2015/08/25

ライムスター宇多丸が聞く「『スクリプトドクターの脚本教室・初級編』がやっぱり案の定面白かったのでこれを書いた三宅隆太という人にいろいろ聞いてみよう」

今回は2015年7月5日放送「ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル」
サタデーナイトラボ「三宅隆太単行本発売記念」を起こしたいと思います。


宇多丸
今夜お送りする特集はこちら「祝!単行本発売記念『スクリプトドクターの脚本教室 初級編』がやっぱり案の定面白かったのでこれを書いた三宅隆太という人にいろいろ聞いてみよう」特集!

さあということで、もう前置きは置きまして行きましょう。今夜のゲストをお招きいたしましょう。スクリプトドクター、皆さんご存じかなあ?三宅隆太さんです。

三宅隆太(以下、三宅)
はい、こんばんは。ご無沙汰しています。

宇多丸
そうなんですよ、ちょっとね図らずも空いてしまいましたけど。

三宅
1年ちょっとぐらいですね。

宇多丸
この番組何度も出演していただいております、三宅隆太さん。実は昨年の5月3日「ぶっちゃけ6も好き、なんなら7も好き」特集以来のご出演、ずいぶんちょっと経っちゃいましたね。1年越えちゃいました。

肩書きはいろいろ勝手に並べさせていただいております。まあ「脚本家・映画監督」これはいいですよ。「ブルボン愛好家」もう懐かしい感じもしますね。「入浴剤ソムリエ」私が裸になってっていうね・・屈辱的な特集をやりました。

そして「ぬいぐるみのグル」あのね、「ぬいぐるみ」特集というね、この番組屈指のホラー回と言われている(笑)。などの肩書きを持ち、こっちで勝手に言っている肩書きがありまますが今夜はスクリプトドクターとしてご出演でございます。

というのも、三宅さん初の解説書『スクリプトドクターの脚本教室 初級編』が発売されたからです。おめでとうございます!よいしょ!


三宅
ありがとうございます!

宇多丸
実はこれ1年経ったのは、要するに「三宅さんの特集やろうよ」って言うと「三宅さんもうすぐ本が出るから、これぐらいに出るから」って言ってたらその本出るのがどんどん延びて・・こう1年経ってしまったという現実でございます。

まあそれだけのことはある本というかね、読むとこれはね「ここまで踏み込むんだったら、これ時間がかかるのはしょうがなかったな」という感じがする本でございます。

三宅
いえいえ、もう発売の1週間前ぐらいまで書いてました。もうギリギリまで。

宇多丸
そんな東京国際映画祭に「タイタニック」をかけるジェームス・キャメロンのような直前まで編集してみたいな。そうですか!

三宅
けっこうギリギリまでかかりましたね(笑)

宇多丸
あの私この本にオビの推薦文を書かせていただき。

三宅
もう、ありがとうございます!素敵なオビを書いていただいて。

宇多丸
いやいや、あのまあ僕なりにね書かせていただいたんだけど。まずこれ本を実際に手を取られた方はびっくりされると思うんだけど、ここまでクドいオビは珍しいっていうね。「クドい!」っていうね。

三宅
いやいや、みっちりと(笑)

宇多丸
でも本当にあの、単純に言って無茶苦茶面白かったです!先ほども申しましたようにやっぱり時間かかるのもしょうがないかな?というか・・

というのはその脚本の本っていうとたぶん皆さん想像をされるような脚本の構造とかについてハウツー本というかそういうのはいっぱい出てるし、まあ古典とされるような本もけっこうあるじゃないですか?

そういうところから更に2歩も3歩も踏み込んでその別に脚本に限らずの本ですよね?完全にね。

三宅
ああ、そうかもしれないですね。

宇多丸
創作すること全般というか、実際にですねしかもね。具体的作業としての創作っていうのにそのこういう思考のプロセスが必要ですよとか経た方がいいですよみたいなのを。

しかもドクターならではの豊富な実例、患者をいっぱい扱ってきた例を出しつつ、実例とともに出すっていうですね。これ三宅さん以外書けない本ですよね?

