時で、「これがもうずっと続いてくれたら良いのにな」っていう「終わらないで欲しい」っていう。

宇多丸
まあ確かに「なんだ猫か」で出て来ちゃったらもうそこでその事態が終わりですもんね。

三宅
そうするともうだいたい普通は1回の映画に1回しか使えない手法なんで、もう終わっちゃうと寂しいんですよね。

「今日の『なんだ猫か』はこれで終わりだ・・」みたいに思うんですけど、「ストレンジャー・コール」はずーっとそれです。

宇多丸
まだいけると、でもそれだけで出来上がってる映画ってすごいですね。デーン「なんだあ」、デーンデン「なんだ」っていう(笑)5回目で笑い、10回目で怒りますよね。

三宅
でも15回行くとまた笑えるみたいな、そういう映画ですね。

宇多丸
映画の奥深さというのをね、豊かな楽しみ方を提示していただいております。

三宅
まあ「13日の金曜日」のシリーズって割とそういうのが多かったり、あと「ストレンジャー・コール」も割と若い人が襲われるスラッシャーの映画っていうのが多いんですけど。そこでよく使われることが多いんですよね。

それはなんでなんだろう?ってことを考えてみたんですけど、たぶん元々そのスラッシャー映画の構造って「ヘンゼルとグレーテル」とかそういうものが元だと思うんですけど。

要は「掟を破ってはいけない」とか若い人の主に性的な行動であったりそういうものに対してちょっとウォーニングというかそういうものを伝えるような要素もあると思うんで。

よく「なんだ猫か」を見ると、「なんでわざわざ怖いところに行くんだ!」とかツッコんでしまうよっていう人がいるんですけど、まあツッコむためのシーンなんでしょうね。「行っちゃダメだ!行っちゃダメだ!」と。

つまり「志村後ろ!」みたいな意味がある。だから未だにずっと再生されているんじゃないかな?と思いますけれども。

宇多丸
文字通りだって「curiosity killed the cat」ですよね。だからそういう意味ではね。

三宅
ああ、そうですそうです。まさにその通りです。

宇多丸
だからそこで猫なのも「上手いなこりゃ」ってことかもしれないけど。あとやっぱりその猫はどこへ行くか分からないっていうか、急にも来るし勝手なところにも行っちゃうしっていうんで。

それで可愛がっている猫だったら追っかけてっていうのもまあ止むなしかな?っていう。

三宅
そうですね、無理がないんですね。やっぱりそこが犬とちょっと違うところだから。

宇多丸
犬だったらね、呼んで「ジョン!」って言ったらね「ワン!」つって返ってきておしまいっていうね。でもまあ「ワン!ワ、ワン!」って行っちゃってさっきの「ウ、ウウッ。キャン」これはありますよね。

三宅
そうすると、もう敵わないなっていう感じがするんですけど。でもこの「なんだ猫か」って実はもう1つ作劇上の重要な意味があって、

昔ヒッチコックがサスペンスとショッカーっていう手法は両立できないんだっていうことをおっしゃってるんですよね。

宇多丸
これは具体的に言うと?

三宅
具体的に言うと、まあサスペンスっていうのは「なんとかサスペンス劇場」とかいろいろありますけど。あれは大抵ミステリーなんですけど

要はその「サスペンダー」ってありますよね?ズボンを吊る軽部さんが付けているやつですけど。あれと語源が一緒で「Suspend」宙ぶらりんですね。

宇多丸
宙づりの状態。

三宅
その宙づりの状態を「サスペンス」というわけですよね。

宇多丸
要は「何かが起こるのか?起こってしまうのか?」っていうその状態ってことですよね。

三宅
不安ですね、起こるまで。その不安から早く解消されたいとお客さんが。それで地に足を付けたいということでその好奇心というものを煽っていくというか作劇を引っ張っていくという手法ですけども。

まあシナリオの基本的な手法ですよね?怖い場面だけのことではないですよね。それとその「ショッカー」っていうのは例えば今目の前で僕がいきなり爆発しちゃうと。それで宇多丸さんが血まみれになっちゃうと。

そうすると宇多丸さんがビックリされると思うんですけど。それは誰でもビックリすると思うんですけど。それがいわゆる「ショッカー」

宇多丸
「サプライズ」と言い換えてもいいのかな?ビックリ?

