ジャーナリスト・青木理が語る「オウム事件から20年、警察の捜査に問題はなかったのか?」

2015/05/04

1995年 オウム真理教 デイキャッチ 荒川強啓 青木理 地下鉄サリン事件

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今回は2015年3月23日放送「荒川強啓デイ・キャッチ!」
「デイキャッチャーズ・ボイス」青木理さんの回
起こしたいと思います。



荒川強啓(以下、強啓)
今日のテーマはこちら

片桐千晶
「オウム事件から20年、警察の捜査に問題はなかったのか?」

強啓
先週金曜日で丸20年

青木理(以下、青木)
そうなんですよね、早いと言えば早いのかな?という・・
実は僕元々通信社の記者をしていて1995年の3月20日
警視庁の記者クラブっていうところにいて

まさにあの日霞ヶ関あたりを走り回りながら取材してたんですね。
まあ95年っていうのは本当異常な年で

強啓
阪神・淡路大震災ありましたしね。

青木
1月17日にあって、3月20日に地下鉄サリン事件があって
その直後に警視庁をはじめとする全国の警察がオウム真理教への
強制捜査に入り、3月30日には警察庁の長官が誰かに

これは一時オウムの仕業じゃないか?って言われたけど
結局分からないまま迷宮入りしたんですけれども
そんな事件も起きていて

強啓
で、5月16日は麻原が逮捕。

青木
というまあ本当、当時僕も若かったんですけど
もう1週間くらい寝なかったんじゃないか?っていうくらい
取材をしていて

当時のことをパッていろいろ思い出しながら
この間テレビ・新聞、もちろんラジオもそうですけれども
いろんな問題点を指摘されていますよね?

先週、津田塾大学の萱野先生があういう若者たちっていうのは
なぜオウムに入ったのか?っていうことをもっときちんと捉え直さなきゃいけない
っていうことをおっしゃっていて、まさにその通りだなとは思うんです。

ただね、いろんな報道を見ていて20年だっていう報道を見ていて
僕ね、少なくとも僕の見た限りで全く触れられていない。
っていうかほとんど触れられていないことがあって

やっぱりこれはきちんと言っとかなくちゃいけないだろうなと思って
ちょっと今日これをテーマにしたんですけれども。

強啓
それが警察の捜査?

青木
うん、あのね僕当時警視庁の記者クラブで警察の捜査
まさに警察側に立ってというか、警察の動きをずっと取材してたんですよね。

で、その僕が当時感じたあの頃僕は原稿も何度も書きましたし、
あの当時はそれがけっこう問題になったんだけど、今回実は問題になってないので
僕は不思議に思ってるっていうかちょっと今日喋ろうと思ったんですけど。

