社会学者・新雅史が語る「『東洋の魔女』戦後の日本の女性の生き方みたいなのすごく凝縮されている感じ」

2013/11/21

Session-22 荻上チキ 新雅史 東京オリンピック 東洋の魔女

t f B! P L
今回は、2013年9月9日(月)放送「荻上チキ Session-22」
「Session袋とじ」新雅史さんの回
起こしたいと思います。

荻上チキ(以下、荻上)
今日のお客様は社会学者の新雅史さんです。
こんばんは、よろしくお願いします。

新雅史(以下、新)
よろしくお願いします。

南部広美(以下、南部)
今夜はですね、2020年東京オリンピックが決定した今、
前回1964年の東京オリンピックで圧倒的な強さを誇った
日本女子バレー「東洋の魔女」の本質とは?というテーマでお話しいただきます。

荻上
はい、当然ながら「東洋の魔女論」を書いた新さんは
東京オリンピックのときは生まれていないということですよね?



生まれてないですね。

荻上
1973年生まれですから。
何でこのテーマでものを書こうと思ったんですか?


この本は修士論文が一応元になっている本なんですけれども。
だいたい10年前くらいに書いたものなんですね。

それで「何でこれやったの?」ってよく言われるんですけど
僕は元々先ほどもちょっと言いましたけれども、
福岡県の北九州っていうところで・・

北九州ってどういう場所か?っていうとですね。
元々あんまり人が住んでなかったんですよね。



それで「八幡製鉄」が来てそれでこう近代的な産業が根付いていって
急速に人口が増えていった場所なんですけれども。
なんかそういった・・なんて言うのかな?


田舎から来た人たちというか、まぁ農村から来た人たちが
全く見知らぬ土地に来てですね、どういったものに対して夢とか憧れとかを持って
そこの土地で生活をして家庭を持ちっていうことに対してすごく関心を持っていて

元々は集団就職にだからちょっとそのなんか
延長線上でも関心を持っていてですね
実は東京オリンピックがあった頃なんですけども。

東京とか大阪ってのは集団就職の人たちが
映画作ってたりとか文集作ってたりしてたんですよね。
で、みんなで船乗ってたりとか。

最初そういうのをやろうと思ってたんですけど、
なんか集団就職の人たちが映画作りましたとか、みんなで文集作りましたっていうのは
なんかあんまりオチが無えなって思って(笑)

じゃあなんか代わりになんか無いかな?って思ったら
「あ、そうだ!」と紡績の人たちが女子バレーボールやってたよね!って

それはなんかある種目標って言うのがけっこうオリンピックっていう
明確な目標みたいなのが、本来なら多くの人は無かったと思うんですけど
一応その結実としては「東洋の魔女」みたいなのが結実したわけですよね?

そこらへんのプロセス全体を描けるかな?と思って
それでオチも東京オリンピックっていうのがつけれるしっていうので
それで選んだっていう形ですね。

荻上
なるほど、いま日本も含めてね先進国とか
かつての近代化にどう蹴りを付け直すか?っていうのはね
問われてる状況ではあるわけですけれども

新さんは基本的にその前のそもそも近代化に何が起こったのか?っていうね
今の日本っていうもののある種の起源みたいなものを
振り返るお仕事をずっとされてますよね?


そうですね、商店街ものもそのひとつって言ったらそのひとつですからね。

荻上
そんな中で「東京の魔女論」
これね当時オリンピックの中でしかも非常に成績も残して
かつ視聴率も非常に高かったということですよね?


当時はね僕、新聞見てびっくりしたのが
NHK教育以外、全部オリンピック放送なんですよね。


放映権っていう考え方が無いもんだから、
「東京の魔女」って歴代2位なんですけど
実質的にはね、何%かわからないくらい観てるわけですよね。

もうおそらく99%とかみたいな話ですよね。
なんかもうとんでもないイベントだったって話なわけでございますけどね。

荻上
1局で観たら六十数%とかの化け物のような視聴率ですけど
他の局もやってたんなら足したら大変でしょうね?