三宅
ああ、そうですかね?もうそう言っていただけると恐縮です。

宇多丸
本当にすごいと思います。ただ単純に僕その自分の創作というかラップの作業で例えば最初に良いと思ったアイデアが途中で煮詰まっちゃったときとかに「この本普通に役立つぞ!」っていうか。

三宅
本当ですか!それは嬉しいですね。

宇多丸
普通に使えちゃうっていうことだと思います。ということで今回はこの「スクリプトドクターの脚本教室 初級編」その発売を記念して三宅さんがこの本に込めた思いやスクリプトドクターを取り巻く現状をうかがいつつ、

リスナーの皆さまから届いた質問を紹介していくという、こういう形にさせていただきたいと思います。

三宅
はい、よろしくお願いします。



宇多丸
そもそもスクリプトドクター、2009年「エンドロールに出ない仕事人 スクリプトドクターというお仕事」特集というので過去2回にわたって特集させていただいた。スクリプトドクターってそれまで名前としてはほぼ知られてない、日本では。

(リンク)三宅隆太が語るスクリプトドクターまとめ

三宅
はい、そうですね。ほとんど出回ってない単語だったような気がしますね。

宇多丸
まあでもその三宅さんの特集以降ですね、少なくともこの界隈では知られてきていると思うんですけど。あれからそのスクリプトドクター業界というか、変化などはあったのでしょうか?

三宅
スクリプトドクター業界っていうのがまあそもそもあの放送のときにね、宇多丸さんが「影の軍団」というふうに呼んで下さったんですけど。まさに「影の軍団」で、今もね。なので影の軍団同志が知り合いではないだけで、どこか別のところに影の軍団がいる可能性はあります。

宇多丸
ああ、やっぱり引き続き横のつながりみたいなのがあったりするような・・

三宅
感じではないですね。もちろん何人か知っているドクターもいますけれども。それで前に7人なんてことを言ったんですけど。あとは僕自身がその例えばドクターの仕事だけじゃなくて、

放送の後にいろんなプロデューサーの方が例えば若いプロデューサー、脚本家と実際に脚本を構築していく人たちですね。に対してドクター的な観点というか、まあストーリーアナリスト的な観点を勉強させたいみたいなことで僕が呼ばれてレクチャーをしたりだとか

あるいは逆に本の中にも書きましたけど、俳優さんが本がもっと的確に読めるようにということでオファーを受けたりというような形のドクター業みたいなのも広がってきたりとかしてるのは実感としてはありますね。

宇多丸
まあ実際ね名前が知れている、決して出来上がった作品上には痕跡を残してはいけない人としてのドクターというのがあるから。まあ三宅さんぐらいしかやっぱりたぶん公のあれがないから。

三宅
まあそうですね、確かに日本でドクターをやってる人間が書いた本という意味では今回は初めてかもしれませんね。

宇多丸
どうですかね?その理解度みたいなのは高まってるのでしょうか?業界の。

三宅
まあ例えばこれも本に書いたんですけど、かなり早い段階で初稿とかですねシナリオの早い段階でそのオファーをいただく機会は増えました。

宇多丸
要するにもう何度も何度も手術を重ねて、体つぎはぎになっちゃってるような状態で持って来られても困りますっていう。

三宅
うーんそうですね結局、脚本家自身も苦しんでいるしプロデューサーの方もそのどうしていいか分からないみたいなかなり精神的に疲弊した状態のなってから来ると、結果的に例えば撮影が近づいていたりすると直せる部分と直せない部分ってどんどん出て来ちゃうんですね。その確定要素っていうんですけど。

だからなるべく早い方がいいっていうことは言い続けてたんですけど、まあその早めに声を掛けてくれる方が増えたのは良かったなというのと。

まああとはただ業界的には前から仕事はいろいろあったのでそんなにじゃあすっごい劇的に変わったか?というと今言ったぐらいで。どちらかというとその一般の方にこのスクリプトドクターという名前が・・ネームにおいては広まったのかな?とは思うんですけど・・

まあその分、若干ちょっと誤解もやっぱりあるのかな?というのはどうしてもありますよね。

宇多丸
どういう誤解が多いんですかね?

