2014/10/16

コロッケが語る「いいなと思う人のまねをした方がいいと、一番手っ取り早いし」

今回は2014年8月25日放送
「コロッケのラジカントロプス2.0」
を起こしたいと思います。

こちらからの続きになります。
コロッケが語る「うちのマネージャーも稽古見たことないんですよ!」

植竹
最近のコロッケさんのものまねってやっぱり音が大事じゃないですか?
それは何かiPadとか使って全部練習することがあるんですって?

コロッケ
あっ、iPadっていうかその録音して・・録音というか
作ったものをiPadに移し込むってことですね。
そうです、そうです、そうです。

植竹
それでホテルか何かでやって?

コロッケ
それで例えば「Let It Go」とかそういうやつを
今流行ってるじゃないですか?
で、僕の中でちょっと田中邦衛さんがここ1年くらいマイブームなんですね。

今、田中邦衛さんっていう僕の中では。
それで「Let It Go」を田中邦衛さんで歌ってるんですよ。
コンサートで。

これが歌う必要ねえだろ!っていう(笑)
あと今ガッカリさせないでこの歌を!っていうのと
やっぱり2手に分かれるんですよ、お客さんって。

だからそういうのを練習するときに
音楽を取り込んで元々の歌とそれからカラオケとかもあったんで
カラオケも入れたりとかっていうのは

そういうのでは映画にしろ音楽にしろ
あとは自分でボイスメモでちゃんと声を入れてみるとか

すごいやっぱりiPhoneとかiPadってめちゃめちゃ便利ですよね。
何でも出来るんで。

植竹
そういうことをやりそうにないタイプに見えるけど使ってるんですね。

コロッケ
使ってます、使ってます。

植竹
えー、コロッケさんの新刊「マネる技術」にはですね、
コミュニケーション能力に関するコロッケさんの
仕事を通じて他のリスナーの方も実践できるようなヒントが書かれております。


これ具体的に書いてあるんですけど、例えば会社の見習いたい上司に
お近づきになるにはどうしたらいいのか?みたいなことも書いてますね。



コロッケ
はい、あれなんですよ。自分で今の若い子たちとも話するんですが。
何をしていいのか?何から始めていいのか?何をやっていきたいのか?
っていうことがもう殺伐として分からない子が多いんですよね。

折角会社に入ったのに。だったら自分で「この人すごいな」とか
いいなと思う人のまねをした方がいいと。一番手っ取り早いし。

で、その人とは違うわけだからまねをしてもそんなに分からないんですよ。
それなのにみんなは「まねって格好悪いし、二番煎じだし」っていう
その前にお前がちゃんとしてないから言ってんだろ!って話なんですけどね。

要は格好付けだけの言葉が多くて、実践をしようとか
じゃあ誰もまねをしない、俺はこうやって頑張るんだってところも
今ひとつ不透明な感じなんですよね。

だからそこらへんをちゃんと言葉で言うと、
「ここはこうやってまねする」「あの先輩なんでこうなんだろう?」

「お辞儀の仕方ってあんなにいろいろな種類があるんだ」
「挨拶の仕方も」って考えると

お辞儀の仕方を90度ちゃんと曲げて挨拶をする先輩がいたら
僕はまねをした方がいいと思うんですよね。

植竹
もう形から。

コロッケ
はい、そうするとそれを1年間やってごらんなさいと。
「あいつ、挨拶ちゃんとするよね」って周りが勝手に言ってくれるようになる。

僕はここでもっと大事なことは、コロッケの3原則があるんですね。
僕が今までやってきた中でこれは「気付くか、気付かないか?」
「やるか、やらないか?」「出来るか、出来ないか?」

まず「気付くか、気付かないか?」は、気付いて1年過ごして
お辞儀をする人と気付かないで1年過ごす人では
大きな差が出てきちゃうんですね、1年の間に。

それででもそこで「やるか、やらないか?」は行動なんですね。
でももっと大事なことはそこまではみんなどうにか出来るんです。
「出来るか、出来ないか?」は精神の問題で。

心からそういう気持ちで思ってないと、
お辞儀の仕方がどんどん雑になっていって
軽い会釈になってちゃうんですね。

だから僕はその精神を最後はズレないようにしないと
「ありがとうございます」っていう気持ちでも

言葉では「ありがとうございます!」って言ってても
心の中で「あざーす」って思ってたら終わりじゃないですか?