当時はね、うちの母親に聞くとみんなで体育館で観てたらしいんですよね。
なんかそういう集団で観るってのがあったらしいですけどね。

荻上
今でもスポーツとか甲子園とかあると母校のみんなで集まってテレビで観るとか


まあパブリックビューイングみたいなね。

荻上
それのはしりみたいなものですよね。


そうなのかもしんないですよね。

荻上
でもいきなりこの時代ね、そのバレーボールっていうのが
日本で花開いたような印象がありますよね?
この当時のバレーボールの位置付けというのはどういったものだったんでしょうか?


バレーボールの位置付けはですね、
1964年の東京オリンピックのときのバレーボールっていうのは
このときはスポーツ競技としてバレーボールってのがあったわけですけども。

元々、バレーボールの歴史っていうのはそんなに古くないんですよね。
19世紀の終わりでまだ100年ちょっとの歴史しかない。

アメリカのYMCAが作ったスポーツ、YMCAってあるじゃないですか?町中にね。
あれあのキリスト教の青年会って日本語で言うんですけれども。
そのキリスト教の団体がバレーボールとバスケットボールを作ったと。


じゃあなんでバレーボールとバスケットボールを作ったのか?というと
これは基本的には労働者の人たちのレクリエーションとして作ったんですよね。

問題になるのはレクリエーションっていう言葉なんですけれども、
これ説明しちゃっていいですか?

レクリエーションって言うのは英語でいうとですね
「レ」っていうのは「Re」ですよね?
「クリエーション」っていうのは「Create」っていうところからきてるので

再び、もう1回作り直すっていうのが、レクリエーションの意味だと。
もう1回作り直すって何を作り直すの?って言ったら、これ身体なんですよね。

要するに、肉体労働をやっている人たちが身体がすごい疲れていると。
それをもう1回バレーボールとかバスケットボールをやって
バスケットボールはけっこう疲れるんですけど、バレーボールってそんなにね疲れないものだと。

それも当時のバレーボールっていうのは、
競争するっていうような意味合いっていうのは無かったんですけど・・

荻上
トスの回し合うみたいな?


あのね、スポーツっていうのはコンタクトスポーツと
そうじゃないスポーツっていうのがあるんですよね。
「コンタクト」ってぶつかり合うスポーツですよね?

荻上
はい、サッカーとかラグビーとか。


そうです、サッカーもぶつかり野球も多少ちょっとぶつかりますよね?
バレーボールって全然ぶつからないじゃないですか?
まぁ見方とぶつかる可能性はあるけれども。

というのでコンタクトしないので、
あれだったら老若男女誰でも出来るんじゃないか?っていうので

競争するっていうところに目的があったんじゃなくて
もう1回身体を作り直すっていうところから作られていって

それで日本のいわゆる何ですかね・・大学卒業した人たちがアメリカに留学して
それでYMCAのバレーボールって言うのを知ると。

それをスポーツ競技として持ち帰ったというよりは、どちらかと言うと
当時の女性の労働者とかいわゆる小さい子どもとかに
このバレーボールっていうのは結構使えるんじゃないか?と。

戦前の日本というのは「女工哀史」とか
女性の労働者が非常に紡績っていう、「紡績」って綿のあれですよね?
それで綿ぼこりとかで肺を悪くしちゃったりとかするんですよね。暗かったりとかして。


荻上
そうですよね?工場でね糸を紡ぎながらね・・。


で、生理休暇とか日本で始まったのがこの紡績工場から始まったって言われてるんですけども
そういったこともあって、バレーボールを取り入れて
じゃあ女性の身体が健全になるからそれやろう!っていうところからスタートして

それでまぁだんだん何て言うんですかね?
紡績の工場の中でバレーボールっていうのがだんだん盛んになっていって

荻上
なるほど、労働者階級の中で。


そうですね、それでもう当初はとっても紡績の人たちがやっていたというふうに言われていて
例えば戦後すぐの日本選手権とかね、カネボウが8チームとか出てるんですよ。
カネボウだけで8チーム、だから工場単位でチームがある。