三宅
うーんとね、ドクター業に関する誤解というよりもしかするとそもそも脚本を作っていくプロセスとか脚本業というものに対しての誤解がやっぱり多いのかな?と。無理もないんです、見えないからだと思うんですよ。

映画が公開されて初日の舞台挨拶に立つのはやっぱり監督ですし、映画祭とかでも監督がやっぱり前に出ますので脚本というのはどのように作られているのか?って完成からした映画からはなかなか推し量れないと思いますし、推し量る必要も特にないと思うので。

なので、やっぱり脚本というものの組み立て方とか自体がなかなか見えないのだろうなという気がします。

宇多丸
一番多い誤解とかってあったりします?

三宅
例えばですけど、ちょうどこの本を書いてる最中だったんですけど。たまたまある脚本学校の近くの喫茶店で原稿を書いてたんですね。そしたら隣に学校の学生さんらしい男性の方が何人かで来られて大きい声で映画談議をしてたんでしょう、楽しい感じで。

で、何か映画を見たんですね。ある邦画を。それは僕がドクターで入っていた映画だったんですよ。もちろんそれは彼らはご存じないのはしょうがない。

それをご覧になった彼らが「あの映画の脚本家はアホだよな」と。「あんな穴に気付かないなんて」とか、あと「俺ならこうするぜ」って言って代案をいろいろ話していらっしゃったんですけど。

宇多丸
僕もちょいちょいやっちゃいますけど。

三宅
それで「俺、ドクターに向いてんじゃね?」みたいな話をね、してる。

宇多丸
おおおっ!横にドクターが!!

三宅
まあまあまあ、でもまあ僕は影の軍団なので聞こうと思ってたわけじゃないんですけど大きい声でおっしゃってたんで(笑)ただ、そのときの脚本家さんの名誉のためにいうと横で言ってた彼が「俺ならこうする」って言っていたアイデアは当然かなり早い段階で出していて。

基本的にアマチュアの方が思いつくアイデアってまあプロは基本は思いつくもんだというのがあるんですけど。それでもいろんなことがあってそのアイデアを選択しないという選択をそのプロジェクトはしてるんですよね。

これが分からないのもしょうがないし、一般の方はそれを作り手はいろいろ大変だから、それを差し引いて映画を観なきゃいけない理由も全くないんですけど。

ただ問題は彼らが半分プロに足を突っ込んでるというか、その実際に脚本家になりたいとかドクターになりたいっていうことをいろいろしゃべっているところを見ると、どうも根本的に実際「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ」っていうあれがありましたけど

会議室で事件でけっこう起きているもんですから、やっぱり脚本を作っていくというのはそういうものなので・・

宇多丸
脚本を作っていくという過程でいろんな意見が入ってきたり?

三宅
とか、そうですね。あるいはそれに対してどう対応するのか?とか、あるいはそれをどう取り入れていくのか?っていうのは当然我々は脚本家としてもドクターとしても日常的にやることでそれはやるのが当たり前のことなので

どうもその辺が脚本学校の生徒でも分かってないっていう状況があって、そこの壁は高いのかな?っていう・・

宇多丸
それっていうのは例えば今の日本のメジャーというかある程度お金のかかった映画っていうのは、製作委員会システムというかいろんな意見が入ってきやすいじゃないですか?それでこう会議室がその事件が起こりやすいというか、戦場になりやすいっていうのはあったりします?