だから「ありがとうございます!」って言うんであれば、
心の中はそれ以上に「本当に来ていただいてありがとうございます!」
「お邪魔させていただいてありがとうございます」っていう気持ちがある中での

お辞儀であれば自然と深くなっていくんですよね。
だからそういうことって特に今の社会っていうのは
言葉が雑になって、挨拶が雑になって

「あ、あいつ誰?」っていつの間にか
よその会社の人がここに立ってたりとかっていうのもあるんで
もっとそこは自分の中で考えて動くっていうそういうことから始める

気持ちを持たないと、あなたがこれから5年経って10年経ったときに
「あいつ、何なんだろうね?」ってことになるよと。

逆に5年入れればいいけどたぶん
下手すると1年2年でクビになっちゃうよっていうことなんですよね。

植竹
それはコロッケさんが芸能界で実演してきたってことですか?
そのいわゆる先輩に対して芸能界の。例えば頭を垂れるときも・・
それは自分で誰かを見てそう習ったんじゃなくて、どうなんですか?

コロッケ
そこらへんは逆に言うと、そうじゃない人を見たときに
そうあるべきだなって思う感覚です。

植竹
ああああ、反面教師。

コロッケ
「えーっ、何だろうあの挨拶に仕方は?」とか
「うわーっ、上には挨拶するけど下の人たちには全然無視だ」とか。

それが正しいか正しくないかはその人の見解であって
俺は違うのかな?と思ったんでそうならないようにしよう
っていうそれだけです。

それを自分なりに考えて「やっぱりあういう挨拶って素敵だな」とか
どうせケンカするんだったら、下とケンカするんじゃなくて
上とケンカするとか。

やっぱりそっちの方が見ててすごいなっていう。
ある意味自分賭けちゃってる人なんだなとか。
なんかそういうことをハッキリと

やっぱり自分で気持ちの落ちどころの芯を持っていけば、
そんなにズレないんじゃないか?

だからそれを自分で実践してきた処世術というか
それを1冊の本にまとめさせていただいたのか「マネる技術」っていう。

植竹
あのー書いてたんですけど、そういうのって
例えばお辞儀なんかでもあういうのって身体に染みついているもんですよね?

この本に書いてたんですけど、例えばコンビニに行って
お釣りをもらったときでもちゃんとこちらから挨拶するっていうのを書いてて
「あっ、いいな」と思って

この間から嘘でもなくてやり出したんですよ、僕。
そうすると気持ち良いんですよ。

コロッケ
あっ、素晴らしい!うんそう、こっちも気持ち良いし
逆に挨拶すると向こうビクって・・「ああ、すいません」とかって言うだけで
「ありがとうございます」とか言うと「あっ、ありがとうございます」って

だからでもこれってお互い気持ちよくなることで、
お互い良いことで何にも悪いところがないんですよ。

それってすごく大事で、だから僕・・何ですかね?
自分の熊本の母校に白山小学校で講演会やってくれって前に言われたことがあって
その講演会でも「どうしようかな?」って講演みたいなのやったことないしって。

小学生が1年生から6年生までいますと。
それでそのときは6年生の卒業がこれからなんで何かメッセージって

「えーっ、でも講演だったら1時間くらい話しなきゃ、
 30分で終わるわけいかないし、でも子どもだから退屈だろうし」
って考えて僕がそこで考えたのは、

「ありがとう」って言おうっていう話をしたんですね。
まず「おじちゃん知ってる?」ってやっぱり知らない子もいるんで、
「おじちゃんね、ものまねやったりとかしてるんだよ」って

小学生なんでニワトリとかやったりすると、
やっぱりニワトリやる大人っていないですから
すごい興味持つんですよね、興味なかった子が

「ニワトリやってる!あのおっさん」とかってなんか(笑)
で、そういう話をした後に「ありがとう」を言おうということで
「ありがとう」を頭の中に印象づけるための話として何がいいだろう?と。

「お礼を言いましょうね」って近所の人にもお母さんにもお父さんにも
これじゃ残らないじゃないですか?

