2014/06/18

安住紳一郎が語る「すごいブルーになる言葉問題『爽やか』と『メッキ』」

今回は2014年5月11日放送「安住紳一郎の日曜天国」
オープニング部分を起こしたいと思います。


安住
私も朝、今日歩いて来ましたけれども
本当日に日に緑の色がどんどんと濃くなりますよね。

そして葉っぱが親戚の子どもみたいに
「あれ見ないうちにずいぶん大きくなったな」というような感じで

中澤
本当倍々ゲームで大きくなりますよね。

安住
「ここにあったのかな?この植え込みは?」というような
なんかちょっと雑草なのか何か分かりませんけどイタドリのような感じの
けっこう大きな葉が壁沿いにずーっと生えてまして

「あれ?こんなところにこんなのあったかな?」みたいな
そういう気持ちになりましたけど、たぶん1週間とか10日とか見ないうちに
ぐんと本当に倍近くになったんでしょうね。

イチョウの葉っぱなんかももう可愛らしい小っちゃなね。
でもちゃんとイチョウの形してるんですよね。

中澤
そうなんですよね、爪くらいの大きさだったんですよね。

安住
そうクリオネみたいな感じだったんですけど、
ちょっともう可愛いとは言い切れないくらいの力強さの大きさになってましたね。
手のひらの3分の1くらいのイチョウの葉になってましたね。

日に日に植物の成長にすら心を奪われる年ごろになりましたけれど

中澤
ハハハハハ、感じてしまいますねえ。

安住
それから鳥が鳴いてて風が若干そよっと吹く感じなんですよね。
そして湿度がありませんので・・今湿度が24%ですよね。
そうするとどうしても口をついて出てしまう言葉ってのは

「爽やかだなー」っていう言葉が出ますでしょう?出ますよね?
「爽やかだ」って言いたくありませんか、皆さん?

中澤
もうまさに「爽やか」!



安住
ところが世の中はこの言葉をこの季節に許してはくれないんですね。
私もこれずいぶん悩んでるんですよ。

詳しい方はご存じだと思いますけれども、
「爽やか」っていうのは秋に使う言葉らしくてですね。
この季節に「爽やか」という表現をしちゃダメだ!っていうそういう世の中になってるんですね。

私もこれけっこう厳しく言われるんですよ。
放送の仕事をしてますと「適切な言葉を使いましょう委員会」というようなものがありまして
この季節に「爽やか」って使うのはちょっと甘いぞということで使わないで下さいと。

どうやら俳句の世界で「爽やか」というのが秋の季語なので
当然いろいろ言葉を知っている人は「爽やか」という表現は秋にしか使わないということで

この季節にどんなに「爽やかだ!」と思っても、
「爽やかだ!」っていうのは強い気持ちでウワッて我慢しなくちゃいけないんですよね。

代わりには「のどか」とか「うららか」とか「清々しい」とかいう
言葉を使わなくちゃいけないんですよね。

ただ私個人的には小さいときからそういうことを意識してこなかったものですから
やっぱり「清々しい」ともちょっと違う!って思いますよね。

是非「爽やか」というのを使いたいんですけれども、
「使っちゃダメだ!」ということになってるんですよね。

中澤
抑えないといけないのかな?

安住
そういうことですよ、当然言葉というのはどんどん変わっていきますので
使いたい人がいろいろな意見がある中で使っていいし、そういう歴史を繰り返して
ダイナミズムを繰り返してどんどんどんどん変わっていくという

当然平安時代から言葉が変わっていないと平成を生きる私たちも
今も平安言葉でしゃべってるってことになりますから、
どんどんどんどん変わっていっていいんですけれども

あなたのしている仕事はそういう変化の先頭に立っていい仕事なんですか?
なんていう匿名のハガキなんかが送られてくるもんですから・・
グッと言葉を飲み込むわけですけれども。

中澤
・・・そうか・・・。

安住
そしてこれは比較的、今揺れている問題なので
決して使ってはいけないというわけでは無いらしいんですよね。

それで知っている側が知らない側を許容するような問題っていう
非常にえーと、そういうようなカテゴリなんですよね。

だからもし間違っている人がいたとしても
注意して正すほどではないという「罰則規定の無い決まり」

中澤
知っている人が知らなくて使ってる人を糾弾してはいけない?

安住
そうです、なので静かに見守りましょうということになりますね。

中澤
「あっ、間違ってるな」って思って、そんだけ。

安住
皆さんもこの気持ちを共有して下さいね。
だから例えば誰かが「いや今日爽やかだね」なんて言ってても
「あっそれこの間、ラジオで言ってたんだけど」って言ったらダメなんです!