三宅
まあそうかもしれませんね。いきなりビックリすると。で、まあ僕の椅子の下に爆弾があるということを宇多丸さんが1分前から知っているとすると、その1分間はサスペンスっていう時間になるんですよね。

宇多丸
もしくは観客だけがここでカッチコッチ言っているのを知っていると。

三宅
そうですね、そうするとハラハラする。でこの2つは両立しないというふうにヒッチコックが言っていてその通りなんですけど。

まあでもホラーに関わっている人はみんなそうだと思うんですけど、なんとかそこを両立させたいっていう戦いがあって。

宇多丸
ビックリさせながら、サスペンスその宙づり状態も・・

三宅
キープするっていうので、そのたぶん唯一の解決方法が「なんだ猫か」だと僕は思っていて。

宇多丸
ほーう。

三宅
その「なんだ猫か」っていうのは「何が出るかな?」っていうサスペンスをずっと引っ張っといて1回サスペンスを解除するんですよね「なんだ猫か」で。

宇多丸
それこそショックで「ワーッ!」つって。

三宅
それでショックをやると、で解除した直後にその後もう1回来ますから・・猫はどちらかというとフェイクなので。1回外すためにやるので。

だからその直後に同じシーンの中でショックを起こしたときに効果がちゃんと・・いきなりショックをやるのと同じか下手するとそれ以上の効果っていうのが生めると1つのシーンの流れの中で。

宇多丸
1回安心しているわけだから、逆に落差がつきますもんね。

三宅
そうですね、なので「なんだ猫か」って一見ちょっとバカっぽく言ってますけど、実はけっこう難しいですし上手くやれている映画っていうのは実はけっこう少ないんですよね。

宇多丸
ちなみにヒッチコックに「なんだ猫か」ありますかね?「鳥」とかでありそうな気もしますけどね。

三宅
まあそうですね、ありそうな気がしますね。ただまあ両立は難しいと言っていて、確かにその両立は難しいんですけど1つのシーンでそういう流れが組めないことはないかなというふうに。

宇多丸
間とかもね、もちろん。

三宅
ものすごい大事です。

宇多丸
先ほど「13日の金曜日パート2」のその猫の出方が絶妙だって言いましたけど、その絶妙さっていうのはね。

三宅
そうなんですよね、けっこう技術が必要なシーンかな?と思って。

宇多丸
これ注意して見ていると「なんだ猫か」シーンはいっぱいあっても、「これは上手い『なんだ猫か』だな」とか。「これは新しい組み合わせだ」とかねいろいろ出てくるかもしれないですね。

三宅
出てくると思います。まあ今日は猫だけではなくて、猫を筆頭にしたある定番の繰り返されているシチュエーションってことなんですけど。

まあ他のパターンでいうと、まあよく出てくるのは「ここはいいから先に行け」っていうシチュエーションとかですね。

宇多丸
自分は犠牲にして。

三宅
自己犠牲で何か大きな岩とかを押さえてね「いいから行け!」っていうふうに言って仲間を救うっていうシチュエーションも良く出てきますし。あと個人的にすごく好きなのは「待て!足がいるだろ?」っていう。

宇多丸
これは説明がいると思いますよ。「待て!足がいるだろ?」

三宅
これは何か?っていうと、簡単に言うとそれまで対立関係にあった人物同士がですね何だかの例えば共通の敵っていうものを前にして和解するとかがあってですね。

そのうちの片方の人が敵地に向かうとか同じ目的を持って移動しなきゃいけないっていうときにその対立関係にあった人が

まあ同行はできないけれども協力するっていうことを表明するために「待て!足がいるだろ?」って言って車のキーを渡してくれるっていうようなシチュエーションですね。

宇多丸
ああ、なるほどね。「トラック野郎」のライバル同士とかね、そういうのがあるかもしれないですね。最初、敵対しているんだけど最後桃次郎がどっかに行くっていうときに協力して何かをして上げるみたいな。



三宅
っていうのはありますね。これも散々もう出て来ていろんな映画の中でね。例えば僕わりと個人的に好きなのが「レッド・オクトーバーを追え」っていう映画ありますよね?トム・クランシーの、潜水艦の?