要するにいろんな人が入って混乱しやすいじゃないですけど・・

三宅
それもまあないとは言いませんが、ただまあなんて言うんでかね?その脚本って脚本家が好き勝手に別に書いたものがそのまま映画になることが美しいかというと必ずしもそうではなくて、やっぱり総合的なものなので。

別に脚本家が最初に書いたものを「こういうアイデアを入れて」っていうことが悪事だとは僕は全然思わないんですよね。ケースバイケースなので、ただ要は不測の事態が起きることも当然ありますし。

あるいはその方向性が打ち合わせを重ねていくうちに変わっていくことも当然あるので。そういうのに対応するのが基本的に脚本家ですし。まあそれでたち動かなくなった場合に入るのがドクターなので。

その辺は僕は脚本学校で教えるときは生徒たちにはその辺も含めた訓練というか対応できるようには教えるようにはしていますけどね。

宇多丸
そのじゃあ若き脚本志望の彼らにちょっと横から「私、三宅ですが」ってこうアドバイスするならどう言ってあげたかった感じですかね?

三宅
うーーん、どうなんだろうなあ・・難しいけど。

宇多丸
ハハハ、悩んじゃった(笑)まあそれも個別なんでしょうね。今回の三宅さんの本で分かるのは要するにメソッドを当てはめて済む話は1個もないっていうことが分かる本ですよね。個別で違う。

三宅
まあそうですね。相手によるし、プロジェクトにもよるしっていうことですかね?

宇多丸
でもそれだけでも今回の本、画期的だなと思うんですよね。その脚本本って割りとあるメソッドとか型にはめればできるんだじゃないけど、そういうふうに思う・・勉強した気になる本が多いと思うんですけど。

これはでも「そんな雑なもんじゃない」っていう、なのですごく微妙な話もされていますし。まさにカウンセラーのね、本当にドクターじゃねえか!っていう領域ですね。

三宅
まあ必要だと思うんですよね。

宇多丸
じゃあちょっとリスナーの方の質問メールを三宅さんに投げかけつつ、この本の内容に踏み込んでいきたいと思います。

メール
私は現在、田舎の町で上演される市民ミュージカルの台本を書いているところです。オチは決めずに頭から書いていきます。ですが、台本が6~7割できたところで筆が止まりました。それでも練習が始まる前に書き上げたいと思い、クライマックスくらいまでお話をひねり出しました。

すると、演出担当者は「これでだいたいOK」と言いましたが、作曲担当者は「もう一山欲しい」と言いました。一方で異口同音に言われたのが「最後の最後はキャスト見て完成させた方が良いものができる」という意見

それって台本の良し悪しをキャストにおっかぶせているように思いました。とはいえ、キャストに会うまでの完成にしそうにないのですが。台本自体の完成度ってどのあたりまでを目指すといいのでしょう?ミュージカル(舞台)と映画で話が変わってくるかもしれませんが、ご意見を聞かせて下さい。

三宅
なるほどなるほど、僕はその演出家の方とか作曲家の方がおっしゃった「キャストを見て完成させた方が良いものができる」っていうのは僕も同感ですね。このケースに関して言えば。

宇多丸
このケースに関して言えば?

三宅
いやいや、映画とかテレビドラマの場合は要は経済が当然ありますので、舞台も当然ありますけども。例えばどこのロケをするとか俳優をどれだけ拘束するとかいろんなことを考えながら、当然書かなければならないので脚本は基本的に固めて撮影に入るものですけれども。リライトも含めてですね。

ただ、これは舞台で稽古期間がたぶんある程度以上時間があるのでしょうから。そういう意味ではその他人とつまりキャストと関わることで自分が気づいてなかった自分の心のフタがパカっと開くっていうチャンスはあると思うんですよね。

それによって当初思っていたプランがダメになるのではなく、もっとグルーヴするようなというか・・いうふうに新しいアイデアが出てくるという可能性はまだあると思うので、もっと良くなる。もっと良くなるというか違うものになっていく良さっていうものもあると思うんですよ。

なので、あんまりこう・・もしかしたら事前にちゃんと用意しなきゃならないんじゃないか?っていうすごく責任感の強い方なのかもしれないですけど。あまり「ねばならぬ」と思い過ぎなくてもそう言っていただいているのでしたら・・