グッとこらえてそれは人に指摘をしてはいけない問題。
それぞれ個人の問題なんですよ。

ただ知っている人がいたら目と目で通じ合うという感じで
「あ・・ですね」「奥様、分かる?」なんつって「分かりますわよね」

中澤
嫌な感じじゃないですか(笑)

安住
いやでもそういうダイナミズム、そういう時期に来てるみたいですね。

あとはよくこういう最近の若者の言葉がこう変わってきたという話は
週刊誌のエッセイなどでも人気がありまして、
だいたいこれはどの時代も人気のある話題なんですけどもね。

ただ1つその中でも問題なのはじゃあ「清々しい」と「爽やか」が
私なんか毎日ゴチャゴチャになるんですけども

「あれ?春に使って良いのって『爽やか』だっけ?
 『清々しい』だっけ?いや秋に使って良いのが・・」
なんてちょっと混乱しますよね?

そうすると、両方を心配だなと思うと原典が怖いので両方とも
自分のボキャブラリーから消すんですね、

すると私のボキャブラリー世の中のボキャブラリー、日本の文化から
「爽やか」と「清々しい」が両方とも誰も使われなくなって過疎化になってしまう。

そうすると言葉は誰も使わないと無くなりますから、
それがそのまま2つ同時に無くなるっていうこともあって

それはどちらかというと日本文化の豊穣さから
考えると衰退の方に入るんじゃ無いか?ということもありまして
あまり糾弾するのはよろしくないというそういう論調もあるわけですね。

中澤
へえー、深いですね。
なるほど相殺しては意味が無いと。

安住
相殺というか怖くなって両方とも使いたくないですからね。
私も「清々しい」と「爽やか」どっちがどっち秋に使っていいんだか分からなくなりまして

両方とも使わなくなっちゃって、
結局「今日は良い天気ですね」で終わる可能性があるんですね。

そうすると、まあ根性のある人だと頑張りますけれども
だいたいの人はその2つをもう自分の道具から捨てちゃうという
そういう傾向があるみたいなので

あまり厳しく追及するのもよろしくないんじゃないかな?
というような意見もあります。

本当に昔からよく言われてまして、大正時代の人生相談なんかにも
「若者の使う言葉が・・」というような相談が来ますし、

更に驚くのは吉田兼好先生の書いた「徒然草」でさえ
若者の言葉遣いが最近おかしくなって私は憤慨しているっていう
そういう文章が出てくるんですよね。

「牛車」のことですよ、「『牛車もてよ』というのを『牛車もてきよ』と言ういとわろし」
みたいなことが書いてあるんですよね。

「牛車もてよ」と言っていたのを、「牛車もてこよ」「もてきよ」かな?
最近の人たちは「牛車もてよ」のことを「牛車もてきよ」っていう
その「き」って何だよ!みたいなことを吉田兼好先生も嘆いていらっしゃるということで

本当に昔からそうやって言葉が変わることに対して気になるって人が
エッセイを書いてるのは最近のことではないと。

また「爽やかな」って秋にしか使っちゃいけないということになりますと、
「あの人の笑顔って爽やかだよね」って秋にしか使っちゃいけないんですか?
っていうことになりますね。

「あの人とっても爽やかな人ね」「・・・秋の話?」ってなるわけですよね?
「秋に会ったの?」なんていうことになるわけで
「じゃあどうしたらいいのかしら?」みたいな。

「夏に吹く爽やかな風」「ん?秋っぽいの?」みたいなね。
「これはセーフ?」みたいな・・いろいろ考えが膨らんできますよね?
どう思いますか?

これは知っていたとしても人に指摘できない問題なので
指摘できないんですけどね!

中澤
モヤモヤするー!

安住
人に使ってはいいみたいですけどね。
でもそう言われるとなんとなくね「あの人すっごく背も高くて爽やか」って言われると
「ん?」とか思っちゃったりしてね。

「ん?・・秋?」「秋なのかな?」なんて「夏だけなのかな?」・・
「あの人の笑顔が爽やかになってきたから秋ですね」みたいな・・
「んー?・・サラダ記念日?」みたいなことになったりするのかしら?