宇多丸
潜水艦ですよ、車は出ないよ。

三宅
まああれは「足がいるだろ?」っていうのの意味をたどっていくとっていうことなんですけど。

まあ敵対関係にあった米ソ冷戦なので米軍の潜水艦の艦長のスコット・グレンがロシアの潜水艦の艦長のショーン・コネリーに拳銃を渡すシーンがあるんですよ。

宇多丸
要するに戦いに行くときに「これがいるだろ?」と。

三宅
「艦長、これがいるでしょ?」って言って渡すっていうシーンがあって、これはすごく良いシーンでしたね。

宇多丸
へえ、すっかり忘れていました!「レッド・オクトーバー」ちょっと見直して見ます。

三宅
けっこう効果的に使われてたなと。

宇多丸
銃・武器を渡すはあるかもしれないですね、またね。

三宅
そうですね、ありますね。何か言葉を投げかける場合もありますけど。このシーンってなんでこんなに繰り返されるんだろう?っていうことを考えていったときに要は「何のシーンなのか?」っていうことだと思うんですよね。

本当にこれをいわゆる車のキーっていうアイデアだけをコピペして作って行くと本当に形だけ形骸化しちゃうと思うんですけど。

主人公が次のエリアというか次のステージに向かって境界線を越えようとしているシーンだと言えるんじゃないかな?と思うんですよ。つまり関所ですね。それは実際の関所である場合もあれば・・

宇多丸
何だかの困難っていうか?

三宅
そうですね、次のステージに行くっていう考え方もあると思うんですけど。これはあの映画にもいろいろありますが、日本はけっこう昔からこのエピソードというかこのシーンって割と愛されていたんじゃないかな?って思ってて。

っていうのが「忠臣蔵」の中に「大石東下り」っていうクダリがあって、大石内蔵助が仇討ちをするために武器を調達して江戸へ向かってると。

関所で咎められるおそれがあると、そこで垣見五郎兵衛っていう用人が京都から江戸へ下ろうとしているっていう情報を得てですね、それは悪いことなんだと思いつつその垣見の名を名乗って宿に泊まるというクダリがあるんですよね。

まあそこの宿で本物の垣見が来ちゃうと。というのは、自分が泊まっていることになっていると俺がここにいるのに。

「出て来い、この不届者が」ってそうすると大石がその「俺が垣見だ」と譲らないと。「何言ってんだ、俺が垣見だ」とまあ言い合いになる。

ところがやりとりをしている中で垣見五郎兵衛本人が要するにその目の前にいるのが主君の仇討ちをしようとしている赤穂浪士だということが分かるんでしょうね。

で、いろいろ察してですね「自分が偽者だ」って言って引き下がる。そのときに「私は偽者なので、こんな物持っていてもしょうがない」って言って通行証を渡すっていうクダリがあるんですよ。

宇多丸
あああーー、なるほどなるほど上手いな。

三宅
燃えるシーンなんですね、これすごくね。でもうみんな裏で泣いて頭を下げるっていう有名なシーンがあるんですよね。これも非常に燃えますし、まあよく再生してくるシーンですよね?

これただある時期の忠臣蔵からどうも出て来たようで、ずっと昔からあったわけじゃないみたい。

宇多丸
へー、どっかで劇的に盛り上げるために?

三宅
そうなんですよね、加わってスライドしてきたんですね。物語ってそういうことがあるわけですけど。

どうも歌舞伎の勧進帳に出てくる「安宅の関」っていうエピソードがあって、要するに山伏のふりをした義経の一行がですね、逃げててですね。今の石川県の小松市にある安宅の関所で、まあやっぱり関所なんですけど。

関所を守っている関守の富樫左右衛門っていう人に身元がバレちゃうと。「お前ら義経一行だろ?」っていう話になるんですけど。

そこで弁慶が機転を利かせて勧進帳ですね、お寺の寄付集めとかの願書を読み上げるんですけど、実はそれは白紙なんですよ何も書いてないと。それを読み上げるんですけど、そこも見せ場なんですけど。

まあそれでもやっぱり疑われるので弁慶が金剛棒で義経をなぐるんですね。大変なことなわけですけれども。心の中では泣きながら叩く。

それを見た富樫が「そこまでするのか!」って言ってまあ感動して関所を通すっていう話があって、たぶんこれが元なんじゃないかな?と思うんですよね。

これはもともと能で安宅っていうのがあって、それがその歌舞伎に移行して更にその能のもともあって。室町時代に書かれた「義経記」って呼ばれるものの中にもあって。

っていうふうにどんどんどんどん辿っていくと大本っていうのがあって、実際にあったことを少しずつアレンジし、劇的にし、いろんな要素を省いていった結果、明確になってきて強化されて別の物語に移植されて