だから「みんなまずエンピツ持ってるよね?」って。
「エンピツ削って小っちゃくなったらどうする?」って聞いたら
「捨てる!」って

「捨てるよね、じゃあその残ったエンピツ小っちゃいけど
 そのエンピツに『ありがとう』って言おうか?」って言ったら
「えーーっ!」とかって。

「いや、エンピツだって今までいっぱい書くのに手伝ってくれたでしょ?」って
「ノート見たらそのエンピツで書いたのいっぱいあるでしょ?」って。

「エンピツの気持ちになったらお礼言ってくれたら、
 嬉しくない?」とか言ったら
「うん」って

「だから自分が何か捨てるときとか例えば今使ってる定規でも
 ボロボロになってるかもしれないけど、なんかのときには

 捨てる前だけじゃないよ、その定規に『ありがとう、いつも』って
 まっすぐ引いてくれてありがとう」って

それでそれから「じゃあさ、おしっこするよね?」って言うと
笑い出すんですよね。「おしっこにも『ありがとう』言おうか?」って言ったら
「えーっ!」とかいってケラケラケラケラ、「嫌だ、嫌だ」とか言って

「じゃあ、おしっこ出なくなって身体に中におしっこ溜まったらどうする?」
って言ったら「えーっ、嫌だ嫌だ!」って「でしょ!」って。

「だからおしっこって身体の中に要らないものを出してくれるんだから
 おしっこにもね、ちゃんと自分の身体の方にも『ありがとう出てくれて』
 って言おう!」って

で、最後に「うんちするよね?」って(笑)
じゃあもう笑い出して止まらなくなってる子がいて。
「うんちに『ありがとう』言おうか?」って

そしたら、さっき言ったことを覚えてるんですよ。子どもだから。
おしっこ溜まると嫌だって、うんち身体の中に溜まるももっと嫌だって
「うん!うん!うん!」ってすごい聞くんですよ。

だから「うんちに『ありがとう』を流れていくときに・・
流れてないときに言っても臭いから、流れるときでいいから

『ありがとう!』って言ったらうんちも
『どういたしまして!』って流れていくから」って

植竹
分かりやすい!

コロッケ
そしたらたぶん一生覚えてるんじゃないか?って。
だから覚えているっていうことが大事で、「ありがとう」って言おうっていうことに
そこにインプットされてる。

そしたら僕が嬉しかったのは、各クラスごとに写真を撮ったら
みんなが俺に「ありがとう」って言うんですよ。

だから「帰ったらお父さんお母さんにも言おうね」って
急に言うとお父さんお母さんビックリするから「何で?」って言われたら
「・・うん、なんとなく」って言っちゃえよ!って(笑)

植竹
あのね、これちょっと目からウロコだったのが
「聞き上手」より「聞かれ上手」を目指せっていう
普通ね、聞き上手になれってよく言われますよね?

コロッケ
あの「聞き上手」だと要は何だろう・・?そこで終わっちゃうんですよね。
「聞かれ上手」になるということは「聞き上手」の後に「聞かれ上手」になるから

「これどうですかね?」っていうそこで自分よりも聞いてくる後輩とか
いろんな人に会ったときに「これこうじゃない?俺はこうしたよ」

「でも分かんないけどね、それ合うかどうか自分次第だし、
 でも俺はこうしてこうやったんだけどね」とかっていうふうに
聞いて来られる人にならないとダメなんですよね。

「聞き上手」だと話が自分がそこで納得したりすると
自分で収めちゃって終わったりするんで。

植竹
あと、何ていうんですか?その「聞かれる」っていうのはある種の
自分の魅力でもあるし、隙が少しあって入りやすいっていう感じですね?