それでカネボウ7チームとか8チーム、
で当時は「大日本紡績」っていうのがあったんですけどそこが6チームとか

今でも残ってますけど「倉敷紡績」今は「クラボウ」って言うんですけど
そこも6チームとか5チームくらい
紡績女工だらけで競争すると、もうほとんど宣伝効果なんか何も考えてないんですね。

要するに「女性たちが何かやってるからやらせよう」みたいな感じで
やってたっていうのが戦後すぐぐらいまでそうだったっていうかたちですよね。

荻上
戦前からずっと体力作りでもあり、でもやってたら楽しくなったんでしょうね。
大会っていうのも出来上がっていって。
当時の大会ってでも優勝したら何ってあったんですか?


優勝したら商品とかあったんですかね?
ただこれが日本でなんでバレーボールが東京オリンピックまでつながったのか?
って話になるんですけど。

戦前のある時期くらいからけっこう朝日新聞とかだったりとか毎日新聞みたいな
新聞社っていうのが実業団大会みたいなことをですね、
メディアの中でイベント化していくっていうようなことがあるんですよね。

元々は別にスポーツイベントで
紡績女工の人たちが優勝したからと言って

それがメディアの中で積極的に取り上げられるっていうふうな
それを目的として始まったわけじゃないんだけど。
なんか結びついちゃったんですよね。

荻上
うーん、宣伝効果・パブリシティですね。


それで一番最初にこの宣伝効果ってのを考えたのが
「東洋の魔女」の元になっている「日紡貝塚」っていうところで

大日本紡績の貝塚工場っていうところが一番最初に何をやったか?というと
それぞれの工場で別れているチームを1つの会社にまとめて
それでいわゆる宣伝効果みたいなことを一番最初に考えたんですよね。

荻上
なるほど!工場内ドリームチームを作った


全国の工場の中でバレーボール強い選手を
大阪の貝塚工場ってところに一番最初に集めたっていう。

それで他の会社はそれぞれ全然別々の工場で
バラバラに戦っているわけですよ。
圧倒的に勝利するわけですよね。

それで「何だこのチームは!めちゃめちゃ強い!」ということで
この「日紡貝塚」っていうところがそのままナショナルチームになって
海外遠征までし始めるんですよ。

荻上
ワクワクしますね!今までライバルだった人とかが
「今日から仲間だね」みたいなそんなやりとりとかきっとあったんでしょうね。
ライバルマンガとか描けそうじゃないですか!


そうですね、であのちょうど日本っていうのは紡績産業っていうのは
今でいうところの自動車産業みたいなものだったんですよね。

戦後のある時期からちょっと海外で自分たちの商品を売っていかなきゃいけないっていうので
この紡績女工をひとつの工場の中に集めて、
強いからソ連とかだったりとかに遠征させようと。


それでちょうどその大日本紡績も海外に輸出しないといけないから
じゃあ「日紡貝塚」っていう名前、「大日本紡績」っていう会社を外に売るっていうのを含めて
外に出よう!っていうことで「日紡貝塚」で出したら、どうなったかというと?

当時のソ連とかだったりとか東ヨーロッパのチームに連戦連勝なんですよ!
それで、「何だ!あいつらは会社のチームなのにナショナルチームに勝っとんだ!」
ということでソ連のマスコミが「東洋の魔女」って付けたんです。

だからあれは日本のマスコミが付けたんじゃなくて、
ソ連のマスメディアが付けた。

荻上
ビビらせた結果、ビビッドがそう呼んだと。


なんで会社のチームがナショナルチームに勝つんだ!ってとこですよね。

それで当時のオリンピックと今のオリンピックは違うところかもしれませんけれども。
そんなバレーボールが強いんだったら、ちょうど東京オリンピックもやるし
これ正式競技にしたらいいんじゃねえか?っていうふうなことで・・

当時は、相当開催国っていうのは力を持ってますよね。
国際オリンピック委員会に対して開催国特権みたいなかたちで
どういう競技を選択するか採用するか?ってある程度発言権があったので

「じゃあ日本っていうのは柔道だ!」と、「じゃあもう1個何を?」
「バレーボールじゃないの?そんだけ強いんだもの」ということで

南部
へーーー!