実は地下鉄サリン事件はおそらく防げただろうと、間違いなく。
なぜならばやっぱりいろんなところがあるんですけれど。
いろんな節目があったんですけれども。

一番大きな節目っていうのは坂本弁護士事件なんですね。
これ起きたのが89年ですけれども。



その坂本弁護士事件っていうのは、坂本弁護士一家が奥さんとお子さんとが
いきなり失踪する、まあ拉致されて殺されたんですけれども・・
っていう事件ですよね。

この事件ね、実を言うと皆さんご存じの通り
現場にはオウムのプルシャっていうバッジが落っこってたんですね。

坂本さんはオウムに入信してなんとか取り戻したいっていう
被害者の弁護団の活動もされていた。

今考えてみると、発生当初からオウムの犯行っていうは強く疑われてたわけですよね。
僕はあれは早期に解決が可能だったと思うんです。

ところが当時神奈川県警があまり捜査に動いた気配が・・
まあもちろん捜査はしてるんだけども、真剣に捜査した気配が薄い。

なぜかっていうと、坂本さんの所属されていた弁護士事務所っていうのが
その3年前にね、神奈川県警が共産党の幹部の家を
盗聴してた事件っていうのがあったんですよね。

この盗聴していた事件の追及をしている弁護士さんたちが所属していた
坂本さんの事務所にねっていうこともあって。

ある意味警察にとっては憎い・・
敵とは言わないけどもうるさい奴らだっていう思いがあって
どうも真剣に捜査をしなかった節があるんですよ。

で、もっと言うと実を言うと90年ですね。
つまり坂本さんが拉致をされた次の年、実際にオウムで坂本さん拉致・殺人に
関与した今死刑囚になってますけども・・

その男が神奈川県警に
「いや実は俺たちがやって坂本さんの子どもはここらへんに埋まってるよね」
っていう情報提供までしてるんですよ。

まあはっきり言えば内部通報ですよね・・までしてる。
それが長野県だったんだけれども、で雪が降っていて条件が悪かったんだけれども。
その近くでその情報に基づいて穴を掘っているんですよ。

ところが1日で止めちゃったんですよ。
そのときにもうちょっと真剣にこの情報は本当なんじゃないか?
っていうことを真剣に捉えて、

実はその県警が穴を掘って1日で止めちゃったところのすぐ近くに
実際にそのご遺体が埋まってたんです、あったんです。

つまり89年の段階、事件が起きたばっかりの段階
あるいはそれから1年後にそういう情報提供があった段階っていうところ
この大きく言えば2箇所の節目で

仮に神奈川県警が本当に真剣に調べていれば、
坂本弁護士事件っていうのは解決できる余地が僕は十分にあったんだろう
というふうに思うんですね。

当然ですけど、坂本弁護士事件が解決出来ていれば
その後の一連のオウムの事件例えば94年の松本サリン事件
95年の地下鉄サリン事件もそうですが、

その前後に起きた仮谷さん拉致事件なんかも、
仮谷さんは残念ながら亡くなってしまったけれどもそれも起きていない。

つまり坂本弁護士事件ってオウム真理教の一連の事件の
一種原点みたいな事件なんですよ。

で、僕は思うんだけれども。これは推測ですけれども。
そのオウム真理教っていう教団、今「アレフ」っていう後継団体に一部なって
まあ別の分裂している団体もあるんですけれども。

教団がいわゆる犯罪行為に手を染めていく原点だったわけですよね。
僕はこれ推測だってさっき申し上げたのは、あの事件である意味
世の中をナメたんじゃないか?と思うわけですよ。

だって3人も連れ去って拉致して殺して埋めて、
改めて見たらものすごい雑な犯行なわけですよ。
だけど捕まらないと、現場にはプルシャも落ちてたよね。捕まらないよね。

あのだってまさにオウム真理教に入信した信者を取り返したいっていう人たちの側に
立っている人間だから、オウムとある意味敵対していた人間を家族ごと拉致して
殺して埋めて捕まらないバレない「大丈夫じゃん!」っていうふうに

やっぱりその警察とかっていうのを一種ナメたというかね、
っていう面もあったと思うんです。
で、話戻るんですけれども。

やっぱり坂本弁護士事件っていうのを何故解決出来なかったのか?
っていうことをそのもう一回今考える必要があると思うんです。
20年という節目でね。

あれさえ解決出来ていれば、何故解決出来なかったんだろう?
何故出来なかったかと言えば、やっぱり警察の中に自分たちの不祥事を
追求してくるやつはどうも気に食わん。

特に共産党みたいなね、警察的な発想で言えば何ていうのかな・・?
共産党っていうのは敵ですからね、
そういうものに対する警察の歪んだ思いみたいなもの

あるいは、警察の捜査能力の問題もあると思いますよね。
っていうその丁寧に丁寧にやっておけば解決できたんですよね。

強啓
まあだから今裁判行われてますよね?高橋被告の。
だからそのあたりも含めて徹底的にもう一度総括しないと

青木
でもそれ言ったらね、その教祖だってね果たして本当に今どうなっているのか?
彼の関与っていうのは本当だったのかどうなのかっていうのも
実は解明されてないですからね。

強啓
そうだね、一番そこを知りたいところですもんね。

(了)

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