コロッケ
そうです、それが一番大事です。
だから本の中にも書いてあるのが「相手が1番、自分が2番」っていうのは
自分が2番になるということではなく

いつも相手のことを考えているっていう気持ちを持とうという
そうすることで穏やかな空気も流れるし、威張らなくても良いし
威張る必要もないし、威張ったっていいことないし

威張ってる人たち、大変ですよって。
威張ってるあなたのことを皆さんは目に見えないところで笑ってますよ
っていうことなんですよね。

「俺が言ってるんだ、俺がやってるからいいじゃないか!」って言うと
それを見て「かっけーな、俺もああなりてえ」って思う子もごく一部いますけども。
「えーっ、嫌だなあういうのは」「なんか今ひとつ無理」とか

なんかそういう空気を上が作ってしまうことよりも
やっぱり上がそういう気持ちでいることでみんなが話をしてくれる
「ついて行こう」と思うっていうことだと思うんですよね。

人ってやっぱりなんか大事なことって威張ったり言ったり
押しつけたりすることよりも、何かそこに一緒にいて
「何しゃべってんの?」とかって

そのときに「何でもないです!」って言うのと、
「あのですね、今あれなんですよ・・」「えーっ、マジで!本当に」とかって
いうなんかその自分もその空気を作る。

それが面倒くさいって言われればそれまでなんだけど、
でもそういうことをやっていかなければいけないし、
そういう時代なんですよっていうことでもあると僕は思ってるんですね。

植竹
なんかあの要するに気を遣わせない技術ね、
で、松山千春さんの話が書かれてましたけど楽屋に・・

コロッケ
そうです、千春さんがいらっしゃったときに
やっぱり千春さんってこう本当に気を遣いしいなので
お寿司を持って現れて・・

もう現れた時点で僕の場合はもうとんでもない状況なわけですよ。
「えっ、千春さんが来た!」ってそれもお寿司を持って

(千春)「コロッケお前元気か?
札幌でお前もコンサートやれるようになって良かったな、ハハ」って言って

で、「いやもうすみませんこんな・・」って言ったときに
千春さんの斜め後ろにちょうどそのとき千春さんのまねをしてて
パカパカ開くカツラがあったんですね。

でもう絶対右を向いたら見られちゃうんで
左を向いて帰って欲しいと思ってたら、やっぱり悪いことってバレるもんで

千春さんが「じゃあお前頑張れよ!」って言って立って右を向いたら
目の前にそのカツラがあったんです、もう俺もそのときたぶん何秒くらいかな?

3,4秒くらいだと思うんですけど
俺にとっては何十分も感じるような長さなんですよ。
ジーッと見てる千春さんがいる・・。

それでその千春さんが何を言うかな?っていう
このビクビクしている自分がいるわけですよ。

で、千春さんが俺の方をじっと見てそのカツラを指刺して
(千春)「これは?」・・「これは?」って聞いてきた!と思って
「いや、これどうしようかな?」って、あのときほど頭の回転したことはないっすね。

ウーーッてもうターボですごい勢いでウワーッて頭の中エンジンが回り出して
すぐさま、でもそのときも俺もすごく長く感じたんですけど
また端から見たら2,3秒くらいだったんじゃないの?みたいな感じだったんですけど

すぐ出た答えが「谷村さんのです」・・
(千春)「あっ、そうか!あいつもちょっとキテるもんな」って言いながら
去って行ったんですよ。これは僕にとっては忘れられない。

植竹
その何か差し入れ置いて、
コロッケさんが「ちゃんと見ていって下さい」って言ったら
「そんなもん見てられるか!」みたいに言ったんですって?

コロッケ
(千春)「俺がお前のを見てどうするんだよ」って
でも千春さんってそれを見たいとか見たくないではなく
「出てくださいよ」って言ったときの対処に仕方なんですよね。

そこだったら「ええ、いいよいいよ忙しいからさ」とかだったら
まだ分かるじゃないですか?

