成城大学准教授・木村建哉が語る「4つのテーマからみる相米慎二監督論」

2015/06/07

Session-22 荻上チキ 相米信二 南部広美 木村建哉

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今回は2015年5月7日放送「荻上チキ Session-22」
セッション袋とじ・木村建哉「キムタツのシネマ講座」
を起こしたいと思います。


荻上チキ(以下、荻上)
さて今回は相米慎二監督ですね。
改めて南部さん紹介をお願いします。

南部広美(以下、南部)
はい、相米慎二監督のプロフィールをご紹介しましょう。
相米慎二さん、1948年岩手県の出身。
高校時代から8ミリ映画を撮り始め、1972年に助監督として日活で現場入り。

1975年にフリーになった後は、長谷川和彦・寺山修司などの助監督を務め
1980年に「翔んだカップル」で監督デビューします。

翌年、薬師丸ひろ子が主演した「セーラー服と機関銃」が
その年の邦画第1位を記録する大ヒット

その後も「ションベン・ライダー」「台風クラブ」などの傑作を世に送り出し
1990年のキネマ旬報の特集「80年代監督ベストテン」では第1位に選ばれます。

2001年の「風花」で円熟期を迎えたかにも見えましたが、
次回作「壬生義士伝」の準備中に肺がんのため53歳の若さでこの世を去りました。

荻上
はい、相米監督80年代から90年代の日本映画界を代表する監督として
評価されているんですけれども、具体的にはどういった作品のどういった評価で
その監督の地位が築かれたということになるんでしょうか?

木村建哉(以下、木村)
そうですね、まずは「セーラー服と機関銃」1981年から82年にかけて公開ですけど
これが記録的な大ヒットであったということが認知の上では大きいと思うんですけれども


「台風クラブ」これが1984年の第1回東京国際映画祭で
「ヤングシネマ大賞」を受賞しまして、しかもこのときは審査委員長が
ベルナルド・ベルトルッチですね。

「ラストエンペラー」「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」といった
傑作で知られる監督ですけれども、ベルトルッチがまさに激賞したわけですよね。
「作り手の自分にとってこれはもう大きな影響を与える映画だ」という。

そこでやっぱり監督としての評価がかなり高まって、
それ以降はずっと監督として注目を浴び続けてきたといっていいと思うんですよね。

荻上
「作り手に影響」っていうのはこれ本当に
もう最も褒め言葉としたら上級のものになりますね。



木村
そうですね。

荻上
それから相米監督の映像というのはその後映画界にはどういった
影響を与えているものなのでしょうか?

木村
そうですね、例えばですね。
今言った「セーラー服と機関銃」で言いますと、
4番目の助監督に黒沢清監督が実はついているっていう。

黒沢清監督は口癖のように「相米慎二のようにはやらない」っていうね。
後で説明しますけど、リハーサル回数も増やさないし、
2・3回で本番撮っちゃうんだって言ってるんですけれども、

「相米のようにやらない」って言ってるっていうことは
これは逆に相米慎二を非常に強く意識して影響を受けているっていうことですよね。

他にも監督で言えば例えば「シャブ極道」などを撮っている細野辰興監督であるとか
あるいは昨年映画版の「おしん」を撮った冨樫森監督いった監督が助監督から
まだまだたくさんいるんですけれども巣立ってますし。


あとスタッフでは美術監督では種田陽平さん、クエンティン・タランティーノの
「キル・ビル」の美術で一躍注目を浴びて、まあ李相日の「悪人」であるとか、


あるいは最近ではジブリの「思い出のマーニー」のアニメの美術も手がける
というふうに幅広く活躍しているんですけれども。


この種田陽平さんは「光る女」の美術助手をしていて、
そのときに相米監督から「お前、自分のやってることが面白いか?」
みたいな趣旨のことをかなり激しく突っ込まれたらしいですけれども


そこでまあ自分は目覚めたというようなことを語っていらっしゃるんですね。
そういうふうに後の世代の監督やスタッフに絶大の影響を与えてる
と言って良いと思います。

荻上
それはもう直接仕事をした人を今挙げていただきましたけど、
当然ながら映像の視聴体験を通じて多くの後の世代にも影響を与えたり
引用されたりということもあるわけですね。