荻上
すごいな!


それでバレーボールっていうのがその時に正式競技化された。

荻上
相撲とか他にもね、いろいろ(笑)
今考えれば・・


でもアメリカで生まれて、ヨーロッパでも多少バレーボールやられてたから
まぁ一応国際的にやられてるということで正式競技にしやすかったんでしょうね。
という経緯があって、

東京オリンピックのときに女性のチームスポーツとしては
初めて採用されたのが女子バレーボールだったと。

他にもね、今だったらいろんな女性のチームスポーツってありますけど
初めてだったんですよね、採用されたの。

それでもう強いのは分かってるわけですから、
「金メダル取って当たり前だ!」と、それでもう東京オリンピックの前から
すごく盛り上がちゃってですね。


荻上
世論的にはもう「絶対勝つだろう」って感じで?


そうですよ!「東洋の魔女」の決勝戦じゃないですけど
最後の試合っていうのはソ連とやったんですけど、
試合は何日にやったかというと10月23日にやったんですね。

10月23日っていうのは閉会式の前の日の金曜日の夜なんです。
それも19時とかからやってるから、だから勝つのが大前提っていうのかな?
勝たないとシャレにならないと。

閉会式の前の日のゴールデンタイムの時にやってるわけですから
どんだけ期待されてたんだよ!って話です。

南部
すごかったでしょうね!

荻上
これで当時の新聞があるんですよ、10月24日毎日新聞の
「ついに取った金メダル ソ連と白熱の名勝負 絵のよう秘技の連発」っていうことで
「スパイク決まる」とかね、写真も堂々と載せていて

その一方で同じ新聞にですよ、
「ヘーシンク不動 日本の悲願消える 柔道 神永健闘及ばず」ということで
柔道はちょっとあれだったみたいな・・


そうですね、ヘーシンクに負けちゃいましたからね。

荻上
でもこれでやっぱり日本のバレーが一躍「あれ、すごくない?」ということで
世界にアピールしたということになるわけですか?


まぁけどこのときにバレーボールが世界に
「日本の女子バレーボールあり」というよりは、
先ほどもちょっと話しましたように

もう「東洋の魔女」っていうのは金メダルを取ることを
ある種、約束づけられていたっていうんですかね?

これちょっと本の中でも書かせていただいたんですけど。
当時「東洋の魔女」に宿命づけられていたのは、
彼女たちは結婚問題っていうのがあったんですね。

1962年に世界選手権があって宿命にライバルであるソ連に勝ったと。
それで彼女たちがですね、東京オリンピックで
もう女子バレーボールが正式競技化って決まってたんですね。

決まってたにも関わらず、彼女たちは引退したいと。
みんなビックリするわけですよ。
「えー、ちょっと待ってよ。東京オリンピック2年後じゃん!なんで?」って

「いや、私たちもいい歳だから早くお嫁にいきたいの」と。
「だからちょっとお嫁に行かせてよ」っていうことでですね
マスメディアがもう大沸騰するわけですよね。

南部
「いい歳」ってどれくらいだったんですか?


えーとね、キャプテンの河西昌枝さんが確か当時29歳とかですね。

南部
いやー当時だったら、確かにまぁ・・。


ちょっとね、正確には覚えてないですけど・・。
当時の初婚年齢が25歳とかぐらいだった。
で、「もうヤバい」と。

南部
じゃあご本人は焦る・・。


彼女はあだ名が「ウマ」っていう名前だったんですけども。
そんなことはどうでもいいんですが(笑)

荻上
それは悪口ですか?