「何で俺がお前の見るんだよ、お前!帰るよ!」とか言って
それがもう僕にとっては愛情なんですよね。
僕に気を遣わせないポーンって帰って行っちゃう。

「えーっ」とか言いながら
(千春)「いいのいいの頑張れよ、
お前は北海道の人を喜ばせてあげてくれ」みたいな。

植竹
一言言っていくわけだ、クァーッ。

コロッケ
やっぱりだから「そういう自分にならなきゃいけないな」とかって
だから僕が後輩のライブ見に行ったりなんかしたときに
観に行ってもし言われたりとかするじゃないですか?

「見に行かないんですか?」「あ、行かない行かないだって俺忙しいし」
「人のものまね観るより自分のものまねの方が好きだもん」とか
でも観て帰るんですよ、黙って。

植竹
コロッケだってもう本当、変な話大御所だもんな。

コロッケ
俺はないんですよ、自分の中でそういう感覚はなくて
別に昔と変わってないしスタンスも変わってないし
全然自分なりには普通なんだけど

だからこう大御所って言われたりすることも有り難いんだけど
「やっぱり大御所だからね」っていうふうに言われるのが嫌なんです。
「だからね」って言われるってことは何かを我慢してるってことじゃないですか?

そうなるとやっぱり俺は笑いとしては違うんじゃないかなと。
だから俺はいつまでも延々にショーパブで働いているコロッケですよね。

植竹
だからこの本にも書いてたけど、
ものまねをステップにしたくないってはっきり書いて・・

コロッケ
なんかこれやってたから俺すげーだろ!ではなく
これをやらさせて頂いているんで、こっちもやらさせて頂いていいですか?

でもこっちも元々やってるのは捨てないでちゃんとやりますから
っていう気持ちですよね。例えば、お芝居にしても舞台の。

ただ役者をやりたいとか、俺役者いけるかな?これから先?
じゃあものまねは辞めて役者やるかとかっていう感覚はない。

ものまねという軸があった中で役者としてもこれだけのことをやると
役者さんたちが「やっぱりコロッケは芝居も考えて分かってるよ」っていうふうに
言っていただけるようにならなきゃいけない。

僕はやっぱり役者という仕事では新参者なわけですから、
ものまね芸人が入ってきて突然いろんなすごい人たちと一緒にやるわけですから

だからそこで「すいません」という気持ちの中から
「大丈夫かな?」って、

分からないときは
「すいません僕こうなんですけど、あれですかね?」
「ここをこうしたいんですけど」って言うと「うんうん、いいよいいよ」って

そういう話をしょっちゅうして僕けっこう楽日まで
「あそこをこうしたいんですけど、あれですかね?」とかって話してる人なので

そうすると役者さんとしては本当に舞台が好きで芝居が好きでやってるんだな
っていうことが・・まあ本当にそうだし。分かってもらえるというか。
まあそういう気持ちじゃなきゃ逆にやってはいけないんではないか?

ただ入っていってはいけないんじゃないか?って
僕はそう思ってるんで、それはまあそれぞれの人の考え方なんだけど

そういう気持ちでいるとやることも覚えることも全てが
実になっていくんですよね。この方がこういう感じで話を
こっち側がセリフでしゃべったらこう返ってくるから

じゃあその空気を壊さないための温度差を自分がまず持っとかなきゃいけない。
向こうが「これこうなんだよ」っていうふうに語られたときに
「えーっ、そうなんですか!」「マジで!」って

こんな受けるような白々しいやりとりは絶対アウトだし。
「これこうなんだよ」って言われて「えっ、本当ですか?」
「でもちょっと気がつかなかったです」

受けようと思わないで、手渡していく。
ちゃんとその温度差をちゃんと渡していくという作業をやった上で

その中にこの笑いを入れるのであればその笑いを入れるときのタイミングとか
いろんなことを相談させていただいて入れるとか

そうすれば、皆さんが気持ちが落ちてちゃんと腹を据えて
舞台の上に立たれるんで邪気がないんですよね。

まず稽古の段階で邪気がなくなっていくし、
さあ明日から初日ってなったときにみんながもうすごいクリーンな状態で
ストーンと入っていけるっていう、それが僕の一番のテーマなんで。