それから登場する役者たちにも当然ながらその力はあるわけですね。

木村
新人女優っていうかアイドル映画というのも撮ってるわけですけれども、
つまり薬師丸ひろ子・斉藤由貴・牧瀬里穂といった人々を女優に育てたわけですね。

他に工藤夕貴とか河合美智子とかまあ「ションベン・ライダー」っていう映画は
あとでまた触れますけれども坂上忍が元々子役で出ていて、
優等生の役をやってるわけですけれども。

永瀬正敏と河合美智子はこの「ションベン・ライダー」がデビューで
オーディションだったわけですよ。2人ともその後役者として中学生で
オーディションでデビューをしてその後ちゃんと役者でやってるっていう


後でまた話が出て来ますけれども、田畑智子とか「お引越し」
新人女優賞を何人取らせてるんだ!っていうくらいアイドルや新人を
女優として育てる力を持っている。

荻上
相米の指導力というか現場の監督観っていうのは割と檄を飛ばす方なんですか?

木村
ところがですね、檄というかダメを出すんですよ。ポジ出しじゃなくてごめんなさい。
ダメ出しなんですけど、徹底的にダメを出すんですがそれが何のためか?っていうと
余計なものをはぎ取るためなんですね。

その辺はちょっと後でそのダメ出しを繰り返すという話のところでまた出て来ます。

荻上
そうですね、今日はですね相米慎二監督の作品の魅力などに迫っていくために
相米慎二監督論について4つのテーマを立てて、今日は話を伺っていきたいと思います。
では、まずはこちら。

南部
「『長回し』という方法論」

荻上
というわけで、映画好きの方には聞き慣れたワードですけれども「長回し」
改めて「長回し」とはなんでしょうか?

木村
えーと、映画っていうのは普通はショットを編集して複数のショットをつなぎ合わせて
細かくショットを割っていくわけですよね。

1つのショット、つまり1回で撮影して編集用に前後を切り落としたものですけれども。
1つのショットってのは普通数秒なわけですよ。

荻上
真正面から撮って、横から見てみたいな。

木村
そう切り換えていくわけですけれども、相米慎二監督は「長回し」という技法を
得意としていて・・・というか非常に多用していて、
これはもう数分間から長いときには14分とかそんなぐらいにまでなる。

というこの「長回し」という、ちなみに今現在のハリウッド大作っていうのは、
1本の作品が3000ショットとかね、4000ショットとかあるんですけど。

相米監督の作品はたぶん100ショットある作品は珍しいんじゃないか?
っていうくらいショット数が少なくて、ワンショット、ワンショットが
非常に長いんですね。

荻上
ショットが長いということはその分役者に対するプレッシャーというか期待というか
仕事も多くなるし、役者だけじゃなくて美術とか照明とか道具とか場面転換とか、
いろいろ問われますよね?

木村
大変なんですよね。で、何と言っても役者がね、ごまかしが出来ないですよね。
ずっと続けて演技をしなければいけない、けれども演技の緊張感が切れない。

あと、まあ広いところを動き回るの追っていきますんで
クローズアップを挿入するっていうことがないわけですから。

顔を作って芝居をするっていうことが出来ないんですよ。
だから全身で演技をする。駆け回るしね。

特にそういうのが10代ぐらいの子どもから少年・少女の時代の
役者のたまごの段階の子たちにとっては非常に縛りが

まだ出来てない柔軟な身体を思いっきり弾けさせるっていう
そこで非常に効果があるというか威力があるんだと思うんですね。

荻上
だから若者の生身の身体の躍動感が混沌を醸し出す画面が
どんどん続くわけですよね?

木村
やっぱり顔で小細工して小器用な演技でごまかせないっていうね。
それが出来ないっていう、子役なんかでもちょっと大人の期待に応えちゃう表情をする
子役とかいるわけじゃないですか?

荻上
涙流すのが上手とか、それはそれですごいんですけどね。

木村
すごいんですけど、それも必要なんですけど。
相米はそうじゃないところを狙ってるんですよね。

で、この「長回し」っていう方法論には相米はかなり執着してましてね。
これ有名なエピソードなんですけど『翔んだカップル』に
例の「人間モグラたたき」のシーンがありますよね?