特に地元の市民ミュージカルということなので、これ地元のキャストの方ですよね?きっと距離も近いしそのコミュニケーションも取りやすいし、そういう時間もたっぷりあるんだと思うので。

例えば前半部のお芝居の稽古をしていく中で自分が脳内で思っていたのと違うアプローチの芝居をしてきたりっていうことが、気づきのヒントになったりということがあると思うんですよね。いや全然それでいいんじゃないかと思いますけどね。あんまり固め過ぎなくても。

宇多丸
じゃあそのまさに先ほどおっしゃられていてその脚本家1人のビジョンがそのまま直で反映されればそれがいいか?と言うとそういうことでもないこともある?

三宅
やっぱり、総合芸術とかよく言いますけども。小説を1人で書き上げるのとちょっと意味が違うので。

宇多丸
それは小説はその形態ですもんね。それが完成形ですけれども。

三宅
そうですね、人との関わりなのであんまりおっかぶせるというよりももっと太くなるというかね、というふうに解釈してもいいんじゃないかな?というふうには思いますけども。

宇多丸
なるほど、これを参考にしていただきたいと思います。続きまして・・

メール
「スクリプトドクターの脚本教室 初級編」読みました。技術的な部分はもちろん、脚本家の内面のことも書いてありとても面白かったです。昨年、初めて劇場映画の脚本を担当し、とてもしんどい思い(精神的に)をしたのでもっと早く読みたかったです。

そうすればもう少し上手く監督やプロデューサーとコミュニケーションできたと思いました。そこで三宅さんに質問です。三宅さんの著書をはじめシド・フィールドや新井一といった方々が書いた脚本教則本に書いてあるようなことが当てはまらない映画はありますでしょうか?またなのに面白い映画があれば教えていただければ幸いです。

宇多丸
シド・フィールド、古典中の古典。

三宅
そうですね、「3幕構成」で有名な方ですね。まあシド・フィールドとか新井さんの本の何をもって書いてあることとしているのかはちょっとあれですけど。

もし「3幕構成」とかのことなのであれば脚本家としてドクターとしても知る限りでは、大枠の構造を三幕を使って書き始める前に探るっていうことは全然あるんですけど、それはシナリオの軌道を探るためのもので、あるいは道に迷ったり遭難しないために辿るもので

実際書き出すと細かい部分はどんどん変わってきますし、登場人物がいろいろ変えてってくれる部分もあるので。

宇多丸
いわゆる、勝手に動き出すという。

三宅
そうですね、いろんなキャラクター同士をぶつけることで動き出すっていうこともたくさんあるのでそういう逸脱しすぎないためにある考え方なので、例えば1つの旅だとして考えたときに何でもいいんですけど東京から北海道まで3日で行くという旅なんだと。

3日目には北海道にいなきゃいけないんだということが決まっていれば、いいんだと思うんですよ。あんまりギチギチにしていって2日目の昼は何とか県のどこどこっていう食堂で何を食べるっていうところまであんまり決めちゃうと旅で何が起きるか?っていう楽しみとかハプニングとかっていうものが発生しにくくなっちゃうんじゃないかな?と。

宇多丸
豊かさが失われるというか。

三宅
ような気がしますね。1歩間違うと予定調和になる可能性もある。ただシド・フィールドってすぐ「3幕構成」とか言われるんですけど、その何百ページもある本なんでいろんなことを書いていらっしゃるので実はけっこう型にはめようっていう考えの人じゃないと思うんですけどね。

だから「当てはまらない」っていうのはそもそも別に当てはめる必要もないですし、当てはめろ」と言ってる人でもないと思うので(笑)それはたぶん指南書書いていらっしゃる方みんなそうだと思うんですよ。

派手な部分ってやっぱり目立つので何となく「シド・フィールド=3幕構成」みたいになりがちなんですけど、キャラクターのことも書いてますし、だからあとは当てはまってないのに面白い映画っていうのがあれば?っていうんですけど、それはいくらでもあるでしょうし、逆に言うとないとも言えるというか要するに「当てはまってない」ってこともないじゃないかな?と。

