2012/04/01

堀井憲一郎が語る「私は震災を身体性で考える」

今回は、小島慶子キラ☆キラ2012年3月13日放送分
堀井憲一郎さんのペラ☆ペラを起こしたいと思います。

音声はこちらから

堀井憲一郎
今日はまぁあんまりテーマとなく、
ゆるゆるといきたいと思うんですけども。

今日が13日、明日がホワイトデーですよね。
お返しデーだし、あれだ!松の廊下の記念日だよね(笑)
本当だよ、松の廊下を忘れちゃいけないよ!!
忠臣蔵のね、日本人は忘れてしまいますけども。


講談界の周辺だけものすごい!ものすごいミニマムなところで
話題になってますけどね。講談界だけですけどね。

3月11日が日曜日でしたよね。
ちょうど1年経ってしまったというところで、
2時46分ですか?あの時間ということでですね。

私はいつも通りに落語会に行ってたんですね。
横浜の立川生志の落語会に行ってて、
俺、その時間は落語やってるんだと思って、スルーしていくんだと思ったら、
流石に落語やらないんですよね、あういう時。


2時からやって、2時40分に一旦終わってしまって、
中入りにしちゃうんです。
本人が言って「さすがに出来ない」って言ってモニターがありますんで、
横浜にぎわい座はモニターでNHKの映像を流して、
でまぁ黙祷する方は黙祷っていう感じで。



まぁ場内まではいちいち流さないんで、
強制的な感じでは無いですけども、まぁそういう感じで
ロビーに出ている人でNHKの映像を見てる人は
だいたい黙祷されてる方が多かったんですけど、
私はそのスッとまた場内に入っていったんですが。

その日の朝も「早朝寄席」というのがあって、
上野鈴本に並んでて、その日はすごく混んでた日なんです。
300人くらい来てたんですけども。

それも並んでる最中にね、
「今日なんか3月11日だから、笑っていいのかしら?」みたいな事をね、
「こんな日だからね・・」って言って来てるんだから、
笑っていいかとかどうか?とか関係無いことだけど。
そういうようなところがありますよね。

私はやっぱどうしても、やんわりとして強制的に
「3月11日だから追悼しよう」っていう空気がすごい苦手なんですね、私は。
基本的に、個人的なタイプとして。
こういう空気が一番苦しいんです、私は苦しめられるんです。

とにかくニュースとか見ないようにするし、
そういう映像とか見ないようにするっていうのがあって、
あくまでどこまでも個人的な感じなんですけども、
その去年起こった大地震に対して出来る事っていうのは無いんです、僕は。

これどっから考えるかというと、「自分の身体性」です、体の問題です。
自分の体の問題だけであって、こういう時に地震の後にオスはすごい求められます。
メスよりもオスが動いて力が強いし、徒手空拳の中で動く場合は男の方が、
力が・・瓦礫をのけるにしても何にしても求められるわけだから、
現場に行けばオスとして非常に力を貸せることあるかもしれませんけども。

私はちょっと現場から離れて暮らしている人間です。
その場で私の自分の生活とか色んなものがあるんで、動けない。
行けない!私は東京にいるしかない、これはもう基本です。

で、東京にいるしかなくて何が出来ることがあるか?
無いです!私は。
それはそう自分でも断言しています。
「私には、出来ることが無いんだ!」って。

マスコミにおいてこの意見が絶対出ないで、
僕は自分ひとりで言ってるから、僕ひとりでつぶやいてるけど、

「自分がとても無力だ!ということを自分の立ってる場で噛みしめて、
泣くなら泣いてろ!泣くのは構わないけど、
その無力だと言うことで黙ってそこで立ってろ!」
っていうことですよね、いちいち声を掛けないで。

「みんな何かやろう!」とか言わないで、出来ないんだもん。ね。
無力だと言うことはしょうがないんです、出来ないんです。
「その無力で何も出来ないで、それを噛みしめて立ってろ!」
っていう言説をひとつも聞かないんです。
俺は自分でひとりでそう言い聞かせているけど。

「みんな、何かしましょう!」とか
「繋がりましょう」とかっていう事を言ってますけど
はっきり言って距離が遠いです。
それはやっぱり無理なんです。生活圏というのがありますから。

ちょっと話ずれて言うと、
こういうことで誰がみんな同時に立ち上がろうしたか?って時に
「日本国民全員が・・」って事ですよね。
日本国内で起こってることだから、日本国の端っこの人まで、
参加しようと思って、俺、九州の鹿児島の一番端っこの人たちの商店街が
すごい「頑張ろう日本!」って、
「一番遠そうな人たち、この人たちもやってんだ!」って実際に見たことがありますから、
そういうなのを思ったんですけども。

距離というよりは、情報とか概念で繋がってるっていう形がすごく強いというですね。
だからつまり、自分の体で何が出来るか?っていう事を考えずに、
頭だけの情報がすごい勝ってしまう、で、
色んなパニックが起こってるってこともあると思うんですよ。