ボクシング部の鶴見辰吾と尾美としのりが人間モグラたたきのモグラで出て来て
それを薬師丸ひろ子と石原真理子がグローブでボコボコ叩こうとするんだけれど
下手くそで「後ろを向いてやるよ」とか言って、

で、ボコボコ叩いてるうちに泣き出しちゃう。尾美が泣き出しちゃってっていう。
あそこで4人写ってて「後ろ向いてやるよ」って言うんで
4人の顔がちゃんと見えるんですよね。

ただ、クローズアップにはしない。これプロデューサーが伊地智啓さん。
先ほども言いましたけれども『映画の荒野を走れ』というインタビュー集を
最近出させていただきましたけれども。


伊地智啓さんが「ここは最高のクライマックスでこれはクローズアップだろ!」と。
「クローズアップなんで入れないんだ?」と、
ラッシュって撮った映画を試写室で見るわけですけれど、

「なんでクロースアップが入らないんだ、クローズアップを撮ってこい!」と。
で、「撮り直し」って言って1週間後に1回バラしたセットじゃないですけど、
飾り付けとかもう1回するんですよ。けっこう手間も掛けて。

「1週間後に撮り直し」って言って撮り直してきたのを見たら、
全く同じ撮り方だったっていう(笑)

荻上
撮りはしたけれども(笑)

木村
撮りはしたけれども、だからそんな不必要に寄ったクローズアップは絶対撮らないっていう・・
これは口では言わないけど、やっぱり不退転の決意があって、

まあ伊地智啓プロデューサーも「まあこういう覚悟なら」というので
最後まで反対はしていたけれども、その後も事あるごとにこのインタビュー集の中でも
何度も何度も「あのモグラたたきのシーンは本当はクローズアップがあって・・」って

何度も何度もおっしゃるんですけれども、でも逆にそこのやりとりで
相米慎二っていうのはこういう監督なんだっていうのがどうも分かった
というところなんですけれども。

荻上
どうせ撮らないんだったら、やり直さずにそのお金浮いたんじゃないかっていう(笑)

南部
組み直すの大変だったと思います(笑)

荻上
今は思いますけど、やっぱり予算感とかも違うんでしょうかね?当時は。

木村
違うんでしょうね。それで「なんだこれ!」じゃなくて
「じゃあそういう態度でそこまで貫き通そうっていうんだったら、それでやろう!」
っていうプロデューサーも太っ腹と思うわけですよね。

荻上
「ションベン・ライダー」でも他のところでもいろんなところで
長回し使ってますよね?

木村
ええ、「ションベン・ライダー」は冒頭に有名なすごい長回しがあるんですけれども。
長回しって聞くと事前にかなり綿密にプランを立てておくと思いがちなんですけれども。

荻上
「カメラがこう動くので・・」みたいな。演劇みたいな感じがしますもんね。

木村
実際、映画っていうのは普通の監督だったら前の晩に助監督と相談して
絵コンテっていうのを描くわけですよ。
こんなショットをこういうふうに撮ってきますというような。

で、長回しだから絵コンテはないにせよ「だいだいこんなふうに撮る」って
事前に決めとくかっていうと、全然そうじゃないんですね。

現場を見て「ああ、こうしよう!」っていうふうに。
で、「ションベン・ライダー」の冒頭は中学校の校舎の塀の外で始まって
クレーンって工事用のクレーンみたいなものなんですけれども。

まあ人間が動かしてアームも人間が動かして出入りして、
その上の台にカメラマンとカメラが乗ってるんですけど。

そのクレーンからクレーンに
カメラマンがカメラ抱えたまま乗り移るっていうのを2回してるんですよ。

これクレーン普通3台いるんですけど、3台用意出来ないんで
1台目から2台目に乗り換えた後は1台目を急いで移動して
次の乗り換えにっていうんだけど、これ初日クレーン1台しかなかった。

まさか2台クレーンが必要だなんて撮影そんなないでしょ?普通。
で、初日はクレーンが1台しかなかったんでリハーサルだけで終わったと。

2台用意して2日目で撮影出来るか?と思ったら、
今度は音声さんがちょっと音声が3台目乗り換えた後が拾いきれないというので
音声さんの準備がそっちをしなければいけないというので、

結局2日間リハーサルだけして3日目に本番撮ったっていうのだけれども、
これ中学生の3人組ですよ。その3人組もわけ分かんなくてやり始めてたから
「こういうものだ」と思って、でも日が変わるごとにやっぱり頑張るじゃないですか?