宇多丸
大枠で言えば当てはまるとも言えるし・・

三宅
と思うんですよね。何を持って当てはまるかっていうときに、何かこうじゃあ例えば「3幕構成」の第1ターニングポイントは事件に巻き込まれてとか、第2ターニングポイントはまあよく冗談で言うんですけど「姫はさらわれてナンボ」とか言うんですけど(笑)

誰かさらわれて、それで助けに行くのがクライマックスだみたいなストーリーラインだけが「3幕構成」じゃないので・・ってことなんですよね。ストーリーラインと構造っていうのは別にイコールなものではないので。

宇多丸
ストーリじゃなくても何か映画上の、例えばトーンが変わるポイントかもしれないし、そういう意味では当てはまるかもしれないけど。でもストーリーでいうと別にそういう構造でもないとか。

三宅
ないということもありますね。ここ難しいんですけどね、これねなかなかこれを言葉で伝えるのはなかなか難しいんですけど。だから僕、実はそれもさることながらその前の去年はじめて劇場映画を脚本されてとてもつらい思いをされたと。

「この本が早く出てればコミュニケーションができたんじゃないか」ってことなんですけど、ちょっとどういう状況だったのかその場にいなかったのでいい加減なことは言えないんですけど。

僕もデビューして何年か本当に苦しくて、脚本の打ち合わせをして慣れない中でいろんなプロデューサーの方とかいろんなクライアントの方とか「あれ入れて、これ入れて」とかいうのを全部「面」で受けていたんですよね。

宇多丸
まあ真正面から受けていた?

三宅
真正面からで、それをこう全部メモして「何とか全部入れなきゃ」みたいな。ただオーダーしてくる監督もプロデューサーも脚本家ではないので、脚本家と同じ思考でものをオーダーするというのは不可能だと思ったほうがいいですし。

むしろその方たちが言っている言葉をそのまま受け止めるのもいいんですけど、何でそういうことを言うんだろうな?と何かが引っ掛かってて、例えばそれを「どういうことですか?」「どういうことですか?」って問い詰めると「じゃあシーン38が変だと思うんだよ」っていう話にたぶんなってくるんですよ。でもね、そうかどうかは限らないんですよね(笑)

宇多丸
本当の原因がその「シーン38」かどうかは。本当の患部は、直すべきは別のところかもしれない。

三宅
だから何でその「シーン38」をおかしいと思ったんだろうな、この人は?というところをもっとコミュニケーションをとって探った方が実は直すのは早いし、悶々と苦しまなくて済む、全部を背負い込む必要はないと思うんですよ。

せっかくそのために脚本の打ち合わせというのがあるので、さっきの話じゃないですけど他の人と関わることで気づくこともあるとは思うんですよね。

宇多丸
その「シーン38」がダメって言われるけど、実際に直すべきはそこじゃないかもは実際にライムスターの曲を作っていてもすごくありますね。「何かこの曲ちょっと・・何かだと思う」つって、「ここかな?」みたいなことをやるんだけど・・

「いや、そうじゃなくてその手前のここだ」とか「そうじゃなくてここに接続詞のこれを入れればこのニュアンスは出るんだ、だから他は変える必要がない」とか、なんかそれは後から分かったりしますね。

三宅
ああ、やっぱりそうなんですね。あのたぶんほぼ本質的には同じ話なんだと思います。で、あとはその方がその問題「なんかここは嫌だ」とか「こうしろ」というふうに感じているその人の感じ方ですよね。

それは当然自分とは違うものなので、そこが分からないから知りたいっていうことを話し合った方がいいとおもうんですよね。

宇多丸
じゃあそこはもっと話し合いを重ねていくべき、納得できるまで?