それを更にまたいろんな人がキャラクターにそういう役割を与えてっていうふうにオリジナルの物語がどんどん出来ていったというのがあると思うんですよ。

例えばアニメの「機動戦士ガンダム」っていうのの最初のやつでランバ・ラル大尉っていうキャラクターがいるんですけど、僕すごく好きな人なんですけど。



その人が脱走してきたアムロを疑ったときにちょっと懐を見ると、マントをよけると彼が実は銃を構えていたと。だけど、それは見なかったことにして行かせるとかですね。

宇多丸
うん、ああ確かにありますね。

三宅
あういうのもたぶんここが元なんじゃないかな?と思って。だからまあ強いエピソードだからマネしようとしていたかはどうか分かんないですけど。

宇多丸
まあでも無意識で・・

三宅
無意識でその物語のキャラクターが自然に呼び込んできたっていう考え方がたぶんできると思うんです。

これとちょっと似ているのが、さっき言ったのが「ここはいいから、行け!」なんですけど。「ここはいいから、行け!」っていうのはまあ要するに自己犠牲で脇役のキャラが立つシーンですよね?

これたぶんなんですけど、さっきの「勧進帳」の「安宅の関」の話と義経が結局自害することになる「衣川の戦い」っていうところでの弁慶の立ち往生ですよね?っていうのがたぶんミックスされて発展したんじゃないかなというふうに思うんですよね。

宇多丸
自己犠牲して関所を通すというのとミックスされた?

三宅
それがミックスされたんじゃないかなと。でまあある見せ場ってものも作り上げられていったんじゃないかなと思うんですけど。

どっちも利他性というか相手を慮るっていう精神でできているエピソードだと思うんですよ。

宇多丸
あのー、頼まれたわけじゃないのに察するとかもあるかもしれないですね。「足、貸してくれ!」つってね。「待て!いるだろ?」っていうね。

「ちょっとお前、銃貸してくれないかな?」「よし、いるだろ」っていうのじゃないんでしょうね。

三宅
それはレンタル屋さんですよね、それは業務ですよね(笑)

宇多丸
頼まれたから貸すんじゃないと。

三宅
だからたぶんなんですけど、要は正義っていうもののシーンなんでしょうけど。正義の「正」ってけっこう立場によっていろんな角度があって、

それこそ「ガンダム」でもこっちの側から見た戦争とそっちの側から見た戦争は違うっていうのがあると思うんですけど。

そのたぶん正義の「義」の部分というか、っていうものを大事にしているっていうことを伝えたくて残っているエピソードかな?と思うんですけど。

宇多丸
でもまあ普遍的だし、それがちょっと違う作品の中で形を変えるとフレッシュなものとしてちゃんと甦るという・・

三宅
そうなんですね。そういうことがたくさんあると思うんです。

ただ面白いのは結局一番最初はアメリカ映画を引用して「待て!足がいるだろ?」っていう話をしたわけで、じゃあなんで日本と海外で全然違うのに同じような考えが出てくるんだろう?っていうことなんですけど。

まあヨーロッパの神話とか調べていくと、やっぱりよく似たエピソードがあってですね。

神話の構造の中で主人公が、ぬるま湯に浸かっている平和な村から出て冒険をしていくというときに最初に第1関門を突破するときに門番と呼ばれている役割の人が出てくることがあって。

この門番はだいたい衝突するんですけど、ここで仲間になるというやり方があるんですよね。ここで相手を殺さなかったりすることで後で恩恵を得るという作り方があって。

これも別に意識して入れているわけじゃないんでしょうけど、その映画の中で門番の機能として海外の映画で「待て!足がいるだろ?」のに近いことをやることっていうのがあたくさんあるんですよ。

「刑事ジョン・ブック 目撃者」のアーミッシュの世界に主人公のシカゴの刑事のハリソン・フォードが入ろうとするときに、「英国人に気をつけろよ」って言って拒絶する忠告するアーミッシュのおじいさんがいるんですけど。



この人が最後に和解した後に帰り際に去って行くハリソン・フォードに対して「英国人に気をつけろよ」っていうふうに。

宇多丸
ああ、同じ仲間として認めたよと。

三宅
そう同じセリフを反復セリフにして認めるとか。あとまあ「あしたのジョー」というマンガのマンモス西とかも。

宇多丸
まあそうですね、典型的に最初は敵対して。

三宅
最初の少年院っていうフィールドに入ったときに敵対してますけど、仲良く成ることによって後で生涯の友になっていくっていうようなことあると思うんですね。

だからまあ「ベタだ」っていうふうにこういうことを言ってしまうのはそんなに難しいことじゃないというか・・簡単だと思うんですけど。

「ベタだ」というのはどういうことなのか?っていうと、生き残っているエピソードだというかね、何らかの価値があるから残っているんだと思うんですよね。

だからいろんな学校で教えていると、そういうジャンル映画とかそういうもののお決まりのシーンとかっていうのはあんまり私は勉強したくないみたいな生徒さんもたまにいるんですよね。

「芸術映画を私はやりたいんで!」みたいな、そう言うんですけど(笑)でもそういう人に限って結局悶々と悩んでですね。「窓辺」系になっちゃったりっていうかね?