植竹
だけどあれだよね、そのものまねをステップにしたくないっていう
信条でずっと、未だに4番を打ってるわけだから。
それは俺はすごいと思うよ。

コロッケ
いやでも、何ですかね?
自分での意識の中でその感覚がないんですね。

4番でとか俺がこうしなきゃ、ああしなきゃというよりも
「楽しんでもらえるかな?」ということの中から後輩がいっぱいいるから
その後輩たちのためには何が出来るかな?っていう

だから僕は「ものまね楽語」とかあと他にも
「ものまねキャラバン」といって被災地に行ってものまね芸人が出来ることとか
ものまね芸人の場所を作るのが俺の役目だと思ってるんですね。

俺がやってるから来いよと、俺がやってるからどうするよ?とかじゃなくて
こういうのがあるし、ものまねをやらさせて頂いているんだから
ここはこういうふうにやってみんなでそこはボランティアでやっていこうよとか

あと「ものまね楽語」っていうまあ邪悪な世界だから噺家さんからすれば
「何やってんだろうね」っていうことだから、「すいません」つって
そういう噺家さんたちがいらっしゃらないところでやろうよとか

そういうやっぱり飛び越えちゃいけない線は
飛び越えないようにしようっていう感覚ですよね。

そのためにみんなにまだものまねという世界は真っ白な道で
皆さんがいろんな色を付けたかもしれないけれど、

今まだ白いよ、クリーム色だから自分たちに塗り替えられるから
それぞれが色を塗っていけるようにちょっとやろうよって。
その線を俺1人では無理だから、皆で分けようよ。

1本ずつ「そっちお前やってよ」「こっちやってよ、俺ここやるから」って
「俺ちょっとここ分厚く俺頑張るよ」って
「その代わり俺よりちょっと5cm狭いけどお前頑張れよ」とか

なんかそういう感覚ですよね。
うんだから、そうするとみんなが気持ちが落ちていくんです。

「あっ、コロッケさんが言ったあれだし」
「コロッケさんが目立とうとしてやってるんじゃないんだ」とか
そういうことも分かってくるので、

だからそうなるとじゃあ俺らは俺らのやり方でやっていこうとか
ここはこうしようとか、自ずと自分たちが勝手に考えて

逆にボランティアのやつなんかはもう芸人の子たちが
「今度いつやりますか?来年やりますか?ちゃんと出ますから」
とか言ってくれたりとか

「ああ良かった、これやっぱり続けていけるな」っていうそういう気持ちで
ずっとみんながいてくれたらいいな、

ここからちょっと売れて気持ちが変わらないようにして欲しいなとか
そんなことを考えて動いている感じですよね。

植竹
とにかくものまねを絶えず進化させることを考えて
だからコロッケはね、何をやってもいいんですよ。おそらく。

ミッキーマウスみたいなもんだもん、
ミッキーマウスって何をやっても面白いじゃない?
例えば時代劇やったってきっと面白いですし。

だからね、もういいよね。
コロッケはコロッケでしかないっていうもう(笑)

コロッケ
それがたまたま長くやってると、長くネタを作り続けていると
ネタを作らなくなる人が意外と多いんですよ。

噺家さんたちってネタ作るじゃないですか?
だからやっぱりもってると思うんですよね。

やっぱり普通の芸人さんたちって作らなくなるし、止めたり。
「司会がいいんだよ、楽で」とか
「えっ、楽だからいいって何だろう?」って俺あるんですよね。

「役者になりたいんだよね、本当は」って
「最初は違ったんじゃないかな?」とか
なんかブレない。これが本当は一番大事なのかな?って

年齢が経てくればくるほど、
ブレないということを考えてなきゃいけない。


(了)

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