三宅
そうですね、だからこれもまた抽象的な言い方になっちゃうかもしれないですけれども。やっぱりこう自分が思っていることをなるべく、言いづらいのは分かるんですけどデビュー当時とかは。僕も大変だったんで、なかなか。

なんですけれども、相対化させるというか思っていることを心にあんまり貯め込まないで、新しい流れを見つけるっていうのが1番良くて。やっぱり脚本と実は一緒でキャラクターが黙ってしまうとなかなか動かない、抱え込んでしまうと。

だから「あっ、そんなふうに思っていたんだ!」「そんなつもりじゃなかったんだけどな」って向こうが思うかもしれないし、逆に向こうの方がこう思っていたっていうことをはじめて知るっていうこともあるのでキャッチボールをすると本当はいいんですけど。まあなかなか最初は難しいとは思うんですけどね。

宇多丸
まあ今後「しがない」なんておっしゃってますけれども、頑張っていただきたいということですかね?えー、続いて行きましょう。

メール
質問です。映画作品の長さについてです。脚本段階である程度の作品の長さが分かるそうですがよくスタッフインタビューで「脚本段階では4時間あったんだが・・」みたいな話をよく聞きます。

上映時間を脚本家はある程度想定して執筆しないものなのでしょうか?また上映時間を想定せず書かれた脚本がある場合、適切な上映時間に当てはまるようリライトする場合、スクリプトドクターが関わることもあるのでしょうか?

三宅
まず1つ目なんですけど「上映時間を脚本家はある程度想定して執筆しないものなのでしょうか?」ということなんですけど、執筆します。それは脚本家としても普段そうしてますし、ドクターとしてもそこは気をつけるんですね。

宇多丸
あのー、アメリカの脚本だと1ページ1分っていうのがもうフォーマットとしてあるんですよね。

三宅
そうですね、日本もそういうフォーマットがあるので。あとはなんでそれを想定する必要があるか?というと、経済が全然変わってきてしまうので。

宇多丸
4時間の作品と90分の映画じゃ全く違いますね。

三宅
その俳優の拘束時間から何から全部変わってきますから、だからそこが決定的に映画とかテレビは絶対必要な部分ですね。ただまあ厳密な部分で言うと例えば撮ったら2時間半になりましたと、だけどなんとか2時間にしたいということは起きます。

それはどうしたらいいだろうか?ということを編集で探るということはありますし、あとは撮る前に「このままだと2時間半になっちゃうので2時間の本にしてから撮影に入りたい。だけどこの要素は残して、ここは変えないで30分切るのはどうしたらいいか?」っていうことをドクターとして依頼されることはあります。

宇多丸
なるほどね、ということはこの「4時間あったんだが・・」っていうのは実際4時間かどうか分かりませんけど・・

三宅
これはね、難しいのは「脚本段階では」っていうフレーズが「決定稿で4時間あったんだが」っていう意味なのか?「元々、脚本を作っているときに1回4時間まで膨れあがったことがあるんだけどね」っていうニュアンスかで、なんとなく後者のような気はするんですけど
、撮影直前のシナリオが4時間あったら、誰か止めるんじゃないかっていう(笑)

宇多丸
そうですよね!「これ全部撮るんすか!?」ってね(笑)

三宅
しかもそうすると1日の上映回数が圧倒的に変わってきますよね。4時間だとたぶん1日2回とかしか回せなくなるので、そうするとお客さんの入る人数も限界が来るので・・、元々そういう映画もありますよね?

宇多丸
まあ「セディック・バレ」じゃないけどね、それはもちろん。

三宅
それはもうそういうプランのはずなので、だからあとはそれを変えずに切るにはどうしたらいいか?っていうときはだいたい近似した役割の登場人物とか、近似した役割にまつわる空間とかを統合できないか?っていうような感じで探ることはあります。

宇多丸
まあ主人公を導く役だったら、メンターがいたら。「これメンターの役、ちょっとこの人とこの人役割2つある必要ないかもね?」とか。

三宅
「かぶってるかもね?」ということですね。あるいはその片一方を若い人にすると、父親的メンターと若い人で変わることによって何かの展開がもうちょっと絡められて早くなるかもね?的な。