悪口じゃないですよ!
事実、ファクトベースで言ったんですけど。

荻上
そうじゃなくて、当時はどういうニュアンスで言ってのかな?と思って


ああ「ウマ」っていうのが?
いや「ウマ」っていうのは多分自虐的に言ってたんだと思いますけど(笑)


・・「早く結婚したい」と。
それでもう沸騰して、最終的にどうなるか?というと。

総理大臣を含めてあなたたちが金メダル取ったらその引き替えじゃないけど(笑)
その見返りじゃないですけど、結婚相手は俺たちが探すから!ということで。

南部
うわーそれこそ鼻先にニンジンじゃないですけど・・
すごいニンジンがぶら下がったもんですね。

荻上
すげーな!


そうですよ!だってチキさんが今持っている新聞記事でも
これは10月24日の新聞のところに「おめでた第1号 半田選手」って言ってね。
もう金メダル取った次の日の新聞にこの結婚の話が出てるわけですね。

荻上
出てますね!翌日ですよ!翌日に(笑)


翌日に結婚の話が出て・・

荻上
「結婚に静かな家庭に」・・なんだそりゃ!


それであのさっき僕が言った「ウマ」っていうね河西昌枝さんっていう人は
佐藤栄作が仲人っていうのかな?お見合い相手を探してきて
自衛隊の中村さんっていう人をね、見繕ってそれで首相公邸でお見合い。

確かそうですよ、それでお見合いやって実際それで首相の紹介で結婚までいって、
結婚式も次の年の「スター千一夜」って番組で結婚式をテレビで
ゴールデンタイムにやって、それも首相が仲人なんですよね。

それでとんでもない視聴率取って。

荻上
ちょっと南部さん、字小っちゃくて恐縮なんですけど・・
このところ読んでもらってもいいですか?
面白くてしょうがないです。

南部
新聞を読むんですか?

荻上
当時の10月24日、金メダルを取った翌日の新聞です。

南部
「結婚に静かな家庭におめでた第1号半田選手」
「大松監督は『娘たちよすまなかった、でもいつかこれまでの苦労を楽しく
 思い出すときがあろう』といい来年3月ごろの引退を語った」

「彼女たちのほとんども同じころに引退。
 青春を賭けて勝ち取った栄光を持ってお嫁入りに
 安らかな家庭生活にそれぞれ我が道を進む」

「結婚の第1号はこの日サーブにレシーブに大活躍した半田選手24歳だった
 キャプテンの河西昌枝さんや宮本恵美子さんの結婚も近いことだろう
 本当におめでとう」

荻上
これ社説とかじゃなくて、ベタ記事ですよ!
ベタ記事の中にペラっと「本当におめでとう」みたいな
文章が入るのもすごいですね。

南部
まぁでもこの2年前に結婚したいから辞めさせてくれって言ったのに
「いいや、君たち。オリンピックがあるからあと2年後まで頑張ってくれ」っていうふうに・・


すごいねだからね、今で言うとアイドル的なんですよね。
だからもう一所懸命そのときはスポーツやって
次に私たちはそれを卒業して主婦になるんだ!と。

今の女性とかとちょっと違うんですよ。
今のスポーツ選手と、結婚とスポーツをけっこう今は一緒にやると
「いつになったら卒業するのか?」っていうのがすごい不明確なんですよ。