中澤
ハハハハハハ(笑)
もう考え過ぎちゃうよー。

安住
ねえ、考えすぎて分からなくなりますよね?
私、よくその言葉委員会みたいなものでいろいろ指摘を受けるんで
最近頭がこんがらがってきてるんですけどね。

(中略)

安住
大変ですよね、なんか本当に清々しい初夏の1日にごめんなさい、なんか・・。
これだけ苦々しく「爽やか」っていう話をしている人も珍しいですよね。

中澤
本当ですね、なんかこう重いものを背負わされた気がします(笑)

安住
ですよね、「何か今日ラジオで『爽やか』な話してましたけどねー」なんて言ったら
伝聞で聞いた人は「なんか気持ちに軽くなるような話でもされてたの?」なんて言ってね
「もう『爽やか』な話を苦々しく」みたいな「えっどういうことですか?」みたいな

「『爽やか』な話なんですよね?」みたいな
「いえいえ、『爽やか』の話なんですけど・・」
「爽やか」の話を苦々しく

なんかね、言葉問題も正面にぶつかっちゃうと
どうしていいのかよく分かりませんね。
あと、すごいブルーになる言葉問題教えてあげましょう。

中澤
どうしようかな(笑)

安住
どうです?聞く耳持ちます?

中澤
いってみよう!

安住
いってみますか、これ超最新の気分の滅入る言葉問題。
「メッキが剥げる」って言いますよね?

中澤
言いますね。

安住
皆さん使いますかね?最近、若い人はあんまり使わないかもしれないですね。
「あいつはまだ経験が浅いからな、
 今は上手いことやってるけどそのうちメッキが剥がれますよ」とかね

「あいつ新人だろ?そんな調子が良いわけないんだよ、すぐメッキが剥がれるよ」って
あんまり良い意味で使いませんけどね。

すぐにその表面上取り繕っていることがボロボロと落ちていって
本質がすぐバレてしまう。

特に実力が足りないということがすぐに出てしまうっていうようなときに使うと思いますけれども
「メッキが剥げる」取り繕っていたものが落ちてしまうっていうような言葉で
文字通りメッキが剥がれる、メッキが落ちるということだと思うんですけど

これ最新のとっても憂鬱になる言葉問題
日本の最新のメッキ技術は大変に進化をいたしまして、メッキはそう簡単には剥がれません!!
むしろ本物よりも剥がれないくらいらしいんです。

中澤
えええっ、そうか!(笑)
失礼か、メッキに。

安住
工業が進みまして技術が上がりましてですね。
そうそうのことではメッキは剥がれません!!
今の日本の技術では。

なので「メッキが剥がれる」というイディオム・慣用句は
「滅多なことでは無い」というそういう表現になりますね。

中澤
レアケースってこと?

安住
今の日本のメッキ技術ではメッキはほぼ剥がれない!!
ということは「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」的な感じで
そのイディオムを使うべし。

「あれだけの大先生にしても『メッキが剥がれる』ことがあるんですね!」っていう
「いやー私の目の黒いうちにあの先生の『メッキの剥がれる』ところを
 見ることになるとは思いもよりませんでした!」

中澤
ハハハハハハハハハ(笑)

安住
大変稀なケースを目撃したというね、そういうときですね。
「えーっ、まさか!」っていうときに

「『メッキが剥がれる』こともあるんだ!」「目からウロコ、青天の霹靂」
「それだけは無いと思ってたよ」

中澤
ハハハハハ、そういうことですね(笑)
そうやって使うのか!

安住
っていうふうになりかけてるというか、メッキ技術が上がってきたので
「メッキが剥がれる」ということはメッキ関係者に失礼だということですね。

なんだかじゃあ私たちどうしたらいいんだろう?という気持ちになりますけどね。
明日は明日の風が吹くということでしょうか?
今日も清々しい風が気持ち良いですね。

(了)


(余談)
安住
風薫る清々しい季節になりました、今日も2時間どうぞお付き合い下さい。
それでは今日のメッセージテーマこちらです。
「母さんの愉快な話」

今日は「母の日」ですね、「母の日」は皆さん何か予定はありますでしょうか?
またお母さんがいない方にもお母さんを思う1日にしてほしいな思いますが。

「母の日」ハ行が続きますのでちょっと息が持たなくなってしまう
毎年言ってますけど、「母の日」と11月12日「皮膚の日」ですね。
これは私たちもアナウンスするとき苦労するんですよ。

「母の日」っていうのが意外にあの息をね、ブレスを使うものですから
文章の後半に来てますとその「母の日」の「日」にたどり着かないときがあるんですよね。

中澤
多めに残しておかないと。

安住
「晴天に恵まれました日本全国、今日第2日曜日は『母の・・」あっ、足りない!みたいな
「早めにブレスを入れるんだった!」っていう「母の日」の「日」まで持たないっていうね。
「母の日」「皮膚の日」11月12日は「皮膚の日」ですけどね。
(余談ここまで)

関連コンテンツ

スポンサードリンク