スタッフも日が変わると「昨日と同じことは出来ないな」と
まあ仕掛け自体も変わるわけですけど、そういうなんか事前にきっちり決めない
っていう長回しの取り方なんですね。

これは実はこの後にテーマである「リハーサルを繰り返す」
っていうこととちょっと関係してくる。

荻上
うーん、じゃあ2つ目のテーマは行きましょう、こちらです。

南部
「繰り返されるリハーサルと理由を言わないダメ出し」

木村
えーとですね、リハーサルの繰り返しがこれはもう半端じゃないわけですよ。
100回とか普通に繰り返す。

南部
えーーっ!!

荻上
もうそれ演劇ですね。

木村
なんかだいたい映画の現場って朝の9時に現場入りなんですけど、
スタッフはもうちょっと早く行って準備をしているのかな?

でも普通は現場はカメラ位置も照明も決まっててリハーサルを何回かして
テストしたらどんどん撮影していくわけですよ。

ところが相米慎二監督の場合は朝まず何から始めるか?っていうと、
そのシーンをまあとりあえずやってみよう、「演じてみて」って若い役者に言うわけですよ。
それからは延々ダメ出しです。で、理由を言わないんですね。

荻上
その間、ずーっと撮り続けている?

木村
えーと、カメラは回さない。
カメラが回るのはもう夜になってからなんです。
日が落ちてからとか下手すると真夜中過ぎてからとかなんですが。

もうそれは理由も言わずに「ダメ」「ダメ」「ダメ」
で、やっぱり理由を聞きたいでしょ?

「どこをどうして欲しいんですか?」って例えば薬師丸ひろ子とか
聞きに行ったりしたことがあるらしいんですけど、そしたら
「バカ!お前が考えるんだ」と(笑)

で、口癖は「お前が考えろ!」なんですね。これスタッフに対してもそうで、
であの自分で何か言っちゃってその通りにやらせると型にはまっちゃうと。

何十回、下手すると100回とかやってくともう何がなんだかわけが分からなくなってくうちに
何か余計な縛りが全部落ちてすごいハイになって途轍もない演技が出来る瞬間がやってくる。

その瞬間を待つためにちょっとまた実はいろいろと過程があるんですけど
1回上がったあとに「じゃあこの演技に合わせて照明のセッティング」とか言うと
また時間がかかるとかあるんですけど、

でもともかくリハーサルを延々と繰り返す。
具体的な指示は出さないそうですね。

荻上
なるほどなるほど。しかも若い子たちですから、
具体的に分からないことがたくさんあるわけですよね?
ダメばっかり出されても、ブラックですよね。

木村
でもね、やってるうちに分かってくるということなんですよね。

南部
いやでもダメ出される方もだけど、出てくる神がかってくる演技を待ってる方も
やっぱりすごい忍耐力がいるっていうことですよね。

木村
要りますよね?で、撮影とか照明のスタッフもその待ってる間、時間を潰しているんじゃなくて
やっぱり見るんですよ。で、リハーサルの様子を見ていて
だんだんだんだん演技が出来上がってくる

「あがる」って言うんですけど現場では、役者の調子がこう上がってきて
「ああ、演技の流れがこういうふうになるな」っていうのが
だんだん出来てくるのを見ながらカメラ位置を考え、

「カメラ位置はこうなるな」というのを考えながら照明の位置を考え・・
そうすると意外と準備をして撮り始めてからは早い。

南部
場をひとつに融合していくっていう。

荻上
「コンテで説明してくれ!」って思ったりしますけどね(笑)
そうはいかないですね。

木村
スタッフにも「ああしろ、こうしろ」じゃなくて「お前は何がしたいんだ!」
「どうすれば面白いのか考えてくれ!」って。人の力を徹底的に引き出す。指示しない。
指図しないっていうね、そういうやり方なんですよね。

でも薬師丸ひろ子なんかは「セーラー服と機関銃」で
あの十字架みたいなところにはりつけられて、はりつけになって延々リハーサルですからね。
もう上で怒り狂って「相米殺す!」とか叫んでいたという噂もあるんですが(笑)