あれとかが上手くいっていますよね?「スカイフォール」のQが若くなったことで地下鉄に乗るサスペンスがありましたけど、あれって前のQだとQはいつも工場にいて一緒には行かない人だからっていうのでQをもし出すならQのところに1回行かなきゃいけなかったわけですけど。

まあ今いろいろデジタルとかで連絡を取り合えるということで今の若いQはあれで一瞬バディになるわけじゃないですか?そうすることによってその中心軌道というかメインのストーリーのサスペンスに生きるキャラに変わってて、たぶんQを絡ませながらスピードが速くなってるというまあ非常に分かりやすい例だと思いますね。


宇多丸
はーなるほど・・面白いわぁ。はい、最後の質問あっという間ですけど行かせていただきます。「スクリプトドクター業界、まあ脚本業界と言い換えてもいいんですが、今後どうなっていくか?」まあ日本の脚本業界ということですかね?あと三宅さん自身の願望も込みで。

三宅
そうですね・・極端なことを言うとスクリプトドクターとして失業するぐらいになった方がいいと思うんですよね。

宇多丸
それはどういうことですか?

三宅
僕にオファーが来るっていうことは、それだけ苦しい思いをしているプロジェクトがたくさんあるということなので。本当ならドクターなんていないで済むならいない方がいいと思いますから。

宇多丸
まあ確かに医者にかからないで済むなら。

三宅
やっぱり対象の脚本家とプロデューサーさんとで上手くいけばそれに越したことはなくて、まあほとんどの映画はそれで上手くいっているはずなんですけど。そうじゃないものの話が来るので、なるべくそういうのが減っていくといいなというのと、

それもあって、さっき言ったような実際若いプロデューサーとか社員の方とかがドクター的な・・ドクターというとまたちょっと違うんですけど、ストーリーの分析とかを的確にできる人が増えていけばいいんじゃないかな?と。各プロジェクトの中にね。

というふうには思いますね。だからなるべくこういう僕みたいな特定の人間を「ドクター」というんじゃなくて、そのチームの中で解決できるような状況になるといいなと思いもあってこういう本を書いてたりもするという・・

宇多丸
確かにそうですね、そういう思考法というかを持った人がもうちょっと増えれば創作全体がもうちょっと幸せになるのになあ・・っていう。

三宅
そうですね、そのストーリーの分析だけではなくてその対象脚本家とプロデューサーが向き合っているつもりですれ違ってたりということも本当は中で気付いていけるといいのになという思いもあって、そのカウンセリング的な要素についても書いてるっていうことなんですけどね。

宇多丸
それがすごい・・実際あのさっき「創作全般」って言ったけどもうそれすらも超えて日常で例えば人と人とで自分を表現しながらコミュニケーションをしていくというときにやっぱり自分の中の何か思い込み・・

この本の中でけっこう最初の方に出てくる「女性に対する態度」の自分の中の枷というか・・自分では気付いていない自分の中の枷みたいなのを外す考え方というのもできるし、何でもいいけど自己分析するってすごく大事なことっていうか、何においても・・

三宅
いや本当にそうですね。あの追い込まれば追い込まれるほどやっぱり慌ててしまって、自己凝視というか自分の感情に引っ張られ過ぎてしまって相手をしっかり見れなくなったり相手の真意を測れなくなったりっていうことっていっぱいあると思うんですよね。

宇多丸
「自己凝視」っていう言葉は僕はすごく印象的でした、確かに。考えているつもりなんだけどそれは考えているんじゃないよと「自己凝視」

三宅
慌てているだけだったり・・。

宇多丸
その中でグルグルやって「どうしよう、どうしよう!」ってやってるだけだって。これでも実際の、実生活に悩んでいる人がそういう思考にはまらないようにする知恵も入っているなというふうにも。

三宅
そういうふうに使っていただけるとありがたいですね。嬉しいですね、それも。

(了)

関連コンテンツ

スポンサードリンク