そこを自分の体、起きて半畳寝て一畳しかないし、
それを動かすというのも本来は歩いて行く・・震災時は歩いて行くしかないわけですから。
歩いて行くってなったら、あの辺だったら何日かかるって私は感覚的にわかります。
仙台まで歩けば何日くらいかかるって。

小島慶子
まぁ東海道歩いてますからね。


堀井憲一郎
そういう身体的な感覚をもとに向こうに行くっていうことがこれはもう無理なので。
概念として、日本国っていう架空の概念ですよね、一種の架空なんだと思うんですけど。
架空の概念を持ってる人は「全員一緒にしましょう!」っていう
やんわりとした強制力があるっていうことですよね。
それは身体性が無くなってる、情報性が高いっていうことと、
もう一つ言うと、日頃みんなプライベートなことばっかりで生きてることが多いので、
パブリックな事が必要になってる場合に、
「なんかそれに参加しなきゃいけない!」っていう意識にすごい刺激されるんですね。

それは僕が思うのは、大東亜戦争で負けた後に
それまでは御上に対する、つまり公に対するご奉公っていうことが
すごい中心になっていたその反動で、
「そんな事するな!」っていうのが強くなったままです。

僕らはまだ第2次世界大戦の敗戦における反動を受け持ってる
世代のままだと思ってますんで、そこがまだ直ってないですね。
パブリックに対しての立ち位置が正常でないんです、我々は。
今の日本人っていうのは、僕の意見で言えば。

だからパブリックで何かあった場合は、
本来は「怖いからいちいちそんなものに関わるな」っていうけども
なんかあった場合に、「日本国」っていう枠組みを出された場合には、
それに参加しなきゃいけないっていう・・・。


本来なら日本人が持ってるナショナリズムっていうか、
日本に対する帰属性っていうのが、
こういう時に端々に出ているだけだと思うんですよね、
本来であれば日本だけで。

例えば、四川大地震であったり、どっか他の海外で地震があるけれども、
ここまで一時にしてどうこうって事は無いですよね?
それは、日本じゃないからですよね。

日本国内だから、自分たちが行ける場所でなくても。
四川省に行けないのと、東北に行けないのっていうのは、
距離的にそんなに変わらないところだってあるはずなのに、
それは意識としては、「すごい関わるんだ!」って思ってるって事は
あるんだと思うんですが。

でも、「なんか関わらなければいけない!」と思ってる事が
逆に苦しんでいる人もいると思うんで、
本来は、「自分は何も出来ないんだ」
「何も出来ないんだけど、自分はそれで生きていくしかない」っていうことを思う。
その人たちっていうのは、祈りを捧げるとか黙祷することは出来るけれども、
それをみんなで共有していこうとか、「絆」っていう言葉・・
今の状況での「絆」って言葉はすごい苦手なんで、
ちょっと近寄って欲しくないという感じは持ってるんですけど。

連帯してどうこうっていうのは、
「連帯していって残ったものは安心しよう」って言葉にしか聞こえないんだよ、私はね。
そういう実際の問題、向う側に役に立つかどうかっていう事は、
本当にやらなけりゃいけない事もあるでしょうけども。

個人で言えば、「ただ悲しく立ってるだけ」っていう自覚を常に持ってるっていう・・
自分の無力感、無力感というものを持ってなきゃいけないっていう事ですよ。
要するに、何も出来ないって事。

実際の話は、天変地異というか災害ですからね。
事前に予測出来て、どう出来たか?っていうのは、
事前っていうのがどれくらいか分からないけど。

でも大きな被害が起こることはしょうがない。
自分の力でどうしようもない災害ですよね?どう考えても。
だから、あの災害自体には諦めしか無いっていう感覚がなきゃいけないんですけども、
その後、原子力発電があったので・・。

まぁ「神の怒り」って言われて怒られた人がいましたけど。
神では無いにしても、何か自然が急に怒って
我々の住んでるエリアに襲いかかって来たり・・。
それに対して受けいてるしかないのに、その後原子力の問題が出たので、
それを責めることは出来るわけですね。

それは責めるべきだし、あの原子力行政とか原子力の管理は責めて当然だと思うけど、
災害に怒られた悲しみをそっちに向けちゃ駄目なんですよ、本来は。

災害は災害なんだから!津波とか地震っていうのはどうしようもないし、
予測も出来ない。地震は予測出来ないと思ってる。
そういう事は起こってくるという事を自覚してやってかなきゃいけないから、
そこをずらしてるんですよね、原子力に対して怒るっていうのは。
それとまた別に話なんで。

強く悲しみを自分で一人で耐えるって事を、
もうちょっと自覚した方がいいかな?っていうのが、
この3月11日に一人で思いました。

(了)

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