南部
言いたくもなるでしょうね。

木村
「お引越し」では田畑智子さんね、撮影当時小学校6年生ですけれども。
まあ両親の離婚がテーマの映画なので、
そのところはちょっと難しくて説明してあげたらしいんですけど。


でもやっぱり説明しないで徹底的にダメ出しするんですよね。
ちなみにこれ「キネマ旬報」の新人女優賞というのを取ったときのコメントが
「キネマ旬報」に掲載されてるんですが、

これ撮影の1年以上後で、田畑智子さん中学校1年生のときのコメントですけど
相米監督について、

「私に『タコ』『ガキンチョ』『娘っ子』とかいろいろムカつくことばかり言います」
「四条大橋から撮影が終わったら投げてやるぞ!と思ったことも何度もあります」
「でも今はとても感謝しています」って

撮影中はもう本当に「殺してやる!」とか思う役者さん・・
特に若い役者のたまごさんがいっぱいいるらしいんですけど。
終わると何故か大好きになってしまう。

で、現場で突然むちゃくちゃなことを言われて困り果てたスタッフも、
でも相米慎二のために努力するのがもう楽しくて、出来上がったものがすごいものになって
「相米大好きだ」みんなで先を争うように相米のために身を削るような努力をしてしまう。

荻上
なるほど、独特の空間が映画を作り上げているということになるんですね。
では続いての3つ目のテーマはこちらです。

南部
「現場や撮影期間中の突然の変更」

荻上
しかもさらに変更するんですね。

木村
そうです、つまりリハーサルしているうちにいろいろ出てくるわけで
しかも撮影期間中に、例えば撮影場所とかやってれば「あっ、これが出来る」とか分かりますよね。

ロケハンで分からないことが本番の準備中に分かっちゃうっていうことがあるんですよ。
それから役者の個性とかも分かってくると、脚本に書いてないこととかやらせるわけですよ。

「ションベン・ライダー」で言えば、原日出子さんとかいきなり
10メートルもある橋の上から飛び込めって現場で言われちゃって、飛び込むわけです。
飛び込んで泥水飲み込んで、そういうすごいことになるわけですね。

荻上
それ、思いつくのもすごいですけどね。
「これ飛び込ませてみよう、子どもに」っていう(笑)

木村
今はちょっと出来ないんじゃないか?と思うんですけれども。
あるいはですね「お引越し」なんかですとね、後半田畑智子演じるレンコが山の中を
さまよい始めてから後のシーンが脚本に全然ないんです。

南部
えっ、あのシーンないんですか!?

木村
無いです!脚本に全然ないんです!

南部
えっ、だってそここそが!っていう感じじゃないですか!?

木村
クライマックスと思うでしょ?で、まあ脚本家のひとりの奥寺佐渡子さんっていう人を
京都に呼んで脚本を京都で撮影中に直したらしいんですけど。
その辺の話も伊地智啓さんインタビューに出てくるんですが。

もう田畑智子は突然「山の中で撮影だ」って言われて、ロケバスで山の中に連れて行かれて
しかもご覧になったら分かる通り山道なんかじゃないんですよね。
道のないところを竹が生えてるような生い茂っているようなところを登ったり下りたり。

で、かなり滑り落ちたりとかね。そういうこともさせられてて。小学校6年生ですよ!
しかも琵琶湖に燃える船が出てくるとか言うのを、撮影期間に入ってから京都に行ってから
「船燃やしたい!」って、スタッフはそこでスケジュールも考えて船準備して・・なんですよ。

荻上
しかもけっこうなビジュアルの船ですよね。

木村
けっこう大きい沖縄で使っているお祭用の船らしいんですけど。

荻上
それを男衆が運んできてっていう・・。

木村
かなり準備とか仕込みが必要ですよね?
でも、言われるとスタッフも喜んでというか嫌がりながら
「ひどい目に有ったよ」と言いながらも結局嬉々としてやってしまうっていう・・

なんか独裁者として長回しで振る舞うんじゃなくて、
一見すごいひどいことをやらせているみたいなんだけど、

でも最後はアイデアを引き出してスタッフ・キャストから力を引き出して
潜在的な自発的な能力を引き出した上で、自分がこう流れに乗せちゃうっていう。

その部分でなんか深い相米慎二監督の意志っていうのがきっとあると思うんですけど、
でもやってる方は特にスタッフなんかはもう「楽しい」と思って嬉々として
苦しいことを相米のためにやってしまう。