荻上
「ママでも金」とか言ってますからね。


だからこれがね2020年の東京オリンピックの話にも
本当はつながってくる話で
2020年に今のスポーツ選手って卒業するのか?と

じゃあ2020年に、例えばそれで辞めて結婚するっていうのを
ゴールにしてね辞めるかというと、たぶんやめない可能性があるわけですよね。

荻上
今は「それはそれ」ですからね。


なんていうのかな?女性の生き方みたいなのと
今の女性の生き方の変化っていうのがね、

すごく東京オリンピックの「東洋の魔女」の記事とか観ると
だいぶ見えてくるところがありますよね

荻上
そうですよね、やっぱりその「アスリート」っていうような認識と
また違うような、ある種国策の何かですよね、これは。

それは今や同じオリンピックが2020年に開催されるとはいえ
やっぱスポーツをめぐる状況も随分変わったのかな?といった
ところもあるわけですよね?すげーな、これ。


南部
まぁ「スター千一夜」で結婚の報告するっていうんですから
本当にスターでしょうね。

荻上
それを表舞台で皆さんがするわけでしょ?
でもやっぱり最初は工場に働きに来たわけじゃないですか?
でも何かスポーツやらされたらバレーが上手くなっちゃって

で、なんだかんだでオリンピック行って
引き留められたけれども最後は優勝して結婚もしてってのは・・


で、彼女たちは結婚してどうなったか?というと
「ママさんバレーボール」っていうのを全国各地に広めるっていう
ようなかたちになるわけですね。

それでこれは本の中ではあんまり書いてないんですけど、
ダイエーとイトーヨーカドーとかっていうのが郊外にスーパー出店しますよね?
じゃあそこの空き地のところで何やったか?っていうと

「ママさんバレーボール」のね、なんていうのかな?
公開練習みたいなことをやるんですよ。
その横でミシンの即売会みたいなことをやるんですよ。


南部
ほうほうほう!完全にターゲットは奥様方。


そう、主婦なんですよ。それを全国各地行脚するわけですよね。
それでママさんバレーボールっていうのはこれだけ広がっていくと。

なんかすごく戦後の日本の女性の生き方みたいなのがね
すごく凝縮されている感じありますよね。

荻上
そのころだと女性の、しかもアスリートでヒーローになって
宣伝効果もあってっていうようなものはだんだん作られていくわけですよね?


そうですね、だからある意味最大の商品価値を持っちゃったから、
先ほど言っていたようなレクリエーションとしての意味ってのが
やっぱり薄れてしまうと。

やっぱりスポーツっていうのは勝たないと宣伝効果持たないじゃないか!
っていうことで、今やっぱり企業っていうのは
お金になるスポーツ選手にしか雇わないわけですよね?

それのひとつのきっかけとなったのがやっぱり
「東洋の魔女」であろうというふうなかたちでしょうね。

荻上
これね、やっぱり疑問なんですけど
新さんに聞くことじゃないことかもしれないですけど・・
なんでこんなに強くなったんでしょうね?


なんで?なんで?・・

南部
最初はレクリエーションだったわけですよね?
まあ強い人集めたにしろ・・

荻上
その繊維工場とか紡績とかがスポーツを見いだしやすい環境とか
アスリートが集まる環境とかとはまたちょっと違うイメージじゃないですか?


あのけどね、やっぱりねすごく底辺まで広がったっていうのがあるんでしょうね。
日本のバレーボール協会っていうのが戦後すぐに100万人ぐらいやってたと。

荻上
えっ!競技人口が!


そう、「100万人のバレーボール」っていうふうなかたちで
すごく底辺まで広がって寮対抗とかぐらいまで行われていたらしいですよね。
今じゃちょっと考えにくいですけどね、労働組合対抗試合とかね。

荻上
じゃあ時代的なタイミング的に女性の労働者がその時期に
バッと増えたからこそバレーの定着率が他の国よりもっていうことはあった?


あの他にバレーボールが強いところっていうのは、
実は労働者の地位がね・・労働組合が盛んなところが多いんですよね。
イタリアだったり、ソ連とか東欧っていうのはそうですよね?

いわゆる「組織資本主義」って言いますけど社会学では。
そういう国でねバレーボールが盛んだっていうのがすごく面白いところだなと。


荻上
となると日本も「組織資本主義」の一形態だし、
ある種社会主義的なコミュニティみたいなのがあったということで
しかもソ連をしのぐという・・


そうですね、まぁ大松(監督)はその後中国に行って
それで周恩来に招かれてそれで中国のナショナルチーム作っていきますよね。
面白いですよね、いろんな意味で。

荻上
まさに「東洋の魔女」が今度は色んな伝達をしていく
ということなるわけですよね。

すごいな、でもその時に毎日新聞の記事
「鬼でもない 魔女でもない」ということで
普通の女の子に戻りますってことなんでしょうね。

南部
そうですね、「奥様になっていきます」と。

荻上
いやー、泣いてるわ。感涙してるわ。
そんな背景があったとはね。


(了)

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