「窓辺」系っていうのは本の中に出てきたね、自己内省的になってってしまうということがあると。



宇多丸
自分の中でグルグル回していくしかないですもんね。だからその型を破りたいんならやっぱり型は知らないとね、本当はいけないんですよね。

三宅
まさにそうなんですよ、そうじゃないと型破りなことはできないと思うんですよね、型を知らないと。

あとその物語って僕らより遥かに長生きしているものなので大先輩なので例えばそういうものを採り入れたぐらいで壊れちゃうほど柔なものではないというかですね・・

もちろんマネすることが目的で、コピペすることが目的になると非常にマズいと思うんですけど。

でも自然に呼び込んだものだったらむしろ乗っかった方がその書き手とか作り手の個性とかオリジナリティっていうのはかえって発揮できるんじゃないかな?とっていうのは普段授業でもよくいっているんですけどね。

宇多丸
さっきのそれこそ「なんだ猫か」っていう定型があるとしたら、それをこう自分ならどうアレンジできるんじゃないか?とかってアイデアも付加しやすいですもんね。

三宅
そうなんです。これだと「なんだ猫か」になっちゃうから避けようではなくて、それが自然に必要なものならそれを使っていかに自分がその「なんだ猫か」をどういう角度から捉えているのかみたいなことを使って行った方がよっぽど面白いんじゃないかな?というふうに思うんですけどね。

宇多丸
以前とかだと全体の構成からとかから分析するような見方とか教えていただきましたけど、今回で言えば個別の演出でもやっぱりある種の定形というか基本テクみたいなのを知っておくと更に・・

例えば「これがこれの変形だな」とか「逆にこれは新しい!」っていうのが分かるかもしれないですもんね。

三宅
もっと言うとそれをフラグだというふうに点で考えるとコピペになっちゃうんですけど、今の「勧進帳」なんかもそうですけど人間関係の軌道の上に出てくるエピソードなので、それ自体が持っている力っていうのは点じゃなくて線の力があるはずなんですよね。

だからそういうところを掘っていくと作品を作りやすくなったり映画を見るときに「なんでこれが出てきたんだろう?」ということを別のストーリーなのに出てきたみたいなことも発見していくのもまた面白いんじゃないかなと。

宇多丸
人間同士でもね、その関係のあり方とかそれはだって太古からある種のパターンの中に当然あるでしょうしね。

そこでだからそういう余りにも突飛なことやらせると「こんなこと普通の人言わないよ」みたいな感じになっちゃうとか。なりがちだったりとかっていうことですね。

三宅
まあまあ、そうですね。というふうに思うんですけどね。いろんな形で「なんだ猫か」的なるものを探してみるのが面白いんじゃないかなと。

宇多丸
言われてみればですよね「なんだ猫か」だって、散々みているわけですからね。いろいろここにも「何かおごらせてくれよ」「いいけど空の上はもうごめんよ」とか。

三宅
乗り物パニック映画のラストで言うやり方ですよね。

宇多丸
飛行機のあれで事件が起きたから、そういうオチがつくと。これもでも和解っていう感じがあるんですかね?

三宅
そうですね、ただまあ物語って終わったら必ず次の物語が始まるのでこういうやりとりをすることで新しいドラマがスタートするということも充分あると。

宇多丸
これも気になるのが「焚き火を囲むシーン」って気になるなあ。

三宅
焚き火を囲むシーンて言うのは手短に言うと神話の中で旅の仲間と切磋琢磨して最終決戦に敵陣に向かう前に焚き火を囲む。そこで胸襟を開くというか・・

「JAWS」の傷の見せ合いなんかが典型ですけど、その直後にサメが襲ってきてチームが固まった瞬間に襲ってくるっていうことで、更に結束が強くなるというような。これもいろんなストーリーのいろんなところに出てくる。



宇多丸
だんらんのシーンとかね。ペキンパーにおけるお風呂入っているシーンみたいな感じのことですよね。だいたいお風呂入ったあとに何かドカンドカンになるんだよね。


はい、ということでたぶん無限にこのパターンいろいろ見つけ出せると思いますので皆さんも能動的に型を見つけ出すという見方をしても面白いんじゃないでしょうか?

(了)

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