で、何人かインタビューしましたけれども、みんな悪口を言うんですよ。
「ひどい監督だ!」って言いながら愛があって、で、みんな自分が一番
相米慎二のことが分かってるっていうふうに多分思ってるんじゃないか?っていう・・。

荻上
ああ、映画見てるとそれこそ「お引越し」の船が燃えるシーンで
そこで家族がバラバラになって、それにまあ「おめでとうございます」っていう・・

あれはすごい象徴的で意味が込められているように読むんですけど、見るんですけど
その場で思いついたことなんですね?

木村
えーと、途中部分ですね。山から湖までは。
「おめでとうございます」は確かあった、ちょっと記憶がはっきりしませんけど。

荻上
その前の展開となんか必ず結びついている印象がありますけどね。

木村
ありますけれども、それはたぶんその場の思いつきというのではなくて
やっぱり撮りながら更にって行って
もっとやっぱりこの小学校6年生の女の子の成長っていうのを

もっと具体的に映像で見せるためには
更にもっとこの女の子に試練を下さなければいけないという・・
下されている方は大変なんですけれども。

荻上
そうですよ、凶悪なイニシエーションです。

木村
でもまあ、やりきっちゃうわけですね。小学校6年生の女の子が
四条大橋から投げてやろうと思いながらやりきってしまうわけです。

荻上
さて、いよいよ最後のテーマはこちらです。

南部
「没後10年を機に再評価、更に海外での評価とは?」

荻上
今は海外では相米慎二監督はどういった語られ方をしているんですか?

木村
そうですね、元々そもそも「台風クラブ」がナント三大陸映画祭で
最優秀監督賞を受賞してたりとか、あるいは「あ、春」1998年の作品ですけど。
これがベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞をとっていたりとか


一定の評価は海外であって名前も一応覚えられてはいたんですけれども、2011年。
相米慎二監督2001年に亡くなってますので没後10年ということで
私たちの共編著の「甦る相米慎二」もこの年に出版をして


秋には11月国際映画祭の「東京フィルメックス」で監督全13作品の上映があって
これが非常に盛り上がったわけですね。

そこには「東京フィルメックス」は国際映画祭ですから
海外の映画祭の関係者も方もかなり来てて、
英字幕ついてないプリントの方が多いんですけれども

字幕もない状態で相米の映画を見たという方がたくさんいるんですね。
翌年にこれが2012年に「エジンバラ映画祭」あるいは「ナント三大陸映画祭」
っていったところで全作品上映が行われて、

そしてこの2012年の年末にはパリの「シネマテーク・フランセーズ」
っていうのがあるんですね、かつてゴダールやトリュフォーやロメール、シャブロル
といった人々が通って映画を見て、映画の作り方を学んだっていうような

そういう由緒あるシネマテークですね、映画の収集・復元・保存・上映をしている
世界的に有名な施設なんですが、そこで全作上映があってそこから波及して
今さらに世界での評価っていうのが広がり続けているところで。

今年は今度はドイツ語圏に波及しまして、フランクフルトで6月の上旬に
「ニッポン・コネクション」という日本映画の特集が毎年あるんですけれども、
ここで相米の特集9本上映される予定です。

というので、まだまだアングロサクソン圏・北米などもありますしね。
今後さらにもっとその余波があるんではないか?それから2013年には
なんとフランスで相米慎二について博士論文が書かれているんです。

相米慎二についての初の博士論文だとたぶん思うんですけど、
それが日本ではなくてフランス語だった。

ちなみに書かれた方は今は横浜国立大学で日本語で日本映画について
教えていらっしゃる。そういう意味でも日本映画研究者も世界に広がっているし
相米も注目されているって言っていいと思います。

荻上
なるほど、意味的な注目度化ってどうされてるんですかね?相米はね。

木村
あのまあ文化的な違いっていうことはいろいろあるとは思うんですけれども。
ただ、感情が説明的なフレーズではなくて、長回しと身体全身の激しい動きで
感情が表現されるんでそれはなんか文化的な意味を超えてですね。

深いレベルのエモーションっていうのが
文化的な差を超えて伝わるところがあるんじゃないか?と思います。

(了)

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